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二次創作/夢
獣の本性T(ワカ夢)







触れるだけのキスでは物足りない。かたく結ばれた髪を乱して、項に手を差し込んで、そしてからりとした笑い声も、何なら呼吸だって奪い取ってやりたいのだ。そちらが戯れのつもりなら、こちらは本気で返す以外無い。

ちゅ、じゅぅ、と濡れた音が響く。上唇を舐めて、下唇を軽く食む。口を開いてくれないことに苛立ち、がしりと両頬を掌で挟んでこめかみから耳にかけて指でくすぐった。平素よりも輝くガーネットはゆるりと細まり、けぶるまつ毛には小さな雫を纏っている。すりと鼻の頭を擦り合わせ、前髪越しに額も合わせる。少し乱れた息を漏らす唇の隙間から赤く艶やかな舌を見て、若狭は口内に溜まった唾液を飲み下して喉を鳴らした。頑なに触れることを許してくれなかった果実目がけて喰らいつこうとすると、ぱしりとその行く末を柔い手が邪魔をする。
じろりと女を見やれば、僅かに頬を上気させながら揺らぐことのない瞳で鋭く見つめ返された。


「戯れが過ぎるんじゃない?」

「コッチは遊びなんて一度たりとも言ってねえな。遊びなんかで終わらせてやるかよ」

「…じゃあ何?」

「狩り。獲物はお前」


細い手首を捕まえて視線を逸らさぬままツゥと舌を這わせれば、予想外の刺激に驚いたのか女は肩を揺らす。けれど、若狭の言葉を耳にして可笑しそうに笑う様は不思議と余裕を感じさせた。


「…ふ、ふふふ!私のことよく知らないのに大きく出たね。そもそも私は捕まえる方が好きだよ」


それはもう楽しそうに、目元を赤らめて笑っている。若狭は捕まってんのはお前だろと手首を壁へと押し付け、頬から顎の先を手の甲でなぞった。それでもその余裕な様は変わらない。追い詰めているのは自分のはずなのに、何故彼女は動揺の一つも見せないのか。そう考えたその時、ぐんと体が引き寄せられて目を見開く。ガーネットが顔前で瞬いていた。あまりに近すぎて焦点が合わず、思わず目を見開く。唇には柔く濡れた感触が伝った。
ぺろ、と自身の赤く色付く唇を舐めて、女は満足そうな顔をした。力が緩んだ隙にするりと若狭の腕の中から抜け出し、黒髪を翻してバーカ!!と月を背にした女は笑う。


「バイクでも足でも中々捕まえられないくせにもう勝ったつもり?」

「…そう言ってられんのも今の内だ」


挑発的な言動でこちらを見据える女の表情は、本気で‘若狭など相手にならない’と物語っていた。それを見るだに瞳孔がキュゥと開いて、獰猛な笑みが滲み出るのを止められない。

−上等だよ、このじゃじゃ馬め。

今牛若狭は、しなやかに駆け回る女を組み敷く日を夢見て牙を研いでいる。鋭く尖った牙がその薄い皮を食い破り、溢れ出る血潮を啜って、柔らかな肉を口いっぱいに頬張るのだ。きっと甘美な悦楽に浸れることは間違いないだろう。
ひらりひらりとこちらを翻弄する女に手を伸ばす男は多い。だからこそ、誰よりも早く捕まえて自分の物にする必要がある。逃がすことなど最初から予定にはない。捕まえるまでが狩りなのだ。軽やかに舞う女を引きずり下ろし、地に組み伏せ、この手で汚し、腹の底に納める権利は他の誰にも与えてやらない。自分以外は許せるはずがない。

