[携帯モード] [URL送信]

二次創作/夢
三等星のシグナル











その日は、ほんのちょっとの違和感とも言えないようなものに触れた気がした。

ホームルームを終え、さて帰ろうと廊下を歩いていると鳩原が同じタイミングで教室から出てきていた。向こうもこちらに気が付いたようで、何となしに合流して二言三言交わす。普段ならトリガー関連でもっと話し続けるのだが、この日の絲(いと)は先を急ぐ訳があった。


「ごめん鳩原、今日は早く帰らなきゃ。また明日」

「あ、ねえ絲。プレゼント本当に手渡しじゃなくていいの?」

「ええ…やだよ…強請られたからやるだけなのに……」

「すごい渋い顔するね…」

「あと今日はカレー屋さん貸し切って“生駒'sバースデーパーティー三度目の正直編”やるから、犬飼にわざわざ会う暇ない」

「何回聞いてもよく分からないんだけど、誕生日パーティーって三回もやるものなの?」

「いや…知らん…」

「参加するのに知らないんだ…」


もう間もなくゴールデンウィークだと浮かれがちになる5月1日は、犬飼澄晴の誕生日である。
絲としては言葉でぐらい祝ってやってもいいかなとは思っていたものの、金を出してプレゼントを用意してやるつもりまでは無かった。ところがそんな考えを見越していたのか、犬飼という姑息な同級生は月火担当師匠の二宮越しに「プレゼント楽しみにしている」と伝えてきたのだ。何という男だ。これで絲がガン無視しようものなら、二宮には部下を無碍にした奴と見なされてしまう。心底腹が立つが、ここは懐の広さを師匠に示しておくか…と絲は考えた。そのため適当に見繕った万年筆セットを購入し、この後隊で祝うのだという鳩原越しに渡すことにしたのである。直接渡さないのはある意味の意趣返しだ。欲しけりゃ口で言え、斜め鶏冠(トサカ)マンめ。ペッペッ。

また、犬飼の二日前―4月29日は木金担当師匠・生駒の誕生日だった。絲としては生駒こそ盛大に祝わねばならなかっため、犬飼に構っている暇は無かったとも言える。

誕生日当日は生駒隊のみでパーティーを執り行ったと聞いたが、絲は生憎任務が入っていて参加できなかった。その次の日は生駒と親しい弓場の誕生日であり、二日目の誕生日パーティーは弓場隊と合同で行ったという。これもまたピンチヒッターに来てくれ!と任務が飛び込んできたため、絲は参加できなかった。生駒は最初こそ俺こんな祝われて幸せ者!!ありがとな!!とテンションマックスだったらしいが、絲から不参加の連絡が来る度に部屋の隅に額を預けていたらしい。弓場のお手製パウンドケーキも慰めるには効果が薄かったそうな。
終いには隙間時間に顔を覗かせた絲に縋り付き、弟子居らんパーティー寂し!!!!!エ゛ン!!!!!!と叫びつつ数値からドボドボ滝のような涙を溢したため、気を利かせた隊員と絲により三度目のパーティー開催が決定したのである。


「あの時の生駒隊の行動の早さは凄かった。外堀が埋められるとはこのこと」

「一体どんな…」

「嘆いてるイコさんの後ろで海が“明日空いてますか”って書かれたスケッチブック掲げてて、それに肯いたらマリオちゃんがお店調べて隠岐が電話予約してた」

「スムーズ過ぎる」

「水上は“志島は明日俺らとパーティーやる予定ですよ”ってイコさんに囁いてた。イコさんの機嫌が爆上がりした」

「全てが抜かりない」

「カレー店貸し切りって所で感涙してた」

「泣いちゃった…」


ハワ…と鳩原は手を口元に添え、何とも言えない顔をした。そりゃそうだ。誰も泣くとは思わない。


「まあそんな訳で今日はさっさと帰るよ。悪いんだけど、回りくどい奴好きじゃないって犬飼に言っといてくれる?」

「私がそれ言うのか…うん、まあ一応伝えとくよ」

「頼んだ!それじゃあね」


手を振り鳩原と別れる。お店で制服というのも何なので、パーティーには私服で向かう予定だ。自宅を経由するとなると待ち合わせまで幾ばくもない。早く帰らねばと歩む内にスピードは徐々に上がり、駆け足になった。頬に当たる風は生温く、ほんの少し初夏を思わせる匂いがする。なんの変哲もない緑の美しい季節だった。

