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Novel
★03*04【吸血鬼】【下】








それから、一樹は何度か哉太の下を訪れた。教会に人が少ない日や時間帯にしか行く事ができない為数日程間が空く事が殆どだったが、身の回りの出来事などを嬉々と話す一樹を待つのも哉太の一つの楽しみになっていた。結界まで張って閉じ込めているというのに地下牢に来る度哉太が居る事に安心するという一樹の言葉はあまり理解できなかったが、これが"執着"ってヤツか、と哉太は頷く。
閉じ込められていては自分で食事をしに行くわけにはいかない。故に一樹の血に頼るしかないのだが…哉太は極力血を飲む事を避けていた。傷を無かった事に出来る程の魔力を哉太はまだ持っておらず、どうしても痕は残ってしまう。それなのに何度もナイフで身体を傷付けては、いつか他の人間に怪しまれるからだ。


「だから、なんでお前が俺の心配するんだよ」


一樹はいつも苦笑したが、哉太は肩を竦めて誤魔化すだけで答えようとはしなかった。まさか吸血鬼が、人間に対してどこか愛にも似た感情を抱いているなど言える筈がない。哉太は自分の感情を持て余し、もどかしさすら感じていた。


「はぁー………」


閉じ込められていながら、相手が人間でありながら、どうしてこんな感情が湧くのか…。跳ねた銀髪を指先で弄りながら、暗い牢の中で小さく溜息をついた。
早く会いたい、とか、なんだよ俺……。マジでらしくねー…。


















一樹が訪れて来たのは、前回から一週間以上経った日の夜だった。空腹を持て余した哉太の前に久々に現れた一樹だったが、どこか切羽詰まったような顔をしている。訝しんだ哉太は、一樹がランプを点けるより先に立ち上がって格子に近付いた。


「何かあったんですか?」


「……」


しかし一樹は哉太の声掛けには一切応じず無言のままズボンのポケットから小さな鍵を取り出すと、今まで一度も開かれなかった牢の扉を、その鍵で解錠してしまった。


「!?」


一樹の不可解な行動に、哉太は目を開く。すると、鍵を開け牢の中に入った一樹は途端に大きな溜息をついた。


「はあぁぁー…!無言気持ち悪っ!」


「え、…あの……一樹さん…?」


先程の得も言われぬ重さを感じさせる態度から一変し、突然いつものように飄々とした一樹に戻る。その変化に哉太はぽかんと口を開けたまま固まってしまい、それに気付いた一樹は小さく吹き出した。


「ぷっ、あははは!悪い悪い!もう結界の中だから大丈夫なんだよ」


「どういう事ですか…?」


「ん、コイツ。」


そう言うと一樹は首の後ろに手を回し、何かを剥がすように腕を動かした。一樹に掴まれ剥がされたのはなんと紫色をした10cm程の大きな蛞蝓で、哉太は「うわ、」と嫌悪に顔を顰める。一樹はそれを牢の隅に放ると、改めて哉太に向き直った。


「アレ、俺の仲間の盗聴用の使い魔でさ…結界の外だと力が強くて剥がせないし、声が筒抜けになるんだよ。無視して悪かったな」


「は…っ?
盗聴って、まさか…!」


そうなんですか、と簡単に相槌を打てる答えではない。苦笑する一樹に、哉太は詰め寄るように近付いた。銀の格子越しではなく、ようやく互いに触れ合える距離になれたというのに、それを手放しで喜べる程能天気な事態ではないと哉太は分かったのだ。
仲間に盗聴用の使い魔をつけられるなど、普通ならばまず無いだろう。それはつまり、一樹が他の仲間に"何かを怪しまれている"という事を示していた。"餌"とは言え人間も馬鹿ではない。おそらく、…バレたのだ。


「……悪い、そのまさか。」


「一樹…さん………」


「目聡い奴がいてさ。この前、馬鹿でかいオークと闘った時に服がボロボロになって…その時に傷が見付かっちまった。」


癒えた傷痕から吸血鬼の気配を感じた仲間の行動は素早かった。一樹を問い詰め、牢への入口を探し出し、そして先刻一樹に使い魔を仕掛けたのだ。教会の人間が吸血鬼と接点があるなど、その疑惑だけでも大罪とされる。ましてや傷を癒されたとなると親密な間柄を証明するようなものであり、一樹は教会中の人間から敵視されてしまったのだ。
哉太が恐れていたのは、これだった。


