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★06総攻【プラヴィック-Pluveck-】【下】

















腕は重ねて後ろに回され、革のバインダーで拘束されている。首枷から伸びた数mの鎖は200kgもある金属の重りに繋がれ、例え浮力が働いても持ったまま泳ぐ事は難しいと言える。隔離棟SE-6に収容されている七海哉太は、砂以外何もない殺風景な水槽の中で拘束されていた。一ヶ月程前にハインダー・プラヴィックであると判断された彼は人間に対し特に攻撃的であった為、拘束具の他に水に睡眠薬を混入するなどして動きを抑えている。首輪の数字は"82"であったが、此処隔離棟でのその数字は期日まで命を保証するものではなかった。
郁は端末で哉太のデータを引き出し、最後に睡眠薬が入れられた時間を確認する。


「3時間前か……、じゃあそろそろ起きる頃かな」


プラヴィックのゲージや水槽には側面に扉があるが、水を張ってある水槽に関しては安易に扉を開けるわけにもいかない。故に水槽に限っては一旦水を専用の貯水器に移し、また戻すという方法がとられていた(水槽の扉からは水が漏れてこない設計になっている。)。更に、一般棟では隣のゲージや水槽との間に敷居のようなものがありシャッターによって視界の調整が可能なのだが、隔離棟では隣のゲージや水槽の様子が全て分かるようになっている。
この意味は、直に分かる事になる。


「さてと、陽日先輩。七海君が起きるまでの間…東月錫也君と仲良くなりましょうか」


「くっ、あはは!思ってもない事言うなって!」


哉太の隣の水槽、SE-7に収容されたばかりの蟹のプラヴィックは東月錫也というらしい。ガラス越しに彼を眺めていると、こちらに気が付いたのか、鋭い視線を向けてきた。水辺で暮らす蟹らしく、砂を窪ませて溜めた水から離れた壁に寄り掛かって座っている。拘束具は無い。


「水を抜く必要がないのは有り難いですね」


郁はカードキーで扉を開錠すると、直獅を連れて水槽の中に入っていった。見知らぬ人間とプラヴィックが入ってきた事に身体を強張らせる錫也だったが見たところ蟹らしいハサミは無く、他のプラヴィックの様に武器となる部位の構造が反映されていなかった。
錫也は立ち上がり、静かに郁と直獅を睨みつける。


「………」


「そんな怖い顔しないでよ。僕はただ、君の話を聞きにきただけなんだからさ」


「……人間に話す事なんて何もない。」


「ふぅん……」


郁は困ったなと言いたげに腰に手を当てると、「どうして?」と問い掛けた。しかしそれにすら錫也は答えず、ふいと顔を逸らす。


「……」


「やれやれ、………これだからハインダー・プラヴィックは嫌いなんだよ」


「…っ!?」


それまでの優しい声音が一変し、ゾッとするような冷たさを纏った声が郁から発せられる。郁が自分に危害を加えるような人間に見えなかったのか、錫也はその声にぎょっとして郁に目線を戻した。表情に別段変化があるわけではないが、何か雰囲気が異なる。


「なんだ……お前」


郁に警戒しながら立ち上がると、錫也は拳を握り締めやや腰を低くした。


「なんだも何も、言ったでしょ。僕は君の話を聞きに来ただけだって。
人間が、プラヴィックの話を聞いてあげようとしてるんだよ?……それなのに、…ねぇ。……調子に乗らない方がいいよ」


「水嶋」


「そうですね…戦う気満々みたいですし、…適当に、右腕をもいじゃって下さい」


「りょーうかい!」


「!!」


錫也の意識が直獅に向く前に、郁は躊躇う事なく相手の戦力を削ぐ部位を指定する。蟹はハサミが武器である為、そこに当たる部分を取ってしまう事で大分動きを封じ込められると考えたからだ。直獅は砂を蹴って錫也に向かうと、突然飛び掛かってきた彼に驚き、一瞬動きの鈍った錫也の腹に拳を叩き込んだ。腹に一発食らえば大抵の生物は怯む。…だがどうした事か、錫也は全く怯まないどころかその反動を利用して足を踏ん張り、直獅の顔面に拳を返してきた。


