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01 見向きもしない、立ち止まりもしない
 「こんな紙切れを押し付けて、いったい君らは何のつもりだい。神か、それ以上にでもなったつもりかな代行者殿。私の行動の一切はネジの一本まで本国メディアルドの管轄のはずだ。セントラルの軍がどうこうしようが勝手だが、従うつもりはさらさらないよ。どうしてもと言うのなら中央病院長のサインを貰ってくるんだね。」

 医務室の椅子に深く腰かけてカルテの整理をしていたセントリックスは、顔を上げずに逮捕状を持ってきた軍人に言う。一息吐くと顔を上げて冷やかな視線を送り、顔色を伺ったが、またすぐにカルテに視線を戻した。


 「度重なる無断外出及び押収品の窃盗、さらには情報漏洩に軍備品の横流し! これだけのことをしたんだ、その院長殿も喜んでサインをしてくれた。よっぽど厄介者らしいなァ貴様は。国にも軍にも必要ないらしい!」


 グラッジバルドはにたぁり笑ってデスクに書状を叩きつけた。風に煽られてカルテが数枚舞う。彼に構うことなくファイルをしまい、ようやく彼と向き合った。


 「知っているよ。だが、友はまだ私を必要としている。」


 その言葉に苛立ちを隠せず、彼は唇を噛み締めた。

 「馬鹿馬鹿しい、綺麗事を言う暇があるなら、懇願の文句でも考えることだ。まあ、そのご友人とやらもセントラルを見捨てて逃亡中だがなぁ」

 知っているよ、とは言わなかった。事実、その手引きをしたのはレオハルトとセントリックスであったからだ。だから彼は物言いたげに口を開いたが、すぐに閉じた。言い訳と弁解を述べれば、それこそ滝のように流れ落ちる言葉を止められそうにない。

 「ささやかながらコーヒーとビスケットで晩餐を楽しもうじゃないか。最後に牢以外を回ってくる許可が欲しいのだけれど。」
「いいだろう。だが1時間で戻ってこい。どうせ別れを告げる相手もいないだろう? 逃げるにせよどちらでも処罰は免れんがな。」
「ありがとう。」

 穏やかな笑顔を浮かべて席を立つと、彼は足早に居慣れた部屋を後にした。どうせ何もできやしない。グラッジバルドは鼻で笑って勝手に用意されたコーヒーをすすり、その苦さに顔をしかめた。






 町中に水路が巡り、豊かな水で活気溢れる水の都、アクアリア。
 バイコートは自分の故郷であるこのワールドに、ただ行き場がなくて帰ったのではない。未払いの給料を直談判で徴収しようという名目で足を運んだのである。
 一流の大企業、カンスガントラベリングカンパニー。その物資運搬の経路である海を渡る商船は常に命がけだ。セントラルが統制をしようとも、大なり小なりの海賊が海上を闊歩している。バイコートはその中で功績を上げている社員であった。




 「アンタから助けに来るって連絡されて、あっしは今まで待ったんだ。」




 脳裏に焼き付いて離れない光景。
 穏やかな海。晴れた空に輝く太陽。強く吹く風の音。絶好の航海日和。
 その日はセントラル軍との取引で、大仕事を任されたからと喜び勇んで出航した。
 何事もなく航海は進んでいたが、予期せぬ事態が起きた。

 海賊。

 黒い帆を掲げ、全速力で突進してきた船。大きく揺れた船体から投げ出される船員。そんな中バイコートと数名は人質にとられ、本社に身代金を要求する通信が入れられた。

 『しばらく待てとさ。』
 『信用できるか?』
 『コイツは重荷を運んでる、パーになれば困るのはあっちだ。』

 だから、彼は言われたとおりに待った。


 日が落ちて、夜が明けても、助けは来ない。


 それから海賊達に連れられるまま、一週間、一月、二月と時は過ぎ、迎えた三月目に海へ飛び込んだ。それからセントラルまで泳ぎ、ついこの前まで合わせて数年をあの路地裏で過ごしたのだ。



 「今さら何の用がおありで、社長。」



 真鍮の取っ手が付いた扉を粗っぽく開けて中に入りながら彼は言った。
 正面に構えていたのはそこそこに体格のいいロボット――カンスガントラベリングカンパニーの社長、カンスガンWポータリーだ。

 「でで、電報をみ見てくれたのだね。ああ、ありがとう……。」
 「『海猫からウグイスへ、渡り鳥の季節が来た』何度も新聞に載っていましたよ。こちらも事情があったのでなかなか来られませんでした。」

