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彩雲の緋
綻び
歩いている間、陽子は始終無言だった。


この老爺の意図がわからない。なぜ嘘をついてまで陽子を牢から出したのかも、これからどうするつもりなのかも。

回廊を行く途中で擦れ違う官吏たちがみな礼をとる様子からすると彼はかなりの高官のようだ。
ショウタイシに礼をとった視線を上げる流れで彼の数歩後を歩く緋色の髪の若者――つまり陽子に不審を顕にした視線を向けられるがそれには気付かない振りをする。

ショウタイシ、と呼ばれていた。
タイシ≠ニは太師≠フことだろうか。それは陽子が遠甫を金波宮に招こうと、彼に差し出した位だ。
この国の組織は十二国と同じなのか、それとも似ているだけか。

ショウタイシはちらりと視線だけで陽子を振り返り、低い声を発した。

「言いたいことはいくらでもあろうが、ここでは人目がある。今は黙って付いてきなさい」

「……」



たどり着いた先は建物の奥まったところにある一室だった。簡素ながらも趣味の良い調度が揃う室内の中心には、卓と椅子が三脚ある。

そのうちの一脚に腰を下ろしながら、ショウタイシは室の隅の棚に置かれた茶器を陽子に示した。

「すまぬがそこの茶を入れてくれんか。お前さんも喉が渇いたじゃろう」

それは事実だったので陽子は素直に従った。――それに同じものを飲むのならば、茶に妙なものが入っていることもないだろう。

湯気の上がる茶飲みを持った陽子が卓に向かうと、ショウタイシは筆と紙を用意していた。陽子は茶飲みを卓に下ろし、彼の向かい側に座る。

「さて、まずは名乗るところからかの。ワシは霄瑤旋と申す。ここ朝廷では太師の位を拝命しておるな。お主の名は?」

「――中嶋陽子」

言いながら、差し出された筆を受け取り字形を示す。
白い紙に二つの名前がよそよそしい隙間を開けて並んだ。

「陽子、か。変わった読みじゃな。――ところで最初に聞いておきたいのじゃが、ここはお主が本来いた場所ではない。そうじゃな?」

陽子は大きく瞠目した。

――この老爺は何者だ。

胸の内で幾度も繰り返してきた問いを陽子はまた繰り返す。
それを知ってか、霄太師は白髭に覆われた口元を曲げて笑みを漏らした。

「そう身構えるな。ワシは人よりちいと目が良くてな、お主の気脈がこの国の者とは異なっておるが分かっただけじゃよ」

それは陽子が異界の者だからなのか、それとも神籍に入っているが故か。

それに、と霄太師は続けた。

「陽子のように異国から突然現れた人間の例は過去にもいくつかある。と言っても数百年に一度あるかないかくらいのものじゃがな。しかし記録によるとそのような者とは言葉が通じず、このように意思疎通が成った例はなかった筈じゃ。陽子はこの国――彩雲国の言葉を知っておったのか?」

「私の国では、位の高い者は仙となり、年を取らず言葉の壁もなくなるんだ」

「それはお主自身が国で高い位についていたと、そういうことじゃな?」

「……今はあまり詳しく話したくはない」

まだこの状況を身の内で消化できていない。蓬莱でも崑崙でもない見知らぬ国に流れ着いた理由も、ここでどのような立場にいるのかも何一つわからない。自分の身の上話をする余裕は今の陽子にはなかった。

「ふむ、よかろう。話したくないものを無理に聞き出すつもりはない。では次に、お主がこの国に現れた所以についてじゃが」

霄太師はそこで言葉を切って陽子が入れた茶に口をつけた。

それを見て陽子も喉が渇いていたことを思い出し、ぬるくなった茶を喉の奥に一気に流し込む。

「――陽子が倒れておったのは仙洞省という所でな、様々な呪具やら古い書物やらで溢れておる場所なのじゃ。故に、常に気≠ェ揺らめいている場所でもある。揺らめく程度ならば問題ないのじゃが、本当に時偶、気≠ノ綻びが生じることがある」

「綻び……」

「そうじゃ。気が綻ぶということは、本来交わることのない二つの空間が一つの穴によって繋がってしまうということ。じゃがこの綻びは滅多に生じるものでもないし、たとえ穴があいたとしてもそれはごく小さなもので、人が通るようなことは更に少ない」

「私は、その小さな綻びを潜ってこちらに来たということか……」

「そういうことじゃの」

それではやはり、陽子は蝕によってここへ流されてきたのだ。あの日のあの時間にあの場所で綻びが生まれ、さらに陽子がそこに居合わせたという、天文学的な確率で起こった出来事によって。

「私は――帰れるのだろうか……?」

ただそれだけが気掛かりだった。

――日が暮れるまでには帰ると言ったのに。

金波宮では今頃大騒ぎになっていることだろう。話にも聞いたことのないような場所に流されて、捜索されたところで泰麒のように見つかる筈もない。

「さてな。帰れる可能性は低いが、無ではなかろうな。じゃが綻びをわざと作り、尚且つ目的の場所に繋げることはこの上なく難しい」

陽子は掌に血が滲むほど拳を握り締めた。


「それでも私は帰らなければならない――どうしても、帰らなければならないんだ」


景麒が、官が、友人が、民が待っている。
慶はまだ復興の最中なのだ。こんなことで玉座を空けるわけにはいかない。

「落ち着け」

嗜めるような声が霄太師から放たれた。

「焦ったところでどうにかなりはせん。一朝一夕で解決するようなことではないからの。時間をかけて文献を探せば何か見つかるかもしれぬが、お主には取り敢えず身を落ち着ける場所が必要じゃな。今回の件でお主は言わば被害者、わしに出来ることがあれば協力もしよう」

そう言って、霄太師は陽子に一つの提案を持ちかけた。


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