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彩雲の緋
彼ら
現王の治世初の国試が始まる。
 
州試を突破した受験者たちが彩雲国中から貴陽に集い、城下はまるでお祭り騒ぎだ。

宿の取れない受験者たちのために王宮の敷地内に予備宿舎も開かれた。

熱い志を胸に秘める若人たちは開始が始まる日まで、そこで各々の目的の為に最後の仕上げに取り組む……はずだったのだが。


ぴ〜〜ひょろろろろ〜〜〜ぴぽ〜〜〜〜〜〜


「うわあああ! 耳がああああああ!!」

「ぐぎゃあああああああ!!」 

「誰か、誰かぁああああ! 助けてくれぇえええ!!」
 

予備宿舎にて、とある受験生が奏でる笛の音により気絶・発狂する者が続出。十三号棟の担当官は泣き出しそうな勢いで辞表を提出し、代理で配属された礼部官も数刻とおかずにほぼ同じ行動を取った。――呪いの十三号棟と呼ばれるようになった所以である。
 
押し寄せるあまりの被害量に窮した朝廷側は、やむなく彼の隔離策を講じる。
 
彼の音に耐性を持つもの数名と共に、彼を他の大勢の受験生に音が届かない場所へと放り込んだのだ。

そして―――


* * *


「な・ん・で・こうなったのよ……!!」
 
寒風が壁の隙間から容赦なく進入してくるこの場所は、今は使われていないと言えど――歴とした獄舎。

厳めしい構えは見る者を差別なく威圧し、かつてここにいただろう罪人たちを逃さないための鉄格子は全ての窓に埋め込まれている。

「まあそう憤るな、心の友 其の一。そなたの荒れ狂う魂に平安をもたらすために私が風流な調べを奏でてやろうではないか」

「荒れ狂う魂、ですってぇ……?」
 
ギギギ、と軋む音を立てるように秀麗の首が龍蓮を振り返る。

「誰のせいだと思っているのよー! 大体ねえ、あたしはここで会試が始まるまでじっくり復習するつもりで早めに宿舎入りしたのよ。なのになんだってこんなところで孔雀男の巻き添えを食らわないといけないの!」

