譚海‐タンカイ‐
図書館の魔法

 真っ青な空にもくもくと真っ白な入道雲が綺麗なコントラストを描く。

「今日も暑いなぁ〜」

 じりじりと焼けるアスファルトの上を歩きながらボクは呟く。

「自転車に乗れればなぁ……」

 恥ずかしい事にボクはこの年になっても自転車に乗れない。六歳の妹なんかは既に自転車を乗り回して「お兄ちゃん見て見て〜」とか言うのだ。全く、ボクだって練習はしたんだ。練習は。

「にしても、今日に限ってこんなに晴れなくていいものを……」

 恨めしげに太陽を見上げるがそれで涼しくなるわけでもなくボクは諦めて足を動かす事に専念する。図書館までは後少し。
 返し忘れていた本に気付いたのは今日の朝だった。返却日はとっくに過ぎ催促状が届いたからだ。

「こんな本、借りたっけ?」

「家で本読むのお兄ちゃんぐらいでしょー」

 それもそうなんだけど。借りた覚えがないんだよなぁ〜。………って今六歳児に諭されたよ。

「美香はしっかりしてるよなぁ〜」

「お兄ちゃんがいつもボケーっとしてるから美香がしっかりしてないとバランスとれないじゃん」

「そうだなぁ〜、うん。まぁ、頑張れ」

 ボクは美香の頭をポンっと叩くとベットに潜り込む。まだ起きるには早い。

「ってお兄ちゃん!早く返してきなよ!今日は昼から暑くなるんだから〜!!」

「うん。後少ししたら……」

 そうボクは言うとタオルケットを頭から被り美香をシャットアウト。その後暫く美香は何かを言っていたが諦めたのかそれともボクが眠ってしまったのか美香の声は聞こえなくなった。
 その後ボクが目を覚ました時には家には誰も居ず、時計の針は正午過ぎを指し、そして何より外は灼熱地獄と化していた。
 置いてあった朝食兼昼食をノロノロ食べ返却期限切れの本を持って図書館へ向かう。こんなことなら美香に言われた通り午前中に言っておけばよかった。

「はぁ〜。やっと着いた」

 何度目かの溜息と同時に図書館に辿り着く。
 玄関を潜り抜けた途端に冷房特有の刺すような空気がボクの躰を包み込んだ。汗が急に冷えてボクは身震いをする。相変わらず冷房ガンガンにしているのだろう。

「返却です」

 そう言ってボクは本を差し出す。

「返却ですね、少々お待ち下さい」

 ボクは特にする事もなくぼんやりしていると職員の人は不思議そうにボクに告げた。

「この本はうちの図書館の物ではありませんよ」

「え?どう言う事ですか?」

「本の情報が登録されてないんですよ」

「でも、確かに返却日が過ぎているから返しに来て下さいって葉書が……」

――こっちに来て。その本を返しに来て――

 ボクの耳は不思議な声を捕らえた。

「一応こちらで預かっておきますね、もしかしたら記録が消えてしまったのかもしれませんし」

 そう職員は言って本を抱えて席から立ち上がる。

――だめ!キミが返しに来て――

「あ、あの!待って下さい。もしかしたら違う図書館のを間違えて持って来たのかもしれなくて」

 最後の方は自分でも何を言ってるのか……。ただボクが持って行かないといけない気がして。

「あら、そう?」

 そう言って職員の人は不思議そうにしながらもボクに本を渡してくれた。
 ボクは玄関へ向かうフリをして本棚の影を縫うように歩く。通い続けたお陰か図書館の間取りは殆ど暗記している。職員の目を盗むルートも。

――こっち。こっち――

 ボクだけに響く不思議な声を頼りに進む。何故かとても懐かしい感覚がする。

――早く、来て――

「あ、思い出した――」

 ボクが初めてこの図書館に来た時同じように不思議な声に導かれて……。

「返さないと。この本をあの子に」

 ボクは急ぐ気持ちを押さえながら幼い時の記憶を辿る。

「えっと、――どこにでもあって、どこにもない、それが道――って言ってたっけ」

 ボクはウロウロと歩き回ったが見つからない。何時の間にか不思議な声も途絶えていた。

「まだ、何か忘れてるんだ」

 初めて図書館を訪れた時、声に導かれてボクは何処に……。劣化した記憶を必死に引っ張り出す。

「本棚……」

 ふと浮かんだ単語と直感を頼りにボクは近くにあった本棚に手をあて押すようにゆっくり進む。ぐにゃりと本棚にはあるまじき感触がしてボクの目の前にはあの子がいた。

「やっと来た。待ちくたびれちゃったよ」

「あっ、うん。ごめん。これ有難う」

 急な変化に驚いたせいか言葉が途切れ途切れになったけどボクは本を差し出す事に成功した。

「どうだった?」

 あの子は瞳をキラキラさせてボクに本の感想を聞く。

「う〜ん。ボクが自転車乗れないのはひどいかも」

 ボクは率直に思った事を伝えた瞬間あの子は「ぷっ…」っと吹き出した。ちょっとひどい。

「あはは。これから特訓だね」

 瞳に涙を溜めながらころころと楽しそうに笑うあの子にボクもつられて笑ってしまう。

「そろそろ帰らないとみんな心配するよ」

 あの子は急に笑いを収めて言う。本当はもう少し話していたかったけど時間が無いみたいだ。

「うん。じゃあ元気でね」

 ボクは思い切る事ができないまま別れを伝える。あの子はボクの言葉に静かに深く頷いてくれた。それから「またね」と。それだけの事で何だかボクは嬉しくなった。そして急に目眩のような感覚に襲われたかと思うとそこは本棚の並ぶ何の変哲もない図書館の通路にボクは立っていた。

「光?こんな所にいたの、探したじゃない」

 通路にぼんやり立っていたボクを見付け母は安心したように笑った。

「ねぇ、お母さん」

「ん?」

「女の子だったら美香がいいな」

 少し高い自分の声に違和感を感じながらボクは母に言った。

「急にどうしたの?」

「ないしょ〜。それと諦めないで自転車の練習する」

 お母さんは驚いたような表情をしてから「家に帰ったらね」と言った。

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 ボクは夏の終わりまだ暑さが厳しい今日、母に連れられて初めて図書館にやって来た。
 そしてボクは不思議な声に導かれてあの子に出会い一冊の本を借りた。その本は未来を読む事ができる不思議な本だった。
 但し、ボク自身がその本を返しに来ないと読んだ未来がそのまま本当になる、と言われていたのに本の中のボクはそんな事すっかり忘れていたんだ。あの葉書が届いたからボクはその事を思い出す事ができた。
 お陰でもう一度違う未来を歩く事ができる。

「同じ未来なんか一つだってないから、あたしがキミに見せる未来は幾らだって変えられるよ。全部、キミ次第って事」

 あの子はボクに本を貸してくれる時にこんな事を言っていた。聞いた時はよくわからなかったけど今ならちょっとだけわかる気がする。
 ボクが読んだ未来は六年間分だったけど、それでも十分貴重な体験をした。何故ならその六年間で学ぶはずの事を既にボクは身に付けているから。
 これからボクがどんな風に六年間を歩みその先の未知の世界を歩んでいくのか全然わからないけど、取り敢えず一つだけわかっている事がある。
 それは……。

「絶対、自転車に乗れるようになる!!」

 まだ夏の暑さが厳しい今日、ボクは心に大きく誓った。


-Fin-




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あきゅろす。
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