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王国パラレル(規格外)
毎年のことながら、王が北部の直轄領に視察に赴き僕は王宮に留まることとなった。
体調の良い年は、王に同行を許されたのだけれども数日程前から微熱を発した僕に王は留守を守るよう命じたのだった。
未だ降雪はないとはいえ、王都から北部へ向かう道程は決して平坦なものではない。何事もなく御戻りくださることを、僕はこうして毎夜願っているのだった。
侍女らも下がっており、就寝の支度を済ませた僕は寝台に入りはしたものの、横になることが出来ない。あれ程、王から体調をくれぐれも崩さぬよう申し付けられたというのに。
夜着の上に厚手の上着を羽織ると、僕は寝室の扉を開き続きの間である私室に足を進めた。
私室のなかは薄暗かったけれども、僕は窓際の背椅子に腰掛けた。背後の扉が開いたのは、ぼんやりと薄曇りの、夜闇の空を眺めていたときだった。
かすかな音とともに開いた扉から、長身の影が滑るように室内に入ってくる。
思わず息を詰めた僕は、その見慣れた影に安堵した。


「王子殿下、このような夜更けにどうなされました?」


今年で十五になる、息子である王子殿下だった。
僕が笑いかけると、扉を背で閉めた殿下は窺うように眺めているだけでこちらに来る様子がない。
僕は小さく首を傾げ、背椅子から立ち上がり息子の手を取った。
指先に触れる殿下の手は氷のように冷たい。


「こんなに冷たい手をされて」


身長も手の大きさも既に僕よりも大きい殿下は、僕に手をひかれるまま長椅子に腰掛けた。


「何か温かい飲み物でも、ああそれよりも火をいれてもらったほうが」


「いえ、その必要はございません、母様」


変声期を過ぎた殿下の声は、驚く程王によく似た響きを持っていた。声だけではない。数ヶ月ぶりに会う殿下は、父である王の血を色濃くその身に宿していた。唯一、その色合いの薄い瞳だけが王の夜闇色のそれとは異なっていた。
僕は嫁いできた時分の、十七歳だった王しか知らぬけれども、王子殿下の成長を傍で見守る幸福にもくせた僕は容易に、今はもう疾うに過ぎてしまった、王の在りし日を思い浮べることが出来るのだった。


「殿下?どうなされました」


夜着姿の殿下の肩に、羽織っていたガウンをかけた僕は、目を伏せる殿下を覗き込む。


「・・・・このような夜更けに、お許しもなく参りました。申し訳ございません、母様」


「そのようなこと。ここ久しく、殿下のお顔を拝見しておりませんでしたから、お会い出来て嬉しく思います」


王のただひとりの世継たる殿下は、年齢を重ねる毎に世子としての責務が増し以前のようにこの部屋を訪ねてくださることも少なくなった。


「私もです。母様。お会いしとうございました」


言葉とは、裏腹に殿下の表情も声も沈んでいる。


「殿下、」


殿下の、王によく似た氷雪と讃えられる美貌をおおいかくす艶やかな黒髪を指先で掻き上げた僕は、その奥から現れた、色合いの薄い瞳が見たこともない激しい光を帯び輝いていることに気が付いた。・・・・その激情めいた光が真っ直ぐに僕を見据えている。


「で、ん」


我知らず、震える唇が言葉を紡ぎ終える前に僕の身体は殿下の腕のなかに閉じ込められてしまった。背がしなり、思わず殿下の胸に手をつく。


「母様、母様。お許しください、母様」


僕の身体をすっぽりと包んだ身体は、未だに成長途中の青年のものであったけれども、広い背は腕が回らぬ程だった。


「どうなさいました。私では、お話していただけませんか?頼りない私ですもの」


「いいえ、いいえ。そうではないのです、母様。私もどうしたらよいのか、わからないのです」


僕の薄い肩に額をのせた殿下の、苦渋にまみれた声に動揺しながらも、両手で殿下の頬を挟み込み、目線を合わせた。


「何がそのように殿下を苦しめておいでです?後生でございますから、私に教えてくださいませ」


色合いの薄い、僕のものとよく似た瞳に懇願した。
何も持たない僕の、王以外にこの命を投げうっても構わぬ大事な、大切なお方、この身でかえられるものならば、どんな苦しみとて厭わなかった。


「・・・・母様、このような感情を抱く私を、どうかお許し下さい。私をこの世に生んでくださったかけがえのないただ一人の貴方様に、このような無体な仕打ちをする私を、どうかお許しください。けれど、もう私には耐えられないのです、抑えられないのです、どうしても」


殿下の言葉の意味を、理解する間もなく僕の肩から顔を上げた殿下は、僕をその色合いの薄い瞳で見下ろした。
深い、闇よりも暗い瞳。かつてその瞳で、僕を覗き込んだのは王だった。感情の伴わぬ、あの闇色をした瞳で。
色はこれほどまでに違うというのに、まったく同じ印象のその瞳は射るように僕を見つめる。


「殿下?」


僕の呼びかけた声が、消えると同時に殿下は僕を抱えあげた。
目線の急激な変化に驚いた僕は、思わず息子の肩にすがりついた。
いつの間に、こんなにも成長してしまったのだろう。
迷いのない足取りで、殿下は王と王妃の寝間である寝室に向かっていた。


「殿下、なぜそちらに」


片手で僕を抱きなおし、寝室の扉を開けた殿下は、僕に顔を傾けた。

「申し上げましたでしょう?無体を働く私をお許し下さいと。貴方様には何一つ罪などございません。罰せられるべきなのはこの私。実の母に、このような歪んだ感情を抱き、その身体を辱めるこの私。ですからどうか、母様。私をお許しください」


そういって微笑んだ殿下のその笑顔は、僕が初めて見る類のものだった。
王によく似た、王のものではないそれは、紛れもない情欲に満ちた微笑みだった。

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