九 不条理で無情な時を刻まないで
「ああ、あと一月もないんだなあ。」
とうとうベッドで寝たきりになってしまった彼を横目に、青年は悠々と本を読む。
「仕事が減って楽になるなあ。」
「死んだときお前が泣いてたら、夢枕に立って笑ってやる。」
「そんだけ減らず口がたたければ、あと10年生きられますよ。」
本を閉じて立ち上がると、ワゴンの上に置いているティーポットから紅茶を入れた。
ぬるくなったそれを飲みながら、空いている手でワゴンを引っ張りベッド近くに止めた。
「飲みますか、ぬるいけど。」
「うん。」
彼は角砂糖を4つ、ミルクを入れられるだけ入れた。
元の色がほとんどわからなくなって、薄い茶色の液体になった。
「旦那の死に水にゃあ砂糖水かドブ川の水を使ってやるよ。」
「はは、ありがとう。」
話を聞いていないのか、聞いていても理解していないのか、いたって脳天気に笑っている。
「本当、旦那って人は理解に苦しみやすねえ。」
「へぇ。」
甘ったるい液体を口に含むと、彼は眉をひそめた。
角砂糖を取ろうとワゴンに手を伸ばしたが、青年は素知らぬ顔でワゴンを引いた。
駄駄をこねる子どものように彼は頬を膨らませ、何を思い立ったのかベッドから降りて、よたよたと頼りない足取りで机の所まで歩いた。
「何する気ですか。」
「生きているうちに遺書を書かないと。」
一度言葉を切って、また続けた。
「すっかり忘れてた。」
インクと羽ペンを引き出しから出した。
静まりかえった部屋にペンを走らせる音が響く。
小さな時計の振り子が規則的で無機質な音を鳴らす。
一つ音が鳴るたびに時は進み、一つ音が鳴るたびに寿命は縮む。
ふとドアをノックする音が響いた。
「旦那様。」
給仕の声が聞こえた。
「ごめん今、忙しいんだ。」
それでも死に急ぐことは無かろうに。
どうしてもというのならこの手で殺してやろう。
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