「ぐ…っ!」


「!………へぇ、そういう事」


「っ、おい水嶋…、コイツの身体……!」


「えぇ、わかりました。成る程…ハサミが無いと思ったら、変わりに皮膚が硬いみたいですね」


直獅は笑顔を引っ込め、敵意を剥き出しにして低く唸る。錫也はハサミが無い代わりに硬化した皮膚を持つプラヴィックのようで、直獅の一撃も大して効いていなかった。


「ったく、蟹のくせに…!」


ぐ、と腰を落とし、直獅は溜めた力で先程よりも強く砂を蹴る。当然蟹よりも速さがあり、錫也が反応するよりも早く背後に回ると、無防備な首の付け根に手刀を叩き込んだ。これには流石に錫也もよろけたが、すぐさま右肘を直獅に向け突き出す。直獅は間一髪でそれを避けると、身軽な動きで錫也と間合いを取った。


「なんで…っ、なんでアンタは人間なんかに従うんだ!」


温厚そうな顔を怒りと疑問に歪め、今度は錫也から直獅に向かっていく。喧嘩慣れしているのか、高い防御性も相俟って五分五分の運びだった。


「生きていく為に決まってんだろ!」


「俺達見た目は人間だろ!こういう場所があるから共存できないんじゃないのか!?…うあっ!!」


錫也の蹴りが直獅に向かうがそれを素早くしゃがんでかわし、その右足を下から払い錫也のバランスを崩す。そして力の抜けた腕を掴むと、そのまま思い切り持ち上げ背中から砂に叩き付けた。


「あ…ッ、ぅ…」


抵抗しにくいように、錫也が怯んでいる隙に身体を反転させその背中に馬乗りになる。加えて右腕を上に捻り上げれば、いよいよ隔離棟に相応しい悲鳴が上がった。


「っぁ、あ゙あ゙あぁ!!」


「共存…?出来るわけないだろ」


「っ、ぐ……ッ!あぁぁ!」


「お前は人間みたいに水無しで生きられんのか?こんな甲羅みたいな皮膚した人間がいるか?……俺みたいに牙と爪が生えた人間がいるかよッ!?」


直獅が声を荒げる度に、ギリギリと腕を捻る力が強まる。


「あ゙ぁぁぁぁ!……あ…ッ!ぃ、っつ…ァ゙…ッ」


「蟹が何食うのか知らないけどなぁ、人間と同じモン食っても生きていけないんだよ!俺は此処でしか生きられない、だから此処にいるんだ!!」


「……陽日先輩」


人間だったらとうに骨折しているであろう方向に曲げられた腕を見て、それでも折れない身体に非人間性を感じる。郁は特に可哀相と思ったわけではないが、興奮状態にある直獅を取り敢えず鎮めた。


「ごめんね、東月君。何もこんなに痛め付けたかったわけじゃないんだけど……」


直獅の腕の力が少し緩み、錫也はようやく一息つく。


「はぁ…っ、う……!」


「ふふ、この施設について手っ取り早く理解してもらうにはこれが一番だからね。
…そうだ、先輩。」


「…おう」


「思い付いたんですけど、蟹って全部が硬いわけじゃないですよね。」


「そうなのか?まあ確かに…関節は柔らかくないと動かせないよな。…って、あぁ!そうか!関節!!」


「な…ッ!?」


「はい、じゃあよろしくお願いしますね」


「オイ!何するつもりだ…っ、うぅっ!!」


郁の言葉で閃いた直獅が再び腕を無理な角度に曲げると、錫也は言葉の途中でうめき声を上げた。錫也の腕を砂に下ろし、彼の私服らしい白いTシャツの右肩を爪で引き裂く。見た目にはわからないが関節の接合部は郁の推察通り確かに柔らかく、直獅は舌なめずりをした。


「流石、水嶋は頭がいいな」


「ちょっと考えればわかる事ですけどね。
…さてと、東月君。君にはまだ、此処がどういう施設か…言ってなかったよね」


ライオンに押さえ付けられた蟹、という自然界ではまず見る事のない光景。その蟹の頭を踏み付け、郁はにこりと笑った。


「…っ、ロクでもない施設って事は……わかった…」


「そうだね、まあ、正解」


「…くっ!」


踵を錫也のこめかみでぐり、と捩り、顔を更に砂に押し付ける。その状態でもまだ睨み上げてくる錫也に呆れつつ、郁は爪先をぽんぽんと遊ばせながら大まかに説明をしてやった。


