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二次創作/夢
サヨナラ問答











絲は、異変を察知するのが誰よりも早かった。
このことに対して、嫌疑十分とした上層部は即座に事情聴取のための会議を開く。案内された一室で、絲は促されるまま席に着いた。真正面に城戸司令が、その左側には忍田本部長や鬼怒田開発室長、根付メディア対策室長が並んでいる。夜間に緊急で開かれた会議だからか、営業で忙しい唐沢営業部長と玉狛支部の林藤支部長の姿は無かった。


「…まずは志島隊員。非番の所呼び出してすまないな」

「いえ。緊急事態ですので、仕方のないことと思います」


重くざらついた空気の中、城戸が口を開く。顔を縦断する傷痕をなぞって、俯きがちだった眼差しが絲を貫いた。


「城戸司令。最初に一つ提案をしてよろしいでしょうか」

「話を聞こう」

「そちらが聞きたいことは分かっています。風間隊が急行するより前に私は鳩原と通信を行っていた…これは明確な事実であり、疑うには十分でしょう」

「…それで、提案とは何かね?」

「菊地原―いえ、風間隊を同席させてもらえますか?私の言葉に嘘がないことを、彼の耳はある程度把握できるでしょう」


絲の言葉を最後まで聞き終え、城戸はわずかに顎を上げる。数拍の後良いだろうと許可が下り、間もなく風間隊が背後の扉から入室してきた。とんだ茶番である。本部長は風間隊の報告を聞くと言っていたのに、絲が足を運んだ先に彼らの姿は無かった。いくらか待たされたとはいえ、この重要機密を前に参考人をさっさと帰すとは思えない。つまり、待機させていたはずだ。例えば絲の声が聞こえる(・・・・・・・・)隣の部屋、とか。
風間を先頭に、菊地原と歌川、三上が続いて城戸の右側の席に座る。これでひとまずの役者は揃っただろう。


「…では、志島隊員。君が異変を感じるまでの行動、そしてそれ以降の行動を報告してくれたまえ」

「はい。
まず初めに、少なくとも私には窃盗も渡航もするつもりはなく、自らの居場所を捨てようとは思っていません。そのことを踏まえた上でお聞き下さい」

「フン、どうだかな」


目の下に隈をこさえた開発室長―鬼怒田は、絲の宣言を鼻で笑うように一蹴した。絲も鳩原も、開発室へ頻繁に出入りする中でお世話になった人である。今回の件はまさに恩を仇で返すようなもので、絲をひどく疑っていることも明らかであった。


「まず前提として、鳩原は私同様にトリガー研究に熱心でした。お互い開発室へ頻繁に出入りしていたことが、彼女と仲を深めた理由の一つに当たります。開発室長もよくご存知かと」

「事実かね」

「…ええ、そうですな」


確認された鬼怒田は緩慢に肯いて、絲から視線を外す。城戸に目で促され、絲は続きを話すべく重い口を開いた。


「私と鳩原は自らカスタマイズを行うために複数のトリガーを開発室から借り受けていました。申請書は提出済みです」

「それは全部でいくつだ」

「四つです」

「何故複数のトリガーを借りようと思った?」

「トリガーを複数借りていた理由は、複数の組み合わせを同時に試すことで効率的に研究を行うためです。主に鳩原が二つ、私が二つを比較検討用に使用していました」


城戸の視線が菊地原に向く。菊地原はそれに頷きを返して、特に言葉を発することは無かった。絲は豪胆にも目の前で行われている彼らの確認が終わったことを察知し、一つ息を吐く。分かりやすいパフォーマンスだな。


「…話を戻します。借り受けたトリガーは全部で四つ。内三つが保管場所から無くなっていました」

「その保管場所は二宮隊のオペレーターデスクと聞いたが、何故君はこんな夜間に二宮隊の隊室にいたのかね」

「本部に来たのは偶々です。師匠である生駒隊員の誕生日祝いを外で行った後、本部に明日提出の課題を置き忘れたことを思い出しました。そのため探しに足を運んだという訳です」