あの日見つけた時から焦げ付いて離れぬ独占欲は、白豹の名に恥じぬ獣の形をしていた。





















夜を駆ける女を見た。

高々と立ち並ぶビルとビルの間隔は都心にある故か狭い造りだが、それでも人が一足駆けて飛び越えていけるものではない。それでも、その女はひどく軽やかな足取りで宙を舞っていた。ぼろっちい鉄パイプを器用に伝って隣のビルの非常階段に飛び移る際、まるで燕のように服の裾がひらりと靡いて弧を描いている。それをぼんやり見上げていた男―今牛若狭は、僅かな間でありながらその女と目が合ったことを確信していた。ふい、と逸らされたそれは宵闇の中不思議と輝いていて、妙に頭に残る。ガーネットの如く美しい赤だった。タン、タン、と足取りを緩めることなく去っていく背中を見送って、あの美しい獣を撃ち落とすなら自分が良いなと漠然と思い描く。名前も知らず、年も知らず、顔すらはっきりとは分からない。けれど、その内会うだろうという確信が彼の中にはあった。出で立ちはまるで鳥のようであったが、しなやかな脚とそこから駆り出される軽やかな跳躍はまるで野山を駆け回る猿や鹿の如くであった。良いモン見たな、そう言って細めた瞳はじりりと熱く滲んでいた。

次にその女を見たのは、彼が黒龍に属してからのこと。
関東を牛耳るチームとなった彼らの元へ、変わり種がいるという噂が飛び込んできたのだ。真偽が定かでないそれに喜々として食い付いたのは、我らが総長―佐野真一郎である。


「気になるよなァ、その‘赤の跳ね馬’って奴!」

「…あんなァ真、お前は仮にも総長なんだから探しに行こうとするんじゃねえぞ?」

「エッ!?何でだよ臣ィ…」

「これだからバイク馬鹿は…そういうのは下にやらせんだよ。トップがチョロチョロしてどうすんだ」


ハーア、と呆れた顔の男―明司武臣に釘を刺されても、真一郎の顔はちっとも堪えていない。なんなら興味が増したと言わんばかりに瞳が爛々と輝いていた。


「だって気になんだろー?バリウマ(・・・・)を乗りこなす女!しかもどんだけ煽られても煽り返すライテク!一度見てみてえなー」


すげーじゃん!!と鼻息荒く言うその様はまさにバイク小僧以外の何者でもない。だからモテねえんだよと返す若狭とて、もちろんその噂の主が気にならない訳ではない。むしろ涼しい顔をしておきながらかなり興味があった。
バリウマ、正式名称をカワサキ・BALIUS(バリオス)。ギリシャ神話における不老不死の神馬の名を冠するそのバイクには、カワサキのロゴマークの代わりに跳ね馬のエンブレムが刻印されている。バリオスという名とそのエンブレムに因んだ特徴的な呼び名(バリウマ)は、特にチームを組んでいる男たちの間では有名だった。走りに重きを置いた車体、排気音の重厚さ。存在感は抜群な上に乗りこなせたら一流ときた。

そんなバイクを手足の如く操る女が最近黒龍のシマで流しているらしい、というのが話の始まりである。別に何か問題があったわけではない。しかしなにせ馬鹿な男が多いので、そういう存在感のあるバイクに乗っているのが女ときたらちょっとからかってやろうという気持ちが沸き、後ろから煽ってみたらしい。普通ならチームの男に絡まれたら誰だって萎縮するだろうが、なんとその女は驚く様子もなしに煽り返してきたという。彼ら曰く、その女は突然スピードを緩め、慌てて衝突を避けた男たちの後ろに回った。その手際があまりに鮮やかで彼らが呆気に取られていると、背後からコール音を盛大に響かせて八の字を描くように彼らの周りを急旋回しながら追い立てたというではないか。
他にも単純なスピード勝負を挑んで負けたりとそんな事例がいくつか重なって、遂にチームのトップの耳へその噂が届くに至ったという訳である。ちなみに、その女は見事なライテクに腰を引かせた男たちへひらりと手を振り、颯爽と走り去るのが通例らしい。フルフェイスヘルメットの隙間から覗く赤い目が印象的であること、そしてバリウマを自在に操ることから、その女は‘赤の跳ね馬’と呼ばれるようになった。