「一般棟…まあ、君のお友達が行った方だけどね。あっちは君達を食用として出荷する為の所だよ」


「ッ!!?」


「お友達の名前も何も、まだ僕は知らないけど……君を見る限り、あと一ヶ月しないうちにどこかしらに出荷されてるだろうね」


ある種が見付かると、同種のプラヴィックも近くに潜んでいる事が多い。施設内で繁殖させる事でプラヴィックを増やすのが基本だが、新しい種の場合は、需要の有無や利益の程度を調べる為に試験的に出荷される。先に直獅が言っていたように出荷ルートは蠍と同じになりそうだが、それを言っては錫也が更に興奮すると推察し、郁は伏せておく事にした。


「じゃあ、此処、隔離棟だけど…。簡単に言えば、此処には君みたいに人間が嫌いなプラヴィックが収容されてる所だよ」


「……」


「プラヴィックが人間にとって都合のいい存在に過ぎないって気付かれると、色々面倒だからね。此処に閉じ込めて、出荷する日まで待たせてあげるってわけ」


「……、…それだけじゃないように思えるけどな」


「ご名答」


「うぅ……ッ!」


足を上げ、郁は硬い頬にもう一度強く足を下ろす。そして直獅に目配せすると、爪を揃え狙いを定める彼を尻目に錫也に言った。


「一般棟の、お馬鹿で可愛いプラヴィックは絶対に傷付けちゃいけない。腐る程に優しくしてあげないとね。
…でも隔離棟は別。プラヴィックが人間より下位の存在だって事を教える為の教育だったら、"うっかり"殺しちゃってもいい事になってるんだよ」


直獅は目をぎらつかせ、郁の言葉が終わらないうちに、左の爪を錫也の右肩に深々と突き刺した。


「ゔっ、ァ、ああ゙ああ゙あぁああーッ!!!」


「あはは。東月君、プラヴィックと人間を比べたいなら…せめて赤い血が流れるようになってから言いなよ」


「げ!蟹の血の色って緑なのかよ…。それにしても、ココ目茶苦茶柔らかいんだなぁ」


郁に踏まれ、直獅に馬乗りにされながら絶叫する錫也は、肉を裂くようにガリガリと動く爪に声を更に痛苦の色に染める。直獅は肩の肉を半分程裂くと、掴んでいた右腕をちぎる為に無理矢理回そうとした。


「ひっく、う!ぁあああ!やめ…っ、やめろ!あ゙、ああ゙あ゙あ!!」


「もうちょい裂かないと回らないか…」


緑色に染まった爪が深く肉を抉る。身体が大きい分通常の蟹より血液量が多いようで、噴き出しはしないもののだらだらと砂を緑色に染めていった。ごりゅ、と甲羅と甲羅が擦れ合うような生々しい音が悲鳴の合間に聞こえてくるが、痺れを切らした直獅は両手で肩に爪を立てると、捩り取る事を諦め肩と腕の肉を切り裂いてしまう事にしたのだった。



















魚のプラヴィックは水中でも陸地と同じ様に音を感知できる特殊な耳を持っている。隣のゲージや水槽の虐待の様子だけでなく声まで見て取れるように設計された特殊な硝子は、SE-7から聞こえてくる絶叫をSE-6の哉太の耳にまで運んでいた。


「ぅ………、ん…」


虐待に反撃しようものなら更なる苦痛を受ける事になる。プラヴィックは一方的に嬲られる、人間に劣る存在であると見せ付け認識させる為に、隣との視界を遮る物が無いのだ。


「………」


SE-7に背を向ける様にして眠っていた哉太は、聞こえてきた絶叫にうっすらと目を開けた。後ろから聞こえてくるのだと気が付き、緩慢な動作で振り向く。すると、初めて見る顔のプラヴィックが右腕をもがれ悶絶している光景が目に飛び込んできた。


「な………ッ!!?」


血が緑である事と、水の量から魚ではないと悟った哉太だが、腕をもぎ取るなど非人道的な行動に種族に関係なく怒りを覚える。哉太は同じプラヴィックであるEXEも人間同様心底嫌っており、爪を緑に染めた直獅を見て奥歯を噛んだ。


「裏切り者が…ッ」



















「……ん?」


激痛のあまり気絶した錫也の右腕をしげしげと眺めていた郁は、哉太が意識を取り戻した事に気が付いた。視線だけで殺そうとしているかの様な目付きに苦笑し、煽るようにヒラヒラと手を振る。


「あ、やっと起きたか!」


「相変わらず目付き悪いですね、彼」


郁は錫也の腕の切り口から身を摘むと、一口口に入れた。


「ん……本当に蟹だ。陽日先輩も如何ですか?」


「おう!人間は蟹が好きって聞いたからなー、どんな味か楽しみだったんだよ!…………む…、…これ美味いか?」


「やれやれ、ライオンにはこの美味しさがわからないみたいですね」


「こらぁ水嶋!」


肩を竦めて嘲笑する郁に直獅は拳を作って怒声を上げるが、郁が冗談で言っていると分かっている為直獅も本気では怒らない。
直獅は指に付いた血や体液を舐めながら、郁に聞いた。


「次は…七海だよな?」


「はい。…あぁ、その前に、東月君に救護班を"呼ばせて"あげないと」


そう言うと郁は気を失っている錫也の額を爪先で軽く蹴り、小さく呻いた錫也に声を掛ける。


「起きなよ。腕もがれたくらいで蟹が気絶する?情けないなぁ…」


「…っ、………」


意識と共に痛みも戻ったらしい。錫也は一瞬声にならない音を漏らした。左手で右肩を押さえながら睨み上げてくる錫也の頭を、彼が立ち上がらないように郁は再び踏み付ける。そして端末を取り出すと、"HELP"の文字が表示された画面を錫也の視界に入るように揺らした。


「なん、…っ、……だよ…」


「わかるでしょ?"HELP"…ここに繋げば、君の為に救護班が呼べる」


は?とでも言いたげな錫也の頭から足を離すと、今度は、まだ血の流れる右肩に足を思い切り落とした。


「――――――ッ!!!」


「ほうら、凄く痛いよね」


「ぐ、ぁ…っ、……ハッ…!」


ずきずきなどという次元ではない。まるで神経を引っ掻きながら齧られているような痛烈なショックが右肩から全身に広がり、あまりの痛みに身体を丸める事も出来ず、錫也は呼吸も儘ならないまま郁の言葉を聞くしかなった。


「このままじゃ東月君が可哀相だから、救護班を呼んであげようと思ったんだけど……東月君は僕に助けられるのは絶対嫌でしょ?
だから、君自身に助けを呼ばせてあげようと思ってさ。」


人間に助けられるのだという屈辱に加え、自ら助けを呼ばせるなど、それは錫也にとって郁に救護班を呼ばれる事以上に我慢ならない事だった。それをわかっていながら端末をちらつかせる郁に、ヒュウ、と直獅は口笛を吹く。錫也は痛みに支配された脳の片隅で郁の言葉を解釈すると、涙の膜の張った視界で彼を苦々しげに睨んだ。


「だ……、れが…ッ」


「あっそ。まあ死にはしないだろうから僕も救護班はいらないと思ってたんだ。
僕達意見が合うようだね」


錫也から足を下ろし持っていた彼の右腕を直獅に手渡すと、郁はさっさと扉に向かって歩いていく。錫也の出現は予想外であり、今日見回る分のハインダー・プラヴィックに割く時間をこれ以上減らすわけにはいかなかった。


「あぁ、そうだ」


扉を開けたところで、郁は錫也に振り返る。未だ伏したままの錫也に、もう一つ教える事があったのだ。


「東月君、プラヴィックって言葉……此処に来て初めて聞いたんだよね?」


「当たり前、だろ…ッ!」


「ハインダー・プラヴィックには教えてあげる事にしてるんだよね。
プラヴィックはpluckとinconvenientを合わせた造語。つまり君達は命を摘み取られる為だけ生きる、この施設に拘束された不自由な存在…って意味。」


