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Lv.2-30
 俺の抜けた声のあと、未来は俺の掌からゆっくりと手を離した。冷たい空気が温まった肌を再び冷やす。俺は未来を呆然と見上げながらそれを頭の片隅で感じた。
 視界の中の未来は俺の名前を呼んだきり固まってしまっているようで、けれども色を遮るサングラス越しにその瞳を見つめれば、未来は急に焦ったように視線を彷徨わせた。上下左右忙しなく動かしてからゆっくりと俺に戻して、小さく息を吐く。はっと震えたようなその吐息は緊張を孕んでいて、僅かに強張った薄いその唇は震えていた。
 何かを言いかけて結局閉じてしまうその唇を視界に認めて、俺は未来がまた無駄になにかを思い悩んでいるのだろうかと思う。だから俺はふっと肩に入っていた力を抜いて目尻を下げ、口元を持ち上げる。そう、少しばかり不恰好な笑顔で応えてやることにしたのだ。

「未来」

 たった三文字のその音を発するのに、俺は喉が震えるのを感じた。喉奥で引っかかるように声が口腔内で滲む。
 未来がハッとして唇を開いた。けれども、それが言葉を紡ぐ前に俺は続ける。

「まぁ…なんだ? …とりあえず…」

 俺は笑顔のまま未来を見上げた。未来がそんな俺を見下ろしながら何か言おうと唇を開閉させるのが目に入ったが、俺は構わず言葉を紡ぐ。

「…歯ぁ食いしばれ?」

 そしてそう言い放つと、俺を見下ろすために首を屈めていて若干低くなっていた、未来のその頬目掛けて思い切り拳を振りかざす。そして躊躇せずにそれを振り下ろした。一発くらい殴ってやろうと決めていたのだ。これはその一発だった。

「っぐ…!」

 遠慮なく叩き込んだそれは、冷えた拳の薄い皮膚に柔らかい肉の感触が広がるより前に、当たった頬骨の硬さに俺の拳が軋んだ。
 未来の身体が傾ぐ。同時に俺の拳に鈍い痛みが広がった。それは段々熱感を伴ってジンジンと疼きだす。そうして俺に未来を殴ったのだという実感を持たせた。
 未来は俺が殴った頬を押さえ小さく呻いてから、俺のほうに再び顔を向けてくる。その顔は怒りというよりは驚きに目を見開いていた。俺はそんな未来にもう一度笑いかける。そして口を開いた。

「…おかえり」

 今度こそすんなりと紡がれた俺の言葉は、未来の切れ長の双眸を更に押し開かせる。俺はまた小さく笑った。

「急にいなくなるから俺だって心配したんだからな? 今のは、それのお返しな」

 そしてそういえば、未来は頬を擦りながら俯いて、そしてまた顔を上げた。そして、言いにくそうに小さく唇を動かす。

「わ、わるかった…」

 小さく口篭りながら発されたその言葉に、俺は眉を寄せる。違う、そんな言葉を聴きたかったんじゃない。いや、謝罪も欲しかったけれども、でもそれは俺の渾身の一発で消化されたのだ。だから、今は違う言葉が欲しい。だって俺は「おかえり」って言ったんだぞ。俺はそんな思いでまた口を開いた。

「違うだろ、俺はおかえりっていってんだろ」

 俺が痛む拳を擦りながらそういえば、未来はまた目を開いて―――それ以上開くと落ちてはいけないものが落ちそうだ―――そして、また俯くと口を開いた。

「…た、ただいま…彼方、その…ごめんな?」

 そして紡がれたその言葉に、今度こそ俺は頷く。最後の謝罪はこの際は置いておくことにしよう。そうしてやろう。


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