「…今日はひとまず流して帰っか」

「そんならちょっと違うルート通ろうぜ!な!いいだろベンケイ、ワカ」

「テメーはまだ諦めてねえのか」

「しょうがねーから付き合ってやる」


武臣が零した流すという単語にぐるんと首を回し、部下に満面の笑みを向ける総長の魂胆は見え見えである。武臣からはダメ出しを食らうと分かっていて荒師慶三(ベンケイ)と若狭(ワカ)に同意を求める辺り懲りてはいないようだ。ベンケイは厳めしい顔つきをキュッとさらに険しくしつつ、反対の言葉は出さない。何だかんだ皆その女が気になるのだ。若狭も彼らに便乗して愛車へ跨がった。少しだけだと二回目の釘を刺す武臣の顔も満更ではなさそうだ。行くぞ、と真一郎を先頭にして夜の街を突っ切る。耳元で鳴る風は歌っているようで、若狭の気分は自然と上がっていた。何か良いことありそう、そんな感じに。

そしてその予感は的中する。
おっ、と喜色に塗れた声を上げた真一郎の視線の先には、反対車線から向かってくる一台のバイクがあった。高いハンドルポジションに対して低めのシート高、そして何よりマニアからF1サウンドと呼ばれる甲高い排気音。バイク好きなら誰でも分かる。バリウマだ。


「っしゃ、追おうぜ!」

「は?」


横を通り過ぎていった跳ね馬に目を奪われていると、真一郎が滑らかに半回転して反対車線へ飛び込んでいった。そのまま先行ってるぜー!と走っていくので、若狭を筆頭に男三人はいや待て待て待て!先走んな!と怒号を飛ばしながら方向転換した。毎度のことながら、穏やかな顔つきのくせに我らが総長のライテクは全く可愛くない。あまりにスムーズに、かつスピーディに置いてかれては腹が立つというもの。特に頭を張っていた若狭からすれば、ライテクは自慢の内の一つだ。遅れを取ったからには取り返さなければ気が済まないのである。派手なコール音を追い掛けてハンドルを握り直したその横顔には、知らず知らずの内に笑みが浮かんでいた。
































「アハハハッ!!!凄いねオニーサン!!」

「お前もなー!!」


‘赤の跳ね馬’と呼ばれていることなんて露知らぬ女―鹿ノ子縁(より)は、背後から現れたライダーと純粋にドライブを楽しんでいた。また馬鹿な男がついてきたのかなあと思って引き離そうとしてみても、ぴたりと後ろについてくるその技術は大したものだった。そこで今までの奴らとは違うなと感じたので、何となく自分から話しかけてみたのである。オニーサンのCB250T(バブ)かっこいいね、と。そこで満面の笑みでお前のバリウマもな!と返してきたものだから、警戒するのも馬鹿らしくなって彼女はちょっと遊ぼうよと声を掛けてスピードを上げた。


「お前名前はー!?」

「もうちょい遊んでから教えたげるー!!」

「絶対だかんなー!!!」


何せ排気音が大きいので、二人の声も自然と大きくなる。子供みたいにはしゃぎながらバイクを散々転がして、満足した時には興奮のあまりか息が上がっていた。
暑くなったのでヘルメットは脱ぎ、路肩にバイクを停める。そこで互いに名乗り合っていると、真一郎が近付いて来たライトに向かっておーいと手を振った。縁もそれに合わせて顔を向けると、白い頭の男を先頭に向かって来たバイクが彼らの近くに停まった。GSX250E(ザリ)とは良い趣味をしている、と一目で車種を言い当てた縁に真一郎は一層笑みを深めてだよなー!!と大きな声で返す。先程までの叫び合いの名残が抜けないらしかった。二人と同じようにバイクを停めて近付いてきた彼らは背もそれなりに高く、ガタイもいい。真一郎と二人で植え込みに座り込んでいたためか、下から見上げるとただでさえ厳つい男たちは黒の特攻服のせいで余計に威圧感が増している。おっ捕まえたか、と楽しそうに零す男へ追いかけっこは引き分けだったよと縁が言えば、驚いたと言わんばかりに彼は肩をすくめて見せた。


