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雑文(4)
「これは、どうなされました?」

公爵様の、長い節の目立つ指先が僕の二の腕にある、変色した痣にも見えるそれに触れた。


「あ、あの。ぶつけて、しまって・・・・」


灯りの抑えられた、寝室のそれも公爵様のお目に触れまいとそれとなく隠していたというのに、いとも容易く気付かれてしまった。


「あなた様の身の回りの世話は、侍女らがこなしているはずですが、あなた様にこのような痣を負わせるとは。私からも叱責しなくてはいけませんね」


「そのような。侍女らは、皆本当によく務めを果たしてくれておりますもの。あの、お叱りにならないでくださいませ」


公爵様の腕を枕に、寝台に横たわっていた僕の髪を撫でていた公爵様は僕を胸に引き寄せながらおっしゃった。


「私の言い方がいけなかったようですね。叱責、とはいえ注意をするだけですよ。あなた様が案じるようなことはありません」


公爵様の胸に引寄せられた僕は、そのお言葉に安堵した。
僕に仕えてくれている侍女らは、皆一様に本当によく仕えてくれている。
けれども、その侍女らのなかにも純粋に僕に仕えてくれているもののとは他に、己の望みを叶えるために僕に仕えているものもいるのだ。
どうしたらよいのか、と僕は小さくため息をついた。




公爵様が泊まり掛けで王宮に出向かれた。
1週間ほどで戻られるそうであるけれども、公爵様不在の館はどうにも落ち着かずこころもとない。ぼんやりと鏡のなかの己と視線をあわせていると、不意に強く、髪をひかれた。


「あっ」


鋭い痛みに、思わず声をあげた僕を背後から嘲笑う声がした。


「あら。申し訳ございませんわ、奥方様。どうも、奥方様のお髪は固くて、絡まり難い質のようでございますわね」


金の櫛で、髪を梳いてくれていた侍女は些か乱暴に僕の髪を再び引っ張った。
新しくそばに仕えてくれるようになったこの侍女は、他の侍女らの不在のおり、こうして僕の世話をしながら、その実僕の身体の目につかぬような場所にばかり指先で肉をつねり、髪を乱暴に梳いたり帯をきつくしめたり、と些細な嫌がらせを常時行ってくる。
仕えはじめた当初は、他の侍女らよりも抜きんでたよく気が付く、侍女だった。
様子が一変したのはこの侍女の、望みを退けてから。
そう、公爵様の側室となるために、僕から公爵様に推挙してはもらえまいか、との望みを。


「御子の授からぬようならば、他の女人を進めるのが常だと申しますのに。つまらぬ意地を張られては公爵様もお気の毒。やはり高貴な血筋の方というのは、自尊心ばかりが高くて本当に厄介ですこと」


まるで独り言のように侍女は鏡に向かいながら、そう呟いてはいるけれども、侍女のさす人物は僕に相異ない。
鏡から視線を反らし、目を伏せた僕の反応の薄さに焦れたのか二の腕をきつくつねられた。
じんわりと浮かぶ涙と声を堪えていると、扉がノックされ茶の支度を用意してくれた侍女頭が入室してきた。
途端、侍女の様子は主に忠実に仕える、有能な侍女のそれになり先程まで乱暴に梳いていた髪を実に丁寧に甲斐甲斐しく梳きはじめた。
朗らかに侍女頭と会話しながら、僕を気遣う素振りを見せる侍女の姿に、すっかり侍女頭は信頼をおいている。侍女頭だけではない。その他の侍女らも皆、侍女頭同様厚い人望を得ているのだ。
だからこそ、僕はこの侍女と二人きりになることが多いのだった。侍女頭が下がった後、無言で目の前に柔らかな湯気のたつ茶が差し出される。
おずおずと手を伸ばした僕は、次の瞬間侍女が故意に茶器を持った手を傾けたのが見えた。
茶器から、熱湯に近い茶が零れ僕の右の手の甲から手首にかけそれがかけられる。
肌を数千の針で刺されるような激痛に声もなく涙を流す僕など意に介さず、侍女は声をあげた。


「どなたか来てくださいまし!奥方様が火傷を」


侍女の大声に駆け付けてきた侍女頭に涙ながらに、目を離した隙に奥方様が手を滑らせてしまわれたのだと弁明する侍女を、責めるものなどいない。
急ぎ呼ばれた医師の的確な処置の甲斐あって、比較的軽傷で済んだものの、侍女頭に寝台に戻されてしまった僕はその広い寝台に横たわるなり、肩を震わせた。
いつの間に、そこにいたのか。件の侍女が公爵がわざわざ僕を降嫁する際に新調してくださった寝台に横たわる僕を鋭い眼差しで睨み付けていた。
怯えた僕に、足音も荒く近づいてきた侍女は残念ですこと、とはきすてた。


「手などではなく、公爵様に伽を断られるようなところに、醜い火傷を拵えればよろしかったのに。悪運の強い方ですこと」


侍女のあまりの言い様に、涙をこらえることが出来ず僕は頭から掛け物を被った。




浅い眠りについていた、僕の意識を刺激したのは人の話し声だった。
どうやらあのあと、眠りについてしまったらしい僕は隣室より漏れ聞こえる、声に耳を傾けた。


「ええ。誠でございますわ閣下。私、奥方様より命じられましたの。火傷を負ったこの身では公爵様の伽を満足に務めることも叶うまい故、変わりに私に公爵様をお慰めするようにと」


