75-2 ELSENA 第一話 不思議な同居人(その2) 翌日。身体に異常な重圧感を感じ、ディーンは目を覚ました。 「う…………?おわっ!?」 なんと目の前いっぱいに、逆さまになった少女の顔があった。驚いてそこをどこうと思ったが、身体が動かない。もがこうとしたところでディーンは、その少女がエルセナであることに気付いた。そして同時に、ベッドに寝かせたはずのエルセナが、床で寝ているディーンの身体の上に、仰向けになって眠っている事が分かった。どうやらベッドから転げ落ち、そのままディーンの上まで寝返りをしながら来たらしい。凄まじい寝相だ。 ディーンは何とか身体を起こすと、あどけない、というよりも間抜けな寝顔をしているエルセナを、そっと抱き上げた。そして、もう一度ベッドの上に寝かせた。 久々に床で寝たのと、エルセナの圧迫のせいで、体中がズキズキと痛んだ。 一旦身体をほぐすと、ディーンは朝食の支度を始めた。いつもより少し早いが、寝直すには時間が足りなかった。 二人分の食事を作るのも久し振りだが、別に苦ではない。ディーンは料理は好きだった。 一人暮らしなので自然と上手くなるものだが、そういう過程が好きだった。 朝食ができたので、エルセナを起こすことにした。またしてもベッドから転落していたエルセナを揺り起こす。 「エルセナ、エルセナ。朝だよ」 「んー…………?」 眠たげな顔をして、エルセナは起き上がった。 「ほら起きて。もう朝ご飯作っちゃったから」 「うー…………眠い……」 そのままベッドに倒れ込もうとするエルセナを押さえ、洗面所で顔を洗わせた。しばらくパシャパシャやっていたエルセナは、やがてすっきりした顔を上げた。 「ぷー…………」 「目、覚めた?」 「だいぶ」 にこっと笑って、エルセナは顔を拭く。 「おいしそうな匂い〜」 エルセナはリズミカルに身体を揺すって、ダイニングへと向かう。ディーンもそれについていった。 「これ、ディーンが作ったの?」 「うん。気に入ってくれると嬉しいけど」 エルセナは、まだ湯気の立つ朝食に口をつけた。そしてすぐに感想を言う。 「おいしー!」 「はは。ありがとう」 ディーンも座って食べ始めた。 二人で食べる食事は、一人の時よりも楽しい。会話をすること。笑い合うこと。そして何より、人といること。それだけで、普段よりもおいしく感じられる。古代より続いてきた人とのつながりは、今も存在し、そしてこれからも永久に続いていくのだろう。感慨深く思って、ディーンは朝食をとった。 それが終わると、ディーンは仕事に出る。『エルセナ』の行政は、一から二〇までの小区域に分けられ、中央の管理センターがそれぞれを管理している。ディーンは、その管理者の一人だ。昨日のブラックアウトの件もあり、山のような報告書が寄せられていることだろう。自分の想像にうんざりしながら、ディーンは外に出た。 「どこいくの?ディーン」 そのあとを、エルセナがついてくる。 「仕事だよ。悪いけど、留守番していてくれないかな?」 「んー……家にいなきゃ駄目?」 「別にいいけど……迷子にならないかな」 「大丈夫だよ。そんなに遠くには行かないから」 まかせて、といった風に、エルセナはどん、と自分の胸を叩いた。 「ま、それならいいかな。でも気をつけてね」 「うん!いってらっしゃい」 「いってきます」 いつもと違う、ほのぼのとした気分で、ディーンはセンターへと向かった。 しかし、それは間違いであった。 ディーンは、エルセナを一人にするべきではなかったのだ。 センターは大混乱だった。 停電により、各地に甚大な被害が出ていた。ほとんどの機関は停滞し、ライフラインは動かなくなり、住人も管理者もその対応に大慌てのようだった。昨夜からの残業組は不眠不休らしく、皆顔色が悪かった。彼らと仕事を交代し、ディーンは予想通りの報告を処理し始めた。 今までこれほど大変なことはなかった。