「すみません、一樹さん…っ!俺のせいで……」


「馬ー鹿、…お前を此処に閉じ込めたのは俺だ。俺の不手際だよ…」


「でも…ッ」


「悪いけど、今は謝ってる暇なんてないんだ。」


凜とした声に返され、哉太は思わず言葉を飲み込む。仲間に裏切り者呼ばわりをされながら、どうしてこの強さは揺るがないのか…哉太は分からなかった。
一樹は哉太を落ち着かせるように小さく笑うと、今度は唐突にワイシャツのボタンに指をかけ始めた。


「哉太、黙って俺の言う通りにしてくれ。」


「な…っ」


「いいか、教会の奴らはお前がこの地下牢にいる事を確定する為に使い魔を俺に付けたんだ。俺にしか此処への扉は開けられないしな。
声は遮断できた…、でも吸血鬼を仕留める為なら、アイツらは不確定要素でも詰めてくる。」


「だったら…俺なんか放って貴方だけでも……」


「そうはいかない」


一樹はワイシャツに手をかけると、ばさりと勢いよくそれを脱ぎ去る。彼の背と腹には、なんと大きな魔法陣が描かれていた。


「っ、これは…?」


青白い光を放つ魔法陣から視線を上へと戻し哉太が問うが、一樹はやや表情を歪めるだけで答えようとしない。そして懐中時計を取り出し時間を確認すると、困ったように首を傾げた。


「なー……哉太」


「…はい?」


「あと20分で、俺の事殺せるか?」


「―――ッ!!?」


その言葉はあまりにも唐突で、そしてあまりにも衝撃的だった。目まぐるしい事態の展開に目眩すら覚え、哉太は硬直してしまう。何の悪ふざけかとも思ったが一樹の目に冗談の色は一つも見えなかった。
何も答えられない哉太に「悪い」と一言言うと、一樹は魔法陣を指先でなぞりながらぽつりぽつりと告白する。


「これ、さ……自爆陣なんだよ。80回の脈拍ごとにカウントが貯まっていって…40のカウントでドカンッ、てやつ」


「なんで…、なんでそんなモノが貴方にあるんですか…っ」


「教会は裏切り者を絶対に許さない。…許しちゃいけないんだ。」


見れば、一樹の上半身には新しい擦り傷や縛り付けられたような痕がある。無理矢理押さえ付けられ魔法陣をその身体に刻まれたのだろうと、想像に難くなかった。
教会は、何も一樹のみを殺す為に魔法陣を刻んだわけではない。一樹が最期に哉太に会いに行くだろうとの予測から、わざわざ時限式の陣を描いたのだ。一樹が死に、地下牢への扉が開き結界が解けたとしても、教会の中にある牢から外に脱出するには、どうしても一樹の仲間と戦わなければならない。しかし殆ど血を飲んでいない吸血鬼の魔力などたかが知れており、今の状態では哉太は間違いなく外の景色を拝む前に殺されるだろう。


「だから俺がお前に血を飲ませる為に、もう一度此処に来るだろうって…読んでたのさ。
もし吸血鬼が居なくても、怪しい行動を取った俺だけは消せる。本当に吸血鬼がいたらラッキー…。そういう事だ。」


「そん…な…!
くっそ、……血も涙もねぇのかよ…!仲間に対して…っ」


「アイツらは人間の傷を治すような吸血鬼が、その人間を殺せるわけがないと踏んでる。…実際お前は優しいしな」


「…当たり前じゃないですか。」


俺が…貴方を殺せるわけがない…!
握りこぶしを作りわなわなと震える哉太に、しかし一樹は無い時間を急く様に言葉を続けた。カウントは40だが、今はもう残り30程に減っていたのだ。人間の脈拍を毎分80回とすると、約40分で死に至る事になる。だが死への恐怖に緊張し脈拍が速まる事で、実際は更に短い時間で魔法陣が爆発する事も予測される。


