Lv.2-3
「ま、ミツハの放浪癖は今に始まったことじゃないけどー」
ヤマトはそう大きな溜め息とともに吐き出して、「あーほんとイライラするー」と続ける。ガリガリと赤茶色の髪を掻き乱して、その端整な顔を歪めた。
機嫌がどんどんと降下していっているのが目に見えてわかって、俺は内心まずいと思う。しかたない、これはいい加減息抜きが必要のようだ。
俺は「ヤマト」と主人の名前を呼ぶ。そうすれば、ヤマトはチラと俺を視界に収めた。俺は徐に口を開く。
「…ちょっとだけなら会いに行ってもいいぞ…その、2時間くらいなら」
それは俺の最大の譲歩だった。
それにヤマトが勢いよく上半身を上げる。喜んでくれるかと思えば、しかしヤマトはあからさまに不満顔で口を開いた。
「短い! 俺はもっといたいし! というかずっと一緒にいたいし!」
俺はヤマトのそんな―――願望の篭った言葉に、どこか悲しい思いを抱きながらも首を横に振った。
「それ以上は無理、俺のキャパオーバー!」
本当に、2時間以上は穴を開けられない。他地域へ回す書類もあるのだ。というか、そういうものをヤマトが目を通して処理するのだ。それを疎かにするということは、地域の面目に係わる。ヤマトが気にしないといっても、『門番』としてそれを見過ごせない。
『代表者』と『門番』は一対であり、『門番』にとって、『代表者』は他のなにより尊いのだ。他に侮辱されることは何よりも耐えがたい。そう、俺は『学んで』きたのだから。
「そんなことないだろ、駿河書類処理するの得意だし」
ヤマトは俺の主張に納得しない。
けれども、2時間、それが俺にできる最大の譲歩なのだ。それ以上は、本当にまずいことになる。
「…俺が小難しい文面と向き合うのは苦手だって、『院(クラウン)』の成績みりゃわかるだろ」
俺は苦い顔で低くヤマトにそう返した。『院』―――その思い出したくない記憶と、同時に至福の瞬間の記憶を内包する単語を口に出して、俺は舌先が苦くなるのを感じた。
しかし今はそれを気にする余裕はない。俺は続けた。
「苦手だけど努力してんの、だからそれで我慢してくれ」
俺がそう乞えば、ヤマトは唇と尖らせて小さく唸る。
「あーくそ、2時間か…2時間…」
そしてヤマトは頭を抱えながらそうブツブツと零した。
悩む暇があれば行けばいいのに、と内心思いながらその様子を見ていた俺の耳に、不意にヤマトの「…やっぱり我慢する」という小さな声が届く。
俺は予想していなかった言葉に軽く驚いて「ヤマト?」と声をかけた。
「…だって俺、今凄いイライラしてるしー」
だからやめる、と続けてヤマトは口を噤んだ。俺の視界に映るヤマトは物凄く険しい顔をしていて、明らかにそれが本意ではないことを示していた。
俺は首を捻る。イライラしているのはわかるが、だからなんだというのだろう。カナちゃんに会えなくてイライラしているから会いに行くのではないのだろうか。
俺がそんな疑問を抱いていると、ヤマトは再び口を開いた。
「今会いにいったら絶対酷くしちゃうだろー、だから、だめ」
それはまるで、自身に言い聞かせるような響きを持っていた。
そしてヤマトはそう零すと上半身を元の位置に正し、転がした万年筆を再び手にとって、「あーあ、早く仕事終わらせて会いにいこー」と呟いた。
一応、酷いことをしている自覚はあるらしい。そしてなにより、やはりカナちゃんのことをちゃんと考えているその事実に俺は感動した。やっぱりうちのマスターが一番だ。
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