「全くだ! 碧州の神童とまで言われたこの僕が……何故この晴れ舞台でこんな囚人のような扱いを……!」
 
拳を握り今にも龍蓮に殴り掛かろうとしながらも必死で耐える様子の二人。

この顔ぶれの中で唯一温和な気性を持っている影月はおろおろと二人をなんとか宥めようとしている。

「秀麗さん、珀明さーん。でも決まっちゃったことは仕方ないんですから……。仲良くしましょうよー」

「甘いわ、影月君! こういう奴は言うべきところでしっっかり言っておかないとすぐ調子に乗るんだから」
 
秀麗の言葉をよそに何やら機嫌の良さそうな龍蓮はぴょろろろろと相変わらずの怪音を吹き鳴らす。

「だー! いい加減その笛を放せ!」
 
限界に達した珀明が龍蓮に掴みかかり笛を取り上げようとする。しかし相手にはのらりくらりと身を躱されて笛に触れることすらできない。

「心の友 其の三が我が愛笛に心奪われるのも致し方ないが、如何せん譲るわけにもいかぬのでな」

「誰がいるか!」

騒ぎ立てる二人の動きで床の埃が舞い、秀麗がむせてコホッと咳をする。そして顔を上げキッと辺りを見渡すと、箒を強く強く握り締めた。

「ああもう埃まみれ砂まみれ、これだけ汚ければ掃除のし甲斐もあるってものね!」
 
壊れたような高笑いを上げながら凄まじい勢いで床を掃き始める秀麗。

それを見て影月はやや恐怖を覚えるも、自分も箒を手にとって手伝いを始めた。

床の塵は何とか綺麗になった頃、ふと表の方でカタン、と物音がした。

「あら、お客さん?」

「僕、ちょっと見て来ますねー」
 
影月は一旦箒を手放すとその場を離脱して様子を見に行く。

まさか担当官の人ではないだろうから、誰かの知り合いが訪ねてきたのだろう。そう思いながら影月はぱたぱたと小走りで客を迎えに行く。

「こんにちは。秀麗はいるかな」
 
そこにいたのは見事な緋色の髪を頭の高い位置で括った若者だった。

中性的な顔立ちと少し低い声。男か女か、見た目で判別するのは少し難しいが、服装からすると男なのだろう。

「秀麗さんなら奥にいますよー。どうぞ入ってください」
 
大きな布の包みを下げたその人を秀麗たちがいる大部屋へと案内する。

「秀麗さーん、お客さんですよー」
 
影月は掃除の仕上げにかかっていた秀麗に声を掛けた。
 
ちなみに龍蓮との追いかけっこで疲れ果てた珀明は隅の方でぐったりと座り込んでいた。反対に、全く疲労を感じてなさそうな龍蓮はその隣でいそいそと笛の手入れに勤しんでいる。

「え、私? ――って陽子じゃないの!」
 
陽子の姿を認めた秀麗は箒を放り出して駆け寄った。

「久しぶり、秀麗」

「どうしたの、こんなところに――」

「これ。差し入れを預かってきた」
 
包を差し出さす陽子に秀麗は礼を言い、両手で受け取った。それから不思議そうな顔をしている影月を陽子に紹介するために彼の背中に手を添える。

「陽子、この子は杜影月くんよ。まだ十三歳なのに黒州の州試を主席で突破したんですって。影月くん、こちらは中島陽子さん。慶という国から来た留学生なの」
 
十三歳、と陽子は目を瞠って目の前の小柄な少年を見つめた。

影月も予想外だった陽子の素性に驚きの声を上げる。

「わあ、留学生なんですか? 異国の方に会うのなんて僕、初めてです」

「そうなんだ。でも、街には貿易に来る商人だっているだろう?」

「黒州にはあまり来ないですねー。殆どは王都のある紫州に集まりますから」

秀麗は陽子から受け取った包みの中身を覗いた。瑞々しい蜜柑がぎっしり詰まっている。

「あら、美味しそう。父様がこれを?」
 
誰かからの頂き物だろうか、と思いながら陽子にそう尋ねる。すると陽子は何故か渋い顔をした。

「いや……邵可殿の知り合いの親切なおじさん≠ゥらだ」

「親切な、おじさん? 誰のことかしら」

不思議そうに首を傾げる秀麗。陽子は心の中でそっと溜息をついた。
 
一刻ほど前、回廊を歩いていた陽子は背後の物音に振り返った。しかし周囲には誰もおらず、代わりに落ちていたのがこの布包み。
上に重ねるようにして置いてあった紙切れを拾い、書かれていた文字を追ってみると――

『私の可愛い秀麗に親切なおじさん≠ゥらの差し入れだと言って届けて来い』
 
……間違いない、紅黎深だ。
 
邵可によると彼の真ん中の弟は未だ姪に自分が叔父だと名乗り出ることが出来ないでいるらしい。

人に頼み事をするのなら自分の足で頼みに来い、と言いたいところではあったが――秀麗たちと共に獄舎に隔離されたという人物には一目会ってみたいと思っていたのだ。だからこれは丁度良い口実だったかもしれない。
 
