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二次創作/夢
僕の私のじゃれ合い戦争










「え、絲ってば本気で言ってる?鈍いね」

「なんと」


雷蔵から借り受けたトリガーを弄りながら何気なく先日の話をしていると、鳩原は僅かに微笑みながら辛辣な言葉を絲へと投げ掛けた。頭の上でカチューシャのように突き刺さっている数値も、マジかお前…無いわ…みたいな動きをしている。心外。動きでそこまで分かるか?と思われそうだが、分かるものは分かる。何か小生意気な動きをしているのだ。


「お人好しが多いねって言っただけなのに」

「そこがまず間違ってるんだよ。“怒るのはすごく疲れるし面倒”なんでしょ?」

「うん」

「お人好しなだけだったらそこまで首突っ込まないから。“絲のことが大事だから怒った”ってことだよ」

「…それはまた奇特な……」

「向こうも絲には言われたくないよ…」


友達とは実に難しい。ボーダーに入る前は他に当て嵌まる者がいなかったこともあり、行動を共にしていたクラスメイトを一応の友達としてカテゴライズしていた。ところがボーダーに入隊して以降は、新しい情報が次々とインプットされていく。いわゆる友情って打算とか利害関係ばかりじゃないんだなあ…と、今では感心する一方だ。友達って深い。


「学んだ」

「ロボットかな?」


ウム!と絲が頷いて返せば、鳩原は瞳を胡乱げに細めて目の前の友を感情を知らないロボットではと疑った。人の機微に疎すぎる。というより、興味を持つだけの人が今まで居なかった…というのが正しいのかもしれない。残酷なほどに分かりやすい人間関係の線引である。そこで浮き上がるのが影浦と絲の特殊な何とも言えない関係性だが、そこを追求すると長いのでカットした。藪蛇はつつかないに限る。


「恵まれてるなあ」

「え?」

「私を友人と思ってくれて、感情の一部を惜しげもなく割いてくれる人が沢山できた。素直に嬉しい」

「…絲は必ず一線引くからね。余計に心配なんでしょ」

「鳩原みたいに?」

「!」


絲が鳩原を見てにやりとする。


「私も君もそうやってちょっと違う所で立ち止まって周りを見る癖がある」

「、うん」

「そういう所が似てて、興味がある分野も一緒。だから一緒にいて楽だし仲良くなった。そうでしょ?」

「正解」

「やったね」

「でもどうしたの、突然」

「いやいや…二宮隊然り、生駒隊然りだなと。お互い手を引いてくれる人がいて嬉しいね」


一人納得してトリガー弄りに戻った絲を眺めて、鳩原はもにょりと口を動かす。何だかなあ。

(改めて言語化されるとくすぐったい)

そう、私たちはどこか似ている。俯きがちな己としっかり前を見据える絲とでは、一見共通点など無いように見えるかもしれない。けれど、もっと根本的な部分が似ているのだ。自分では動きたくない。それでも他人にあれこれ干渉されたくない。だから踏み込んで手を引いてくれる人をどこかで待っている。自分が動くための理由を、ずっと探しているのだ。
弟の行方を追うためには一番の近道と飛び込んだボーダーで、鳩原は己の弱さに立ち竦んだ。人が撃てない、このままではここに居る意味が無い。笑いながら後ろ指を指す者もいれば、手を差し伸べる者もいた。東や二宮が膝をつく自分を立ち上がらせ、手を引いてくれた。だからこそ今の己がある。上を目指せる位置にいる。絲は“恵まれてる”と言った。確かにそうだなと思う。


「私は…絲が隣にいることも有り難いよ」

「それは良かった」


鳩原が照れ臭そうに頬を緩めて零した言葉に、絲は軽い調子で返事をした。ふと鳩原の頭でゆらりと揺らめく数値を目にして、今日はご機嫌だなと気付かれないように笑う。
多分、私たちはどこか薄い膜を他人との間に作っている。それに包まって自分を守っているからこそ、誰にでも平等な振る舞いができていた。素のままの己を出していい相手がいつか現れるだろうと、そこでじっと佇んでいることが大半だったろう。そこへ望み通りに手を引いてくれる人が来てくれた。“恵まれている”以外に適した言葉は無い。連れ出された先で、似た者同士が出会ったことも幸運と言える。


