under 王国パラレル(規格外)2 潔く命を絶つことがどうして出来ないのだろう。 北部の視察に赴いた王の帰還は、間近に迫っている。常ならば、落ち着きもなくその日を待ちわびているはずなのに、迫りくるであろうその日が今はどうしようもなく恐ろしかった。 食事も喉を通らず、物思いにふけることが度々あるためか、僕は病をえて床についた。 王にあれ程、くれぐれも身体をいたわるようにと申し付けられていたというのに、あっけなくいとも容易に僕は体調を崩したのだった。 ・・・・僕の身に降り掛かった出来事は、夢のように曖昧であったけれども、胸を切り刻む痛みは紛れもなく現のものだ。 ただひたすらに、このことを誰にも知られてはならないと、声をあげることも憚られ、王子殿下を制止することも出来なかった。 僕が泣き叫び、暴れれば控えている侍女らはその僅かな物音も逃すことなく何事かと、寝室に駆け込んでくるに違いない。 それだけは避けなければならなかったどうしても。 僕のためではなく、この国の王になるべき殿下のためにも、そして王のためにも。 僕の胸だけにひっそりとしまい込み、このまま墓まで持っていこう。そうするのが、一番良い。 僕が消えてしまえば、殿下とてあの夜のことを忘れてくださるに違いない、あの夜のことは、悪い夢だったのだから。 マリアを初めとする侍女らの懇願にも、僕は首を縦にふらず食事を拒み王医の診察も拒み続けた。 僕が尋ねるのは、王の帰還はいつになるか、あと幾日すれば戻られるのかとそればかりで、マリアは枕頭で涙を流しながら、あともうしばしお待ちくださいませ、必ずや御戻りくださいますからと僕の幾度も繰り返される問いに答えてくれた。 日数が、減る度に僕は病み衰えたこの身が一日も早くきえいれるようにと願い望んだ。 王の、あの深い闇色をした瞳に覗き込まれてしまったら、僕には隠し事など、隠し通すことも出来なくなる。 王に、逆らうことなど僕は出来ない。 いっそのこと、命を自らの手で絶ってしまえばいいのに、臆病でいくじのない僕にはそれすら実行に移せないのだ。 それに仮にも、一国の王妃が自害し果てたとなれば、その醜聞はおのずと国内外に知れ渡る。王不在の王宮でそのような不祥事が起きれば、外聞にも響く。 そう想い悩む度に、僕の胸は潰れそうに痛み、自らの犯した罪のあまりの大きさにたださめざめとなくことしかできないのだった。 浅い微睡みのなかで、冷たくかたい指が頬に触れた。 その覚えのある、こちらを憚ることなく無遠慮に僕に触れる方は、ひとりしかいない。 「王妃」 瞼を震わせる僕を、王が呼んだ。深い響きをもつその声に、僕は瞼を開いた。 「陛下」 旅装姿の王が、僕の枕頭にたたずんでいた。 王の帰還は、まだ随分と先のはずだった。少なくとも、弱りきった僕の身体が命を終えるまでには充分に間があったはずなのに。 王に尋ねるまでもない。王妃急病の報に、予定を繰り上げたのだ。こんな、僕のために。 「私が留守中は、体調にくれぐれも気をつけるようにと申し付けたはずだぞ」 王は僕を腕のなかに収めながら、常の、感情の起伏の薄い淡々とした口調でそういった。 王は旅装を解いておらず、帰城するなり王妃の私室を訪ねたのであろうことがうかがえた。 王の胸のなかに深く抱き寄せられながら、僕は王の厚い胸板に顔をうずめた。かぎなれてしまった、王の香の薫りになぜだか涙が浮かんだ。 僕の様子が常のものとは違うことを察したのだろうか、王は僕の随分と長く伸びた、背を通り越し腰ほどまで伸ばした髪を撫でてくれた。 「食事をとらぬそうだな」 恐る恐る、王の広い背に腕を回していた僕は、びくりと肩を揺らした。 「その上、王医の診察もいらぬ、と拒んでいるそうだな」 段々と詰問口調になる王の言葉に、僕はきつく顔を王の胸に押しあてた。 顔を上げてしまえば、僕は自分の感情を抑えることなど出来ない。不意に、僕の髪を梳いていた王は、指を止め僕の長い髪をかきあげた。露になったうなじに、王の視線が注がれるのを感じとった僕は、思わず顔を上げていた。 