「…馬鹿にしやがって……!」


「ふふ。それじゃ、痛いのが我慢出来なくなったらいつでも呼んでよ。カメラで監視してあるから、いつでも対応してあげる」


またね、哀れなプラヴィックちゃん。
錫也の舌打ちは、バタン、と扉が閉められる音に掻き消された。



















SE-6の水槽の水を抜く作業をしながら、郁は水槽内に通じるマイクに向かって言った。


「七海君、おはよう。今日は新薬の実験の予定だったけど、その前にお土産があるから楽しみにしててよ」


音声は一方通行である為、哉太からの反応を確かめずにマイクを切る。確かめるも何も、ハインダー・プラヴィックに拒否権などないのだが。


「新薬?」


「はい。アレ、陽日先輩聞いてませんか?」


「んー、蟹以外は知らないぞ。つーか新薬って…今日食った山羊のじゃなくてか?」


EXEが水量管理などの精密機器に触れる事は禁止されている為、直獅は錫也の右腕をコツコツと爪でノックしながら暇を潰す。山羊のプラヴィック―土萌羊にも薬物実験が行われ失敗に終わったが、郁の様子からしてどうやら違う種類の新薬が出来ているらしい。
まったく、人間ってのはよくもまーそんなにポンポン色んな物が作れるよなあ!
直獅は能天気に感心しながら、水槽の水が抜けるのを待った。魚のプラヴィックが水無しで生きられるのは10分程度。いつも時間との勝負だったが、そこに新薬の実験を当てるとなると余裕は殆どなくなりそうである。特に哉太は暴れる為、体調を見るなど見回りの項目のチェックだけでも一苦労なのだ。


「今回はハインダー・プラヴィックにピッタリな薬らしいです」


「ピッタリ…?てゆーか、実験するなら水に混ぜちまえば良くないか?なんでわざわざ…。
…それに、いつもの見回りもしなきゃいけないんだろ?」


「今回はいいんですよ。…ま、すぐに分かります」


水が抜け切った事を伝えるアラームが鳴り、水槽に備え付けられているタイマーが10分間のカウントダウンを始める。郁は手早く解錠すると、無駄の無い動作で水槽の中に入っていく。直獅も急いで後を追うと、まず哉太の様子を伺った。水の抜けた水槽の中で、哉太は頭を振り髪の滴を乱暴に払っている。半袖のワイシャツとスラックスというシンプルな格好だったが、首輪や腕の拘束具が銀髪とピアスとに相俟って得も言われぬ威圧感を放っていた。ピアスは元々複数ついていたようであるが、耳たぶが数ヵ所切れており、無理矢理引きちぎられたのだろうと推測できる。


「……来やがったな、裏切り者が」


浮力のない状態では首に繋がれた鎖すらも中々の重さになるのだが、哉太はそれをものともせずに立ち上がった。その力があるからこそ、腕を拘束されていても押さえ付けるには手こずる。


「…陽日先輩、30秒でお願いします」


「了解…!」


だが、手強いからこそ挑む面白さがある。直獅は錫也の右腕を砂地に置き好戦的な笑みを浮かべると、間髪入れずに哉太に飛び掛かった。濡れた砂の上を走り、哉太が身構える前に胴に回し蹴りを叩き込もうとする。しかし一足先に反応した哉太は素早く一歩下がると、右足で思い切り砂を蹴り上げた。


「…ッ!」


直獅は一瞬目を閉じ怯むが、その一瞬が敗北に繋がる事を知っている。腕によりバランスが取れない哉太が砂を蹴った事で身体が不安定になっていると予測し、目をつむったまま鎖の音がする方向に飛び、 拳を突き出した。すると、ドン、と手応え。直獅は素早く目を開けると、よろけた哉太の足を払いあっという間に砂に跪かせた。


「くっそ…!」


「ふー…、全く、足だけで此処まで抵抗出来るのはお前くらいだよ。
水嶋!何秒だった?」


哉太の膨ら脛を踏み、頭を押さえ込みながら直獅は郁に時間を尋ねる。


「25秒ですよ。ありがとうございます」


錫也の腕を拾い直獅に手渡す。郁は手に持っていた小瓶から錠剤を一つ取り出すと、哉太の前に立ちどのように薬を口に入れるかを考えた。何度も実験台にされている哉太は、薬について口にする事でその隙に口をこじ開けられ、無理矢理投薬されてしまう事を知っている。故に、直獅に押さえ付けられ郁が目の前に立っても一切口を開かずにいた。