「お互いラッキーだね」

「うん」


二人並び立つと何故だか安心するし、何も言わなくても心地が良い。肩が触れたりと体温が分け合える程の距離でも不快感は無いし、踏み込んだ発言をされてもきっと許せる。鳩原と絲にとって、今この時の関係が最適解だった。

ある時二人の姿を廊下で見かけた当真は、その会話に起伏が無くて心配になるぜ、と零した。テストのヤバさを互いに慰め合っていた国近は、あの二人はあれが良いんだよとその背を叩く。


「あのテンポがちょうどいいんじゃない?」

「そうかあ?バラバラだとそれなりに喋るし騒ぐだろ、アイツら。特に志島なんかは」


当真と国近の激ヤバ点数の話を傍で楽しげに聴いていた王子は、当真の最もな疑問に笑った。


「シートンは楽してるのさ」

「楽ゥ?」

「そうそう。大げさに笑わなくていい、慰めなくていい、怒らなくていい。これってすごく楽なことだろう?お互いに相手へ最大限気を許してるから出来ることだよ」

「そういうもんかねえ。俺には分かんねえや」

「私は納得かなー。穏やかって感じ」


王子はボーダーに入って以降の絲としか付き合いは無いが、当真も国近もその点は一緒だ。絲は事勿れ主義というのは分かっているので、恐らく同じクラスにボーダー隊員が居ても関わろうとはしなかったのだろう。彼女の交友関係は最近でこそボーダー関係者に極振りしているが、その分付き合いはまだまだ短い。その中である意味気難しい部類の鳩原とあそこまで距離を縮めてみせるのだから、よっぽど相性が良いのだろうと王子は見ていた。

それはさて置き。
絲の交友関係の中には一番の謎と言うべきか、ブラックボックスとも言える男が何とも言えない存在感を放っている。


「まあシートンにとってのそういう相手はもう一人居るけどね」

「…あー」

「カゲくんかあ…」


王子がその男について会話にぶち込むと、当真と国近は揃って間延びした声を上げた。最早彼らにとってその話題は聞き飽きた上に話し飽きたものでもある。それだけボーダー隊員であれば誰もが知っている不可解な関係性ということだ。


「アイツらこそ訳分かんねえよな」

「私も何となーく探ってみたりしたけど、相互理解が深すぎることしか分かんなかった」

「マジ?どんな?」

「志島に何でもいいからおにぎり買ってきてって頼まれたから買いに行ったんだよね。そしたらカゲくんがいて、味に悩んでたら迷わずツナマヨ渡された。逆エピソードもある」

「そこまで行くと怖えよ。何で当たり前のように好物知ってんだ?」

「僕はシートンがカゲくんのことマブダチって呼んでるの聞いたことあるよ」

「マブダチ…!?」

「マブ…!?」

「カゲくんにそのこと言ったら“それがどうした”って顔されちゃった」

「公認…!?」

「認めてる…!!」


温めておいたネタを披露すると、当真と国近は思った以上に驚いたようだ。期待以上のリアクションを貰ったので、王子は面白くなって声を上げて笑った。志島はしれっとした態度で大きな衝撃をこちらに残していくので、彼の中では興味深い観察対象だ。やることなすこと全て動機は真面目なのに、何故かネタの宝庫という矛盾点が愉快でたまらない。
この前も蔵内出待ち事件の顛末を荒船から聞いたが、色々と突き抜けていて暫く笑いが引かなくて困った。蔵内の顔を見るだけで引き結んだ口元から笑いのなり損ないがプヒュゥと漏れていくのだ。それを異常な呼吸音と勘違いした蔵内に喘息を疑われ、無理はするなと心配されて余計に辛かった。よく見るんだ蔵内、お前の目の前にいるチームメイトの姿を。トリオン体で喘息はまず有り得ない。王子の腹筋は死んだ。


「俄然興味湧いてきたわ。今度カゲつついてみっか」

「多分何言ってんだって顔されて終わる気がするに一票ー」

「僕も同感かな」

「なんだよつまんねえな。でも俺もそう思う」

「賭け不成立じゃん」

「君の隊長みたいに身にならない賭けはやめときなよ」


さて、所変わって影浦のクラス。
廊下で噂されているとは露知らず、絲は影浦のために各教科叩き込み講座を開いていた。受講者の影浦はげんなりとした表情をしているものの、面倒くせえと逃げ出す気配はない。ただ勉強という行為が好きになれないようで、とげとげ頭に埋もれる数値には鳥肌の如く毛が生えていた。その毛むくじゃら数値は動く度に髪の毛と絡まっており、巣の中でビッタンゴロリンと藻掻く雛のように見える。落ち着け。正直そちらが気になって仕方ないが、絲は心を無にして数学のワークブックを開いた。


