02 嫌な音でも耳をふさげない
エストランドの鎮圧は成功したに等しい。問題が一つ減ることを確信した軍は、緊張の糸が少し弛んでいた。その中に今にも切れそうなほど張りつめた者が2人、顔を付き合わせて怒号を飛ばしていた。
「考え直せグラッジバルド! 実害がないのなら粛正する必要はないだろう!?」
「案は可決された、今日のストリートチルドレン掃討作戦は変更なく実行する!!」
作戦の指揮官は発案者であるグラッジバルドだった。まして副隊長という地位でもある彼が、一兵卒のレオハルトの言葉に耳を貸すはずもない。
糧がないなら飢え死にしろと言うのか。家がないのは捨てられた方が悪いと言うのか。恨むなら己が不幸を恨めと言うのか。何一つ、同情してはいけないというのか。彼はそう言った。グラッジバルドの返事は、一言だけ。
「そうだ。」
身分証を持たない者がどうなろうと知ったことではない。
彼の考えは揺るぎなく軍に沿っていて、恐ろしいほど迷いがなかった。レオハルトの前に立ち、下から見上げるように顔を覗くと、彼はにんまりと、嫌味ったらしい笑みを貼り付けて言う。
「安心しろ、この作戦で貴様のご友人どもを殺すことはない。軍の邪魔さえしなければな。さあ1時間後に作戦開始だ、軍人ならば持ち場につけよレオハルト。」
何も言えずに立ち尽くす彼の横をすり抜けて、声をあげて笑った。
そうだ、と足を止め、彼に向き直る。
「今回上層部の意向で情報課から試作段階の機械兵士が十数体か導入されるらしい。あちらによる完全制御だ、貴様のように撃つのを躊躇われては困るからなァ。」
底意地の悪い笑みを浮かべ、グラッジバルドはまた笑う。小さくなる足音を聞きながら、レオハルトはただ拳を握って堪えることしかできなかった。
足音、銃声、悲鳴、銃声、足音。
バイコートは耳を澄ませて音を聞いていた。軍の発砲はいつものことだったが、今回は不穏な空気が漂っている気がする。数が多い。悲鳴も多い。音を聞く限り、相手は若い。子供か、それでなくては女か。やけに甲高い。
「まあ、あっしにゃ関係ねぇこった」
彼は家を出てきたはいいが、特にやることもなかったので、壁に背をもたれて地べたに座り込み、煙草を葺かしていた。
また、悲鳴。
無視を決め込んでいると、心の何かが抉られていくような気がした。それでも、死んだらそれまでだと自分に言い聞かせて、身体を壁と地べたにくっつかせた。
また、銃声。
煙草を支える指が震える。彼は昼寝にでも洒落込めば何も聞こえないだろうと目を閉じたが、逆に耳が澄まされる気がした。
仕方ねぇ、と呟いてゆっくりと腰を上げる。煙草の火を足で踏み消し、声が聞こえる方を見る。
「あっしも随分、お節介になっちまったもんだ」
その顔は少し自嘲気味に笑っていたが、瞳は決めたことはやり遂げる、という決意が込められていた。背中の算盤を一つ脇に抱えると早足に歩き出す。助かる命よあってくれ、と願いながら。
足元に転がる鉄を蹴り、ゆるり辺りを見回すのは、無表情のグラッジバルド。追い詰めた獲物は元隊長と小さな海賊。ニタリと口の端を吊り上げた彼は、少し前に幼い命を奪ったライフルを構えた。
「公務執行妨害ですよ隊長殿。おっと、"元"隊長か? まあどっちだって構わないがな。」
「子供逹の命を奪うのが軍の使命だと言うのか!!」
「罪がないなら殺しはしない。だが、軍の統制に従えぬ蛆虫共なら話は別だ。餓鬼だろうが議員だろうが許しはしない。」
そもそも彼らがこの状況に居合わせているのは、ガルバートの宿を探すためであった。海の近くがいいとの彼の希望で船着き場に行こうとしていた時、幼いロボットを追いかけている彼らと鉢合わせてしまったのだ。
銃剣を構えているジャスライトの腕は震えていた。今は虚勢を張っているが、いつ途切れるか分からない。ガルバートを守りきらなければならない、ということだけが彼を支えていた。グラッジバルドは忌々しそうに舌打ちをし、後方で少女に銃口を当てているレオハルトに罵声を飛ばした。
「貴様、さっさとそいつを始末しろ! いつまで手間取っているつもりだ!!」
「……分かっているさ。」
目の前の少女は恐怖でカメラをいっぱいに開き、ボロボロの人形を強く抱き締めている。小刻みに震え、おねがいやめてと何度も繰り返し呟き首を振る。
レオハルトは意を決した。
引き金に指を掛け、脇を絞める。スコープを覗き、小さな頭に狙いを定めた。唇をきっと結び、引き金をゆっくり引く。
そして。
「逃げろッ!!」
声と同時に走り出した少女の背をグラッジバルドの銃口が狙う!
