彩雲の緋
不明
「主上、仙洞省にて侵入者があったとか」
王の執務室。書簡に囲まれて筆を執る王にその話を切り出したのは双花菖蒲の片割れだった。
劉輝は筆を止めて彼の方を見やる。
「そうなのだ。流石に耳が早いな、楸瑛は」
「当然です。ましてやそれが十七、十八ぐらいの美しい娘だと聞けば興味をひかれない方がおかしい」
笑みを浮かべた口から放たれた言葉に王の花≠受け取ったもう片方は眼を尖らせて、指三本分の厚みのある書物を楸瑛に向かって投げつけた。
「お前の頭はそればかりか、この常春頭があああ!」
まっすぐ顔面を目指して飛んできたそれを難なく受け止め、楸瑛は穏やかな口調で彼を窘める。
「危ないだろう絳攸。当たったらどうするんだい」
「当てるために投げているんだ。避けるな。甘んじて顔面で受け止めろ」
「お断りするよ」
いつも通りのやり取りをさらりと躱し、そこで急に表情を改める。
「それはともかくとして絳攸。君は気にならないのかい? 兇手として送られてきたのならともかく、その娘はずぶ濡れの格好でしかも気絶していたそうじゃないか」
「……まあ、気にならないと言ったら嘘になるな」
「だ、そうですよ。主上、実のところどうなんです?」
それまで茶をすすりながら二人のやり取りを傍観していた劉輝はコトリと音を立てて茶器を置いた。
「まあ聞いてくれ。その娘なのだが、実は霄太師の招いた客人だそうなのだ」
「はあ?」
「霄太師の? それは――いったい、どういう人物ですか」
露骨に不審を顔に出す二人に、劉輝は首を横に振る。
「余にもわからぬ。あの狸爺が怪しい行動をとるのは今に始まったことではないが、ああいうからには危険人物ではないのだろう。後でここに連れてくると言っていた」
言って、執務机の脇に立てかけられていたひと振りの太刀を手に取る。
「そうそう――これも返さなければならないな」
主の手に握られたそれを見た楸瑛が軽く目を見開いた。
「これは見事な太刀ですね。例の娘のものですか?」
「うむ。しかもその太刀、全く斬れないのだ」
劉輝から太刀を受け取り、楸瑛は優美な動作で鞘を払う。水面のように輝く刃に、そっと指を滑らせた。
「確かに……切れませんね。鈍らには見えませんが」
刃に触れた指の腹は皮一枚切れていない。
一連の様子を眺めていた絳攸が腕を組んで憮然とした声を上げた。
「しかし何故その娘はそんな飾り物を身に着けていたんだ? 護身用にしても、斬れない太刀より斬れる短刀の方が余程使い勝手が良いだろうに」
楸瑛は同意を示すように頷いて、刃を元のように鞘に収めた。
「霄太師の客人ですか――何者でしょうね」
「異国の者だとは言っていたが」
「異国人?」
絳攸が驚いた声を上げる。
「ああ、狸爺がそう言っていた」
「異国人とは珍しい。私でも未だ会ったことがありませんよ」
「ますます招いた理由が分からないな」
その時、扉の向こうから耳に覚えのある声がかけられる。
「主上、例の娘を連れてきましたぞ」
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