「ここはこの公式。カゲは地頭悪くないんだから、当て嵌める公式さえ覚えておけば点数取れるよ」

「覚えんのがダリィんだよ…」

「何回か解けば覚えられるから!ほら、やってみて」


影浦の前の席に腰掛けてその手元を覗き込みながら見守っていると、隣で青汁を啜っていた水上がようやんなあと零す。ズーッと音を立てて紙パックをへこませたかと思えば、空気を吹き込んでボンッと膨らませている。そして折りたたまれていた箇所をせっせと開き、平たい形にしてからコンビニ袋に水上はそれを放り込んだ。子供っぽいのか几帳面なのか分からないが、彼なりのルーティンなのだろうか。絲は影浦の唸り声をバックにしつつ、何気なく影浦とはまた違うもさもさ頭を眺めた。


「なんで青汁なの?野菜ジュースとかあるじゃん」

「分かっとらんな、この絶妙な苦さと不味さがええねん。目ェ覚めるやろ」

「あー、この後自習?」

「いつもなら昼後やし真っ先に寝るんやけどな。任務あるから課題やっといた方が楽なんよ」

「だってさ、カゲ。見習えば?」

「うるせえ邪魔すんな、計算が合わねえんだよ」

「ごめんあそばせ」

「フン」


さて、家庭教師業も影浦が問題が解き終わらないことには手持ち無沙汰である。たった一人の生徒を見る限りまだまだ時間はかかりそうだったので、絲はあらかじめ持参していた数学の課題を開いた。なぜ数学なのかというと、単純に人に教える教科と己が取り組んでいる教科が異なると頭が混乱するからである。せっせと途中式を書き込んでいると、その手元を覗き込んでいた水上はあ、と声を上げた。


「俺んとこの課題と一緒やんけ」

「マジか。タイムトライアルアタックでもしとく?」

「争って何になんねん。やるわ」

「やるんかい」

「…うっせーぞテメェら……」

「あらら」

「すまんて」


結局それぞれが数学を解くこととなり、黙々と机に向かう三人を扉向こうから目撃した面々はその異様さに思わず足を止めた。人見や村上はその筆頭である。
人見はオペレーターの件で加賀美を探している最中に彼らを発見し、まず影浦がワークブックとにらめっこしている事実に驚いた。それこそ影浦は机とお友達になって寝ている姿が基本なので、ペンを握っている所からまず違和感を覚えるのだ。その前と隣で黙々と手を動かしている絲と水上も気になる。じいと彼らを観察していると、後ろから声が掛かる。そこには北添を連れ立った村上が立っていた。


「どうかしたのか?」

「村上くん。いや、なんか不思議な光景が目に飛び込んできたものだから」

「本当だ。珍しいな、カゲが真剣に勉強するなんて」


絲よりも後にボーダーへ入隊した村上だが、強化睡眠記憶というサイドエフェクトと本人の努力故にメキメキと頭角を現しているルーキーである。そんな彼に目をつけて勝負をふっかけたのが影浦であり、良くも悪くも裏のない者同士気が合ったのか、彼らは行動を共にすることが多くなった。この時もたまたま出会った北添と何となく影浦の元へ行こうという展開になり、教室へと足を運んだ次第である。
片眉を上げた村上越しに教室を覗き、北添はのんびりした声でなるほどねぇと顎を撫でた。何だかんだと北添自身影浦との付き合いはそれなりなので、絲との関係についても人より詳しいのだ。ついでに言うと北添と絲もよく話す仲である。