潰しても潰しても、次から次へと仕事が来る。 やっつけ仕事にする訳にもいかないので、全くキリがなかった。 昼休みにはようやく一段落ついた、といったところだが、まだ油断はできない。しかし、ディーンは休憩のために、一時自分の机を離れた。コーヒーを入れ、廊下でくつろぐ。 しばらくぼうっとしていると、階段の上から何やら騒ぎ声が聞こえてきた。 「うわー!データが消えてるー!」 「ちょっと待って、誰こんな指示出したの!」 「ウイルスだー!」 一つ上の階は、第一五地区担当だ。何か余計なハプニングが起きているようだ。 なんとなく嫌な予感がして、ディーンは部署に戻った。 「うわ、何じゃこりゃ!」 「ウソ……壊れた……」 被害は拡大中らしい。ディーンは急いで自分の机に戻った。 自分のは何とか無事らしいが、ゆったりしている暇はなさそうだ。コーヒーを机に置き、ディーンは新しく来た報告と、その他の原因不明のトラブルを処理しにかかった。途絶えることなく、迅速且つ的確にキーを押し、敵をやっつける。だが、敵の勢いはそれを上回っているようだ。 「ディーン!そっち終わったら手伝ってくれ!」 「こっちもお願い!」 「りょーかーい!ちょっと待ってて、今行く!」 ディーンは管理者の内でも有能な方だと見なされているので、他人からヘルプを頼まれる事は多かった。元々人当たりのいい性格なので、周りも好意的に見てくれている。 ディーンは、現時点での自分の仕事を全て片づけると、呼ばれたところに助っ人に行っ た。そして、見とれられるほどのスピードでそこも処理していく。 「おい、ディーン・ユーリオっているか?」 一人目を終え、二人目の手伝いをしていると、一人の男が部屋に入ってきた。 「僕ですけど、何か?」 一旦作業を止め、顔を上げる。 「面会人だ」 「面会人?誰です?」 「名前……すまん。聞き忘れた。でも女の子だよ。一階のロビーだ」 「はあ、どうも……」 ちょっと行ってくる、と断って、ディーンは部屋を出た。エレベータを使って一階まで降りる。女の子と言われても、心当たりはなかった。 しかし、ロビーのソファーに座っているその女の子を見て、ディーンは驚いた。何故彼女がここにいるのか。 「エルセナ!」 「あ、ディーン」 名前を呼ばれて、エルセナは立ち上がった。ぱたぱたとディーンに駆け寄ってくる。 「どうしてここに?それに何で僕がここにいるって分かったの?」 行き先は教えていないし、多少距離もある。歩いて来たのだろうが、何故わざわざ管理センターに入ったのか。 「……はて?そういえば何でだろ?」 エルセナは頭に手を置き、考える仕草をする。しばらくうんうん唸っていたが、やがて何か閃いたのか、ぱっと顔を上げた。 「えっとね、ディーンがここにいると思ったから」 「……超能力者か、君は」 にこにこと笑うエルセナに対し、ディーンはげんなりした顔をする。全く答えになっていない。 「ま、いいや。でも僕まだ仕事残ってるから、もう少し待っててくれるかな?」 「うー……待ってるの嫌い」 不満そうにエルセナは言う。今も、退屈で外を歩き回っていたのだろう。 「でもそうして欲しいんだ。今すごくごたごたしてるからね」 「うん、そうみたいだね。さっき見てきたけど」 その言葉に、ディーンは一瞬固まった。 「見てきたって、まさか……何かいじったりしなかった?」 なるべく平静を装って、ディーンはエルセナに尋ねた。 「ほえ?ううん。六階とか七階とかにあった機械ちょっと触っただけだよ?」 それをいじったって言うんだよ、という言葉を何とか飲み込み、ディーンはエルセナに笑いかけた。 「……分かった。とにかくじっとしてて。余計な物には触らないでね。すぐ戻ってくるから、そしたら昼ご飯食べに行こう」 「うん」 エルセナは何も知らないに違いない。自分がセンターのパニックを大きくしてしまったことを。