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彩雲の緋
取引
あちらでは官も民も、罪を犯せば基本的に秋官が裁く。

朝の初めなどには勅令で断行することもあるが、これはあくまで例外的な措置であり、日常的に用いられる手段ではない。
 
登極した王が一番に悩むのも、奸臣の排除と信頼できる官僚を見つけること。陽子もまた例外ではなく、件の和州の乱まで、金波宮で信頼できる臣下といえば景麒しかいなかったのだ。
 
だからこそ、陽子は彩雲国の御史台という機構に強く興味を引かれた。独自の捜査権と捕縛権を有しており、官吏のみを対象に監査を行う部署。官位の低い御史であっても州牧の解任権を持つのだと聞いた。

あちらで御史と言えば春官の内史に属するのだが、こちらでは随分と意味合いが違うようだ。



御史台へ至る廊を歩きながら、陽子は考えていた。
 
――さて、どうするか。
 
御史か、叶うなら御史台長官と話をしてみたいと思って勢いでここまで来てしまったけれど、そう上手くいくかどうか。御史台の性質からして、やすやすと余所者に対して開かれるような場所だとは思えない。余所者だからこそ、という可能性も考えたが、まあ九割方無理だろう。

兎に角、まずは誰か人に遭わないことには話にならない。もともと人の出入りの少ない部署なのか、先程から辺りには人っ子一人見かけなかった。
だからと言ってまさかそこら辺の室を勝手に開けてみる訳にもいかないだろう。

どうしたものかと逡巡していると、唐突に後ろから投げかけられた声があった。

「どうかしましたか?」
 
振り向くと、そこには色素の薄い髪色をした若い官吏がひとり立っていた。

「留学生の中嶋陽子さんですよね。御史台には何かご用事で?」
 
腕にはまった銀の腕輪がよく似合う、爽やかな好青年に見えた。けれど長年臣下たちの愛想笑いと付き合ってきた陽子はその態度の下に隠れているものに気付く。

相手に分からない程度に顔を顰めつつも、陽子は青年に問い掛けた。

「あなたは御史のひと?」

「ええ。陸清雅と申します」
 
どこかで聞いたことのある名前だ。記憶を探ると、ある単語が浮かび上がった。

――官吏殺し。

そう、誰かがそんな噂をしていた。御史台長官の秘蔵っ子、陸清雅。その検挙の手口には情けも容赦もなく、ついに付けられたあだ名が官吏殺し=\―目の前にいるこの青年のことだ。