パーティーは恙無く終わった。騒がしいという一点を除けば、だが。
会場となったカレー店は三門でも有名な店であり、即日でよく貸し切りに出来たなと絲は感心した。よくよく話を聞くと、生駒が究極のナスカレーを求めて辿り着いた店であるらしい。その味をいたく気に入った生駒はその辺のカレー愛好家に負けず劣らずの常連客になったようで、マスターから顔と名前を覚えられていたのである。誕生日?おう良いぜ!貸し切りにしてやるよ!と軽く電話口で言われたのだと語る隠岐は、隊長のフットワークの軽さに苦笑いしていた。その隣には名前も知らん隣のおじさんと肩を組んでカレー語りしたんや、とキメ顔をする生駒が立っている。絲はなんと返すか迷った末に、無言でサムズアップしておいた。イコさんすげえや。よく分かんない魅了パワーあるよ。

すっかり服がカレーの匂いに染まり、腹も気持ちも膨れた所で解散の運びとなる。ドヤドヤ騒ぎながら店を出た所で、絲はあ!と声を上げた。それに反応して水上のもさもさ頭から小ブロッコリーを生やした数値がひょっこり顔を出す。野生動物なんか?もしくは借りぐらしのブロッコリー?つられて柔らかじんわり発光素材の隠岐の数値も体を反転させてくるので、目がないはずの数字に見つめられている気分になった。やめれ。


「なんや、どないしたん?」

「しまった…明日提出予定の課題をボーダーに忘れてきた…」

「週頭にラウンジで黙々やっとったアレか」

「アレだ」

「志島先輩もそういう抜けた所あるんやねえ」

「人間だもの」

「byみつを」

「あっ!それ俺知ってますよ、小学校の保健室に貼ってありました!!」


会計係のマリオにまとわりつく生駒を尻目に、隠岐と水上は絲の物忘れを珍しそうに弄る。己よりも背の高い二人に両隣からドゥムンドゥムンぶつかられるので、絲は激しめにム゛!!と身震いして距離を取らせた。体当たりやめろ。
有名な詩人の言葉に繋げて遊ぶ水上に、海は思い当たる節があったのか元気よく挙手をした。俺もやなあと隠岐が漏らすので、どこの地域でも謎にその詩人のカレンダーやらポスターが貼られていることが発覚する。正直謎である。


「で、どうするん?」

「あー、時間遅いけどしょうがないから本部行く。課題は大事」

「送ってきましょか?」

「いや、地下通路使うから大丈夫…とは言っても居住区画と本部の方角一緒だわ。途中まで頼もうかな」

「隠岐了解」

「ん、会計終わったみたいやな」


水上と隠岐に挟まれながら会話していると、海がマリオと生駒を引っ張ってきた。会計でもだもだしていた生駒を回収しに行っていたらしい。生駒が最後まで会計しようと粘っていたからか、マリオの表情はちょっと疲れていた。カワイイマリオちゃん困らせてどうするんだこの師匠は。


「イコさん、主役が払おうとしてどうするんですか。マリオちゃんも呆れてますよ」

「ホンマやわ、ちゃーんと準備してきとるんやから駄々こねんのやめてーや!」

「あんな、これには理由があんねん。俺の誕生日パーティーに出す金やなくてあのカレー屋に対する納金なんよ、分かる?純粋にキレイな金なんよ」

「納金て」


年上のプライドなのか、どうしてもお金を払いたかったらしい。生駒の頭上では数値ががっくり項垂れており、彼の胸中を如実に表している。マリオに怒られても人差し指を突き合わせて未練がましく呟いているが、納金って言葉はちょっとヤクザみたいだからやめた方が良いんじゃないかな。絲がちょっと遠い目をする隣で、隠岐はのほほんと笑っていた。


