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彩雲の緋
留学

入室を許可すると相変わらず人を食った笑みを浮かべた霄太師がゆったりと執務室に歩み入ってきた。
三人の視線は自然とその後ろの人影に向けられる。

凛々しい面立ちをした若者だった。日に焼けた肌に燃えるような緋色の髪と翡翠の瞳がよく映えている。
見るものを見透かすような色の瞳が三人の顔の上を順に滑って行き、最後にこの国の王に留まる。

劉輝が眉を顰めて心底不思議そうな声を出した。

「報告では女だと聞いていたのだが……そなた、実は男なのか?」

若者――陽子は苦笑した。霄太師も笑いを含ませた声でその疑問に答える。

「いえいえ、女で合っていますぞ、主上」

「ではなぜ侍童服を? ――ああ、服が水に濡れたのだとか言っていたな」

「ワシとはぐれて道に迷った挙句、足を滑らせて池に落ちたようでしてのう。気を失っとる間に親切な者が着替えさせたようですな」

「そうなのか……その、勘違いして悪かった」

申し訳なさそうに項垂れた劉輝に彼女は穏やかな笑いを向け、軽い礼を取った。
少女にしては少し低めの声が劉輝たちの耳に心地よく届く。

「中嶋、陽子と申し上げる。男に間違われるのは慣れているので、どうか気にしないで頂きたい」

霄太師が長い髭を撫でつけながら言葉を引き継ぐ。

「陽子は異国に住むワシの知己の娘でしてな。こやつに彩雲国を見せたいとワシのところに寄越したのじゃ。貴陽に着いたのが今朝の早く――陽子が牢に入れられた数刻前ですな。住まいは王宮内に置いてやりたいのじゃが、よろしいかの」

「つまり、留学というやつか。別に構わぬのだが、余はもっと早くに知らせて欲しかったぞ」

霄太師は悪びれもせず呵呵と笑う。

「ふぉっふぉっふぉ。それは申し訳ありませんでしたな。まあちょっとしたビックリだとでも思ってもらえれば結構じゃ」

「この狸爺め……」

劉輝が忌々しげに飄々とした面を睨む。睨まれた方は意にも介さぬ様子でまたふぉっふぉっふぉと笑った。

「それで、陽子の居室の手配はワシが致してもよろしいかのう?」

「……うむ。室が決まったら教えてくれ」

そこで劉輝はふと思いついて陽子を見た。

「そうだ、この国のことを学びたいのなら邵可に教えを請うのが良いだろう。府庫には書物だっていくらでもあるしな」

「それは良い案ですな」

知らぬ名が出てきて陽子はただ首を傾げることしかできない。
劉輝が陽子に簡単な説明をした。

「邵可というのは府庫を管理している者の名なのだ。博識で、優しく穏やかな男だ。余も幼い頃には邵可に政を教わったのだぞ」

その割には随分と長いこと無能の振りをしてくれたな、という毒舌は絳攸の胸の内だけに留められた。

一通りの話が済み、陽子と霄太師は執務室から退室しようとした。
しかし扉が閉まろうとした寸前に陽子の背中に声が掛かる。

「ああ、ちょっと待ってくれ。これを返すのを忘れるところだった」

陽子は動きを止めてこの国の主の手にあるものを見た。

「これはそなたのものだろう? 見事な細工の飾り剣だな」

劉輝は席を立って陽子に直接その剣を渡した。
陽子は目を細めてそれを受け取り、愛おしそうに胸に押し抱く。

「かたじけない。これは大切なものなんです」

どうやら牢に入れられた際に取り上げられ、王の手元に渡っていたようだ。しかしこうしてあっさり手元に戻ってきたのは、やはり水禺刀が陽子以外の人間にとっては飾り物でしかないことが大きいだろう。 