「それなのにどういう訳か二宮隊の隊室にいたと」

「弓場隊員に焼き菓子を頂いたのですが、いかんせん量が多く…隊室の冷蔵庫を借りていました。師匠の二宮隊員に入室許可は貰ってましたので、どうせ本部に寄ったならと回収しに行った次第です」


忍田はフム、と顎を撫でて一つ思い出したように声を上げた。


「今は隊に所属していなかったな。それで二宮隊に…そこで君はトリガーが足りないことに気が付いたということか」

「はい」

「その時の状況は?」

「入室した際は特に不審な点はありませんでした。ただオペレーターデスクの引き出しが少し開いていたので、念のために中を確認した所…保管されているはずのトリガーが三つ足りないことに気が付きました」


菊地原が何度目かの肯きを城戸に返した所で、絲は無意識に強張っていた肩の力を抜く。言葉にすることで自分の置かれた状況と現実を冷静に見つめ直すことが出来つつあった。


「そこで勝手ながらコントロールモニターを操作し、緊急通信を本日夜間待機の風間隊へ入れました。その後内部通信で鳩原隊員の説得を試みた次第です」

「っおかしいだろう!何故そこですぐに我々へ通信を入れなかった!?」


バン、と鬼怒田が昂りを抑えられないまま机を叩く。それはこの場にいる誰もが抱いている疑問であり、絲もそのことをよく理解していた。


「間に合わないと思ったからです」

「…何ィ!?」

「今日、鳩原隊員は二宮隊のメンバーで犬飼隊員の誕生日祝いのため食事をしていた筈です。二宮隊長はそういう集まりの際は遅くとも21時に解散します。対して私が隊室に訪れたのは23時過ぎでした」


きっと彼らはいつもの焼肉店で食事をしていたはずだ。そこから密かに本部のトリガーを持ち出し危険区域に飛び出すまで、十分な時間があったと見ていいだろう。本来なら絲は本部を訪れる予定すらなかったのだから、事の発覚はもっと遅れていたと見ても良いかもしれない。


「そもそもこの報告を上げた所で、信じてもらえたかも怪しいと思っています。実働部隊が風間隊であることを確認した上で、彼らから上に報告をしてもらった方が早いと判断しました」

「…その点については後だ。内部通信に相手は応じたのかね」

「何度も呼び掛けましたが、鳩原隊員からは一言だけ」


城戸の怜悧な瞳がついと細められ、その眼差しで容赦なく絲を刺す。


「―“私は行く”、と」


シン、と部屋の中に呼吸を忘れたかのような静けさが満ちた。それはあまりにも簡潔で、分かりやすい言葉だったからだ。ずっと沈黙を守っていた根付は、これで決まりですなと呟きを落とした。彼の頭の中では、この重要機密をどのように秘匿するかという考えが駆け巡っているのだろう。


「…よろしい」

「!」

「では、最後に一つ聞こう。
志島隊員、君はこの件についてどう考えている」

「それは…彼女の友人としての私も含めて意見を述べろ、という解釈でよろしいですか?」

「そうだ」


意外だなと絲は片眉を上げる。
こういう時の司令は情状酌量の余地すら認めないタイプかと思っていたが、聞く耳はあるらしい。彼の肩上で主張する数値は、テレビの砂嵐のように文字化けしていて動かない。エフェクトすら出ないのだから、それこそ読めない人だった。眩し過ぎて見えないとかはあったが、文字化けするパターンもあるとは。不思議なものである。


「鳩原は私が今日本部に訪れないことを知っていました。同時に私がトリガーの研究をここ一週間ほど出来ていないことも彼女だけが知っていました。今日私が足を運んだのはたまたまで、鳩原は私の居ない隙に行動するつもりだったんでしょう。すごく計画的で、慎重に行動していたんだと思います。
でも、私が異変に気付いてしまった」

