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彩雲の緋
府庫の主
遥かな昔、国中に魑魅魍魎が跋扈していたその時代
いつ終わるともしれぬ混沌のなかで、一人の若者が旅に出る。
跳梁する妖を追い払い、民の安寧を胸に秘め、いつ果てるともしれぬ旅を彼はつづけた。
やがてその想いに心うたれた八人の仙がつどいくる。
藍仙、紅仙、碧仙、黄仙、白仙、黒仙、茶仙、紫仙──色の名をもつ彼らはいつしか彩八仙と呼ばれ、不思議の力を駆使して若者を助けた。
かの若者の名は蒼玄。八仙と神仙の智恵を借り、国の基礎を築き、人の世に夜明けを拓いた、彩雲国初代国王。
蒼玄の死後、八仙はいずこかへと姿を消した。だが彼が仙のために建てた風雅の宮は、仙人の住処──仙洞宮と呼ばれ、今もなお王城の一角にあるという。


* * *


「仙洞宮という建物は本当にあるのだろう? では、その彩八仙は今でも生きているのだろうか?」

「さあ、それは定かではありません。しかし妖というものが世に実在している以上、仙の存在も強ち只の伝説ではないかもしれませんね」


紅邵可という男は劉輝の評したとおり、物腰の柔らかく知識豊かな男だった。しかし見る者が見ればそのゆったりとした動きに隠された隙のなさに気が付く。おそらく相当に腕が立つのだろう。

「そろそろ休憩にしましょう。娘が饅頭を持たせてくれたので、良かったらどうぞ。今、お茶を入れてきます」

「ありがとうございます」

席を外した邵可が茶飲みを二つ携えて戻ってきた。

差し出されたそれを陽子は礼を言って受け取る。あまりに毒々しい色合いにやや瞠目したが、意を決してそっと口をつけた。


苦い。


しかもこれは抹茶の苦さとはまた違った苦さだ。何というかそう、薬効のある漢方を手当たり次第に同じ湯で溶かしたような癖の強い苦さだ。

陽子がちらりと上目遣いで邵可を見ると、彼は人の良さそうな糸目で微笑んでいる。

「饅頭の甘みとよく合いますね」

「それは良かった」

嘘は言っていない。……世辞でも『美味しい』とは言えなかっただけで。

「もう少ししたら、次は彩八家と朝廷の仕組みについて話をしましょう。──お茶のおかわりを入れてきましょうか」

「いえ……十分です。お気持ちだけで」

流石に苦みの真髄を極めたようなこの茶をもう一杯飲みたいとは思えなかった。


* * *


日が沈み青白い月が昇って下界を照らし始める頃、燭台の灯りと薄闇に沈む府庫に訪れる者があった。

「邵可、ちょっといいか」

「おや。どうなさいました、劉輝様」

帰り支度に取り掛かっている邵可の姿に気が付き、劉輝は申し訳なさそうな顔をする。

「もう帰るところだったのか? すまない、少し話があるのだが……」

「構いませんよ。お茶を入れてきましょう」

にこやかに席を立つ邵可を劉輝は片手で制した。

「いや、いい。すぐ終わる話だから」

「そうですか?」

邵可の向かいに腰を下ろした劉輝は眉根に少しだけ皺を寄せて堅い顔をしている。

邵可には劉輝が何の話をしに来たのか分かっていた。

ややあって、劉輝が抑揚を抑えた声で言う。

「今日、留学生の娘に会っただろう? 邵可から見て、どんな印象だったか聞きたいのだ」

その予想通りの問いに、そうですね、と邵可はゆったりと息を吐いた。

「好ましい人物に思えましたよ。知識欲が旺盛で、真っ直ぐな眼をしていて。ただ、何かに焦っているような様子だったのが気になりましたがね」

「焦っている?」

「ええ。まるで何か大切な物を失くしてしまったかのような」

劉輝はうむむと唸って考え込む素振りを見せた。邵可はその様子を微笑みながら見守る。

素性の分からぬ異国の者を突然留学生として受け入れたという話を聞いたときには流石の邵可も驚愕した。それも、彼の娘と同じ歳の少女だという。
さらにそれが霄太師の紹介だと知り、胡散臭さが倍増した。