「お前が優しいのはわかってる。…だから最期に、お前の優しさに付け込ませてくれ……」


「っ、一樹さん…?」


一樹はそう囁くと、そっと哉太を抱きしめた。一樹が哉太に「殺してくれ」と頼んだのは、この魔法陣の仕組みを逆手に取る為だった。それは実に単純な事で、一樹が死に脈拍がカウントされなくなれば、魔法陣は爆発しない。それだけだった。


「我が儘ばっかで、ごめんな…?
俺はお前だけは死なせたくない。…だから、俺を殺して魔法陣を止めろ。」


「……嫌だ…」


「俺の血を、全部お前にやる。それなら魔力も回復するだろ?」


「嫌だ…ッ、そんな事できるわけないでしょう!!!
………貴方を…っ、く…ぅ………殺す…なんて…」


哉太は堪え切れず、一樹を強く抱きしめ返した。涙が溢れ、一樹の肩をぽたりぽたりと濡らしていく。


「っと、哉太……痛いぞ、馬鹿力…。
まったく、お前は涙もろいな!」


「余計な、っ…お世話です……!」


「……なぁ、哉太…。俺はお前を興味本位で監禁した。…でもな、時間が経つにつれて…俺はお前が好きで好きで堪らなくなってたんだよ」


「ッ!」


好き、という言葉に、哉太が思わず強張る。そして恐る恐る腕を解き、未だに流れる涙を払う事も忘れて唇を震わせ何度か開閉した。しかし白い顔が見る見る真っ赤になるのを見ていると、単に言葉が出ないだけなのだと手に取るようにわかった。一樹はそれに吹き出すと、死が近いというのに「あはははっ」と楽しそうに笑う。


「お前…っ、照れてんの…?」


「う、五月蝿い…!…………俺だって…、……」


「うん?」


「……ずっと…貴方が恋しかった…。」


人間のように抱きしめて、愛を囁いて、そして口付ける。今まではただの"食前の作業"だったそれが、実はとても尊く優しいものだと哉太は知った。
好きだから、殺されて欲しくない。好きだから、最期は哉太の力の一部になりたい。好きだからこそ…哉太の手で死にたい。
一樹の想いを知った哉太は、もう彼の願いを強く断れなかった。

カウントは、一樹が念のため「20分」と少なめに哉太に伝えた、その20へと迫っていた。



















立っていられなくなるだろうと踏み一樹を壁を背にして座らせると、「もっとくっつけ」という彼の言葉に従い、哉太は身体を密着させるように馬乗りになった。


「一樹さん…っ、ん、んん…!」


我慢できない、という風に一樹は哉太の頭を引き寄せると、首を傾けてその白い唇に噛み付く様にキスをする。唇を舐めると哉太はそれに応え、二人は夢中になって口付けを交わした。哉太は一樹の積極的な行動に胸を高鳴らせたが、牙が一樹の舌を傷付けてしまわない様に気をつけていた。だが一樹はその気遣いに気付いたのか、敢えて、わざと鋭利な牙を舌で舐めた。


「…っ、」


当然のように、傷付いた舌にうっすらと血が滲み始める。傷は浅いが、舌には多くの血管が集まっている為、肌を傷付けるよりも多くの血が滲む。


「変な気遣いすんなよ、哉太…」


「一樹さん……。…ったく、煽るのが上手い人ですね」


にやりと笑った後に、血で赤みの増した舌が差し出される。哉太は逸る気持ちを抑え切れず、濡れた舌に吸い付いた。
そして一樹は、若干の後悔をする羽目になる。変な気遣いをするなと言う為に血を流したが、吸血行為に快感が伴う事を失念していたのだ。舌を擦り合わされ、傷口を舐められると、先程までのキスよりも強く、甘い痺れに襲われる。


「ふっ、ぅ…ん、んんぅっ!」


「んっ………か、わいい…」


「はぁっ、あ……おれの、血…美味いか…?」


「はい…、凄く……」


血を舐められた事により、キスだけで目を潤ませる一樹が愛おしい。哉太は生唾を飲むと、目線を首筋へと移した。人間らしい肌色…この色がこれ程に劣情を煽るものだと知らなかった。鎖骨を辿ると骨張った肩に触れ、肩から首筋へと指先を這わせると頸動脈の力強い脈動を感じる。この脈動を止める為に、此処に牙を突き刺さなければならない。