「カゲは昔っから志島ちゃんに勉強教えてもらってるんだよ」

「そうなのか。噂には聞いてたけど、本当に仲が良いんだな」

「ゾエさんもそう思う。あんなに勉強嫌いなのに、大人しく問題解いてる辺り志島ちゃんの努力の痕が見えるよねえ」

「それは良いけど誰も水上に突っ込まないのね…」


村上はたまに絲へ質問する影浦の姿を眺めつつ、あれが例のやつかと頷いた。ボーダーだけでなく学校でもまことしやかに囁かれている噂には、「迂闊に絲へ近付くと番犬に目を付けられる」というものがある。影浦がその番犬らしいとは把握していたものの、普段の粗野な言動と取られがちな態度からはそういう素振りが全く無かったので、村上としてはあまり信じるに足りなかったのだ。
ところが額がぶつかりそうな程の距離で会話を重ねる二人を見てしまえば、納得の一言である。番犬かどうかはさて置き、噂に違わぬ仲の良さであると村上は判断した。絲と村上もまた手合わせをしたり何でもない会話をする仲なので、今度三人で模擬戦をやらないか誘ってみようと村上はにこやかに考える。彼からすれば正直水上が混じっていることには特に違和感を覚えないので、人見の言葉には首を傾げておいた。


「何かおかしい所があるのか?」

「だって水上くんだよ?付き合い悪い訳じゃないけど一人で黙々やるタイプじゃん、絶対」

「それは言えてるかもねえ。何かやるにしても自己完結型って感じだし」


人見の疑問に同意で返した北添は、そうなるとどうしてわざわざ一緒にやってるんだろうと三人へ改めて視線を向ける。二人のやり取りを聞いて少し考えた風に黙っていた村上は、己なりの答えを何とか言語化してみることにした。


「…つまり水上は単独行動が多いけど、例外はいるってことじゃないか?」

「それがカゲとは考えにくいから…志島ちゃんがその例外枠ってこと?」

「多分。ほら、志島は生駒さんが師匠で隊にもよく出入りしてるから付き合いも深いんじゃないか」

「そーういうこともあるかぁ」


三人で顔を見合わせて、何となく納得したような雰囲気になる。そこで人見は元の用事のために、村上と北添は邪魔だろうからここは退散するかとその場を後にしようとした。
とそこへ、何とも言えない悲鳴が彼らの耳を貫く。え、と揃ってその方を向くと、毛を逆立てた猫のような顔で水上を威嚇する絲の姿があった。


「ゴァーッッ!!!!なにその顔怖ッ仕舞え!!!!!!!」

「は?失礼なやっちゃな…こんなにキュートな顔してるん俺くらいやろ」

「キュートって言葉に失礼だわ。冒涜」

「言うやんけトリガーオタク」


何やら預かり知らぬ間に小競り合いが始まっている。原因は分からないが、絲の発言が琴線に触れたらしい水上の顔がお見せできない状況になっているらしい。影浦は騒ぐ二人に眉間を皺々とさせ、絲の筆箱に手を突っ込んで小さなケースを取り出していた。何だあれは?と見守っていると、その中から耳栓が出てきたではないか。えっ耳栓?何でそんな物持ち歩いてるの?と絲に対する疑問が浮かぶのも束の間。影浦は迷いなくそれを両耳に装着してワークブックに向き直った。完全な我関せずの姿勢である。
当たり前のように絲の私物を我が物顔で使い、真横の騒動には不干渉であると示しつつ勉学に励む影浦。まるで天変地異の始まりではないかと疑うような光景だ。宇宙を背負った三人はそれとなく扉に姿を隠すことも忘れ、あんぐりと言葉を失うしかなかった。そんな彼らを置き去りに、水上と絲のやり取りはポンポンと進んでいく。怖いのはその合間も二人の問題を解く手は止まっていないことだ。


「人類がしていい顔してないんだよたわしの擬人化が」

「廊下の流しを頭で洗えっちゅーことか?」

「ボリュームたっぷりだからよく汚れ落ちるんじゃない?ほれあそこのチャーミー使いな」

「俺の自慢のヘアーヘタらすつもりか。気ぃ使っとんのやぞ」

「え…?自然栽培でなく?」

「ドライヤー欠かしとらんからな、温室栽培や」

「こうして出来上がったのが立派な温室ブロッコリーです。生産者の水上さん、今年の出来はいかがでしょうか」

「かさの辺りが例年に比べてボリューム増してるんで、ええ感じですわ」

「なるほど膨張してるんですね」

「誰がボンバーヘアーや」


絶妙に気の抜けるやり取りのため、止めるべきか迷って困ってしまう。どうしようか…とまたしても顔を見合わせていると、当真と国近と別れた王子が扉前に固まる三人を見つけて近付いてきた。