「マジか」

「おー!めっちゃ楽しかった!!臣もやりゃあ分かるだろ」

「私はもう満足したから帰るけど?」

「えっもうちょい遊ぼうぜヨリー」

「今何時だと思ってる?もう日付越すでしょ」

「じゃあ次いつ会える?明日か?」


まるで懐いた大型犬のようにぐるぐると縁の逸らされる顔を追う様は何とも愉快だ。武臣はベンケイと目を合わせつついつになく楽しそうな総長の横顔を仕方ねえ奴だと眺めていると、やけに若狭が静かなことに気が付いた。じっと戯れる二人を眺めたまま動かないので、軽く肩を叩いてみても反応がない。ベンケイも不思議に思ったのかその顔を覗き込むとギョッとして武臣に無言のまま目配せをしてきた。促されるまま見てみるとあまりにギラギラと目が鋭い上、縁と呼ばれる女にその眼差しがまっすぐ注がれている。


「…ワカ?」

「……ああ、ウン」

「どうしたその顔」


武臣が言外に顔怖えぞと言うと、本人は無意識だったのか手でぐにぐにと片手で顔を触った。そんなにやべえ顔してた?と問われれば、武臣だけでなくベンケイも即座に首を縦に動かす。少なくとも女に向ける顔じゃねえな、とベンケイが言うと無言でまたしても頬を揉んでいる。


「あのヨリとかいう奴、見たことあんだよ」

「へえ」

「すげえ身軽な猿って感じ」

「猿…猿!?お前本人にはぜってえ言うなよ」

「ビルとビルを飛び跳ねて移動してた。赤い目だし間違いねえな」

「雑か?」

「……なんかツッコミてえけど何から言えば良いのか分かんねえわ」

「ほっとけベンケイ、多分こいつまだ正気じゃねえぞ」


はあやれやれと頭を振る二人を他所に、若狭は体の奥底から湧き上がる熱で高揚していた。あれは間違いなくあの夜の女だと確信していた。偶然目にした良いなと思った獲物が再び目の前に現れた幸運、自分に見向きもしない女の視線をこちらに向けさせたいという思い、真一郎に匹敵すると言うライテク。その全てが腹の底でぐつぐつと煮詰まっていくのを感じて、手に覆われた口端が歪に上がるのを止められなかった。
未だ戯れ合う二人に近付いて、縁の目の前に立つ。曲げられた膝に自分の足が当たる程ぐうっと体を寄せて、若狭は振り向いた女の顔を覗き込んだ。澄んだガーネットの中に意地悪く目を細めた己の顔が映り込んでいる。


「俺は今牛若狭。…お前は?」


俺名前教えなかったっけ?と横でとぼけた顔をする真一郎には目もくれず、じっと待つ。ぱちぱちと瞬きをした後、女は怯むことなくまっすぐ若狭を見上げて口を開いた。


「鹿ノ子縁。お兄さん真っ白だね」

「ん、ヨリな。そう言うお前は珍しい目の色してんじゃん」

「まあね」


特に距離の近さに言及することなく会話する縁は、噂に違わぬ肝の太さだなと武臣とベンケイは感心の眼差しを送った。メンチを切られていると勘違いしてもおかしくない程の眼光にも全く同じていない。ふと視線を若狭の後ろに向けて、あの二人は?と縁が問うと、口を開こうとした真一郎を遮ってそれぞれ己の名を告げた。