「回収ご苦労さん、海」

「財布出そうとしてたんで羽交い締めして止めときました!」

「誕生日に羽交い締めされる主役って何?」


海をけしかけたらしい水上が声を掛けると、海は笑顔でピースをしてくる。明るいな。というかイコさんは行きつけのカレー屋で羽交い締めされたの?マスターはそれを見て爆笑していたみたいだが、嫌に心が広い。店内でそんなことやられたら普通は追い出す。怖いし。次回使えって温玉サービス券貰いました!と手に握ったチケットを差し出され、絲は余計に店主の心の広さが気になった。優し過ぎんか?心パシフィックオーシャンか?

いつまでも店の前で騒いでいては迷惑になるので、ひとまず帰ろうと皆で帰路についた。
前を行く生駒の手には紙袋が握られており、絲からのプレゼントの包装紙が覗いている。師匠に何を贈ればいいのかひどく悩んだが、生駒は欲望を割と口に出す方の人間だ。モテたい…という呟きはよく耳にしていたので、じゃあ今流行りのモテ服で生駒に似合いそうなものを見繕うか…と絲は考えた。諏訪隊オペレーターで元モデルの小佐野とは、諏訪と堤繋がりで割と仲が良い。彼女に協力を仰ぎ、最終的に普段使いできるジャケットを選んでプレゼントしたのだ。それを顔の上に掲げてまじまじと眺め、キュ…と抱き締めながら静かに泣いていたので多分気に入ったはずだ。数字から無数の花飛ばしでバイブレーションしてたし。突然ライオンキング始まったかと思ったけどな。ナーンツィゴンニャーババギチババー。

ちなみに小佐野からは「異性に服贈る意味知ってる?自分が脱がせたいってことらしいよ」とか何とか言われたが、そんなもんは知らん。私がイコさんを追い剥ぎしてどうするんだ。ちなみにその発言を聞いていた諏訪は大爆笑してむせていた。タバコばっか吸うから…。肺ハラスメントやめたげてください。
たまに謎のボケをしてくるから困るな、と絲は夜道を歩きながらその時の小佐野の顔をぼんやり思い出していた。


「海は俺が送ってくわ!ほんなら志島ちゃん、今日はホンマにありがとうな!!」

「おー、こっちはこっちでちゃんと帰るんで。送り狼にはならんといてくださいよ」

「海、己の身はちゃんと守るんやでー」

「またアンタらはふざけて…」

「やっぱりこの隊ウケるな…」


生駒が海を送り届けるだけなのに、ここまでふざけられるのがすごい。しみじみと生駒隊の面白さを噛み締めて、絲は残りの三人と本部に向かった。

三人と分かれた絲は、夜間故に人の気配が少ない本部内を歩く。置き忘れた課題は忘れ物として本部内受付に届けられていたようで、無事確保することが出来た。内申点を下げたくないので、課題は期日までにしっかり仕上げて提出するのが常である。これで明日の提出に間に合うな、と絲は胸をなで下ろした。危ない危ない。


「あ、そういえば」


課題を鞄に仕舞い、夜勤の受付さんに挨拶をして踵を返す。と、そこであることを思い出した。二宮隊に置いてあるパウンドケーキのことだ。
そのパウンドケーキは弓場お手製の自信作で、何故か彼の誕生日パーティー参加者に振る舞われたものである。なんで自分でケーキ用意してんだろうあの人。オペレーターの藤丸のの(ののさん)にも何してんだオメーって顔をされていた。生駒と弓場の合同パーティーに顔を出した所、多過ぎるから持ってけと絲にもお裾分けされたのだが、いかんせん量が多い。丸々二本は食えん。ということでお茶請けにどうぞと二宮へ差し出したは良いものの、一本はお前が持って帰れと言われてしまったのだ。任務があったので持ち歩く訳にもいかず、ひとまず二宮隊の冷蔵庫を間借りしてパウンドケーキは保管されている。

(せっかく本部来たんだし…傷んでも困るから持って帰ろう)