「どうしたんだい? …ああ、シートンじゃないか。みずかみんぐと元気にやってるね」


王子はラーメン屋の暖簾をくぐるかの如き気楽さで教室内を覗き、のんびりした声音でそう言った。顎に手を当てて観察し始めた王子を、三人はまじまじと見つめる。どうもこうした場面に立ち会うのは初めてでは無さそうだったからだ。


「王子(オージ)、あれ喧嘩なの?止めたほうがいい?」

「いやいや大丈夫さ。あれは煽りに見える漫才だね」

「つまり二人にとっての戯れみたいなものってことか」

「たわむれ…!?あれが!?」


とりわけ心配そうに見ていた北添の言葉に、王子は笑って否定の意を返す。彼の言うことが本当なら、あれは二人なりの通常運転ということになる。テンポの早い会話と課題を同時に熟すなんてどうかしてる。何故か納得顔の村上とは対照的に、人見は一歩引いた。あれがたわむれってなに。

ちなみに絲の視界では、水上の頭に埋もれた数字が小さなブロッコリーもどきを体中から生やして小刻みに揺れている。ザッと髪の中に潜ったかと思えばまた違う所から顔を出してくるので、モグラ叩きならぬブロッコリー叩きが水上の頭で開催されていた。流石に叩かないけど。その動きから何となく水上がこの会話を楽しんでいることが分かっているので、絲としても言葉に遠慮がない。実は互いに好感度が500ずつ上がっており、今では数値が9万9000になっている。そのこともあって、絲は気兼ねなく水上とのローテンション漫才をしているのだった。ただし本人に漫才という自覚はない。
そして影浦が耳栓をしたのは「好きにやってろちょっかいは出すな」という合図である。影浦からすれば水上は邪魔者だ。珍しく集中している隣で騒がれては気が散るというもの。しかし絲に勉強を教えてもらってそこそこ(ギリギリ)の成績をキープしている手前、己が問題を解き終わるまで暇を持て余す絲へ文句を言うつもりもない。という訳で、影浦は絲が持っている耳栓を強奪してペンを握るようになったのである。どっか行けとか言いそうやのになあ、といういつかの水上の呟きは聞いていない。だって耳栓をしているから。という訳で、何だかんだ律儀なマブダチの配慮を理解した上で絲は水上とじゃれ合っている。会話の内容故に、周りから仲悪いのか仲良いのか分からんと思われているのは知らない。


「ほんとにあれ戯れなの!?淡々としてて怖いんだけど!」

「えー?僕は面白いけどなあ。慣れれば楽しくなるよ、きっとね」

「でも確かに水上もいつもよりいきいきしてるような…」

「そうだろう?みずかみんぐも隅に置けないよねえ」


だくだくと流れる川の様に止まることなく続く二人のやり取りは、初見の人見からしてみればちょっとした恐怖だ。王子はとことん面白がってたまに混ざりに行くが、真顔二人笑顔の掛け合いはどこかアンバランスで余計に怖い。後にその場面を目撃した人見はそう語ったという。
立ち去るタイミングを逃した三人と王子だったが、延々と続くかと思われたローテンション漫才は糸が切れたかのようにぷつりと終わった。


「ところで数Uの大問三、答えX=12とY=7で合ってる?」

「おん、俺と同じ答えやな」

「なら合ってるか」

「下の応用問題、使える公式二つあるやろ。どっちにしたん」

「楽なのは大問ニと同じやつかな」

「ほんならこっちと解き方ちゃうわな」

「後で見して」

「おん」


かと言って会話が途切れた訳ではなく、掛け合いの延長線で唐突に話が切り替わったような感じだ。あまりに自然だったものだから、初見の三人は驚きを通り越して感心した。ナチュラルに詐欺師向いてそうだよね!とは王子の意見である。普通に失礼。三人は同級生を詐欺師予備軍呼ばわりする王子の度胸にも感心した。