恐らくエルセナは、訳も分からずビル内をうろつき、コンピューターを壊しまわって、そうこうしているうちに保護されたのだろう。 フロントにエルセナの相手をしてもらうよう頼み、ディーンは自分の部署に戻った。 ディーンが一階にいる間にまたしてもコンピューターがいくつか壊れたらしく、現場は更に混乱していた。 (破壊魔か、あの子は) ディーンはがっくり肩を落として、自分のデスクに就いた。 エルセナと昼食をとり、エルセナを無理矢理家に帰したディーンは、一九時頃になってようやく仕事から解放された。 あと三日ほど過ごせば、当面は大丈夫なはずだ。事後処理にはもっと時間がかかるだろうが、今日一日でだいぶ片づいたので、ディーンは安心していた。 帰り際、一応警察に立ち寄ったが、捜索願は古い物しかなかった。もっともディーンは、センターにいる間に調べていたので、寄る必要は最初からなかったのだが。 「ただいま」 と自宅のドアを開けたところで、突然襲いかかってきた異臭に、ディーンは顔をしかめた。すぐにかがみ込んで、その空気を肺から追い出す。 「あ、おかえり……」 ディーンが顔を背けて咳込んでいると、中から、顔を真っ黒にしたエルセナが、困った表情で出てきた。 「エルセナ……これは、何?」 硫化水素の匂いに、アンモニアの刺激臭を加えたような強烈な気体。ディーンは口と鼻に手を当てて尋ねた。 「えっと……ごはん、作ってたんだけど……」 ひきつった笑顔でエルセナは答える。ディーンは目眩がした。普通の食材をどう料理すれば、こんな殺人的な臭いを作り出せるのだろう。 口と鼻を押さえたまま、エルセナに窓を開けてきてくれるように頼んだ。エルセナはこの臭いは平気なのか、すぐに中に戻った。不吉な空気が抜けていく間、ディーンはドアの前でしゃがんで待っていた。頃合いを見計らって中に入る。 荷物を置いたディーンは、まずキッチンに向かった。そこはまるで、四次元亜空間のようになっていた。 「……エルセナ」 「何?」 「……無理しないでね」 スポンジに洗剤をつけ、ディーンはまず汚れた壁やコンロを掃除していった。 「ディーン、何か手伝う?」 後ろでエルセナが訊いてくる。 「じゃあ、座って待ってて」 トラブルメーカーに何かさせるのは非常に危険なので、ディーンはそう即答しておいた。 これ以上面倒を起こされるのは勘弁して欲しかった。 汚れを落とし、きれいにしていく。鍋もひどいことになっており、またダイニングにも被害は及んでいた。それらも落とし、悪臭を消すまでに、たっぷり二時間はかかった。その間エルセナには、自分についていたススを落としてもらった。 「はぁ…………」 最後に手を洗い、ディーンは椅子にへたり込んだ。昨日今日と異様に疲れた気がする。 「……ごめんなさい」 その様子を見て、消え入るような声でエルセナが言った。 「何が?」 「……余計なこと、しちゃって……」 うなだれたまま、エルセナは呟くように謝る。ディーンは失笑した。 「いいよいいよ。お腹空いてたんだよね?」 「あぅ……そ、そうじゃなくて、ディーン、帰ってくるの遅いかもしれないから、だから……」 あたふたして弁解し、エルセナはますます縮こまる。 「そっか……ありがとう、わざわざ」 「あうぅ……」 「でも作ったことないなら、無理しなくていいよ」 「う、うん……」 「でも、そうだね。僕はいつもこのくらいに帰るから、簡単に作れるやつなら僕が教えるよ」 「ほんと!?」 ディーンがそう言うと、途端にエルセナはぱっと明るい顔になった。 しかしその明るさは、エルセナの腹の音の大きさと反比例して小さくなった。 「はははは。じゃあもう遅いし、早速作ろうか」 「う、うん……」 申し訳なさそうなエルセナの頭を撫で、ディーンは立ち上がった。今ので、疲れはほとんど吹き飛んでしまった。 「それじゃあ、何にしようかね……」 ディーンは、何とか無事だった冷蔵庫を開け、材料を物色し始めた。 (第一話終わり) [*前へ][次へ#] |