2 いつだって先生は見ているようで見ていない
立之山小学校5年生の5時間目、国語。
給食後の腹ごなしにサッカーをしていい具合に消化されてきたのか、日差しも暖かく心地よい環境の中、岩浪マサカズは教科書を盾にすやすやと寝息をたてていた。黒板には白いチョークで横書きされた「三本の矢」という文字に、重要マークの黄色い波線が引かれている。
「マサ、先生に怒られるよ」
見かねたダイチが背中を鉛筆でつついたが、もぞもぞと動いただけで起きる気配はない。
「マサってばぁ…」
再度試みようとしたその時、囁きを聞き取ったらしい担任の大川アヤコがぱっと振り向いて声を張った。
「菅原くん、隣の人にいたずらしたらダメでしょう!」
教室にヒソヒソと、ささやかな笑い声。いっそのこと盛大に笑ってくれた方が恥ずかしくなかったかもしれない。彼は慌てて姿勢を正して座り直した。
「ご、ごめんなさいっ!」
――そもそも悪いのは授業中に寝てる隣の奴のせいだ!
親切に忠告しようとしたのに、すっかり裏目に出てしまった。怒りやら悔しさやらで複雑な気持ちのダイチはうっすら涙を浮かべた目でマサカズを睨んだ。
全く気付かずにすやすやと寝息を立てている彼が小憎たらしい。
「マサのバーカ……」
そう小さくぼやいてから、ふてくされた顔で黒板を向いた。
授業がろくに頭に入ってこないまま、チャイムが鳴り先生はさっさと出ていった。
教室の後ろに集まって話している女子のところに行こうと通り掛かったアマネが、マサカズを一瞥して呆れた顔をした。
「バカマサまだ寝てんのぉ? ホント信じらんない!」
「しかたないよ、マサだもん」
「こんなの気にしなくたっていいんだからね。ダイチは優しすぎるのよ、ちょっとはしかりつけてやんなさい!」
うん、ともつかない曖昧な返事をしているうちに、彼女は他の女子達と談笑を始めていた。
女の子って切り替えが早いよなぁ、と思いながら、学校の図書室から借りた本を読む。
宇宙船のクルー達が未知の惑星に不時着し、凶悪なエイリアン相手に大奮闘するという内容だ。エイリアンのロボットなら見たんだけどな、と思い出し、ぷっと噴き出した。
「あーあ……」
ちらっと隣を見て、ようやく起き出して伸びをしている友人に苦笑い。何となく憎めない自分が悔しいな。考えているうちにまたチャイムが鳴り、ダイチは慌てて本をしまい、次の授業の支度を始めた。
キーンコーンカーンコーン。
終業のベルが鳴り、生徒達が我先にと校門から飛び出していく。マサカズもその1人で、後ろにはダイチとアマネが並んで歩いていた。
「早く来いよー、場所取られっちまうぞーっ!」
小脇にサッカーボールを抱えたマサカズが元気良く手を振っている先、アマネが腰に手を当ててその場で立ち止まった。
「ちょっとバカマサ! アンタ、ダイチに言うことないの!?」
「はぁ?」
さっぱり思い当たる節のない様子のマサカズは首を傾げた。アマネはしびれを切らして前に詰め寄り、彼の鼻先に指を突き付けて怒鳴る。
「『はぁ?』じゃないわよこのニブチン! ホンットーにバカなんだから!」
「いっ、いいよ、アマネちゃん、ボク気にしてないから……」
「ダイチ、こーゆーのは一回ガツンと言ってやらなきゃダメなのよ!」
アマネの剣幕に押され、彼は眉をハの字にして身を縮こまらせた。どう頑張ってもこの女の子にだけは敵う気がしなかったので、もう全てを任せるしかない。
ただ、これでケンカになることだけは避けたい――それだけはポツリと思っていたが、その小さな願いは案の定脆くも崩れ去った。
「黙って聞いてりゃバカだのニブチンだの好き勝手言いやがって! お前何様のつもりだよアマネ!!」
たかが小学五年生、とはいえやはり男と女であり、薄々と価値観の違いが芽生えてくる年頃。勿論二人とて例に漏れず、お互いランドセルを投げ捨て掴み掛からんばかりに詰め寄っては睨み付けていた。ダイチはガックリ肩を落とし、長い溜め息を吐く。
「元はと言えばハッキリしないダイチが悪いんだろ!!」
遂に彼へ白羽の矢が立った。突然のことに目を丸くしたが、驚きはすぐに怒りへ変わり、彼にしては珍しく眉を吊り上げた。
「ぼっ、ボクのせい!? マサがちゃんと起きてくれてたらこんなことならなかったんだよ!!」
「何だよオレのせいにすんなっての!」
「どっちの台詞だよ!」
フン! と互いに顔を逸らし、2人はそれっきり何も話さなかった。アマネにしても、もう付き合いきれないと呆れ返った風で、男子どもとはめっきり口を利かなかったので、気まずく静まり返った帰り道となった。
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