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Lv.2-32

「…か、かなた」

 頭上から未来の震えた声が降ってきて、俺は視線を逞しい腹から外して上に向けた。狼狽した未来は俺の手を止めるかどうか迷っているのか、両手を宙に彷徨わせている。俺はそれにようやく服を捲くっていた手を離した。
 そして俺はハァ、と溜め息をついて言う。

「ミツハさん…あれ本気だったんだな…」

 しめてくる、というのはつまりこういうことだったのかと、俺は去り際のミツハさんの笑みを思い出して苦笑した。未来は渋い顔で解放された腹を擦る。

「まぁ自業自得だからしかたねぇよ」

 そして未来はそういって「彼方」と再度俺を呼んだ。俺は「うん?」とそれに返す。

「とりあえず…飯にするか?」

 首を横に対して未来が言った言葉はそれだ。チラリと時計を見れば、確かにそろそろ夕飯の支度をしてもいい頃合だった。そういわれれば、なんだか腹が空いているような気もしてきて俺は頷く。とりあえず腹が減ってはなんとやらである。
 未来は俺の頷きに小さく笑って、ぐしゃりと大きな掌で俺の頭を一撫ですると「待ってろ」と放ってキッチンへと踵を返した。その背中を見送って、俺はつい数分前まで転寝していたソファに戻るべく足を動かした。
 一方的ではあるけれども喧嘩をした後は、大抵、未来がいつもより豪華で美味しい―――美味しいのはいつものことだけれども―――ご飯を作ってくれるから、それは少し嬉しかったりする。喧嘩なんてしないのが一番なのだろうけれども、長く共にいればそういうことが起きるのが当たり前だし、それは気にしてはいないのだけれども、ミツハさんが自ら未来にあんな制裁を加えるのは初めてで―――大抵未来と俺両方の頭を軽く叩いて終わるのだ―――少しドキドキしている。怖いというかなんと言うか。
 とにかく、それは意識の片隅にでもおいておこう。俺はそう思うことにしてぺたぺたと冷たい床を進んだ。明るい室内に対して窓の外は薄暗い。もうじき完全に暗闇が世界を覆うだろう。
 俺はそれにハァと息を吐いてボスンとソファに腰を下ろした。そのまま足を乗せて膝を抱え込むようにすれば、バランスが崩れて身体が傾ぐ。俺は重力に負けた身体を立て直そうとはせずに無抵抗にごろんとソファに横になった。
 沈む身体をそのままに無言で窓の外を眺めていれば、キッチンから規則正しい音が響いてくる。ナイフが何かを刻む音だ。
 今日はなにを食わせてくれるんだろうと胸を温かくしていた俺は、その時、不意に窓に向けていた視界の片隅で、何かが一瞬煌くのを認めた。
 俺はなんだと瞬きを繰り返す。数度瞬きを繰り返して、それから身体を起こした。見間違いかもしれないが、しかしそう思うには余りにも眩しすぎた気がしたのだ。
 俺は不安から立ち上がって窓辺に寄った。冷たい硝子に手を当てれば接触面が曇り始める。冷えてジンと指先が鈍く痛んだが、俺は気にすることなく硝子越しの外界を注視する。確かに、何かが光ったのだ。
 そのままじっと外を見続けていれば、不意に背後から「彼方?」と未来の声がかけられた。俺はびくりと肩を震わせてから、ゆっくりと背後を振り返る。

「お、驚かすなよ」

 俺がそういうと、俺に声をかけてきた未来は首を横に倒した。最もな反応である。勝手に驚いたのは俺だからな。

「どうかしたのか?」

 未来は気にすることなく片手に何も乗っていない皿を持ちながら俺のほうへ近寄ってくる。まだ作業の途中だったのだろう。
 しかし、未来が近寄ることで空気が動いて俺の鼻腔に香ばしい香りが届いた。それにグルと俺の腹の虫が素直に鳴く。恥ずかしい。うっと未来を見上げれば、未来はそんな俺に苦笑しながらまたポンポンと頭を叩いた。待っていろという意味だろうが、なんだか子供扱いされている気がしてならない。むかつくが俺の飯は未来にかかっているので何も文句は言えなかった。くそう。


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あきゅろす。
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