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遊廓パラレル(2)
青年の発した言葉が理解出来なかったのは、僕だけではなく虎月楼にいたものすべてで、男衆は勿論他の色子も間の抜けた表情をしている。
場を代表した楼主が再度、尋ねかえした。


「一晩ではないとおっしゃいますと」


「何度、繰り返させるのか。いくら出せば、あの男を購うことが出来るかときいている。いくらだ楼主」


「あ、旭を身請けするということでございましょうか」


楼主の錆びた声が、興奮のために裏返った。
騒めきいろめきたつそのなかで茫然とした僕は気が付くと、見知らぬ男の腕に抱えられていた。


「ですが、旭は」


「礼節をわきまえていないことは重々承知だが、欲を言うならすぐにでも連れていきたい。身請け料の二倍出そう。それで如何か?」

「二倍?」


「不服か。ならば三倍」


「三倍・・・・」


顔色の変わった楼主に青年は満足そうに頷いた。


「代金は後程、侯爵家に請求を。ああ。その折りに、これの荷物も運んでくれ。静光」


「・・・・はいよ。全く随分と高い買い物だな」


何事かを連れの青年に指示しでは失礼する、と未だ騒然とする虎月楼から連れ出されてしまった僕は、見世の裏口からさらに裏門へと向かう青年に抱えられたまま慌てて口を開いた。


「お客様、お待ち下さい。まだ、床を共にしたこともない色子をお買いになって如何なさいます。お考え直し下さい。お客様、お客様」


僕の意志など関係もなく、本当に物のように売り買いされたことは仕方のないことだと思う。身請け料の三倍出す、と言われればあの楼主でなくとも頷くはずだった。


「お客様、」


「その呼び方は止せ。私はお前を買った。高い買い物だが、仕方あるまい。お前が、他の男にその身体を肉を犯されるのを黙って見ていられるほど私は寛容ではない」


鋼のように硬い声、に僕は肩を揺らした。


「でも、こんな」


非常識にもほどがある、と頭を振ると母の形見である簪の鈴が細かく音を立てた。


「非常識?その世界に身をおいていた、お前がそれ言うか。おかしなことを」


くつくつくつ、と低く喉の奥で僕の主人になった青年が嗤う。


「何年、この世界に身を置いていたのかはしらんが、なかなか面白い」


「皇夜、待てって。俺を置いていくな」


青年の声に重なるようにして、先程の珍しい髪の色をした青年が追い付いてきた。


「はい、これ。えぇと旭、ちゃん?下働きの女中さんから着替え、預かってきたよ。いくら何でもその格好じゃね。あ、俺は篁静光。なんでも好きに呼んでね。旭、っていうのは本名じゃないよね?名前、教えてくれる」


「さ、朔夜です」


青年の、篁さんが差し出した風呂敷を受け取り僕は震える声でようよう、答えた。


「じゃあさくちゃんだ。よろしくね。で、皇夜。お前ちゃんと自己紹介とかしたのか?お前、今完全に人さらいの悪党だぞ?」


「・・・・弓削皇夜だ」


人さらい、の言葉に反応した青年は平坦な口調で淡々と告げた。


「弓削様と、篁様」


漸く、僕を身請けしてくれた方の名前がわかった。


「あ、あの。僕、一生懸命お仕えします。下働きでも、あんまり得意じゃないですけど力仕事も」


「私は使用人を買った覚えはない。手なら足りている」


素っ気なく吐き出された言葉に、僕は狼狽した。ならばどうすればいいのだろう。


「そうだよ、さくちゃん。皇夜はそんなつもりで君を身請けしたんじゃないし」

「で、では僕どうすれば」

「色子を身請けした目的は一つだろうに」


「わあ、皇夜ってば直接的ぃ。あからさますぎだよ。恥じらいをみせなよ、恥じらいを」


「お前はいちいちうるさい」


「あ、えと。はい、一生懸命お仕えします」


きっと短い、とても短い間だろう。それまでに、なんとか。僕を身請けして下さった、その代金をお返し出来たら。使用人として、使って頂ければこれに勝る事柄はない。


「・・・・あまり気張る必要はない。生涯、そうしているつもりか」


それはどういう意味か、と尋ねた言葉は目の前に現れた車、に引っ込んでしまった。
・・・・漸く僕は、事のあまりの重大さに気付いてしまった。


「あ、あの。あの、あの」

「どうしたの、さくちゃん?ああ、恐がらなくても大丈夫だよ。馬車より早くつくけど、少し振動が特殊だから気分損ねるかもね。でも、ここからだと弓削侯爵邸はすぐだから」


「こ、侯爵、邸?」


「あれ?しまった、名前は名乗ったけど素性明かしてなかった。皇夜は弓削の嫡男だよ。一人っ子だから、いずれは侯爵閣下。今はただの帝大生だけど。俺はその、ゴガクユウかな?」


「とんだ、学友だが」


「またまたあ。お前の大事な買い物についてきてやったんだぞ?」


「お前が勝手についてきたんだろうが」


車に乗せられた僕は、自分をとりまいていたそれが劇的に変化をみせ、とんでもない方向へ進みだしてしまったことに、ただおののいた。おののき、動揺のあまり泣き出した僕を引き寄せる腕はただ堅い。
・・・・これから、どうなるのだろうか。
苦界から抜け出したことに変わりない。抜け出した先が、幸福だとは限らないのだから。

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あきゅろす。
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