「クソッ! この役立たずがぁッ!!」
「だあぁあぁぁぁッ!!」
ジャスライトが彼の背に体当たりし、前のめりに倒れたのを見てガルバートに叫ぶ。
「ガルバート、早く逃げるんだ!」
「おっ…おう!」
「貴ッ様ァアア!! おいあの海賊を追え、俺はコイツを始末する!!」
了解の返事を待たずして、反転し構えて撃った弾がジャスライトの肩を掠める。驚いて尻餅をついた彼が立ち上がろうとした矢先、ライフルの銃口が頭を突いた。
見上げた顔には、憎しみの光を宿すアイモニター。レオハルトがガルバートを追い掛けたのを確認してから、ジャスライトに視線を向けた。怯えきった表情に、彼のフェイスが歪む。
「さっきまでの威勢はどうした、ん?」
足で頬を蹴り、倒れた身体に銃底を叩き付けた。
頭を手で押さえ、身を縮こまらせて丸くなる彼に、打撃の雨が容赦なく襲いかかる。
「ハッ、恐怖で声も出ないってかこの屑が!!」
不意に足が止まった。
正確には、足が動かせなくなった。ジャスライトの手ががっしりとグラッジバルドの足を捕えたのだ。
――しまった、バグか!
気付いた時には既に遅く、ギリギリと締め付ける指は、足を握り潰さんばかりに力が込められていく。ミシミシと嫌な音が聞こえ始め、じわじわと焦りが生じ始めた。この元上司の恐ろしさは、バグが起きてから本領を発揮するのである。それまでは無視も殺せないほどの臆病者だというのに!
「放せ出来損ないの不良品が! 放せッ!!」
「グラッジバルド!」
戻ってきたレオハルトが駆け寄ろうとしたが、グラッジバルドが空砲を撃ち静止させた。その音でジャスライトの指の力が抜け、その隙に顎に蹴りを入れて数歩下がる。
一旦停止した彼の視界が捕えたのは、レオハルト。
「 お゛ ぉ゛ お゛ お゛ ぉ゛ お゛ ぉ゛ ぉ゛ ! ! ! ! ! 」
素早く跳ね起き、地鳴りのような声を上げながら姿勢を低くしたまま走り出す。
そのまま銃剣を構えながら身体を起こした。
十数メートル手前でジャンプして飛び上がる!
「なっ…!!?」
それが一瞬の出来事のように素早くて、彼は何が起こったか理解するのに時間が掛かった。
避けなければ殺されてしまうと判断した時には、彼は空中高くに舞い上がり、落下を始めようとしていた。腕を顔の前にやり、来るべき痛みに備えて歯を食い縛る。
ダンッ!! と、踏まれたような重みを肩に感じ、両足でバランスを取った。予想していた痛みではないのを不思議に思い、彼は上を見上げた。
飛び上がっている恰幅のいい緑のロボットが、ジャスライトのフェイスに何かをぶつけていた。2人はそのまま落下し、緑のロボットが覆い被さるような形で地面に激突した。
「あ゛お゛ぁ゛っ!!?」
「旦那、これ以上オイタするつもりならそのドタマをぶっ潰しますよ!」
ガンッ! ともう一撃、返事を待たずして何か――算盤の縁をジャスライトの顔面に叩き付けると、彼はぐったりと腕を垂らした。動かなくなったのを確認してから、恰幅のいいロボット、バイコートは算盤をしまい立ち上がった。
――興醒めだ。
グラッジバルドはライフルを降ろし、レオハルトに撤退の合図を送る。彼が無言で頷いてから2人の横を通り過ぎようとした時、ぽつりとバイコートがささやいた。
「……旦那がご迷惑を。」
「いや、……助けてくれてありがとう。」
彼は動く様子のないジャスライトを担ぐと、元来た道を歩き出した。
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