「、ふむ」

「レーダーで彼女の反応を見つけた時、追いつくのは難しいと感じて内部通信を使いました。 …何を話したか、と?」


野暮なことを聞いてくれる。この場で話すには不似合いなものだと、司令も分かっているだろうに。


「それこそ語るに足らないことです。記録には残っていると思いますので、どうぞ確認してください。そこにある言葉が全てであり、私が関与できたのもそこまでです」

「…」

「あの子は誰も巻き込まずに姿を消すつもりだった。私はそこへ首を突っ込んで巻き込まれかけただけですよ」

「…君は彼女の目的が何だったと考えている?」

「それを聞きますか?あなた方が取り上げた権利を求めた結果の行動であって、目的は…よくお分かりでしょう」

「そうだな。見解に違いはないようだ」

「であれば、そういうことでしょう。
あと、鳩原が持っていった三つのトリガーは私がカスタマイズしたものです。今この場で問題になっているのは彼女の行動そのものだと思うので、構成内容は後でお教えします」


お話できることは以上です。
絲がそう締めくくると、城戸は目蓋を閉じて背もたれに体を預けた。鬼怒田と忍田は沈黙を貫き、何かを考えているようだった。歌川と三上の気遣うような視線や何か言いたげな菊地原の表情には気が付いていたが、絲としては彼らへ言えることは何もない。あるとするなら巻き込んでしまったことへの謝罪だろうか。風間は一連の話を聞いて腑に落ちる所があったのか、頭上の数値が何度か頷いているのが見えた。そんな中、ずっと難しい顔をしていた根付が口を開く。


「城戸司令、よろしいですかな」

「なんだ」

「事態は急を要する上、模倣犯が出ても困ります。よってこのことを知る者は限定させて頂きたいのですが」

「…いいだろう、ではこの場に居る者に箝口令を敷く。万が一許可無しに広めた場合、重い処分も覚悟してもらおう」


根付の提案は最もであり、城戸はそれをすぐ受け入れた。その場の者が皆肯いた所で、城戸の眼差しは再び絲の元へ戻ってくる。


「志島隊員。君はこの件の重要参考人であり、共犯者の可能性が拭えない」

「…はい」

「よって、その疑いが晴れるまで本部に留まってもらおう」

「!お待ち下さい、流石にそれは」

「忍田本部長。これは提案ではなく決定だ」

「いえ、構いません」


真正面からお前を疑っていると言い放たれるとは、中々の体験だなと内心苦笑いした。まあこれからゴールデンウィークという長めの休みに入るのだし、そこまで学業に影響を及ぼす訳でもないから…とそこまで考え、ピタリと動きを止める。いや、影響あるな。


「ただ、一つお願いがあるのですが」

「何か不満でも?」

「ああいえそういうのではなく、明日…というより今日提出の課題がありまして。それも含めて学校には連絡を入れて頂けると助かります」


一瞬空気が固まって、忍田は少し後ろを向いて大きな息を吐いた。アレ絶対笑ってるな。でも大事なことだし。


「ン゛ンッ、その点は心配しなくて大丈夫だ。私の方から後の提出でも良いように連絡はしておこう」

「助かります。
あ、あと―…」

「?」

「今から来る人たちの分(・・・・・・・・・・)も一緒にお願いしますね」

「! ああ、分かった」


忍田なら良いように取り計らってくれるだろう。笑いを堪える顔から一転、真面目に了承してくれたのを見て絲は胸を撫で下ろした。これで心配事は減ったな。


「…では、志島隊員の身柄は風間隊預かりとする。風間隊長、夜間から任務続きだが頼めるな」

「はい。問題ありません」


よろしい。下がりなさい、と城戸がそう告げた後、絲はゆっくりと立ち上がる。風間に促されるまま扉をくぐり、歌川と菊地原を隣にして風間隊の隊室へと向かった。三上は音声データの提出をしてから合流するようだ。