けれど、邵可にはこの半日彼女と過ごして一つだけ分かったことがあった。

「劉輝様。彼女は、訊けば答えてくれる人物ですよ」

劉輝が顔上げて邵可を見た。

「陽子は自分自身のことこそ殆ど話してはくれませんでしたが、その他のこと──例えば彼女の国のことだとか政治の仕組みの違いなんかについては、言葉を尽くして私の疑問に答えてくれました」

それに、と邵可は胸の内で呟いた。
陽子の物の考え方は明らかに為政者のそれだった。ひとつの要素にこだわらず全体を見つめる意識。それでいて、隅に追いやられそうな小さな事柄についてもきちんと考慮に入れようとする。

──霄太師が何故彼女を送ってきたのかがよく分かった。

そう、確かに陽子を側に置くことは劉輝の王の器を育てるのに役に立つだろう。あの狸もそれを見越しているに違いない。

すると残る問題は、陽子自身の目的はどこにあるのかということだった。まさかあの狸爺に全面的に協力しているわけでもあるまい。

態度に出さないよう取り繕っているようだったが、陽子は確かに何かに対して焦燥を感じているようだった。おそらく、そこに彼女の目的が関係しているはず。

「時間を作って、ゆっくり陽子と話してみて下さい。彼女はきっと、嘘を吐いたりなどしないでしょうから」

年若く率直な言葉を紡ぐこの王ならば、自分よりも多く彼女の言葉を引き出せるかもしれない。


* * *


劉輝が府庫を訪ねたのと同じ頃、陽子は霄太師の室にいた。

「どうじゃったか、紅邵可との勉強は。ためになったか?」

「ええ、とても」

邵可の授業は里家で受けた遠甫のそれを思い起こさせるものだった。今ではもう随分と昔のことに思えるあの日々が一瞬だけ脳裏を横切り、陽子は眼を細めた。

「──それで、何かワシに訊ねたいことがあるのじゃろう?」

見透かされていたことに大きく息を吐きながら、陽子は霄太師と視線を合わせた。

「あなたはもしかすると人ではないのではないか、と昨日から思っていたのですが」

陽子はそこで言葉を切って霄太師の頭から爪先までをじっくりと眺める。それから、一語一句を確かめるかのように、ゆっくりと問いを紡いだ。


「あなたは、彩八仙の一人なのか?」

「そうじゃ」


肯定はあまりにあっさりとしたものだった。

「ワシは紫仙じゃ。だがそのことを知っておる者は殆どおらん」

「それは王も?」

「ああ。この数十年、見た目は人間と同じように年を重ねてきたからな。この朝の若造どもはワシを正真正銘の爺だと思っとるじゃろうて」

カラカラと霄太師が声を上げて笑う。
しかし陽子が何かを言おうと口を開いた途端にすっと表情が引き締まり、陽子の考えを読んだかのような声が冷たく響いた。

「妙な期待はするなよ、陽子」

言葉を発しようとした陽子の唇が再び結ばれる。

「八仙と言えど万能ではない。言ったろう、綻び≠ヘ偶然に生じるものなのじゃと。それも陽子の国で言う蝕≠ネどとは比べものにならんほど頻度の低いものなのじゃ。仙の力で無理につくろうなど以てのほか。そのようなことをすれば何が起こるかも予想がつかん。最悪、紫州が丸ごと消滅するかもしれぬ」

「……そうですか……」

落胆はしなかった。予想はしていたことだったから。

そもそもそう簡単に帰れるのならば“留学生”の立場を手に入れてまで長居の準備をする必要などないのだから。

「あまり焦るなよ。ここでの時の流れと“綻び”の向こうの世での時の流れは対応しておらぬ。上手く穴をつなげることが出来れば、たとえここで数年を過ごしたとしてもあちらでは数日も経っておらぬだろう」

それは、その逆もありうるということではないのか。穴を繋ぐのに失敗すれば、こちらで過ごしたのが数日だったとしてもあちらでは数年になっているかもしれない。

──そんなこと、考えたくもない。

そろそろ自室に戻ることにする、と告げて陽子は立ち上がった。

「おやすみなさい」





革の靴が鳴らす規則的な音が遠ざかり、やがて夜の闇に溶けるように消えていく。客人のいなくたった居室でひとり、霄太師はゆったりと茶を啜る。

「帰る方法など探すな、陽子――少なくともあと数年は。ワシらの王のために、ここにいろ」

緩やかな笑みと共に紡がれたその言葉は、誰の耳にも届くことはなかった。



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