 バイコートはカタカタと神経質な音を立てる指を無関心そうに視界に入れた。



 「あのとき、ききっ君を見捨てた、訳じゃ、ななないんだよ、わわ私もなっ……悩んだんだ」



 カンスガンは忙しなく指を組み替える。バイコートはちらりと彼の指にはめられた金銀宝石がちりばめられた指輪を見て、フェイスを歪めた。贅の限りを尽くしているような彼が、憎らしい。
 彼は海風に晒されて湿気た煙草に火を点け、何も言わずにカンスガンの方へ歩き出す。そして、彼のデスクの横にあるソファへ静かに腰掛けた。

 「君をよ、呼んだのは――」
 「経営不振?」
 「ささ流石だ、よ、良く分かったね」

 どもりながらも顔を輝かせ、期待に胸を膨らませる。
 彼に縋れば、低迷しかけた状況も何とか打破できると考えたのだ。しかし、彼は深く腰かけたまま、壁の一点を見つめて微動だにしない。


 「でも、あっしにゃ関係ありません。」


 その瞬間、空気が凍りついた。彼は立ち上がり。カンスガンのデスクの前に歩いていくと、静かに口を開いた。






 ぼつぼつと雨が降るセントラル。ガルバートはバイコートの家の窓際でガラスを叩く雨を眺めていたが、話し声にふと振り向いた。  「で、それから何にもしないでメソメソしてたってわけか。」  座って壁にもたれていたゲインがジャスライトに言った。彼はこじんまりしたキッチンでコーヒーを淹れていたので、危うくケトルを落とすところだった。  「私はただ彼が放っておいてほしいんじゃないかと思って……。」 「分かってるよ、誰もアンタがそんなことできるなんて思ってねぇからさ。」  それはそれで酷いですよ、と不満ながらにステンレスのマグを渡す。
 へこみ傷があるそのマグは以前バイコートが拾ってきたものだ。それを思い出したジャスライトは少し寂しそうな顔をした。

 「アンタの選択肢は二つ。やりたいことをやるか、きっぱり諦めるかだ。」
 「諦める気は、ありません。」
 「じゃあ答えは一つだろ。」

 ジャスライトは俯いて、ぼろ傘を持って外へ出た。踏ん切りがつかないのはよく理解していたので、ゲインは何も言わなかった。
 ササムラとヨルグンスースはよくわからず、互いに顔を見合わせるばかり。
 溜め息を吐いてゲインは肩をすくめ、武士に苦笑いをしてみせた。
 「見たか、あれじゃまるで失恋した女だ。」 「憂いた顔がよく似合うな。」 「褒めてもしかたねぇだろ。」 「あやつには自信が足りぬ。それに、勢いも。」  何をするのかは知らないが、とすらりと刀を抜き、手入れを始めたササムラ。ゲインは彼と話すのを諦めて、足元に寝そべるヨルグンスースの腕を足で転がした。

 「さてと。」
 「あっ、ジーさんどこいくんだよ。」

 二階から降りてきたガルバートが出入り口の戸に手をかけた彼に訊ねた。顔だけ向けて「飯の調達だよ」と言うと、ヨルグンスースが足を引っ張った。

 「おいスース、何しやがる!」


 「雨の日、ダメ。上手くいかない。」


 目は口ほどに物を言う。強い光を宿すカメラアイに、ゲインは食料調達を断念せざるを得なかった。






 カツカツと響く足音がピタリと止まった。目の前は、ダイヤル式の錠を備えた重厚な旧型扉。改築前の基地の名残で、いつの間にか忘れ去られてしまった扉。頑丈さゆえに放置しても問題ないと判断されたのだろう。
 基地内を散策して偶然見つけたこの扉を有効に活用しよう。今がその時だと、セントリックスはほくそ笑んだ。

 「もう医者なのか何なのか、本職を忘れてしまいそうだよ。」  キリリとダイヤルを回し、ロックを外す。確信はなかったが、彼はこれから何かが起こるような気がしていた。
 途中、レオハルトが地下牢に入れられたことを耳にした。遅かれ早かれ自分も同じ場所に行き、処刑されるのは目に見えている。早ければ明日にでも報道されるはずだ。
 けれど、自分も彼も、世迷い事のように信じている事があるから、何となく最後の悪足掻きに興じているに違いない。

 (開いているかどうか見た目だけでは判断がつかない所がこの旧型扉の良いところだね。後は伝えるだけなのだろうけど、生憎もう時間がないことが名残惜しいよ。)

 約束の時間まであと20分。戻ってから部屋でコーヒーを飲んだら丁度いい時間だろう。ああ、断頭台への鐘が鳴り響く。

 「最後に大通りのカフェでエスプレッソを飲みたかったな。あそこの店員は腹が立つほど愛想がないけど、味はセントラルで一番だったから。さあ、頑張ってくれたまえよ!」

 僅かに扉を押し開けて、彼はその場を後にした。


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あきゅろす。
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