Novel
拍手ログ【ねっちゅうしよう】
一梓
「お疲れ様でしたー」
うだる様な暑さの中、部活を終えた梓は弓道場から一歩踏み出した。
「うっわ…」
途端、忌ま忌ましげに眉間にしわが寄り、地面をじりじりと焼く直射日光を思わず睨みつける。蟻が干からびた蚯蚓に集っているのを見て、僕もああなりそうだよ、と溜息をついた。今は夏休みである為部活が朝から昼まであり、終わる頃には太陽は高く照っていた。
この暑い中、寮まで歩かなければならないのはまるで地獄だ。フライパンの上で焼かれる目玉焼きの気持ちを味わえそうである。
「やれやれ…」
ここで渋っているよりさっさと帰った方が賢明だと判断し、梓は段差を飛び降り寮への道を歩き出した。団扇でも買った方がいいな、と暑さを紛らわす方法を考えながら、日光の明るさに目を細める。
…と、そこで、梓は弓道場の建物の日陰で突っ立っている見知った顔を見付けた。
「不知火会長…何をしてるんですか」
「おっ、木ノ瀬!部活は終わったのかー?」
「ご覧の通りです。それより、一体何を…」
見れば、一樹は一本の木をじっと見つめていたようである。日陰とは言え、この暑さの中ではしんどい筈だ。
「蝉がいるんだよ」
「……子供じゃないんですから」
「なんだよ木ノ瀬、蝉取り下手くそなのか?」
「得意ですけど、進んでやろうとは思いませんね」
「ははっ、流石だな」
「蝉、どこですか?」
立ち話をするのに日差しの下は辛い。一樹のいる日陰へと移動すると、身を焦がすような光から解放された事にふと力が抜けた。
蝉取りなんてここ数年していない。懐かしさを覚えながらも梓が問うと、一樹は嬉々として木の幹を指差した。
「ほら、あそこだ」
「…僕には届きませんね」
「というか俺にも届かないんだがな」
ははは、と笑う一樹に、梓は呆れたように肩を竦めた。
どうやら生徒会の仕事に飽きた一樹と翼の二人が、颯斗と月子に20分だけ休みを貰い外に気分転換に来ていたらしい。ところが翼は暑さに耐え兼ねてさっさと校内に戻ってしまったらしく、今はこうして一人で蝉を見ていた、という経緯だった。
「蝉、見てて楽しいですか?」
「あぁ、なんかな。夏!って感じがして好きなんだ。
……そうだ。夏といえば…」
「なんですか?」
「熱中症、大丈夫か?」
「あの部長がいますからね。今のところ大丈夫ですよ」
夏場は熱中症に関するニュースがよく取り上げられる。運動をしていなくても熱中症になってしまう場合がある為注意が必要なのだが、やはり運動をしていると水分の喪失や体温の上昇があるため危険性は高まる。弓道部は誉が部員の体調管理に気を配っているらしく、熱中症様の症状が出た部員はいないようだ。一樹はそれを聞くと、「誉は頼れるな」と言ってうんうんと強く頷いた。
「どちらかと言えば、こんな暑い中蝉に夢中になってる会長の方が危なそうですけどね」
「う…っ
いや、大丈夫だって。さっき出てきたばっかだしな」
「本当ですか?じゃあ確かめてあげますから、屈んで下さい」
「? おう」
熱中症か否かを確かめるのに額に手でも当てるのだろうか、と思いながらも一樹を身を屈める。ところが梓は一樹の肩に手を置いてしまった為、一樹はいよいよ首を傾げた。
「木ノ瀬…?、ん…っ!?」
すると、一樹は梓に唐突にキスをされ、驚きに目を見開いた。触れるだけの軽いキスだったが、一樹の反応から何かを判断したらしい梓は一人で納得している様子である。一樹から顔を離すと、梓はにやりと笑った。
「あれ、なんで驚いてるんですか?」
「あのなぁ…、いきなりキスされたら誰だって驚くだろ…!」
「"熱中症"ですよ?熱中症の話題になったから、もしかしてして欲しかったのかなとか……って、アレ、会長もしかして…知りません?」
「…はぁ?」
「ほら、熱中症をゆっくり言うと…って、この時期流行るでしょ」
熱中症かどうかを確かめる、というのは勿論殆ど口実だったのだが、"熱中症をゆっくり言う"という事について知っていたなら、一樹ならば直ぐに気が付くと思ったからだ(気が付かないようなら、頭が働かない=熱中症になりかけで思考が鈍ってる、という至極適当な判断だった)。だが一樹の反応からして、それについては知らないらしい。先程は納得していた梓だが驚きの表情の意味を取り違えていたようで、むう、と唇を尖らせた。
「言ってみればわかりますよ、熱中症…って」
「そうなのか?