「真剣ではないようだが、出来ればこれからは朝廷での帯刀は控えてもらえるか?」

「了承した」

陽子は頷き、今度こそ執務室を後にした。




執務室を出た二人がその足で向かったのは先程の室ではなかった。
外朝と内朝の境に位置する居室。長らく使用されていないようだが掃除はされているらしく、床には塵一つない。

「寝起きにはここを使うとよかろう。他に必要な細かなものは後ほど用意する」

陽子は礼を言って室の中を見渡した。
中に備えられているのは机と卓、それから牀榻のみ。

「どうした、何か不満か?」

そういう訳ではない、と陽子は霄太師に向き直った。

「何故あなたはこうまで私に良くしてくれるのだろうか、と思ったんだ」

先程の彩雲国王たちの態度を見て改めてそう思った。
彼らは陽子の受け入れに対して反対はしなかったものの、その顔には訝しげな色が浮かんでいた。
当たり前だ。前触れもなく王城に現れた異国の人間、それも突然留学などと言い出した輩を信用できるはずがない。

それでも彼らが陽子を受け入れてくれた理由は、霄太師の知り合いだからという一点に尽きる様に思えた。

霄太師は、ふむ、と顎に手を添えた。

「理由はいくつかあるが、一番は好奇心かの。先に説明した時には陽子のような者は複数いると言ったが、あれは嘘じゃ。実を言うと綻び≠生きて潜ってきた人間は陽子が初めての例での」

「――そうなのか?」

「死体なら過去に何度かあったようじゃが。どうやら普通の肉体では綻び≠潜り抜ける際の負荷に耐えられぬのじゃろうな。その点、陽子は只人ではないのじゃろう?」

陽子は頷いた。

「そういう訳で、ワシはお主に興味がある。お主の言う仙≠ェどいうものなのか、それからお主の影の中いるものについてもな」

こちらに流されてからというもの一度も声を発さず隠形してしていた班渠の気配が僅かに動揺したのが分かる。

「……私の国では妖魔と呼ばれている生き物です。害はないので、ご心配なく」

「そうか、ならば良いのじゃ」

この太師の位にある老爺が只者ではないことは薄々分かってきていたが、もしかすると彼は人ではないのかとも勘繰ってしまう。

「明日には邵可に引き合わせよう。食事を運ばせるから、今日はもう休むのじゃな。――それからワシに何か聞きたいことがあれば、いつでも室を訪ねて来ると良い」

そう言い残して霄太師は陽子の室を出て行った。


* * *


陽子と霄太師が出て行った後も、王とその側近たちの視線はまだ扉に向けられていた。

「妙に印象の強い女だったな。素性は明かされなかったが」

「報告通りの美人だったね。武にも通じているようだ。他のことは分からなかったけどね」

それぞれに感想を口にする側近たちに、劉輝はちらりと上目遣いの視線を向けた。

「二人は、陽子が女だとすぐに分かったのか?」

「愚問ですね。私が女性の性別を間違える訳がないじゃありませんか。あのしなやかな体の線、凛とした面立ち。何処をどう取っても女にしか見えないでしょう」

ここまで堂々と言い放たれると呆れを通り越してある意味尊敬してしまう。

「……まあ、楸瑛はそうだろうな。絳攸は?」

「報告に女とあったのだから、女に決まっているだろう」

その答えを聞いた劉輝が頬を膨らませて不貞腐れたように言う。

「なんだそれは。それではまるで余が馬鹿みたいではないか」

「分かっているのなら、ちゃっちゃと仕事しろ。国試まであとひと月しかないのだからな!やらなければならないことはいくらでもあるんだ」

相変わらずの臣下とも思えぬ態度に劉輝はげんなりと筆を手に取る。

「余は……余は王なのに……」

「そういう台詞はやることやってから言ってもらいたいものですね」


* * *


翌日。
いつものように官が朝議の終わりを告げようとしたのを遮って、王は一言だけ告げた。
曰く、異国からの留学生をひとり受け入れた、と。



(序章 完)


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