焼き菓子とはいえ、あまり日を置くのは良くないだろう。それに早めに食べて弓場に感想を言いに行かねば。そう思った絲は、二宮隊の隊室へと方向転換した。本来なら部外者の立ち入りは禁止されているのだが、絲は師匠からの許可があるため出入り自由なので問題ない。生駒には早くから入室許可を貰っていたこともあり、それを知った二宮が競うように許可を出したという裏話があるのだが、絲は知らないことである。

プシュ、と音を立てて扉が開く。
さてさてと冷蔵庫に向かい、お目当ての物を取り出した。パウンドケーキの上には丁寧な飾り付けがされており、ドライフルーツやナッツがアイシングでくっついている。お洒落な見た目は味への期待を膨らませる。明日のおやつにしようかな、と考えた所で困ったことに気が付いてしまった。持って帰る為の袋がない。


「鞄にむきだしで入れるのは…マズいな…」


ラップで包まれているとはいえ、潰れたら課題がパウンドケーキまみれになる未来しか見えない。背に腹は代えられぬと、絲は一人なのを良いことに隊室で袋探しを始めることにした。給湯室の扉をパカパカ開けては閉め、隠されていたおやつを発見するなどして時間は過ぎていく。流しの下も見たが、目ぼしいものは無かった。雫を垂れ流す蛇口はしっかり締めて、天を仰ぐ。


「うーんさすが二宮隊、無駄な物が見当たらんぞ」


今度は勝手知ったるオペレータールームを当たろうと足を踏み入れ、ん?と絲は首を傾げた。何やらつるつるしている。床を見ると、まるで磨き上げたかのように綺麗で塵一つ見当たらなかった。これは鳩原が掃除していったなと考えると同時に、袋の類は無いかもしれないと絲はため息をつく。何もこんなタイミングで掃除しなくても…。鳩原は綺麗好きでこまめに隊室の掃除をしているのだが、不要なものは迷いなく捨てる所がある。これはもう望み薄な気がしてきた。
最早諦めの境地でオペレーター用の椅子に腰掛け、くるんくるんと回転して遊ぶ。もうしれっとパウンドケーキ押し付けちゃおうかな…。二宮隊のおやつタイムに突撃して一切れいただけば弓場に感想を言いに行ける。よしそうしよう!と勢いよく立ち上がろうとした所で、ガンッと膝を強かに打ち付けた。


「ドゥァッ!イ…、ーッ!!!」


ほにゃほにゃと意味のない音を漏らしつつ、暫く痺れるような痛みに耐える。一体何にぶつかったのか…と涙目で足元を見ると、デスクの引き出しが一つだけ飛び出していた。


「なんだよもう…鍵掛け忘れてるし開いてるし…」


引き出しを閉めながら文句を口にして、ぴたりと手を止める。なんの変哲もない引き出しだ。ただ鍵が掛かるだけの、何処にでもあるような。でも、そこに保管されている物を絲は知っている。二人で研究するために借り受けていた物が仕舞われているからだ。不思議な予感が体を駆け巡り、絲はその引き出しをじいと眺めた。
そして引っ掛けたままの指先に再度力を込めて、一思いに引き出しを開ける。目で数を数える。ケースの中には四つあるはずなのに、そこには一つしか無い。

―トリガーの数が足りない(・・・・・・・・・・・)!


「、!!」


一体いつから、誰が、何の目的で持ち出したのか。ここ暫く、絲は任務や個人的な用事でトリガー研究が出来ていなかった。大凡一週間といった所か…と即座に疑問点を弾き出す。そして、それらを整理する内に絲は気が付いてしまった。焦る一方で冷静な自分がどこかにいる。状況を俯瞰して答えを導き出した己が、急げと囁いた。

囁きが聞こえるのと同時に、オペレーターデスクのモニターを立ち上げる。一分一秒が惜しいと、起動待機中も横に掛けられていたマイクを装着した。響く鼓動に急かされながら意味もなくキーボードを叩き、トップ画面に移行してすぐ防衛任務用のレーダーを開く。本来ならオペレーターでなければ操作してはいけないのだが、緊急事態なのだ。

(部分マップだと駄目だ、今防衛任務に当たっている隊の所は絶対避けるはず)