…熱中症、……ねっちゅうしょう…………ねっ、ちゅう、しょう
………熱中症は熱中症だな」
「頭固いですね…」
思わず苦笑する。
「区切らないで言ってください」
「ねっ…ちゅう…しょう…?」
「違いますって」
一樹のワイシャツの裾を握り、梓はわざと誘うような声で解答した。
「ね…、ちゅう、しよう…?」
「…っ、……成る程」
「ふふ、鈍いですね…不知火会長は。」
「俺はそんな誘い方しないからな。全然思い浮かばなかった」
「…ちょっ、会長!?」
梓の濡れた様な声に一瞬息を詰めた一樹だったが、すぐにその表情を挑戦的なものに変えると梓の手首を掴み、強く引いた。突然の事に受け身を取れなかった軽い身体を建物の壁に押し付けると、一樹は口角を上げ梓に密着する。
「な…っ」
「俺は"ちゅう"なんて可愛い誘い方しないな。」
「だからっ、この状況はなんですか…!」
「別にいいだろ、誘ってきたのはお前だし。
なぁ……キス、しようぜ…?」
「っ!…ちょっ、と…不知火会長…っ、ん、んんん…!」
一樹は若干汗ばんだ手の平すらも愛おしげに包み込むと、自分のペースを崩され動揺する梓に口付けた。低く甘い声で囁かれた言葉を強く払いのける事など出来るはずもなく、梓はされるがままになってしまう。
顎を取られ、力が入らない舌を熱く蹂躙される。暑いのにぞくぞくと背筋が震え、無意識にもっと、とでも言いたげにキスを求めてしまう。梓は内心悔しがるが暑さのせいで何も考えられず、縋るように一樹の背に腕を回した。
思わず萎縮してしまいそうになる声が聞こえてきたのは、まさにその時であった。
「かーずーきー?」
「い…ッ!?」
ギョッとして一樹が顔を上げると、先程梓がやってきた方向から…誉がにこやかにこちらに笑いかけてきていた。何も知らない人間が見たらただの微笑にしか見えなかっただろう。だが、誉を知る一樹は…蛇に見込まれた蛙の如くになってしまう。
「木ノ瀬君は部活後で疲れてるんだから、…真っ直ぐ帰してあげてくれると嬉しいなぁ」
「ぎゃああ!すまん!すまん誉!!」
途端いつものように賑やかな一樹に戻り、梓はハッと今の状況について認知する。からかう筈が、主導権を奪われるなんて…と残念がると、梓は一樹の腕からするりと抜け出した。
「それでは部長、不知火会長…さようなら」
「うん、ゆっくり休んでねっ」
「木ノ瀬ぇ〜、お前あっさりし過ぎだって!」
「一樹がしつこいんだよ」
二人の賑やかな会話を押しやるように、どこかで蝉が大きく鳴き始める。梓は再び日差しの下に出たが、不思議と不快ではなかった。歩きながらちらりと後ろを振り返り、暑さを嫌でなくしてしまった当人を見る。梓は一樹が視線に気付く前に目を逸らすと、どこか楽しそうに微笑み寮への道を駆けて行った。
雲一つない空に、五月蝿い程の蝉の鳴き声が吸い込まれていく。
end
2012.9.25
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