「………」


躊躇ってはいけない…、これが一樹の望みなのだ。しかし哉太は、どうしても躊躇せずにはいられなかった。


「哉太…?」


「…………はい」


「俺はお前に会えて幸せだったよ」


「……」


「好きな奴に殺してもらって、好きな奴の一部になる。…変かもしれないけど、俺はそれが幸せだと思ってる。
もしお前がこのまま俺を殺さないで二人共死ぬような事になったら、あの世で恨むぞ?」


「はは…っ、それも…楽しそうですね」


「馬ー鹿、俺は怒ると怖ぇぞ〜?」


哉太の額を小突くと、一樹は笑う。釣られるように笑うと、哉太は覚悟を決めたように瞳を閉じた。ふう、と一つ緊張を吐き出し、一樹の首筋に顔を埋める。普段は肩口に噛み付いて吸血していたが、殺すつもりなら頸動脈から血を飲む方が確実な様に思えたのである。


「…すみません」


「いいって、俺の我が儘だ」


「……、…はい…。いきますね」


哉太は口を大きく開けると、その太い血管を狙う。そして、首筋に牙を思い切り突き刺した。


「うあ!〜〜〜〜ッ!!?」


牙がずぶりと皮膚を突き破り、あっという間に頸動脈に穴を開ける。痛みを覚悟していた一樹だったが、皮膚を裂かれるその瞬間すらも強烈な快感となって彼を襲った。傷付いた箇所から血を舐められるのとは違う、鮮明な快感に言葉を失う。
すぐにどくどくと鮮やかな色の血液が牙と皮膚の隙間から溢れ出し、哉太は一滴も零すまいと強く啜った。


「ひっ、ぃ!ぁ、あああっ!や……な、これぇ…ッ、…んんんっ!」


生命の源を吸い上げられる度に、まるで身体中の血管が性感帯になってしまったかのようにぞくりとする。哉太が牙を抜きいよいよ吸血のみに集中し始めると、一樹はもうその快感に打ち震えるしかなかった。


「んん!あっ、ぁぁ…!か、かな、た…っ……あぅっ、ん…はぁ、ああ…!」


「はっ……甘…」


哉太は自分が空腹だった事を今更思い出したように、夢中になって血を飲み続けた。腕から血を舐めるのとは違う、口一杯に広がる芳しさが食欲をそそる。ごくりと飲み下す度に身体に力が湧いてくるのが分かり、ようやく本来の、此処に閉じ込められる前の状態に戻っていった。


「このままじゃ中途半端で辛いでしょう…?今楽にしてあげますよ」


「ふっく、あ、あああっ!な、に……んあぁ!」


身体に力が戻った事で、哉太は一樹の状態をしっかりと見る事ができた。吸血の快感により陰茎が張り詰めているのが、生地の上からでもよくわかる。哉太は角度を変えて首筋に牙を立てると、もう一度深く噛み付いた。


「ひぁ!あ、ぐっ、……あぁぁあああ!あぅ、うう…っん!」


哉太は男を相手にした事などなかったが、ある筈の嫌悪感は不思議となかった。新たに溢れてきた血を啜り、ベルトを外して下着の中に手を滑り込ませる。既に硬くなっている陰茎を握りゆっくりと擦り上げると、吸血の快感と相俟って一樹は目を見開かせた。


「んっ、や、ぁ、あっ、あああああっ!待っ…て、ああ…っ!」


「んくっ、ん……」


「歯、やめっ、抜……!はぅっん、んんーっ!」


哉太が牙を抜き刺しするように動かすと、まるで秘所にぬるついた"なにか"を挿入され感じる所ばかりを狙って擦り付けてくるような感覚に一樹は陥る。それを敏感な首筋に受けては、性に殆ど触れない生活を送ってきた一樹は口を閉じる事も忘れて喘ぐしかなった。じわりと血の滲んだ舌は唾液に濡れ、力の入らない指は哉太の服を必死に掴む。


「ひ、ぁ…あっ、はぁっ……!哉太…哉太ぁぁっ!んぅぅぅ!!」


先走りが溢れ、汚れを知らなかった一樹の身体を快楽だけが支配する。巡る血液量が減った事により頭がぼうっとするが、一樹にはそれすらも心地好かった。思考の鈍った一樹の脳に、哉太の囁きだけが染み渡る。