「志島」

「はい」

「お前、あそこで課題の話をする必要はあったのか?」

「そーだそーだ。何馬鹿なこと言ってんのかと思ったじゃん」

「コラ、菊地原」

「いやぁ…内申点に響くと困るので」


ふと、風間が口を開く。忍田が呆気に取られていたように、会議室は絲の発言で妙な空気になりかけたからだ。菊地原も同意し、ぶうぶうと文句をつけている。歌川もそんな菊地原を止めはするものの、思う所は一緒のようだ。


「内申点?お前の成績であれば問題はないと二宮に聞いているが」

「二宮さんそんなこと言ってるんですか!?」

「それこそボーダー隊員なんだから推薦なんかいくらでも取れるじゃん」

「でも確かに、志島先輩なら一度の提出遅れくらい許して貰えそうですけど…」


成績についてまさかのタレコミがされていたことに驚きつつ、絲は苦笑いで頬をかいた。自分の成績にそこまで食いつかれてもなあと思うと同時に、気を使ってくれてるのかなとも感じる。唐突に巻き込まれていい気分はしなかっただろうに、心の広い人達だ。


「一般の推薦狙ってるんですよ。去年夏から今年夏にかけての成績が上位5%だったり、まあ条件はあるんですけど…狙える位置にいるってことだったので」

「うわっガリ勉じゃん…」

「違うが??」


生意気なことを言う菊地原の頭をわしゃわしゃすると、ウワヤメロと髪にぶら下がっていた数値が手から逃れようと暴れる。逃さんぞ。7万5000とかいう高い値しやがって。嫌がる素振りを見せるくせに、何だかんだ撫でられ待ちしているのがこの後輩の憎めない所だ。よしよし…グッボーイ…と撫で続けていると、ふと風間がん?と首を傾げる。


「まさかとは思うが…それのために隊を抜けたのか?」

「まあ、はい。それもあります」

「えっそれが理由だったんですか?」


歌川が思わずといったように絲の顔を凝視した。あんまりにも驚くものだから、それだけじゃないとしっかり釘を差す。横では菊地原がもっさりした頭をくしくし整えていた。仕草がキュートなのでお前は今日からハム士郎だ。


「一般推薦者かつボーダー隊員が入学する場合、二重に学費の免除が受けられる可能性があるんだよね。それを狙ってるから、一旦勉強に集中したくて」

「そんなのがあったのか。知らなかったな」

「私もたまたま…気が付いたので」


それこそ大学のパンフレットを眺めていた時に、こんな制度あるんだと二人で驚いたことがあった。本当ならボーダーの推薦をその誰かさんか勉強の教え子にでも当ててくれれば良かったのだが。当て先は一人になってしまった。まあ人数制限があるとも聞かないし、自分が気を揉まなくてもボーダーの推薦を求める誰かが使うだろう。


「…神田も進学のために除隊したんだったな。先を考えるのは大事なことだ、気張らずやれよ」

「はい。まあそこさえクリア出来れば、また本腰入れますよ」

「もういっそのこと自分で隊作れば?志島さんが隊探してるーなんか知れたらうるさくなりそう」

「志島先輩からしたら選り取りみどりって感じになりそうですね」


風間は一体どこから情報を集めてくるのか謎だが、激励は有り難く受け取っておく。絲としても、一度除隊したとはいえまだまだ戦闘員は続けるつもりだ。今を無事に乗り切れば好きなように研究に没頭できるぞーと先のことを思い描いた所、菊地原にしらっとした目でつつかれる。隊を作れというのは前々からよく言われているが、やはり気が乗らないのですいっとその眼差しから逃れるように顔を背けた。歌川の純粋な言葉が刺さる。


