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Lv.2-1




 カッカッカという僅かに高く規則的な音と、ペラ、ペラと軽く紙を捲る音が交互に繰り返される室内で、俺は白い紙に綴られた文字の羅列に視線を落としながら無意識にハァ、と溜め息を零した。
 不意に、規則的に紡がれていた音が止まる。俺はしまった、と顔を上げた。
 上げた視界に映りこんだのは、俺の主人―――俺の絶対者でもある、第8地域の強く冷徹な代表者こと更沙ヤマト―――の不機嫌極まりない顔だった。

「…駿河うるさい」

 そして、その表情が示す通り、主人であるヤマトの声音は低く、不機嫌さを滲ませて冷えきっていた。
 この第8地域の『門番(センチネル)』、駿河こと俺は、素直に「悪かったよ」と謝る。
 ヤマトは俺の言葉にフンと鼻を鳴らして、書類の堆く詰まれた執務机に握り締めていた万年筆を放り投げた。カラン、と乾いた音を立ててそれは転がる。インクが零れて折角の書類に染みを作らないかが俺は心配だった。
 けれども、俺の心配そうな視線に気付いたヤマトは、万年筆の着地場所である書類を手にとると俺のほうに向けて「ちゃんと制御したっつーの」と憤慨しながら主張してきた。
 そして確かに、視界に映るその書類は汚れてはいないようだった。
 おそらく、インク自体に物質固定の『絶対命令(アブソリューター)』を用いたのだろう。瞬間的かつ局所的なその能力制御は流石、我が主人と言うより他ないが、しかし、無駄な能力の使い方をしていると内心思って「じゃあ続きやってくれよ」と俺は返した。
 途端、ヤマトは渋い顔になる。そのまま書類を引っ込めて、執務机にぐったりと寝そべってしまった。ああ、やる気が失せてしまったのか。
 そしてヤマトが寝そべった拍子に、バサリと書類が無駄に高級感のある絨毯に散る。けれども、元凶であるヤマトは起きない。もう放置を決めこんでいるようだった。
 しかたなく、俺は手にしていた文面を横に置いて、同様に高級感のあるソファから腰を上げてヤマトに近寄った。
 そして床に散乱したその存在を放棄された書類を纏めて拾い上げると、不意に机に寝そべっていたヤマトが俺を睨むように見上げているのに気付いて、俺は僅かに顎を引いた。
 鋭い翡翠のその双眸が、俺を射抜いている。その色は、俺と同じ―――そういうのも主従の関係にある俺にはおこがましいことなのだが、ヤマトのその色は、確かに俺を構成する『色』に、俺の『存在』に違いなかった―――もののはずなのに、酷く剣呑でギラギラと何かに飢えているように見えた。
 そして同時に、俺はその飢餓感の理由を悟って、また無意識に零れそうになった溜め息を無理矢理口腔内に押し留める。
 ヤマトが、薄い唇を開いて静かな室内に音を響かせた。

「…駿河、俺もう仕事したくない、…彼方に会いたい」

 まるで駄々を捏ねる子供のように自分の願望を口にして、ヤマトは俺を睨む。つまり、俺に全部押し付けるつもりだ。

「…そんなこと言ってないで仕事してくれ」

 俺はハァ、と今度こそ肺に溜まっていた二酸化炭素塗れの空気を吐き出す。そして拾い上げた書類を再びヤマトの前に置くと「終わったら行ってもいいから」と付け加えた。
 ヤマトは俺のそんな言葉に上半身を持ち上げて「えー」と明らかに不満な声を上げる。そのまま頬を膨らませると、「駿河やっとけよ」と続けた。
 俺はそれに眉を寄せる。ヤマトの頼みなら叶えてやりたいのだが、『門番』の俺には手が出せない書類もあるのだ。俺は困ったように顔を歪めた。
 地域の代表者は、それなりに忙しい。地域の政策を最終的に決定するのは代表者であるし、他地域との交友にも係わらなければならないからだ。
 ヤマトはちょくちょく北地区に遊びにいっているが、それも執務の合間を縫って―――時にはその執務を全て放棄している場合もあるが―――の行動なのだ。
 それなのに、ヤマトの執心相手である九条彼方―――カナちゃんは、そんな身を削るヤマトの行動にも全く振り向いてくれないのだから、俺はヤマトが可哀想で仕方がない。俺は心の底からヤマトを応援している。主人の幸福こそが『門番』の幸福なのだから。
 とりあえず今度カナちゃんを見かけたらヤマトの土産にしようと俺は決めた。


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あきゅろす。
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