王の、深い闇色の瞳を見た瞬間におさえていた涙がせきをきって頬をつたう。 あとからあとから、まるでがんぜない幼子のように涙を流しながら、僕は王に懇願した。 「私の命をお召しくださいませ。後生でございます、陛下。毒でも、その御腰のものでもどんな方法でも、結構です。何もきかず、私の命をお召しくださいませ」 僕の言葉に、王は至って無表情だった。 「・・・・王子か」 「も、申し訳ございません」 ・・・・聡明な王のこと。僕が言葉にせずとも察したようだった。すっかり力の入らなくなった身体で、寝台の上に手をつき王に頭を下げた。 「私が、至らぬばかりに、殿下をお止めすることが出来ませんでした。申し訳ございません、陛下」 幾ら謝罪を繰り返そうとも、犯した罪の重さは消えることはない。 「陛下には、決してご迷惑をおかけいたしません。ですから、どうか」 真摯に言い募る僕に、王は情の薄い唇を、明瞭にそれとわかるほど嘲りに歪めた。 「そなた。私がそれで事を済ませるとでも思うのか」 「え?」 絶えず涙を溢しながら、僕は王の氷雪の美貌をあおぐ。 整い過ぎた、年齢を感じさせない冴えた美貌に背筋が凍る。 「そなたが斯様なまでに死を渇望するならば、私はあれが息子であろうと容赦はせぬ。・・・・私が何を言いたいのかは察しはつくな」 「そ、んな」 「血を分けた息子であれど、私は情けも容赦もせぬ。私はそういう男だ」 滅多に表情を面に示すことのない王の、凄みのある歪んだ笑みを浮かべたその胸に、僕は正面から飛び込み、縋る。 「なんということを、おっしゃいます。私のようなもののために、そのような恐ろしいことを」 「恐ろしい?私に死を賜りたいと申したのは誰だ。王妃、これでもまだ、死を望むか」 王の冷えた声に、僕は何度も何度も首を横に振った。 「いいえ、いいえ」 王は僕の髪を指で梳きながら、言葉を続けた。 「こたびのこと、そなたが望むならば不問にふす。だが条件がある」 「何でございましょう」 僕ひとりならば、どう咎められようといかな仕打ちを受けようとも構わなかった。けれども、その咎が王子殿下にも及んでしまうのではないか、と僕は心底肝を冷やしていた。 「容易なことだ。これからのちそなたがあれに会わぬと私に誓えればだ。今生では決してな」 「こん、じょうでは」 「そうだ。今生では決してだ」 絶句した僕に、王は更に追い討ちをかける。 「そなたは、あれと何事もなかったように接するのはそなたの性質上、不可能だ。そのぐらいは、そなたも理解出来よう。あれと会わずにさえいれば、問題は何一つない。私の胸におさめればよいだけのこと」 王は僕の答えを促すように、梳いていた髪を引っ張る。 王の意見は、至極もっともだった。あの夜の記憶を色鮮やかに残して、今まで通り殿下と接する器用な真似は僕には無理だろう。 「・・・・それで、陛下のお気に召すならば。私は結構でございます」 「その言だけでは信用できぬ。誓約を誓えるか」 「はい。陛下の名において」 僕が震えながらも誓いをたてると、王は涙を流し続ける僕の頬を指で拭いた。 「・・・・王妃、暫し耐えろ」 王は言い様、腰にはいた護身用の短剣を抜き僕の項に当てる。冷たくすんだ鋼の刃が食い込む感触に身震いした。 微かな音を立てて、王が短剣を用いて何かを切り取った。その瞬間に不意に身体が軽くなる。厳密に言えば、頭が。 「あっ、」 王が望むままに、伸ばし続けていた髪が、項から切り取られていた。 「陛下」 「また伸ばすがよい。・・・・これは餞別だ」 「餞別?どなたにでしょう」 「あれに、届けさせる。おのが短慮にて二度と母に会えなくなったその愚かさを悔やみながら日々を過ごせ、とな」 くつくつと喉の奥で王は笑う。 「私はあれを、許すつもりなど毛頭ない。王の妃の肉を汚したあれなど」 王は再び笑い声をあげる。その胸のなかで、僕はただひたすら震えて王の胸に顔と言わず全身を押しつけているしか、出来なかった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |