Lv.2-29
次に目を開ければ、俺の視界には見慣れた天井が薄闇にぼんやりと浮かび上がってきた。
それまで瞼の裏に焼きついていた青は一切なく、かわりにくすんだ灰色が目に飛び込んでくる。
俺は何度か瞬きを繰り返し、そして首を回した。薄暗闇に見慣れた家具が見てとれた。
やはり、あの青の世界は夢だったのかもしれない。何時の間にか眠ってしまっていたらしかった。
小さな窓から覗くことのできる外界は、遠くまで暗雲で覆われていた。
俺はぼんやりと外を眺めながらソファの上で小さく首を回した。しんとした室内はミツハさんが出て行ってから何も変わりない。
静か過ぎる室内は自分しか存在せず、とても寒々しかった。
未来が出て行ってしまって、そしてミツハさんが続くように出かけて行ってから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。眠りが深かったせいで俺には全く見当も付かなかった。
とりあえず俺は自分の体温が移った心地いいソファから立ち上がる。寝起きの重い身体をゆっくりと動かしてコンクリートが打ちっ放しの壁に寄った。
否、目的は壁ではなくてその壁に隣接されたテーブルの上に置かれた家族写真だ。
薄暗闇のなかで目を細めれば、ぼんやりと見えてくるのは俺と、左右の大切な家族たちだった。
俺はそれに小さくハァと息を吐き出す。
未来は未だに帰ってこない。ミツハさんも帰ってこない。そして極めつけに外は暗闇だ。
とりあえず電気を点けようと俺は慣れた足取りでスイッチのある壁まで進んで壁を探った。指先が冷たい。
不意に、夢の中のあの人の指先も冷たかったのを俺は思い出す。俺の頬に触れて涙を拭ってくれたあの指先の冷たさは、この壁の冷たさに似ていた。まるで命が通っていないような、そんなものと似ていた。
何故かそう考えると悲しくなる。
俺はゆるゆると頭を振ってそれらを脳内から振り払った。
駄目だ、あの夢のような、現実のような、あの不思議な感覚が戻ってきてしまいそうだった。
とにかく視界を確保しようと俺はスイッチを押そうと指先に力をこめる。
その時だった。スイッチを探っていた掌に、熱を持った何かが触れた。
「え?」
俺は思わず声を上げた。
薄暗闇のなかで目を見開けば、うっすらと人の姿を見て取れた。
瞬間、身が竦む。
俺は壁に当てていた掌に力をこめた。そうすれば、意図せず掌の下にあったスイッチを押すことになる。それはパチンと軽い音をたてて電気回路を繋げた。
視界に光が溢れる。
一瞬、暗闇に慣れていた瞳孔が明室に順応できずに俺の視覚は役立たずになった。真っ黒とも真っ白とも言いがたい視界の先で、誰かが息を詰める音がした。
スイッチを押した掌は、未だに自由にならない。
「…彼方?」
そして身構えた俺の鼓膜を打った声は、俺のよく知る音の響きを有していた。
視界がだんだんと色を持ち始める。
打ちっぱなしのコンクリートの灰色を背景に、くすんだ金色を認めて、俺は目を見開いた。
「…み、らい?」
俺の聴覚と視覚が総合して判断した目前の存在の名前は、それだった。俺が待ちくたびれて寝入ってしまった原因。
けれども、その存在を認めて湧き上がったのは怒りではない。それよりも、純粋に―――帰ってきてくれて、俺は嬉しかった。
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