「明司武臣。横の馬鹿はそんなんでもウチのチームの頭なんだ、うるさいのに付き合ってもらって悪いな」

「武臣ね。いや、私も楽しかったし気にしてないよ。で、そこの人も同じチーム?」

「荒師慶三だ、ベンケイって呼ばれてる。ソイツはその内落ち着くだろうからほっとけ、お前のライテクに興奮してんだろ」

「ベンケイかあ、かっこいい名前ー。というか真一郎散々言われてるね」

「お前ら俺の扱いおかしくない…?俺総長じゃん」

「「「おかしくない」」」

「ヒデェ!!」


声を揃えて否定する部下三人を指差しながら、どう思う!?なあヨリ!!おかしいと思わねえ!?と騒ぐ真一郎に威厳というものは見当たらない。でもついていきたくなる不思議な魅力がある人なんだろうなあ、と縁は騒がしい男たちを前に笑った。


「そういえばその黒い特攻服見覚えあるな。何回か遊んだ人たちのと一緒…?」

「あぁそうそう、お前有名なんだよ。‘赤の跳ね馬'ってさ」

「!?そんな名前ついてたの?知らなかった…」

「本人の耳に入ってこない肩書きって何なんだろうな」

「ヨリは真と一緒でバイクにしか興味なさそうだからじゃねえの?」

「アハハ!!武臣の言ってるそれで正解かもしれない」

「正解なのかよ」


話している間も縁は若狭との距離を近いまま許容していた。それを良いことに、若狭は真一郎とは反対側に腰掛けて縁にぴたりと寄り添っている。隣り合う体の側面は隙間なくくっついており、若狭は太ももから伝わる温かさを楽しんでいる始末だった。ご機嫌な様子に呆れた目を向ける武臣とベンケイは、最早何も言うつもりは無かった。助けを求められればすぐ手を貸すつもりだったが、なにせ縁が全く気にする素振りを見せない。故に何もできないと言うのが正しいのかもしれなかった。
若狭自身ここまでガードが緩いとは思っていなかったのか、多少の驚きはある。物足りなさと若干の落胆を覚えながらも、これ幸いとどこまで許されるのか実験しているという訳である。巻き込んだ仲間に申し訳ないという気持ちは微塵もなく、何なら付き合えよと目で語った。武臣は死んだ目で見つめ返すに留めた。ちなみに真一郎は純粋にもっと話そうぜと縁との会話を楽しんでいたので、図らずとも若狭のドキドキどこまで許されるかなチャレンジに協力している。勘弁してくれ…と僅かに宙を仰いだベンケイを尻目に、若狭はのしりと縁の背中にもたれかかるような形でその肩に腕を回した。チャレンジ成功である。


「この辺真一郎たちのチームのシマなんだったら走るの控えた方がいい?」

「いーやむしろ来てくれよ。んで、俺と流そうぜ」

「私は構わないけど…良いの?」

「おう!手出ししないように総長命令出しとくわ。臣頼んだ」

「そんぐらいテメーでやれ、馬鹿」

「じゃあ連絡先聞いといた方がいいか、ハイ携帯」

「おっサンキュー、ってワカ!ぶんどるな!!」


縁が話の流れで懐からまだ同年代に持っている人が少ない携帯を取り出すと、その機体は何故か真一郎に渡る前に若狭の手に渡った。若狭も自分の携帯を持っていたので、さっさと互いの番号を入れて縁に返す。あまりの早業にポカンとしていた縁がひとまずありがとうと返した所、若狭はむふんと鼻から息をついた。その動物じみた動作にかわいいな…と縁が漏らすと、一斉に男たちの視線が突き刺さる。騙されるな、そいつの顔よく見てみろよ。しかし声に出せば若狭に後で何をされるか分かったものではないので、やはり利口な男たちは口を噤むことを選んだ。

夜も更け、いよいよ日付も変わるだろう頃合いに彼らは帰路につくことにした。家まで送ろうかと真一郎が縁に尋ねると、お互いバイクなのに送るも何もなくないか?という結論に至って笑い合う。ああ楽しかった、とヘルメットを被ってバリウマに跨った縁は、未だじっと己を見つめてくる若狭を手招いた。


