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遊廓パラレル(貪欲2)2
その夜もぼんやりと、朋輩らに次々と客がついていくのを眺めていた僕は、見世の赤い格子の向こうに今はもう見慣れた、珍しい橙色の髪をした青年の姿に、思わず腰をあげてしまった。
その仕草で、母の形見の鈴のついた小さな簪がちりりと涼やかな音を奏でる。
僕のその姿に気付くと、静光様はにこやかに微笑み真っ直ぐに見世に入ってきた。
名を呼ばれ、僕は慌てて長い裾の実用性を著しく欠いた、僕にはとんと似合わぬ派手な色合いの着物を引きずるようにして、己が与えられた部屋へと急いだ。
部屋の入り口で、手をつき僕は深々と頭を下げた。


「こ、こんばんは。静光様」


「こんばんは、朔ちゃん」


既に部屋でくつろいでいた静光様は、僕を手招きする。


「そんなところに居ないで、早くおいでよ」


静光様の言葉に頷いた僕は足早に、着物の長い裾を踏まぬよう気遣いながら室内に足を踏み入れた。

「早速だけど、はいこれ。朔ちゃんの言ってた本」


静光様の隣に腰を下ろした僕に、そう言って差し出されたのは、以前静光様がいらしたおりに、会話に出た書物だった。
色子として売られる前、僕はよく父の書斎で書物を読んでいた。
色子となってからは、書物を手に入れる機会はすっかり絶えてしまったけれども、何かの弾みで僕が読んでみたいのだと口にしたのを覚えて下さっていたらしい。


「え、あ、ありがとうございます」


書物を受け取りながら、僕が声を弾ませて喜色をあらわにすると静光様は小さく笑い声をたてた。


「前に、簪とか着物とか渡したときとは、全然喜び方が違うね。今度からは本を持ってくるよ」


「あ、えと、すみません」


色子とは、本来そういったものを好むのだ。美しく着飾り、客の目を喜ばせる生きた人形、であるはずなのに。
僕が恐縮すると、静光様はいいんだ、と首を横に振った。


「朔ちゃんが喜んでくれるなら、それでいいんだよ」


そのやさしい笑顔に、僕は書物を胸に抱いたまま見惚れてしまった。
こんなふうに、僕と接してくれるひとなど、今までおらず況してや僕のためだけにこうして望んだ贈り物をしてくれる方など他に知らない。
静光様が、またこの次必ずいらしてくださるという確証はどこにもないのに、こうして今、お会いしているのにまた来て欲しいと、高い花代のことを考えても、そう望んでしまうのだ。


「どうかした?」


物思いに沈む僕を訝しく思われたのか、静光様がこちらを覗き込む。


「い、いいえ。何でもありません」


僕は慌てて首をふり、いただいた書物をそっとしまい込んだのだった。





その青年が、見世にあらわれたのは夜も大分更けた頃だった。
楼主がこの青年を相手にはくれぐれも気をつけるように、と番頭に申し付けた件の青年は、愛想よく応対に出た番頭に、青年がこの見世で馴染みとしている色子の名を告げた。
この見世のなかでも、容姿の最も劣る色子を贔屓している青年の容姿は、容姿の優れた人間を見慣れている番頭の目にも群を抜いて優れており、まだ客のついていない色子はしきたりに背くとわかっていても尚、青年に視線を送っているのだった。
番頭は、申し訳なさそうに眉をひそめながら青年に謝罪した。


「申し訳ございません、朔夜には別の客がついておりまして。今晩は無理かと」


番頭の言葉に、青年は虚をつかれたように目を見開いた。
そういえば、と番頭は思い出した。朔夜は色子のなかでも客がつきにくく、この青年が見世を訪ねた際には他の客がついていた試しがなかった。数ある色子のなかでも莫大、といっていいほどの借金を背負っている朔夜は、生涯を通じてもその借金を返し切れるかどうか、と番頭は危ぶんでいた。


「・・・・そうか」


「はい、申し訳ございません」


青年はふと何かを考えこむと、ではまた明日でもこよう、と番頭に言った。
本来ならば、喜ばしい言葉であるのだが、番頭はしかし再び青年に詫びた。


「大変申し訳ございません、朔夜はこの先、暫くそのお客様のお相手だけを致しますので・・・・」

「何だと?」


青年の、淡々とした声に剣呑な響きを感じた番頭は、ひたすら恐縮した。


「今朔夜についているお客様に、大層過分な花代を頂戴いたしまして。その花代を費やし終えるまで、朔夜はそのお客様のお相手のみをさせよと楼主からも申し付けられております」


この青年も、朔夜の上客には相違ないが、近頃新しくついた珍しい髪色をした客は、足繁く見世に通い朔夜ばかりでなく、番頭や楼主にも惜しみなく私財を費やしてくれる。
良い客がついた、と楼主は喜び本来ならばしきたりに背く客の申し出も快くのんだ。それは朔夜が御職を張る傾城でもない、売れっ子とは言い難い色子であるのも要因の一つだった。
この青年は、この界隈の他の見世にも馴染みの色子はおりそちらにも顔を出すが、新たについた客はこの見世にしか顔を出さない。
青年は、眉間に深い皺を刻んでいたが、その客の花代はいつ終わる、と番頭に尋ねた。
よもやそのようなことを尋ねられるとは、思ってもみなかった番頭はあたふたとその場で帳簿を出し、算盤で計算をしはじめた。
二度計算をし直し、無言でこちらを伺う青年に番頭は告げた。


「六日、いえ七日になりますか」

「七日だな」


青年は番頭に念をおすと、番頭が頷くのを見てから見世を出ていった。
別の見世にでも行くのであろう、と青年を見送った番頭は、七日後果たしてあの青年は見世を訪れるだろうかとその後ろ姿を眺めながら思った。
あの青年も、朔夜には長くついてくれているがしかし、熱心に通いつめることもない。
他の見世では御職の傾城ばかりを相手にしているという。朔夜はどの見世の傾城にも劣る。優しげな面差しをしているが、際立った美貌も一通り習わせたが芸事にも秀でてはいない。三味線はそこそこ弾けるようではあるが。
美しいものばかりを相手にしているため、時には変わったものも相手にしたいのだろうか。
恐らく朔夜は、その内身請けされよう。ただの色子に決して安価ではない花代を、七日出すわけがない。決まっているわけではないが、番頭はそう思った。
朔夜が身請けされ、この見世から下がれば青年には新たに色子をつけることが出来よう。
水揚げを待つ、御職の傾城をはれるであろう色子がこの見世には控えている。
青年がその客としてついてくれればよいのだが、と番頭は思った。

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