「こんなにぐちゅぐちゅにして……、気持ちいいんですか…?」


「あ、んん!きもち……っ、ぁ…いい…!かな、た……もっと…噛んで、くれよぉ…ッ」


「はい、……貴方の…望むままに。」


泣きそうになりながら、血の気の引いた唇を必死に動かす。哉太は冷えた唇に血で塗れたキスをすると、首から鎖骨へとどぷりと溢れた血を舐め上げ、そして新たに薄い皮膚を鋭い牙で破いた。


「っ、くっ、ぁ、ああぁぁぁぁーっ!」


哉太に噛み付かれる突き抜ける様な快感に、一樹はびくんっと腰を震わせて絶頂した。背を反らせて哉太の手の平に吐精した一樹だったが、段々と薄らいでいく意識の中では…もう自分がどうなっているのかすら分からなかった。


「かな、…た………俺…っ、ん、……あぁっ、あ…」


「……一樹さん、…もう……喋らなくていいです…っ」



一樹の命の灯が消えかけている事は、一樹自身の様子も宛ら…結界を見れば明らかだった。若齢者が張った割には非常に強力な結界が、弱まってきている。一樹の身体にはまだ血液が残っていたが、意識を保つ必要量がもう不足していた。
じゅるっと血を吸い上げ、気休めだが一樹の首筋を手で押さえその顔を見る。会話ができるギリギリの状態だと、その顔色を見て悟った。


「っ、ぁ……かなた…」


「……すみません…俺のせいで、……こんな終わり方…、なんて………ッ」


一樹の顔を見ていたいのに、視界が涙の膜に覆われてしまう。瞼を強く閉じても、次から次へと溢れる涙を止める事が出来ない。歪んだ視界で必死に一樹を見ると、哉太が何十年と生きてきた中で初めて愛した人間は、笑っている様な気がした。


「ばー…か……、…泣いてる暇、あんなら………さっさと殺せって…」


「一樹……さん…」


「幸せ、だって…。………言っただろうがよ」


「……ぅっ、………は…い…」


哉太は首を押さえていた手を離し、いくつも付いた牙の痕を見た。自分が人間だったら、こんな終わり方にはならなかったのだろうか…?誰も答えを教えてくれない問いを投げかけ、哉太は悲しみに赤く濡れた牙を一樹の首筋に食い込ませる。一樹は小さく呻いたが、もう今までのように甘くとろけるような声を聞かせてはくれなかった。


















頸動脈の脈動が弱くなり、ついには途絶えた。全ての血液を吸ったわけではないが、体内に残ったわずかな血液では、もう一樹を生かすには足りないのだ。


「………」


血塗れの口元を手の甲で乱暴に拭い、結界の消えた銀の格子を見る。一樹が牢の中に入る時に入口を閉めてしまった為、銀が苦手な哉太が牢を出るには姿を変え一樹を置き去りにして逃げるか、自分で牢を開けるしかない。牢の隅に転がっていた使い魔は結界が消えた事により活力を取り戻していたが、哉太がすかさず焼き払った為今は灰となっていた。
一樹が死んだ事により地下牢への扉も開かれた筈であり、直に敵がやってくるだろう。だが哉太は落ち着き払い、一樹の身なりを整え彼の遺体を背中に担いだ。
銀が苦手とは言え、触れなければ問題ない。哉太は格子に向かい構えると、グッと右手に力を込めた。すると手の中で小さな雷が発生し、次第にバチバチと鋭い音を響かせ始める。


「"雷閃裂破(ライトニング・リップ)"!!!」


右腕を振るい、切り裂くような雷の束を銀の格子へと放つ。すると強い魔力により作られた雷は格子を切り裂き、ガラガラと大きな音を立てながら強引に道を開いた。


「うわっ、すっげーなオイ…」


血をたっぷりと飲み完全に力を取り戻した哉太は、然ほど強くないはずの攻撃魔法の、予想外の威力に思わず声を漏らす。地下牢の壁は深く抉れ、ランプはバラバラに砕けていた。


