Lv.2-144
高ぶる感情を感じていれば、不意にカタンと、僕の耳に音が届いた。
僕はその音の方に視線を向ける。椅子に座っていたその存在、僕に希望を与えてくれた彼が、腰を上げたのだ。
僕はそれにゆっくりと重い身体を寝台から持ち上げる。
能力使用後の怠さはあるが、それ以上に満足感があった。構わず床に足裏を下ろして寝台に腰掛けた僕は、立ち上がった彼に視線を向ける。
「……感謝する」
僕は、抑制された感情のなかでも確かな誠意を込めてそう言葉を紡いだ。それに、その存在は軽く首を横に振るだけだ。
「……それはアズルに言ってくれ。俺は『仕事』をしただけだ」
そして「代金はアズルに」と付け加えると、俺に背を向ける。
俺はそれに「あぁ」と返しつつも、もう一度、心からの感謝を口にした。
「本当に、ありがとう。きみのおかげだ」
僕のその言葉に、彼は僕に対し背を向けて片手を上げる。そしてそのまま室内に出現した別空間に繋がる『扉(ゲート)』に足を踏み入れた。
僕はその扉を用意したが、どこに繋がるかは知り得ない。彼とはそういう契約であり、それを僕は見送るだけで詮索はしない。
それが他地域にも幅をきかせる『闇市(ブラックマーケット)』の総元締めであるアズルから紹介された、彼という、僕の『望み』を叶えるために必要な『能力者』への敬意でもある。
そもそもこの室内は第8地域の中にあって僕という存在、第9地域の『代表者』のための隔絶空間―――治外法権が適応される。それは『代表者』としての権利であり、同時に暗黙の禁止事項―――決してその場で他地域を害さないという約束があるからだ。それを覆した場合、他の全地域を敵に回す最悪の事態に発展し、その末路は完全な孤立、それも地域だけでなく血族も含めた廃退を意味する。
それだけ、『代表者』は特別視されるのだ。
僕はあまりその肩書きに興味はないが、その権限は最大限に利用している身としては、その制約は守らなければならない。たとえ、『代表者』として多くのものを失っていたとしても。
そして、再び独りになった室内で、僕は確かな高揚と、歓喜に息を詰める。
ともすれば乱れてしまう呼吸を必死に抑えながら、ベッドに腰掛けたまま、僕はそこで時が過ぎるのを待った。否、間違いなく訪れるだろう存在を待っていた。
僕以上に自身の立場に執着もなく、ともすれば地域抗争が起きても構わないとさえ思っているような存在だ。
僕はそっと瞼を引き下ろす。
そうすれば、その薄い皮膚の裏に、あの日の、あの頃の、幸せな映像が蘇る。そしてそれは、先ほどの能力の中で見た幼い子供の姿に変わった。その面影に、その形の有り様に、僕の心はどうしようもなく震えるのだ。
会いたい、と思う。
それは叫びたくなるような衝動で、しかしそれをすれば、先の制約を破ってこの部屋を破壊してしまうことも僕は充分知っていた。
ゆえに、僕は意図して心を落ち着かせ、それまで脳内に浮かべていたその美しい形から再び静寂に包まれた貴賓室のそれへと視覚情報を切り替える。
そしてそれと同時に、貴賓室の扉が殊更ゆっくりと開いた。
僕は、それにあわせてベッドから腰を上げる。
―――全ては、僕の望みを叶えるために。
「……話をしようか。そう、とても長い話。きみが知らない、昔の話だ。―――更沙ヤマト」
僕を射殺さんばかりの目で睨むその男こそ、僕にとってのある意味の『救い』なのだから。
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