「同じテンションで普通の会話に戻るのか…」

「なんかすごいね」

「面白いだろう?」

「いや、さっきも言ったけど面白い通り越して怖いから」

「あ、カゲくんが問題解き終わったみたいだよ」

「本当だ!ゾエさん嬉しいよ…成長して…」

「ゾエはカゲの親みたいだな」


廊下から中を窺う四人はボーダー隊員ということもあって非常に注目を集めていたが、特に気にすることなく教室内の観察を続けていた。感情受信体質のサイドエフェクトを持つ影浦はそれに気が付いていたし、何なら絲と水上も気が付いている。だって普通に声聞こえてるし。とはいえ変に反応したら面倒だなとそれぞれが判断して放置していたため、そういう所は似た者同士の集まりだった。
課題を解いていた絲の手元にワークブックを突き出し、影浦は耳栓を外す。今まで無音だった所に周りの音が飛び込んできたからか、鬱陶しそうにぶるぶる頭を振った。同時に10万の数値もドゥルンドゥルン回転している。すげえ勢いだ…風が顔に当たるぜ…。身震いするウニってこんな感じかなと思いつつ、絲は課題を強制中断されたことに怒ることなく解答のチェックを始めた。ナチュラル横暴マンはいつものことなので。今度は影浦が暇をする番だったが、大人しく待ってやる道理はない。“消しカスがよく纏まる!”と銘打たれた絲の消しゴムを勝手に拝借し、消しカスをせっせと大きくするのに精を出し始めた。


「どうせ作るならウニ作って」

「消しカスであのトゲ再現できる訳ねーだろーが」


絲と影浦が向かい合わせで額を突き合わせている横では、会話を打ち止めにされた水上が黙々とペンを走らせている。が、それにもだんだん飽きてきたのかそのスピードが落ち、暫くしてペンを置いた。最低限の文具が入ったコンパクトな筆箱と中途半端に解いた課題を持って立ち上がる。どこへ行くのだろうと村上が見ていると、水上は座っていた所から離れた席へと向かった。


「え?あそこが水上の席じゃなかったの?」

「元々の席は今いる所だよ」


王子がしれっと明かした事実に、村上は目を丸くする。恐らく絲は影浦に勉強を教えるのが目的でこの教室に訪れた筈だ。つまり、水上はわざわざ絲へ話しかけるために近付いたことになる。それに気が付いた北添も、おやおや?と微笑ましそうな色を隠さず表情に出していた。人見は絲のことを大人しい真面目タイプからやべえ奴吸引器へと認識を新たにした。厄介なのしか周りにいないし懐広すぎて受け入れ体制万全なのがすごい。奇しくも人見はクールビューティー今と同じ考えに至っていた。


「つまりみずかみんぐは構ってちゃんってことだね!」

「誰が構ってちゃんや」

「イテッ」


誰もが思っていても言わなかった台詞を口にした明け透けの代名詞・王子は、背後にヌゥ…と立っていた水上に容赦なく頭を叩かれる。その時5万5000の数値から鱗粉のようにキラキラしたエフェクトがバフッと音を立てて舞ったが、絲は巨大化していく消しカスを横目に丸付けしていたので知る由もない。もし見ていたらスギ花粉みたいな舞い方したな!?と心の中で叫んでいたはずだ。
ひどいじゃないか、と頭をさすりながら水上を非難する王子だが、その表情はにこやかさを保っている。


「間違ってないだろう?シートンと会話するのが楽しいってことは」

「へえ」

「へえー」

「へぇ」

「……それが何やっちゅーねん」


王子の真っ直ぐな眼差しと三人分の好奇心に輝く瞳に射抜かれて、水上はグッと息を詰まらせてから肯定の言葉を吐いた。絲との会話が楽しくてついつい足を運んでしまうのは事実。故に下手な勘繰りをされるよりは認めた方が楽だと思ったからである。それには目の前にいる面子がそこまで面倒な手合いではないことも関係していた。
しかしそんな水上の心中とは裏腹に、厄介な男が顔を出した。北添の後ろからニュッと長い腕を伸ばし肩を組んだ男―当真は、ニヤニヤとした表情を隠さずに水上へ向ける。面白そうな話してるじゃねえの、と輪の中に潜り込んできた男の背からまた一人現れた。国近である。


「次から次へと…」

「まあまあ、いーじゃん」

「そうそう。さっきも俺たち志島の話してたんだぜ?」


なー、と顔を見合わせる当真と国近は、王子の向かった先が賑やかだったので興味の赴くままに足を運んだ。そこに北添や村上に人見まで居て、何やら王子ににこやかに詰め寄られている水上が居ただけである。何も他意はない。

色々と把握している王子からすれば、今が大変愉快な状況であるとよく分かっていた。
当真と国近は影浦と絲のマブダチとかいう関係が気になってちょっかいを掛けたい。北添、村上、人見の三人は最初こそ影浦に気を取られていたが、水上と絲の関係が気になって仕方がない。そして水上は何でもないような顔をしているが、お気に入りの絲に影浦を優先されてちょっと拗ねていることを悟られたくない。

(最高だよシートン…君はやっぱり予想できなくて楽しいよ!)