「何?」

「んー、ふふ」


フルフェイスヘルメットから覗く赤はやはり夜がよく似合う。街頭の光を孕んで水晶玉のように煌めくそれを眺めていると、縁は一際明るい声で若狭にこう告げた。


「五十六点!!」

「……は?」

「今日の若狭の点数」


思いがけない言葉に呆気に取られていると、縁はポケットに突っ込まれていた若狭の無骨な手を取ってするりと指をくぐらせる。指の股を少し深く切られた爪でカリリとなぞり、うっそりと細めた瞳で男を見つめ返せば、その肩がピクリと揺れた。まるで引力が働いたかのように顔が近付いて、額にヘルメットが当たる。その障壁がひどく分厚く感じられて、若狭は思わず歯噛みした。


「まず女を口説くなら言葉にしなきゃ。行動も大事だけどね」

「…それで五十六点?」

「ついでに言うとその強引さは素敵だけど、スパイスみたいに使い所を見誤らないことだね」


ポン、と肩を押されて体が離れる。それに伴って繋がれていた手もすり抜けて行き、若狭が指に力を込めた所で小指が僅かに引っ掛かって触れている時間が少し伸びただけだった。温もりを求める様に宙を掻く手を一瞥してから、縁は折り曲げた人差し指の背で若狭の下唇に触れ、その弾力を楽しむようにふにふにと形を変えるそれを眺める。


「次に期待かな」


それじゃあね!なんて軽い挨拶を残して縁は家に帰っていった。重厚な音を響かせて去っていくその背中を眺めていると、後ろからブハッと空気を吐き出す音がする。若狭を待っていた三人が込み上げる笑いを堪え切れずに吹き出したということは、振り返らずとも分かっていた。


「………何」

「五十六…点……!!!!」

「あの‘女泣かせ'のワカに…っ」

「腹痛えぇ…っまじ勘弁してくれ笑い死ぬ」


人の不幸は蜜の味。若狭はこちらが試していたつもりで手痛いアッパーを喰らったようなものである。無意識の内に簡単に組み伏せると思っていたがそれは大間違いだったようで、むしろ辛口の採点で返されてしまった。行く先々でありとあらゆる女を落としてはつれない素振りで足蹴にする男が!珍しくちょっかいを出した女にコケにされている!もう全てが可笑しくてたまらない男たちは、縁が走り去ると同時に大爆笑するに至ったという訳である。然もありなん。


「……なあ真ちゃん、」

「ヒイ…、ハーッ………どうした?」


笑い過ぎて呼吸困難一歩手前になっていた真一郎は、なんとか息を整えて若狭に向き直った。すると、怒り心頭かと思いきや意外と静かな表情をしている。おや?と首を傾げていると、若狭は縁が走り去った道の方向を向いたままこう言った。


「売られた喧嘩は買わなきゃだよなァ…?」

「ゥワ…」


これはガチなやつだ。
そう悟った真一郎は、横で腹を抱えている武臣に肘鉄を入れる。我に返った笑い袋たちは、爛々とした紫眼を携えて獰猛に笑う白豹に白目を剥きそうになった。縁、お前とんでもねえことしてくれやがったな。男三人はうわあと女を憐れんだ。抗争中でもこの顔を見るのは稀なことで、こうなると一度走り始めたら暴走機関車の如く止まることを知らないのだ。悪いけどお前の尊い犠牲は忘れないぜ…南無…と彼方の方向を拝んだ真一郎には、まさか縁がこのバーサーカーモードの若狭から逃げ果せるどころか、辛口採点に加えて何故か追われる側から追い立てる側になることなど想像できる筈もない。ここで憐れんだことを男たちは後に間違いであったと振り返ったという。

女は強く、気高く、美しい。それを彼らが学ぶことになる一世一代の追いかけっこは、今ここに開幕したのであった。







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