「それで、ここへのご用事は?」
 
にこやかな顔とは裏腹にその目は用がないならさっさと帰れ、と語っている。

それには気付かぬ振りをして陽子は自分の目的を告げた。

「少し、見学させてもらいたい。私の国でも官吏の不正には悩まされてばかりでな。官吏専門の公安というところに興味があるんだ」

「申し訳ありません。ここは朝廷でも特殊な部署でして、外部に情報を漏らすわけにはいかないのですよ」

「それなら話を聞くだけでもいいんだ。御史台長官に会えないか?」

「長官はお忙しいので、難しいかと」

「では他の御史は? 例えばあなたはどうだ」

「僕の一存では何とも……。長官に伺いを立てておきますので、後日いらしてみてはいいかがですか?」

そうは言っても、ここで引き返せば今後もはぐらかされ続けるに決まっている。
 
堂々巡りのようなやりとりは、陽子が登極したばかりだった頃の官たちと交わした上辺だけの会話を思い起こさせ、ひどく陽子を苛つかせた。


「白々しい愛想笑いを振り撒くな。不快だ」


噛み締めるような低い声が、意図せず陽子の唇から漏れた。
 
清雅の眉がぴくりと跳ねる。
 
陽子は自分の言葉に少し驚いて、口に手を触れる。しかし言ってしまった言葉は引っ込めることは出来ない。何よりもそれは本心からの言葉だった。
 
改めて清雅の顔を見ると、人の良さそうな笑顔は張り付かせたまま。けれど目だけが笑っていない。

「客人に丁重な態度で接するのは当然の礼儀だと思っていたのですがね」

「嘲笑を上から塗り固めて見えなくするための笑顔を礼儀とは言わないだろう」
 
うんざりしたような陽子の溜息に、清雅は目を細め、僅かに口角を上げた。

「――いいですよ。では腹を割って話しましょうか。ここではなんですから、僕の室までどうぞ?」



持ち主の性格が現れたような、一分の隙もなく整えられた室。

陽子の後ろから室に入った清雅は 清雅は後ろ手に戸を閉めると一切の表情を消して陽子を正面から睨み据えた。

「本音で話して欲しいんだろ? ならはっきり言ってやる――御史台に立ち入るな。目障りだ」
 
先程までとは打って変わって、敵意をむき出しにした台詞。色の薄い双眸はギラリとした殺気を放っているようにも見えた。
 
陽子は驚嘆したように目を見開いた。

「それがあなたの素か? 随分といい性格しているな」

「ほう、褒めてもらったようで光栄だな。ところでさっき言ったことが聞こえなかったか?」
 
陽子は苦笑した。

「随分と嫌われたものだ。私はあなたに何かしただろうか」

「いいや?」

「では何故?」

「分からないのか?」
 
清雅は見下すように鼻を鳴らす。

「お前が女で、この国の官吏でもないくせに好き勝手に外朝を彷徨いているからだ」
 
女、という部分に込められた並ならぬ憎悪の感情を感じ取って陽子は顔を歪める。
 
女だから、女王だからと卑下されるのには慣れてしまったが、やはりこういう風に言われては良い気はしない。
 
不快を瞳に映せば、清雅は悪びれもせず真っ直ぐに睨み返してくる。

ふと、陽子はあることを思いついた。これを言ったら目の前の男はどんな反応を示すだろうか。

陽子は小さく笑みを浮かべて、面白いことを教えてあげよう、と前置きする。

「知っているか。私の国ではね、女は子供を産まないんだよ」

「……は?」
 
突然の切り出しにぽかんとした風の清雅を見て陽子はますます笑みを深める。

「子供は木の実の中から生まれる。人だけじゃない、鳥も、獣も、魚も、全て。親が生むのではなく、木になって生まれてくる。男女の違いなんて、体つきがほんの少し違うことを除けば何もないんだ」

「……おい、頭でもおかしくなったのか?」

陽子はくすくすと笑った。

そう、こんなことを聞かされれば普通の人ならそう思う。陽子も初めはとても信じることができなかったのだから。まして、自分もそんな風に生まれるはずだったのだと聞かされれば尚更。

「余談だ。本題に戻る。あなたは遠い国からやってきた留学生のためにほんの少しでも自分たちの仕事を見せてやろうとは思わないのか?」

「俺がそんな殊勝な奴に見えるか」

「いいや、残念ながら」

辛辣な会話を交わしながらも、陽子は清雅の気質を嫌いにはなれなかった。 少し挑発しただけでここまで本心をさらけ出してくれたところには、好感さえ持てる。
 
こいつの信頼を得てみたいな、と思った。今のところは敵意しか持たれていないみたいだけど。 

「ではこういうのはどうだ? あなたが私に御史台のことを話してくれる代わりに、私はあなたが知りたいことを教える、というのは」

「ほう。お前なんかが俺の興味を引けるような情報を持って来れるとは思えないがな。外朝を彷徨いている間にどこかの官吏の弱みでも握ったか」

「そういう訳ではないが」

陽子は床に落ちる自分の影に、ちらりと視線を寄越す。

「あなたが知りたくて、でも調べるのが難しいようなことがあれば、力になるぐらいのことは出来る」

「この国に来たばかりのお前にそんな伝があるのか?」

「伝ではない。どちらかと言うと手段だな」

「手段?」

清雅は不審そうに眉を顰める。しかしその瞳の奥で微かな好奇心が点ったのを陽子は見逃さなかった。

「あなたがこの話を飲んでくれたなら見せてやろう」
 
そう言って陽子は企むように微笑した。

陽子の言う手段≠ニは班渠のことにほかならない。

遁甲した使令は気脈を泳ぎ、いかなるところにでも潜り込むことが出来る。諜報活動にこれ以上の適役はいないだろう。――そんなことを言葉で説明したところで、この国の人間に到底理解出来るはずもないが。

「それで、どうなんだ?」
 
妙な女だ、と清雅は思った。この提案といい、先程のふざけた発言といい。

貴族のようには見えないのに、人に命令することに慣れているような節もある。

清雅は逡巡した。陽子の言う手段とやらが気にならないと言えば嘘になった。

それに彼女が存在することで今後朝廷にもたらされる影響を思えば、ここで繋がりを持っておくというのも悪くない。
 
清雅の薄い唇が、返答を紡ぐためにゆっくりと動く。

「いいだろう。その条件、飲んでやる」


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あきゅろす。
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