真面目に生きていてここまで話題豊富かつ面白い存在がいるだろうか。油断したらンッフと笑いが口端から漏れ出そうだが、そこは我慢する。水上をこれ以上いじめると手痛い報復が待っていそうなので、王子は違う方向に面白いものが見られる選択肢を選ぶことにした。早速、北添のお腹を国近と共にうりうりとくすぐって遊ぶ当真の肩を軽く叩く。


「ほら、ちょっかい出してみるんじゃなかった?」

「お、そーだそーだ。おーいカゲ!」

「…ア?」


影浦と絲の関係についてつついてみっかーと話していた張本人は、その意図を察してそれに乗った。教室内へ声を張り上げると、とげとげ頭の消しカス生産職人はゆったりと顔を上げる。何だ?と思った絲もそれに倣って顔を上げ、二人共声のした扉へと目を向けた。何故かボーダー所属の同級生のほとんどが大集合している。なんで?と影浦に目で語り掛けると、俺に聞くなと返された。それな。


「国近がよ、」

「えっ私?」

「お前より志島と仲良くて我こそはマブダチっつってんだけど」

「まあ私志島とは仲良いよ!」


当真は二人の怪訝そうな眼差しをガン無視し、国近を引き合いに出して影浦の反応を見ることにした。国近も唐突に名前を出されて驚きはしたものの、絲と仲が良いのは事実なので満更でもない。なんならエヘンと大きな胸を張っている。人見はその柔らかな膨らみに目を奪われた。仕方ないね。さてどう返ってくるかな、と当真が後ろに撫で付けた前髪に触れていると、影浦はものすごく分かりやすい反応をした。


「ッフン…」

「おいアイツすげえ鼻で笑ってんぞ」


アホめ…と言わんばかりの見下し具合である。自分が絲に一番近いと分かっているが故のクソデカ態度から来る反応だ。何ならもう一回ッハン…とダメ押しの如く鼻で笑った。容赦がない。
これに憤慨したのは国近である。鳩原や影浦に敵うとまでは思っていなかったが、ここまで舐め腐った態度を取られると流石に腹が立つというもの。マウント取りか!ゲーマー舐めるなあ!!海外勢と毎日やり合ってるんだぞ!!といきり立った彼女は、人見にどうどうどう…どうどう…と押さえられている。暴れる度に豊満な胸部がドゥインドゥインと人見の頬を強打していたが、男性陣はさっと視線をそらしてノーコメントを貫いた。賢い。王子は静かに笑うのが辛すぎて扉にもたれ掛かっているが、それを気に掛けるのは北添と村上くらいだった。それを見た水上は良心はコイツらだけやな…と呟きつつそっと胸を撫で下ろしたそうな。矛先が反れて良かったね。


「ちょっと溜めてんのめっちゃ腹立つぅー!!!!」

「アホ抜かしてんじゃねえ。テメェなんざ土俵にも上がってねえんだよ」

「何あの見下した顔!?キィーッ!!絲と仲良いのはこっちも一緒なんだからね!!!!!」

「俺には届かねえな」


国近の数字が蒸気機関車のようにプシューッ!!と蒸気を排出するのを眺めつつ、絲は目頭を揉む。影浦が土俵という単語を使ったことに感動していたのだ。ここまでこいつの語彙力を上げるのにどれだけ努力したことか…。中学から続く家庭教師業の成果を実感するのがそこでいいのかと言われそうだが、何気ない会話で出てきたということはテストでも使えるということだ。報われてるぞ私の努力…!
横で国近を煽りまくる影浦を止めることなく顔を覆う様は、二人のやり取りを恥ずかしがっているように見える。しかし教師が生徒の成長を喜んでいるというのが実情であって、残念ながら現実とはそんなものだ。ちなみに影浦は絲の“嬉しい”という感情が刺さっているのでより調子に乗っている。こうして多方面への誤解は進むのであった。