まずレーダーに表示されたのは、任務を担当している隊員達の部分マップだった。そこには求めていた名前は在る筈もなく、全体マップへの切り替えボタンを探す。この方オペレーターなどやったことがないため、どう操作したらいいのか全く分からない。それでも探さねばと、手当り次第に表示されているボタンを押していった。
あるボタンを押した時、画面が黒の基調に変わる。パシュンと音を立てて切り替わったので一瞬焦るが、特にエラーコードは出ていなかった。これは何だと左上のタブ名を確認すると“トリガー追跡レーダー”と表示されている。追跡の文字を見た所で、絲はよく世話になっているエンジニア・雷蔵の言葉を思い出した。

―トリガーはさ、作った時に全部ナンバーが登録されてるんだよね。起動してなくても追跡出来るから、プライベートで出掛けたい時は持ってかないほうが良い訳よ


「これだ…、!」


目を皿にして追跡レーダーをくまなく探す。防衛任務用のレーダーと見比べながら、任務に当たっている隊員とは別に動いている反応を探す。この範囲にはいない。探す。ここにもいない。探す、探す、探す―…。


「、見つけた」


レーダーの端、任務に当たる隊員からは上手い具合に離れた危険区域の中。
そこに明滅する反応は、確かに動いていた。そのトリガーのナンバーをコピーし、トリガー一覧のページを開いて検索する。読み込み画面からパッと切り替わったページには、照合結果が表示されていた。そこには絲の思った通りの名前がある。―トリガーNo.×××× 使用者:鳩原未来。

手早くメッセージを任務の待機組へ送り、内部通信機能をオンにする。何の因果か、それと同時に鳩原のトリガーも起動されたようだった。任務用レーダーには表示されていないことから、バッグワームを使用しているのは間違いない。これが決定打だなと独り言ちて、絲はグリーン表示なった鳩原の名前を押し、通信を開始した。


〈…聞こえてる、鳩原〉

〈、!〉


息を呑むような音がする。どうやら正常に作動しているようだ。内部通信含め、粗方の機能はオペレーター側が基本的に全てコントロールしている。つまり隊員側から完全にシャットアウトすることは不可能であり、この場でイニシアチブを握っているのは絲の方だった。


〈明日提出の課題、忘れちゃってね。たまたま隊室に行ったんだ。弓場さんからのパウンドケーキ持って帰ろうかと思って〉

〈…驚いたよ。部屋は綺麗にしてあるのに蛇口の締めは甘いし、引き出しの鍵は開いてるし、私物は置いたまんまだし。焦ってた?それとも迷ってた?〉


答えはない。けれど、鳩原が聞いていることは分かっている。今絲に出来ることは語り掛けること、ただそれだけだ。


〈分かってると思うけど。窃盗は犯罪、無断譲与もまた同じ。ボーダー関係なくただの犯罪だよ〉


答えはない。


〈ただでさえ機密の多い組織なんだから、末端の末端まで神経を尖らせるに決まってる。入隊時に書かされた承諾書、何のことだか分からないとは言わせないからね〉

〈そこに誰かいるんでしょう(・・・・・・・・・・・・)?近界への密航がその誰かの目的ならまだいい。ただ、それがボーダーの機密情報入手のための甘言だったらどうなってたと思う?〉


答えはない。
けれど、鳩原の目的だけは分かる。己の足で向かうことに決めたのだ。向こうへ渡る権利を一度手にしながら己の欠点故に奪われた権利を、彼女は諦め切れなかったのだろう。悔しくて、情けなくて、藻掻いている。
だって、家族の手掛かりを得る為に鳩原はボーダーに入ったのだ。根本的に向いていないのに、それでも銃を手にした。隊という居場所を得て、協力し合いながらひたすら上を目指した。そうして辿り着いた権利だ。それを鳩原の欠点が全て台無しにした―そう本人は思っている。絲は確信していた。

下手な慰めはただ傷付けるだけだが、何も変わらず傍に居ることも彼女を苦しめると知っていて、絲は後者を選んだ。鳩原の問題だからだ。鳩原が己の問題だと思っているなら、自分が口出しすべきではないと思ったから。