「…私が隊に所属してたのはイレギュラーみたいなもので、本来なら全然向いてないんだよ、チーム戦…基本的にソロで困ってないから今のままでいいかなあ」

「勿体ない気もしますけど…」

「つまり自分の苦手分野放ったらかしってことなんじゃないの?もうちょっと頑張りなよね」

「ウス」


隊室に辿り着くと、彼らは思い思いに腰掛け始めた。菊地原はソファの背もたれにべったりと頬をつけている。何事もなければ本部待機だった所を呼び付けた形なので、余計疲れたのかもしれない。サイドエフェクトも酷使させてしまったし、気分は良くないだろう。申し訳ないなあと考えつつその隣に腰掛けると、風間がそんな絲を見ながらこう告げた。


「後悔するな」

「!」

「お前は正しい行動をした。破った規律といえば無断でコントロールモニターを操作したことだな」

「そ、そうですね?」

「数日中には解放されるだろう。休暇だと思っておけ」

「人より長いゴールデンウィークになりそうだ…」


真面目な顔で真面目に励まされると、逆に気が抜けると初めて知った。ふへ、と気の抜けた炭酸みたいな笑いが漏れる。そのまま欠伸が喉の奥から込み上げてきたので噛みしめていると、赤い瞳が部屋の奥へと向かった。その方向は確か宇佐美が使っていた小部屋がある所だ。


「俺たちは元々夜勤だったから仮眠してあるが、お前は違うだろう。向こうの部屋で寝てこい」

「え、良いんですか?あそこって元々は宇佐美の部屋でしょう」

「よく分かんないガラクタだらけの物置だよ、あんなとこ。寝れんなら寝てくれば?」

「おお…まあ良いのか…なら有り難く」


ひねた物言いだが、寝てこいと心配してくれているらしい。言葉に甘えて大人しく奥の部屋に向かうと、歌川が手伝いますよと後をついてきた。こういう時に率先して来てくれるの偉いな。可愛い。いつも通り手を伸ばすと頭が下げられたので、ヨスヨス…と遠慮なく撫で回した。デジタル時計のような数値が撫でるのに合わせて体を揺らしていて可愛い。可愛いしか言ってねえな。


「先輩、下はマットレスなんですけど大丈夫ですか?」

「問題ないよーありがとね、歌川」

「いえ。 …なんというか、冷静ですね」

「ん?」


部屋の隅に置かれていた薄い毛布を歌川から受け取ろうと腕を差し出すと、受け渡しの際に歌川の手が触れる。そのままキュッと握られたので、二人で毛布を抱えている形になった。温かい手だ。


「志島先輩は、鳩原先輩とはすごく仲が良いと思ってたので」

「まあ仲良くてもお互い全部さらけ出してた訳じゃないからね。あの子はあの子なりに決めて、行動したんだよ」

「…寂しくないですか?」

「んふふ、そこは“悲しくないですか”じゃないの?」


歌川の問いは少しずれているようで、的確なものだった。自分から聞き返しておいて、絲は聞かなくていいことを聞いたなと考える。案の定、歌川の答えも予想通りのものだった。


「聞きませんよ、そんなこと」

「ふふ、うん。
寂しいって言うのかな、何か分からないけど」

「はい」

「学校にもボーダーにも鳩原いないのかぁ」

「…はい」

「うーん」


案外こんなものかとは思う。どこにもいないんだなと思うと、物足りない感じはする。でもそれで終わってしまう自分はかなり薄情な気がした。言語化が難しくて唸っていると、温もりが手から肩に移ってぐいと絲を引き寄せる。絲の顔は歌川の肩にちょうど乗るくらいだったが、俯いていたため額が意外と筋肉のある肩にぶつかった。頬が触れたまま顔を上げると、歌川と目が合う。