「……まったく、賢い選択だよ」


だが、郁にとってそんな事は関係ない。相手が何をしようが、仕事はこなさねばならない。喋らないというのなら別の方法で口を開けさせれば良いまでだ。
郁は自分を睨み上げてくる哉太ににこりと微笑むと、無防備な腹を思い切り蹴り上げた。


「ぐっ、ぅあ…!!」


何の前触れもなく唐突に腹を蹴られ、哉太はぐらりと意識が揺らぐのを感じた。痛みと嘔気に呻いた事で口が開き、哉太は慌てて口を閉じようとしたが、郁の指が咥内に捩込まれてしまい、しまった、と目を見開く。腹部へのダメージの影響で抵抗もままならず、哉太はされるがままに舌下に薬を入れ込まれた。


「ぅ、うう…ッ」


「陽日先輩、足を思い切り踏んでもらえますか」


「よっしゃ!」


「――!!ぁ、うゔぅぅぅ!」


今回の新薬は舌下剤である為、噛んだり飲まれたりしてはならない。舌を十分に動かせないようにする為に、直獅に膨ら脛を強く踏ませ更に痛みを与えたのだった。
舌下剤は効果が出るのが早いがこの新薬は1、2分程掛かる為、その間郁は"お土産"で遊ぶ事にした。


「大分溶けたかな…。
七海君、さっきお土産があるって言ったけど…何の事かわかる?」


郁が声を弾ませて問うと、哉太はケッと苦々しく吐いた。


「新入りの腕もぎ取って何が土産だよ。この下衆野郎が…ッ」


「そうそう、その新入り君だけどね…なんと蟹のプラヴィックなんだってさ」


直獅が持っている右腕からぐじゅりと肉を引きずり出すと、郁はそれを哉太の唇にぐいぐいと押し当てた。


「……っ!」


「食べてみなよ。食べられたら、一週間は手荒な真似はしないって約束してあげる」


「魚って蟹食うのか?」


「さあ?そんな事は関係ないですよ。食べられるか否かじゃなくて、食べるんですから」


哉太の濡れた前髪を鷲掴みにし、無理矢理上を向かせる。頑なに口を引き結んでいる哉太だったが、鼻腔をくすぐるにおいに眉をひそめた。小魚は食べるが蟹など一度も食べた事のない哉太にとってそれは異質であり、ましてや他のプラヴィックの肉となると、食べられる筈もない。
新薬の効果が現れたのは、哉太の沈黙が続くかと思われたその時だった。


「…ぅ……っ!」


「あぁ…やっとか」


声を詰まらせ、ぎゅう、と目をつむる。哉太を押さえ付けていた直獅は明らかに彼の力が抜けたのを感じ、訝しげに郁を見た。


「水嶋…?」


「やっと効いてきたみたいですね。多分、もう離して大丈夫ですよ」


今回の新薬、それはプラヴィックが人間に対して従順になるようにしてしまうもので、郁が言ったように"ハインダー・プラヴィックにピッタリな薬"だった。哉太が選ばれたのは特に反抗的なハインダー・プラヴィックで実験した方が、薬効の証明をしやすいという考えからである。確実に投薬し、従順になったかを確かめる為には直接出向くしかなく、直獅の言ったように水中に薬を混入する方法は適さない。舌下剤の特徴として効果が現れるのも切れるのも早い事から、哉太の扱いに一番慣れている郁が今回の実験の施行者となった。
直獅が荒い呼吸を繰り返している哉太から離れると、郁は哉太の視界に入らないよう指示を出した。今回は飽くまで"人間に対して"の効果を期待しての実験なので、EXEに対しても効果を発揮するか分からない為である。


「もし怒り出したら、どっちに対しての怒りか分からなくなりそうなので。」


「成る程な」


万が一哉太が暴れた時の事を考え、哉太の視界には入らないがすぐに対応できる位置に移動する。何も言わずとも適切な行動を取れる直獅だからこそ、彼がプラヴィックとは言え郁は頼りにしていた。
…と、郁は自分の指先が銜えられる感触にハッとして視線を戻す。見れば、先程頑なに錫也の肉を食べる事を拒否していた哉太が、自らそれを口にしているではないか。郁は新薬の効果に、感嘆の溜息を漏らした。