でも、これは駄目だ。やっちゃいけないことをしようとしているなら、友として止めなければならない。


〈分かってる?その行動が、エゴが、組織を…組織に属する私達皆を、ひいてはこの街の人間を危険に晒してるんだ!〉

〈危ういバランスの上に成り立ってる組織なんだよ。今が奇跡みたいなものなんだ〉


ああ、鳩原。こんな言い方しか出来ないけど、お前、本当にそれで良いの。


〈行動には理由がある。それは誰だってそう。それでも犯罪は犯罪だ〉


後悔は無いの。


〈少しでも迷いがあるなら戻れ!!この大馬鹿!!!〉


数拍後、鳩原は答えを落とす。


〈―ごめん、絲。私は行くよ〉


ピッ、と軽い音を立ててシグナルが消えた。
同時に緊急アラートが表示され、ゲート発生の文字が画面を大きく占領する。語り掛ける相手を失った内部通信は、己のアイコンだけが虚しくグリーンに光っていた。前のめりになっていた体を倒して、背もたれに体重を預ける。暫く目を閉じていると、目蓋の向こうが明るさを増したのを感じた。目を開けると、モニターに通信待機表示が出ている。発信者を確認して、絲はマイクをオンにした。


〈こちら風間隊オペレーター、三上です。二宮隊からの通信を受信しましたが、本日二宮隊は非番と伺っています。応答願えますか〉

〈…こちらB級隊員、志島です。混乱させて申し訳ないが、先程の緊急通信は私が送りました。私は師匠の二宮隊員より入室許可を得ており、緊急事態と判断したため隊室にてコントロールモニターを操作しています〉

〈…! 了解しました。本部長へ先の通信を転送した所、確かに不審な動きをレーダーにて感知しました。これにより本部は直ちに被疑者を捕獲するため、風間隊の現場急行を決定。間もなく現地に到着予定です〉

〈その件について重ねて報告します。…本部長にも聞こえるよう操作してもらえますか〉

〈はい。 どうぞ〉

〈―志島くんか。続きを頼む〉


忍田のいつになく真剣な声を耳にし、絲は背を伸ばす。俯いている暇はない。


〈鳩原隊員は開発室より借り受けたトリガーを三つ所持し、近界(ネイバーフッド)への渡航を決行したものと思われます。残念ですが、鳩原隊員の物であるトリガーのシグナルは完全に消えました。捕捉できません〉

〈本部長!風間隊現着しましたが、周辺に人影らしきものはありません。菊地原隊員によって確認済みです〉

〈…続けます。シグナルが失われた直後、その地点にはゲート発生が確認されました。ゲートの揺らぎによって鳩原隊員が捕捉できなくなり、そしてゲートを経由して向こう側へ渡った結果…渡航を果たしたと推測します〉

〈……そうか〉


絲の報告の合間に、三上から風間隊が現地に到着したことを報される。しかしそこには人の姿もゲートの名残も無い。ネイバーの姿すら無いのだから、そのゲートが何の為に開かれたものかなんて愚問である。


〈志島くん、夜間にご苦労だった。これから風間隊を帰還させ報告を受ける。…平日の夜間に時間を取らせて申し訳ないが、君にも同席してもらいたい〉

〈いえ、お構いなく〉

〈ではこれより迎えの者を向かわせるので、志島隊員はそちらで待機を。三上隊員は隊員が帰還したら共に会議室へ来てくれ〉

〈志島了解〉

〈三上了解〉


頭を締め付けていたヘッドセットを外して、椅子をくるりと回転させる。ぼんやりと部屋の中を見渡して、投げ出されて横向きに倒れたパウンドケーキが目に付いた。こんな乱雑にしたら弓場さんに怒られてしまうな、とそっと持ち上げて冷蔵庫に戻す。暫くは食べる暇すら無くなりそうだ。その予感は正しく、絲は夜明けが来るまで本部に詰める羽目となる。

―行くなとはついぞ言えないまま、5月1日の延長線の暗闇に鳩原は消えた。










[*前へ][次へ#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!