自分の言葉をきっかけに国近が暴れ馬と化してしまったので、当真は事態の収集をせねばと首後ろを掻いた。影浦が自慢するかのような予想外の反応を示しただけで満足としよう。だんだん勢いが落ちてきた所を見計らって国近を宥めにかかる。その一方で、頭の片隅ではカゲのやつらしくねえことするな…と考えた。


「おいおい国近、張り合うなよ。ありゃあフィールドが違うって話だろ」

「ううう…分かってるけどあの勝ち誇った顔ー!」


影浦はサイドエフェクトを有効活用こそすれど、その体質を好いている訳ではない。今回のように分かりやすい煽りなんてしようものなら、体中に色々な感情が突き刺さるに違いないというのに…これはどうしたことか。考えられるのは、絲の特別であるという優越感が不快感に勝る(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)ということだけだ。ハ、と笑いを含んだ空気がわずかに漏れる。

(とんだ藪蛇だぜ)

これは確かに賭けにすらならない。今後は下手に首を突っ込むのはやめておこう、と当真はギリギリ歯軋りをする国近を抑えながら肝に銘じた。その二人の間に突っ込んでいく水上も中々の曲者だが、今回のように面倒なニオイがぷんぷんするので同様にした方が良いだろう。未だくの字に体を折り曲げて震えている王子を見下ろすと、ぱちりと目が合う。当真の表情から何か悟ったのか、王子は人差し指を立ててシーッという仕草をした。王子がそうするということは、黙ってた方が面白いということだ。当真は末恐ろしさを感じると共に、先の展開が俄然楽しみになった。


「何でこの空気感で普通に手振れるんだろ」

「さあ…」


北添の言葉に当真が視線を戻すと、国近と影浦が威嚇し合う中で絲が手を振っている。絲からすればただ村上と目が合ったからという理由に他ならないのだが、手を振られた側からすればお前を巡って争ってんだぞ横見ろといった感じだ。しかし村上は心優しく少し天然が入っているので、素直に手を振り返していた。なんならしれっと水上も手を振っている。


「図太い」

「鈍いんじゃねえの?」


人見がフウ…と溜息をつき、当真が肩をすくめる。静と動というかなんというか、激しく攻防する二人と和やかに手を振る二人+αの落差に王子は堪え切れなかった。極限まで静かに保とうとしていた笑いが変に引っ掛かる。落ち着こうと息を吸い、そして吸い過ぎて喉の奥から変な音が出た。


「ンスッス」

「お、王子(オージ)ーッ!!!」


パタム…と床に崩れ落ちた王子に、北添は悲痛な声を上げる。村上も手を振るのを止め、オロオロと担架を探して辺りを見回した。当真は王子の首に指を当て、残念そうに目を伏せて首を振る。


「し、死んでる…」

「そんな…!」

「惜しい奴を亡くしてもうたな…」


自分たちのせいで王子が笑い死にしたことを悟った国近と影浦も、流石に争うのをやめて沈黙した。皆目を閉じてしんみりした表情をしており、ざわめく廊下とは裏腹に沈黙がその場を包んでいる。
―とそこへ、昼休み終了を告げるチャイムが鳴った。


「ハイかいさーん」


人見がパンパンと手を叩くのと同時に、彼らは一斉に動き出す。やべえ教室移動なの忘れてたわーだの、教科書どこやったっけ?だの、影浦以外の全員が好き勝手に話しながらそれぞれのクラスへと去っていった。まるで波が引くかのように速やかな行動だった。


「……………エッ何?マジで何??」


ずっと教室にいた影浦のクラスメイトは、ただひたすら困惑するしか無かったという。そりゃそうだ。

後日。
このじゃれ合い戦争と茶番劇は、ただでさえ目立つボーダー隊員が騒いだ故に各方面へと話が拡がっている。この話を耳にした鳩原は、自分がその場にいなくて良かったと心底安心した。それと同時に、たまたま隣に居た絲へ自分は絶対に巻き込むなと強く言い含めたそうな。絲は約束できないなと思い、善処する!と渾身のキメ顔で返した所、めいっぱい頬を伸ばされる羽目になった。正直なのは美点だが、嘘も方便。学びは大事である。











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