「あんなに反抗的だった七海君がねぇ…。
ふふ、美味しい?」


「ん、んっ……。ぷはっ、……不味い、です…」


不味い、と言いながらも肉を吐き出したりしないどころか郁の指も至極丁寧に舐めて綺麗にしている。それに、あれ程荒かった口調も控え目で、大人しい。


「素直な子は好きだよ。じゃあ約束通り、一週間は……」


「い、いいですから…」


先程の、肉を食えば一週間は手荒な真似はしないと言った約束について郁が持ち出すと、哉太はそれに対してやんわりと断りを入れた。これには流石に郁も怪訝そうな顔になる。


「どういう事?」


「俺…、水嶋さんにだったら………何されてもいい、から…」


「…………、…凄いな…」


予測以上の効果だった。まさか乱暴に扱われる事を自ら望むような発言をするなど、一般棟でも殆ど見られない程の変化である。
面白い。
郁は唇を舐めた。一体この魚はどこまで従順になったのか…、今までに哉太にしてきた仕打ちをもう一度繰り返す事で、郁は確かめようとした。


「ねぇ、七海君…」


哉太の頬を手の平でゆっくりと撫で、郁はそっと甘い声を出す。


「ちょっと……えっちな事しようか」


「水嶋さ…っ、ふ、ぅあ……っ」


耳元に唇を寄せ、切れた耳たぶをつぅ…と舐める。ぴく、と身体をすくませた哉太の肩を掴みわざと音を立てながら耳を舐めていると、哉太は切なげな吐息を漏らした。


「んぅ、ん……んんっ」


「そんなに可愛い声出しちゃって……、普段はあんなに強気なのにね…」


「だっ、て…!ぁっ、………くすぐったい…」


「ふぅん」


ちゅっ、と頬にキスを落としてから立ち上がると、郁は薄ら笑いを浮かべて哉太を見下ろした。いつもと180゚違う態度の哉太が、頬を赤らめたまま自分に跪いている光景は中々嗜虐心をそそられる。郁は哉太の肩を押して腰を落とし正座をさせると、きょとんとしている彼の股間に足先を這わせた。


「あ……っ!」


「くすぐったい、って言った割にココは元気みたいだけど……耳舐められたくらいで感じたの?」


「水嶋さん…っ、あ、足…っ……んんぅ…ッ」


足を動かすと、完全には反応していなかった陰茎が次第にスラックスの上からでも分かる程に勃ち上がっていく。人間に足で辱められているというのに、それでも薬で狂わされた頭はただ快感だけを拾った。


「や、ぅうん…っ、あっ………、きもち、ぃ…」


「へぇ…七海君は、足で感じちゃう変態なんだ?」


ぐり、と踵で強く押し潰すと、正座で揃えられた両足がひくひくと震える。


「ひあ!ぁ…!」


「ほら、言ってごらん?"俺は人間の足で感じる変態です。もっと踏んで下さい。"ってさ」


「そんなっ、ひ、ああ!あ、…んんぅ!」


固い靴の裏で何度も何度も擦り、哉太を攻め立てる。哉太の声が段々と細く、切羽詰まっていくと、郁は「ズボンの中でイっちゃうの?」とくすくすと笑った。


「あっ、んん…!水嶋さん…っ、意地悪、や…だ…ッ」


「嫌なら、言えるよね。
ほら、早くしないともっと恥ずかしい事になるよ…?」


「んっ、く……ぁ…っ!………お、れ…」


「ん?」


「俺は、ぁ…っにんげんの足で、感じるへ…んたい、です…っ、…うぅ……っ、もっと…踏ん、で下さい……!」


涙声になりながら、郁を見上げ羞恥に堪えながら言葉を復唱する。哉太に限らずどのハインダー・プラヴィックも決して言う事のない屈服の言葉に、郁は口角が上がるのを抑えられなかった。


「もっと踏んだら、七海君イっちゃうけど…いいの?」


「ふぁっ、ぁ…やだ……っ、直接がい、い…です…」


「いつもこうなら可愛いのにねぇ…、……ん?」


ピー!ピー!というアラーム音が水槽内に響き渡り、郁は10分間のタイマーに目を移す。見るとタイマーは09:00と表示されており、もう引き上げなければならない時間であると告げていた。


