02 子どもには縁のない昔話
ザアザアと雨が叩き付ける。
ジャスライトは手頃な空き家に入り、ぼんやりその音を聞ながら、川のように水が流れる地面を割れひび入った窓から見ていた。
思い返してみれば、初めから失敗続きだった気がする。自分の所属先は5隊の情報科だったはずなのに、気が付けば陸軍13隊に入隊させられ、縁のないはずだったライフルを握り締めて戦地に赴いていた。それでも、生来の気の弱さから敵を殺すことが嫌になった。辞表を出せば退職金がおりたのに、夜にフェンスを乗り越えて路地裏に逃げ込んだお陰で、脱走兵の烙印まで捺された。
「私だって、本当は。」
溜め息を吐いて、項垂れた。
彼は妥協し、流されてしまう性格だった。せめて配属の手違いを直していたら、今は違う道を歩いていたかもしれなかった。押し寄せる後悔に、溜め息を吐くしかない。
いつも、そう。
「いつまでウジウジしてるんだよ?」
えっ、と顔を上げた先に、ずぶ濡れのゲインがいた。
果物とパンの入った紙袋に透明なビニール袋を被せたのを抱え、その露を払う。
困り顔で見上げてくるジャスライトに、彼は微苦笑を浮かべて頬を掻きながら隣に座った。来る途中に吹いた強風にすっかり布を持っていかれたぼろ傘は、役目を終えて部屋の隅にそっと置かれた。
「どうして、ここに。」
「まあ、何だ、アレだよ、飯のついで。」
本当の目的は逆だったが、気恥ずかしさがあえてそう言わせた。お節介と言わざるを得ない自分の性分に、ゲインは内心苦笑いする。
「さて。」と切り出そうとするも、言葉に詰まった。
慰めながら遠回しに聞くよりも、傷付けるのを覚悟して率直に聞いた方がいいかもしれない。ゲインは勝手な理由をつけて自分を納得させ、わざとらしく息を吐いた。
「腹は決まったか?」
「はい。」
「じゃあ何でやらないんだよ。」
「死ぬかもしれない。」
「自分が?」
「みんなを、巻き込みたくない。」
語末はだんだん弱々しくなり、消えていきそうだった。ジャスライトは俯き膝に顔を埋め、ゲインは帽子のツバを少し傾けた。
出ていった商人は、一体どう思っていたのだろう?
甘ったれたお坊っちゃんとでも、思っていたのだろうか?
今では知る術もない。
「まだ、ここにいるか?」
煮え切らない様子ではあったが首を横に振ったので、彼の肩を叩いて立ち上がった。
「じゃあ決まりだ。あのバケモンがうるせーんだ、『雨の日はよくない』って。」
「ありがとう、ゲイン。」
「帰ったら、思ってることちゃんと話しな。俺だってアンタが何したいか分かったわけじゃねぇんだから。」
小降りになった雨の中、ゲインとジャスライトは歩き出す。
先頭を歩いていたゲインは、ふとわざと遠回りをしようと考えた。
なぜかは分からなかったが、無性にそうしたくなったのだ。ジャスライトが真っ直ぐ帰ろうとすれば、それに従おうと思っていたが、彼は素直に後ろを着いてきたのでそのまま遠回りをすることに決めた。
ヨルグンスースが住んでいた古ぼけた洋館。
丁寧に並べられたまま、雨風に晒され錆びている子どもだった鉄屑。
ゲインが逃げ込んだ荷箱。
赤茶けた骸が折り重な「る墓地」。
見慣れた路地裏を横目に、ぼろいトタン板の扉が見える家まで辿り着く。
板をずらそうとするジャスライトの指が、微かに震えた。
下ろされたブラインドの隙間から細い光が差す。
ゆるりとカンスガンに視線を合わせたバイコートのアイモニターには、微かに寂しげな光。
「あっしは、貴方に裏切られました。でもそれに関して、謝罪も賠償も求めるつもりなんてのはこれっぽっちもありゃしません。でもね、貴方とは長い長い付き合いのつもりで、あっしも貴方もこんな縁の切り方なんてきっと望んじゃいないでしょう」
社長はせわしなく指を組み替えていたが、やがてそれも止まり、強く祈るように手を握った。
「なな、何を、い言いたいのかね……。」
――彼は爆薬の扱いに長けている。まさかビルもろともに爆破させようとしているのでは? もしかしたら、これはそれまでの時間稼ぎかもしれない! そうだ、確実に仕留めるための……!!