立ったまま話し込んでしまっていた陽子たちの方に、金色の髪をした少年がよろめきながら近付いて来た。

「だ、大丈夫ですか? 珀明さん」

「大丈夫な訳があるか……。まったく、あの羽男め……!」
 
彼は立ち止まると陽子の姿を認め、向かい合って立つ秀麗と交互に見比べると素直な疑問を口にした。

「お前の恋人か?」
 
お前、と称された秀麗の目尻がキッとつり上がる。

「なに言っているの珀! 陽子は歴とした女の子よ!」

その言葉に、ええっ、と素っ頓狂な声を上げたのは金髪の少年ではなく影月の方だった。

「陽子さんって女の人だったんですか?」

「影月くんまでそんなことを!」

「まあ、女と言われてみれば見えないこともないが……」

二対の眼に頭から足先まで眺め倒されて陽子は苦笑するしかなかった。
 
まだ名前の分からない金髪の少年に向き直るとまずは自分の名を名乗る。

「中嶋陽子、留学生だ。ひと月ほど前からこの国で世話になっている」

「碧珀明だ。……留学生の噂は聞いていたが、女だとは知らなかったな」

「私はご覧の通りの見た目だから、外朝でも大部分の人には男だと認識されているらしい。こちらも敢えて訂正したりはしないし」
 
そこでふと影月が辺りを見回しながら、自分たちの顔触れがひとつ足りないことに気が付いた。

「あれ? 珀明さん、龍蓮さんはどこへ行ったんですか?」

「いるだろうが、そのへんに」

「いませんよー?」
 
言われて珀明と秀麗も周囲に視線を走らせるが、あの派手派手しい衣装を纏う少年の姿はどこにも見渡らない。

「いないな。いつもは無駄に目に付くくせに」

「どこ行っちゃったのかしら」
 
いないのなら、いないでも別に良いのだが。笛の音も聞かずに済むし……。そう思ったところで、陽子の躊躇うような低い声が秀麗たちの耳に届いた。

「……秀麗。それはこの人のことじゃないのか」

「え? ――ちょっと、いつの間に!」
 
振り返ってみると、そこにはたった今探していた人物の姿が。それも、ついさっきまで自分たちが立っていたその場所に。

「ち、近いですよ龍蓮さん!」
 
影月が慌てて龍蓮に駆け寄ると袖を引っ張って陽子から遠ざけようとした。

それもそのはず、いま彼が立っているのは陽子の正面、しかも距離が子供の一歩ほどしか離れていない。……まさに、目と鼻の先である。

居た堪れなくなった陽子が一歩下がると龍蓮がまた一歩近づいてくる。……何がしたいのかさっぱりだが、このままの距離では話をし難いことこの上ない。

「お前には人の常識ってものがないのか! 離れろと言っているんだ!」
 
珀明が、誰もが今更だろうと思うようなことを怒鳴りながら龍蓮の襟首を掴んで強引に陽子から引き離した。

ようやくまともに会話のできる距離に落ち着けた陽子は改めて相手の姿をじっくりと観察した。頭には羽が生え、服装もまるで大道芸人ようだが、よく見ると顔は彼の兄にそっくりだ。

「藍、龍蓮? 楸瑛殿の弟の」

「愚兄其の四などに敬称は不要。そう言うそなたは、随分と遠くからやって来たのだな」
 
遠くから、というその言葉が、単に地理的な距離を示したものではないことを陽子は敏感に感じ取った。

「――あなたは、私が何処から来たのかを、知っているんだな?」

「無論」

陽子が彼の瞳を覗き込むようにして視線を合わせると、藍よりもさらに深い色の瞳が、陽子の翡翠色を見返した。
 
藍龍蓮≠ニいう名の持つ意味は楸瑛から聞いている。常人には理解できぬ才と感覚を持つ者。龍蓮ならばもしかすると陽子の望む答えを与えてくれるかもしれない、と――そんなことを彼の四番目の兄は言っていた。

形の良い口元がゆっくりと動いて、続いて言葉を紡ぐ。

「まだ時が来ていないために、そなたはここを離れられない――が、案ずることはない。強く細い金の糸で、そなたと国は決して切れることなく繋がっている」

金、と陽子は口の中で繰り返した。その言葉で浮かぶのは、あの無愛想で言葉足らずな麒麟の長い長い鬣の色。この国や虚海の果ての国では当たり前のようにある髪色でも、あちらでその色を持つのは国に唯一の神獣だけだ。
 
時が来ていない、というのは逆に捉えれば、時が来れば必ず帰ることができるということなのか。――しかし問題は、その時≠ェいつなのか、ということ……。

余人の立ち入れぬ雰囲気を醸し出す二人に、残りの三人はただ困惑していた。

陽子が遠い場所から来たというのは当たり前のことだし、それを龍蓮が言っただけで陽子が過剰に反応する理由が分からない。その後の龍蓮の発言も全くの謎だが、どうやら陽子には通じているようである。

会話に誰も口を挟むことができず、妙な緊張感を持って三人は二人の様子を見守っていたのだが――

次に聞こえた龍蓮の言葉が、それまでの空気を全てぶち壊しにした。


「ふむ、では私たちの運命を超えた出会いを祝してここは一曲奏でよう! 題は『世の不思議大発見・邂逅の調べ』だ!」


歌口に息が吹き込まれると同時に鳴り響くは、相変わらずの騒音としか言えないような笛の音。


「……いいっっ加減にしなさ―――い!!」
 

寒々しい隙間風が吹き荒ぶ獄舎の中に、秀麗の叫びが木霊した。




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