「やっぱ魔力持ってる人間の血だと違うのか…?」


脱力した一樹を背負い直し、よいしょ、と格子を潜る。徐に折れた格子を拾い上げてみるが、ピリッと痛みが走るだけで大したダメージはない。魔力や体力と共に、銀への耐性も上がったようだ。
遠くの音も拾う哉太の耳は、地下への扉を人間達が開ける音を聞いていた。
……仲間の命を簡単に捨てるような奴らにかける情けはねぇよ。
哉太は自分の存在を多くの人間に知られてしまうような行動は今まで慎んできた。無益な殺戮はせずに密かに、静かに人間を捕食してきたのだ。しかし今回は、哉太はとても自分を抑え切れる気がしない。一樹を死に追いやったのは自分にも非があったが、その決定打となった教会の人間達をどうしても許せそうになかった。


「一樹さん、五月蝿くなりますけど……すぐに静かにしますから。」


哉太は扉を開けると、何人もの人間が地下牢への階段を翔け降りてくるのが見えた。本当に吸血鬼がいた事に加え一樹の身体が原形を保っている事に驚いたのかざわめきが大きくなるが、その中に攻撃魔法の詠唱を哉太の耳は拾う。


「そんなに慌てなくても、今すぐそっちに行ってやるよッ!!」


哉太は腰を落とすと、強い脚力で一気に階段を駆け上がった。飛ぶように階段を上がり、眩い閃弾を躱しながら教会内部へと飛び出すと、空中でくるりと振り返り手の平を扉へと突き出す。


「お前らも地下で眠んな!」


哉太の手から放たれた黒い火炎弾は教会を、人間を焼き尽くし、後には何も残らなかった。































一人の美しい村娘がいた。
遠く離れた村の教会が焼け落ちたと噂を聞き、悪い事が起こらなければいいけれど、と思った。

そんな噂も皆忘れ去った秋の頃、自慢の透き通るような茶色の髪を、夕方の風が撫でる。その風がふと止んだとき、いつからそこにいたのか、一人の痩せた男が自分の後ろで空を見上げていた。


「っ、」


悲鳴を上げては失礼だろうと、娘は咄嗟に声を飲み込む。すると男は「驚かせましたか?」と薄く笑った。あまりにも美しく笑うものだから、娘は照れ臭くなり下を向いてしまう。
恐る恐る顔を上げた時、娘はふと彼の両耳にピアスがしてある事に気が付いた。ただピアスがしてあるだけならばさして気にも留めないのだが、ピアスをしている箇所が赤紫色に変色していたので驚きに大きな瞳を更に大きくさせる。


「あの……、耳…大丈夫ですか?」


「あぁ、これですか」と男がピアスに触れると、その指先もまるで火傷をするように変色した。


「……っ!?」


娘は悟る。
―――きっとこの人は人間じゃない。
それでも、何故だろうか…、娘は不思議と恐怖を感じなかった。男があまりにも儚く笑うからか、わからない。


「…どうして……そんなピアスをつけているんですか…?痛いんでしょう?」


すると男は、娘が自分を人間ではないと見抜いたと気付いたのだろう、鋭く尖った牙を隠そうともせずに人懐っこい笑顔を作った。そして銀髪を指先で弄りながら、静かに娘に言ったという。

ある大切な人がいた。
大切な人は自分を銀の檻に閉じ込めた。
自分はその人を殺してしまった。
このピアスは、その銀から作った。

「この痛みだけが、あの人を感じさせてくれるんです。」男は小さく呟く。白を更に白くしたように血の気の無い顔は、弱々しい生命力しか感じさせなかった。
とその時、一際強い風がざぁっと吹き、娘の身体を押した。


「きゃ…っ」


思わず目をつむる。
直に風が止み、娘が目を開けると、そこにはもう誰もいなかった。


「…吸血鬼…………」


一体どれ程の間捕食していないのだろうか、と娘は思い、すぐに考えを打ち消す。何故自分は魔物なんかの心配をしているんだろう。
しかし男が有害な存在に思えず、娘は複雑な表情で空を見上げた。


「きっと…本当に大切な存在だったんだろうなぁ」





もう…その人以外の血を吸えない程に。


















end











2012.9.2

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あきゅろす。
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