「言葉にするのは難しいかもしれん」

「良いんじゃないですか?だってまだ数時間しか経ってないんですよ」

「そういうもんか」

「そういうもんです」


さ、完全に日が昇る前にちょっとは寝てくださいと促され、導かれるままマットレスに横たわった。歌川はそのまま絲に毛布を広げて肩まで覆う。あまりに寝かしつけスキルが高過ぎてバブちゃんになったかと思った。なんてことだ…ナチュラルモテ男なのにオカンレベルも高いのか…。微笑みが聖母みたいに見えてきた。マリア歌川?
阿呆みたいな幻覚を見ていると、歌川の手が絲の額に伸びる。目を細めて眺めていると、視界が明るくなった。顔にかかっていた髪の毛を避けてくれたようだ。そのまま前髪ごと額を数回撫で、暫くしたら起こしに来ますと言って歌川は去っていった。あまりの衝撃にガン見してしまったが、彼は気付かなかったようだ。女を落とす手練手管でも学んだんか?

(ヤベェ男だ…マリアなのにタラシ………)

ナチュラルボディタッチのレベルが高い。感心しちゃったな…と絲は毛布に潜り込んで目を閉じる。自分では分からなかったが、どうもかなり疲れていたようで体がどんどん重くなっていく。そのまま泥に沈むような滑らかさで、絲は眠りに落ちた。

歌川がメインルームに戻ると、三上が風間に音声データの提出について報告を上げていた。三上の帰りが早かったのか歌川の戻りが遅かったのかは分からないが、それなりの時間が経っていたようだ。飲み物をストローで啜る菊地原にニヤついた顔で出迎えられる。


「遅かったじゃん」

「…そうか?そんなつもりは無かったんだが」

「ふーーーん」

「なんだよ…」

「歌川」

「!はい」


明らかに含む所のある返しに少したじろいでいると、隊長から声が掛かる。何だろうと振り向くと、妙に真剣な眼差しが歌川を貫いていた。


「…手を出したのか?」

「っは!!?」

「あ、すごい心臓跳ねてる。何かやったな」

「え!嘘!歌川くん!!」

「あの、何ですか突然…」


思い掛けない言葉に素っ頓狂な声を上げ、パッと口を押さえる。奥では絲が寝ているので、あまり大きな声は出したくないのだ。しかしそんな歌川の心情を余所に菊地原は勝手に解析を始めるし、三上は瞳を輝かせて喜色に満ちた声で歌川を呼んでいる。こういうからかいは不得手だからか、それとも相手が絲だからか。歌川は徐々に顔が熱くなるのを感じていた。


「行くなら正攻法で行けよ」

「いやっ、ちょっと触れて引き寄せただけですから!他意はありません!」

「…!!聞いた!?菊地原くん聞いた!!?」

「うわー完全な墓穴じゃん」

「あっいやあの」


風間のあんまりな誤解を解かなければと焦るあまり、口を滑らせる。それに食いついた三上はきゃあきゃあはしゃぎながら菊地原の肩をタップした。菊地原はもうちょっと隠す努力しなよ…と言わんばかりの顔でこちらを見ている。あああ…と頭を抱える羽目になり、歌川はますます赤みを増しているであろう顔を片手で覆った。肩の上の数字はポッポと全身赤らんでいる。


「……志島先輩があんまりにいつも通りだったので、はけ口になれればと…」

「…まあ嫌がってなかったんなら問題ないだろう」


風間のフォローにはい…と力なく返事をして、歌川は手のひらを見下ろした。握った腕の細さに、触れた髪の柔らかさ、額のまろやかな線。それらを思い出して頭(かぶり)を振る。そんな部下を見て、風間はアドバイスしてやろうとその背を軽く叩いた。


「アイツは押してくる相手からは全力で逃げるぞ。搦め手で行け、ソースは俺だ」

「え」

「歌川くん、応援してるからね…!!」

「骨は拾ってあげるよ」


歌川は次々と浴びせられる激励にあたふたして、結局小さな声ではいと返した。あと“ソースは俺”って何の話なんだろうと思ったが、それを聞く元気はない。圧に負けた瞬間だった。











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