侍女の、弾んだ誇らしげな声が一際大きく響いた。
隣室との、境にある扉は薄く開いていて、室内が寝台に座ったままでものぞめた。
侍女が向き合っているのは、今朝方出発したばかりの公爵様だった。
この位置からでは、椅子に腰掛ける公爵様のお顔はうかがえなかったが、侍女の、僕などよりもはるかに可憐で麗しい顔は、よく見えた。


「・・・・奥方様が?」


公爵様の、訝しげな声の調子に僕は直ぐにでも違うのだと、そう言いたかったのだけれども、続いた侍女の言葉に、その想いは胸の奥深くに、沈んでしまった。


「嫁して三年、子の出来る気配もなく大変心苦しいのだと申されて。子の産めぬ己の変わりにと、そう申されたのですわ」


男の身でありながら、子の産める僕は男であるとも女であるともいえない。
伯父にもたとえ子を産めるにしろ、お前のような男を妻にする貴族などいるまい、この出来損ないがと事ある毎に僕を怒鳴りつけ実の妹である母を罵っていた。
母は、その美貌をうたわれた心根の美しい女性であったけれども、子の僕はその光り輝く貴いものを何一つ受け継がなかった。
それだけではなく、僕は母の命を奪って誕生したのだ。
公爵様が、僕をと望んでくれたとき、どれ程嬉しかったか。
だというのに僕は、いつまで経っても子を産めない。
・・・・侍女の言う通りなのかもしれない。


「・・・・お前のような下賤の女が、私の子を産むと?貴様誰に向かって物を申している」


背筋の凍り付くような、冷え冷えとした嘲りの強いその声は、確かに公爵様のお声だった。けれども本当にそうだろうか。
僕が公爵家に降嫁してから、随分経ったけれども公爵様はいつもお優しく、叱責などされたこともなければ声を荒げたところなど見たこともないのだ。


「侍女風情が、さからしげに何を言う。仕える主人を案じもせず、並べ立てるのは己を側室にせよと申すばかりとは。性根もくさりきっているらしい」


くつくつと喉を鳴らし嘲笑う公爵様の、向かいに立つ侍女の顔は強張り青ざめていく。


「で、ですが。奥方様がそのように、と」


青ざめた、形の良い唇が震え声を絞りだした。
そのさまは、憐れみを誘うには充分過ぎるほどであったけれども、このお方は違った。


「たとえあの方がそれを望もうと、お前のような女の産んだ子などいらぬわ。お前もいらぬ。早々に荷をまとめ、翌朝にでもされ」


「こ、公爵様・・・・」


「二度とは言わぬ、され」


押し殺した、低い恫喝に僕は声を押し殺すことも出来ず、しゃっくりをあげた。
無様に喉を鳴らし、涙を流す僕に気付いたのか隣室からよく聞き慣れた足音がし、扉の閉まる音がした。


「・・・・お目覚めですか、朔夜様。それとも、御寝を妨げてしまいましたか?」


滲む視界をはらそうと頻りに目を擦っている間に、公爵様は寝台にのりあげ、僕を腕に抱き寄せていた。


「あなた様が火傷を負われたと聞きました故、急ぎ戻って参りました。お加減は如何ですか?」


あやすように僕の髪に唇を落としながら公爵様が尋ねた。


「な、何とも。あの、あの公爵、様侍女は・・・・」


「あの者は、あなた様のそばに仕えるには相応しくはありません。どうなされました、何をそのように憂いておいでですか」


何時も通りの、深い響きをもつ公爵様のお声だった。
額に張りついた僕の前髪を指で掻き上げてくださりながら、紫水晶の瞳が僕の色合いの淡い瞳を覗き込む。


「こ、公爵様の、お声が、以前伯父の家に居りました時に、ひ、酷く叱責をされたことを、思い出してしまって」


時には手をあげることもあった伯父の、声とは質が異なるのに、先程聞こえた公爵様のお声は怒鳴り声をあげる伯父を、思い出させた。
今でも、伯父の声と容赦なく与えられた暴力に心がすくむ。


「お許しください、朔夜様。私が浅慮でございました」


「い、いえ。そのような、ことは」


幾度も首を振る僕を、膝の上にのせた公爵様は涙をその唇で拭ってくれながら、僕に目線を合わせた。


「朔夜様。あの侍女はあなた様に仕える侍女である前に、他に望みを抱きあなた様に仕えていたのです。それはあなた様を主人として仕える侍女には相応しくはない。ですから、あの者に暇を出すのです。わかりますね?」


僕が頷くと、公爵様は続けておっしゃった。


「私はあなた様のお心を曇らせる行いをするものを、断じて許しません。それが侍女であれ、私自身であっても。そのこと、よくお心にとどめおきください。私一人で、参ろうと考えましたが、あなた様もお連れいたします。そうすれば、私の目が届かぬことはございませんから」


そうおっしゃった公爵様は直ぐに、侍女頭を呼んだのだった。

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