「本当ならあっしがその椅子に座って葉巻を葺かしててもいいはずだった。でも貴方には蹴落とされ、あっちじゃ落胆させられましたよ。二度裏切られたんです。登録されたままだったとはいえ、開設当時から勤めた所から首切られたのは痛かったですがね。」
震える指を額で押さえつけ、彼は「そんなはずはない」と小さく首を振る。
それに構うことなく、バイコートは彼のデスクに通帳とIDカードを置いた。
「今まで、お世話になりました。」
深く頭を下げ、しばらくその体勢のまま止まる。
カンスガンはそれを凝視し、何を言って良いか分からず、ただ金魚のように口をぱくつかせた。彼が自分に頭を下げた。悪びれることなど一度もなかった彼が、自分に謝辞を言い、頭を下げていることに、ただ驚きを隠せなかった。
顔を上げたバイコートはくるりと踵を返し、ドアの隙間から去り際に社長を見た。
「ああ、あっしもバカになったもんだ」
渡り廊下には傾いた太陽の眠たげな陽が、ゆるゆると差し込んでいる。最後のあの社長の顔といったらどうだ、出目金みたいにまん丸い目をして、口をぱくつかせて、自分の方を見ていやがった。バイコートはそれが可笑しくなって、思わず肩を震わせて笑う。
彼はふと顔を上げ、アイモニターを細めて暗い廊下の先を見た。自分にはあの薄暗いのが似合っているんだ、と勝手な理由を付け、軽くなった身でのらりくらりと歩き出した。
震える手でトタン板をずらし、まるで叱られるのを覚悟している子どものように、ジャスライトは恐る恐る覗き込みながら中に入ろうとした。
「ジャスライト殿、一体何処まで散歩に行っておられた。」
正面に見えたのは胡座をかいて背を向けたままのササムラ。父親に叱られる前のような不安に、彼は身を縮めた。そんな威厳が目の前のロボットにはあるのである。
「あ、の……。」
彼は更に身を縮こまらせて言葉を詰まらせた。しどろもどろしながら歩みより、その後ろに座る。ひしひしと伝わってくるのは、威圧なのか、それともただ、自分がそんな気がしているだけなのか。
視線を逸らすと、テーブルに肘をついて頬杖をついているガルバートが小憎たらしい笑みを浮かべている。
それに気付いたゲインもニタリと笑んで、イスを引き寄せて座った。ヨルグンスースはクスクスと肩を震わせ、悪戯っぽい笑みをうかべている。顔の半分を覆っている道化の仮面はいつも笑っているが。
彼等を潤むカメラアイで少しだけ睨み、ジャスライトはまた、背中で語る侍を見た。
「まあまあオッサン、そんなこと言ってねーでラジオでも聞こうぜ!」
席に着いたガルバートがラジオのチャンネルを合わせると、つまらない天気予報が淡々と流れ始めた。
ササムラは顔だけラジオに向けて、声を出す不思議な箱を見た。エディゼーラにラジオは存在しなかったらしく、よく「中に小鬼が棲み付いている」と言っては真っ二つにしようとしていたが、ジャスライトとゲインの説得で現在まで事なきを得ている。
古いせいか普段からざりざりとノイズ混じりの音は、雨のせいで電波が届きにくくなっているのか、いっそう聞こえづらくなっていた。
『本日セントラル軍より反逆者の公開処刑に関して発表がありました。セントラル軍第14隊兵卒レオハルト、並びに軍医セントリックスは、反乱軍設立のために機密情報を持ち出し、物資を横流ししていたとして本日セントラル軍が検挙しました。2人は事実を認める供述をしているようです。反逆者の公開処刑は聖ブリジット・デイに執行される予定です。セントラル軍から反逆者が出たのはこれが初めてで……』
流れるニュースに目を丸くしたのはジャスライトとササムラだった。
「畜生! アイツらまたそんなことしやがるのか!? 見世物じゃねーんだぞ!!」
「グンジン、みんな殺そうとスル! ボクの村もそうやっタ!」
開口一番に憤りを露わにしたのはガルバートとヨルグンスース。
ゲインはそれを制するように頭から押さえつけると、ラジオを止めた。
「坊主共はちょっと黙ってな。おいジャスライト、その聖ブリジット・デイってのはいつだ?」
「一週間後です。聖ブリジット・デイは祝日ですから、恐らく観衆を集めるのも目的でしょうね……。」
「祝日に処刑執行なんざ女神様も裸足で逃げ出すぜ! まさか黙って見過ごす、なんて言わないよな。」
ジャスライトは視線を逸らすようにラジオを見、何やら考えている様子だった。
意見したげにモゴモゴと口を動かす海賊に、またもゲインが「ちょっと黙ってな」と目配せをして黙らせた。
俯いて、ポツリと彼が呟く。
「きっと、私達にはどうすることも出来ません……。」
ゲインの制止を破って、ばっと飛び出したガルバートがジャスライトの前に立ちはだかった。
腰から剣を抜き、その胸に突き付けて叫ぶ。
「この意気地無し! 臆病風に吹かれやがって、やっぱりテメェは口ばっかりだ!!」
ヒッ、と声を上げ、後ろにへたりこむジャスライト。
怒りの冷めやらぬガルバートはその鼻先に黒光りする半月型の刀を突きつけたが、ギリリと奥歯を噛み締め睨み、腕を降ろした。
「テメェなんか鮫の餌にでもなっちまえ!!」
そう吐き捨てると、海賊は足で外へ飛び出した。
俯いている彼に、顔を出入口に向けたままのゲインが視線だけ寄越す。
「追わなくていいもんかね」
壁を支えにしてよろよろ立ち上がったジャスライトは、これから自分はどうするべきかの答えを欲しがるように二人の顔を見た。
「放っておけば、単身乗り込むやもしれん。」
「ガルバート、一人、危ナイ!」
「ま、俺達にゃ関係ないけどな。」
さあどうする? と視線を投げられ、彼はタッと雨の中に駆け出した。
「アイツが泣いて帰ってくるか、腹をくくってチビを連れて帰ってくるか。……アンタはどっちに賭ける?」
「生憎賭ける物は持ち合わせておらんのでな。」
「夕飯のビスケットを1枚の半分、泣いて帰ってくる方に賭けるかな。」
「では拙者はジャスライト殿が泣かずに「一人で」帰ってくる方に賭けよう。」
「おいおい、それってアリかよササムラさん?」
「まあ、そういう時もある。」
そうこなくっちゃ、とゲインはしたり顔で机に足を乗せた。
「ネェネェ、何のお話?」
「ガキには関係ないお話!」
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