「陽日先輩!あと1分なので出ましょう」


「え!?あ、あぁ…」


「何か?」


「いやー、七海が可哀相だと思ってな」


「はは…プラヴィックに対して"可哀相"?……冗談でしょ。」


どんな状況でも次の行動にすぐに切り替える。それが出来なければこの施設内では潰れてしまう。命に関わる事は勿論、今回のように性に関わる事でも、何でもだ。


「まあ、辛いっていう事には共感しますけど。」


「してなさそうだな……って、水嶋!七海から離れろ!」


「!」


直獅は突然叫ぶと、郁の返事を待たずに駆け出した。野生の勘か、哉太の纏う雰囲気ががらりと変わった事に気が付いたからだ。先程まで大人しく砂に付いていた膝が片方上がり、下がっていた眉尻は怒りに吊り上がっている。


「へぇ、薬…もう切れたんだ」


「…くそッ、てめぇぇぇぇ!!!」


「水嶋!」


哉太が低い体勢から足を郁に蹴り出したのと、直獅が殴り掛かるのとは同時だった。郁がひょいと身をかわした為、そのままバランスを崩し直獅の拳を後頭部にもろに食らう。何とか堪えるが強い衝撃に視界が歪み、続けて攻撃を出す事は出来なかった。


「七海君、イけなくて残念だったね」


「……ッ、気持ち悪ィ事言ってんじゃねぇ…!」


「手も使えないから自分でイく事も出来ないしね。まぁさっき君が頼んできた通り、明日以降また乱暴にしてあげるから…その時までお預けだね」


「アレはテメェの薬のせいだろうが!!」


「そうなの?へぇ…そんなに効果あったんだ、コレ。てっきり、七海君が素直になってくれたんだとばかり思ってたよ」


哉太は怒りのあまり言葉すら出ず、ギリギリと歯を噛み締めた。そこに10分が経過した事を告げるアラームが鳴り響き、郁は直獅を連れて扉に向かう。荒い呼吸のままなのは、怒りからか吐き出せなかった熱を持て余しているからか。どちらにせよ、プラヴィックが自分の手の平の上で踊り苦しむ様を見る事は郁にとっていい遊びである。扉を閉め水槽内に水を戻しながら、次は哉太をどのようにいたぶるかを考えた。


















「琥太にぃ、この薬凄かったよ」


研究室の扉を開け、郁は新薬の入った小瓶を持って研究者である琥太郎を訪ねた。琥太郎はこの新薬開発の主任を担っており、その報告に来たのである。


「あぁ、ちょうど時間があったからな。俺も見ていた。」


「そう。じゃあ報告いらないね」


「今、持続時間を延ばす研究をしてるからな。改良できたら、また頼む」


「はぁい。ホント…ハインダー・プラヴィックの相手はいいストレス発散になるよ。琥太にぃも虐めてきなよ」


「いや、俺はそういう趣味はない」


「えー、面白いよ?
…あ、じゃあ僕次の仕事あるから。またね琥太にぃ」


郁は研究室を出て管理室に戻ると、端末で直獅の情報を引き出した。首輪にはEXEとしか表示されないが、彼らEXEにも"期限"がある。


「七海君を押さえるのに、先月より5秒余計にかかってる。まあ薬が切れた時に気付けたし、感知能力はまだまだあるか…」


私情は一切挟まずEXEの有用性を判断し、処分する期日を決める。これも郁の仕事だった。


「さてと、そろそろ次の見回りに行かないと」


郁は端末と麻酔銃を持って腰を上げる。
毎日毎日同じ事を繰り返す。この施設で働いている人間は、全員世間には到底戻れない犯罪者達だった。有能な人物だけがここに集められ、働く事で生かされている。


「pluveck……ね。……どっちが不自由な存在か…わかんないよ」


郁は自嘲的な笑みを浮かべると、冷たい管理室の扉を開けた。
いつも思うのだ。この麻酔銃が本物の拳銃なら、いますぐに頭を撃ち抜くのに、と。






















end
















2012.8.7

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あきゅろす。
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