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73-3 Zephyr 第四話 想い、届けて(その3)
 完全に陽も落ち、夜という時間。結城は、秋月家の門の前に座り込んでいた。
今更尻込みしている訳でも、既に玉砕した訳でもない。単に呼吸を整えているだけだった。
階段の昇降は、落下の衝撃が加わる分、下りの方が足にかかる負担は大きい。まして文字通り段違いな天宮神社の石段では、膝がおかしくならない方がおかしかった。
 結城は深呼吸して、息と気持ちを落ちつける。
そして敷地に入ると、扉の横にある呼び鈴を押した。
 少しして、カラカラと扉が開いた。
「……川本さん」
「……やあ」
 出てきた絣は、結城を見るなり眉をひそめた。やはりまだ怒っているらしい。
「何か?」
 明らかに拒絶した口調で絣は尋ねる。その態度に結城は閉口したが、負けじと笑いかけた。
「ちょっと、話があるんだけど、いいかな?」
「…………はい」
 幾分躊躇ってから、絣は結城を家に入れた。とりあえず門前払いにならなかったことで、結城は安心した。
 居間の座布団に座り、絣の出したお茶を一口すする。
「……何の用ですか?」
 対面の座布団に絣が座る。その声には、侮蔑が含まれていた。
 突き刺さる視線を誤魔化すため、結城はもう一度お茶を飲んだ。
「……あのさ」
 湯飲みをとん、と置いて、結城は絣を見た。
「この間はごめん。絣ちゃんの気持ちも考えないで責め立てて」
 そのことか、という風に、絣は目を伏せる。
「……いえ、いいんです。本当のことですから」
「……本当に、立ち直れないと思ってるのか?」
「はい……」
「そっか……」
 結城は頭を掻いた。その手を下ろして、再び絣を見る。
 ここからが勝負だった。
「そうだよなあ。絣ちゃんの性格じゃ、絶対無理だろうなあ」
 わざと皮肉っぽく結城は言った。その言葉に、絣はバッと顔を上げる。
 驚き。そして悔しさ。
 図星をつかれたせいで、絣は泣きそうになった。
「そんな……!」
言い返そうとして、絣は俯く。口をきゅっと結んで、目だけが結城の方を向く。
「わたし……私は……」
「だからさ」
 これ以上はまずいと思って、結城は口を開いた。
「……変わらなくていいと思うんだ」
「え?」
 絣は今度は、顔ごと結城の方を向いた。
「絣ちゃんが変われないって言うなら、変わらなくていいと思うんだ」
「……はあ」
 毒気を抜かれたような表情で、絣は曖昧に返す。
「……なあ。絣ちゃんが俺をどう思ってるかは知らないけど、少なくとも、俺と絣ちゃんは他人だったよな?」
「はあ……はい」
「なのに、どうしてこんな風に話せるようになったと思う?」
 「他人」と話さない絣。二人はお互い名前も知らなかった他人同士だった。それなのになぜ、絣がその理由を話せるほどの関係になったのか。
「あ……えっと……」
 絣は口に手を当てて考え込む。予想もしていなかった問いだったらしい。
「……俺と絣ちゃんてさ、二人だけで話したこと、あんまりないよな」
「そうですか?」
「ああ。いつも……成羽がいただろ?」
「あ…………」
 そういえば、と絣は呟く。確かに、絣のそばには成羽がいた。むしろ、成羽のそばに絣がいたくらいに。
「俺と絣ちゃんがこうして話せるようになったのは、成羽がいたからなんだ。あいつが、馬鹿言うにしろ真面目言うにしろ、とにかく喋りまくってたおかげで、俺たちも自然と話せてただろ?」
「……そう、ですね」
 絣は小さく頷いた。
 二人だけで話していないということはそういうことだ。成羽がいたために、二人が二人で話すことはほとんどなかった。しかし、成羽のおかげで、二人の会話は成立していた。
「成羽がいてくれてたおかげで、絣ちゃんは話をする方の絣ちゃんになっていた。だから俺と話すときも、そっちの素の状態でいられたんだ。……成羽は俺達の会話の、仲介役だったんだよ」
「ちゅうかい、やく……」
「だから、絣ちゃんが少しでも他人と話そうと努力するって言うのなら……」
 一度間をおいて、結城は息を吸う。
「今度は……俺がその役目を負ってやる。ずっと絣ちゃんのそばにいて、話をする時の仲介役になってやる。絣ちゃんが、手助けがいらなくなるまで、いや、その後も、ずっとな……!」
結城は一気に言った。
 これで駄目ならもう諦めるしかなかった。絣を救う方法は、もうこれ以外にはないからだ。
「今はまだ絣ちゃんも学生だから無理だけど、就職したら俺もそこに転職するよ。それで、ずっと、そばにいる」
早口にまくしたてて、結城は絣の言葉を待った。
 長かったか短かったか、二人はじっと見つめ合っていた。
 絣の唇が動いた。どうして、と。
「……どうして、そんなことができるんですか?どうして、そんなことをしてくれるんですか?」
「……決まってるだろ」
 年甲斐もなく心臓が高鳴るのを感じながら、結城はその言葉を告げた。
「絣ちゃんが……好きだからだよ」
 あとはもう何も言わなかった。結城はただ、絣の瞳だけを見つめていた。
 本当に、本心からの気持ちだ。その場しのぎでも、同情でもない。結城は絣のことが好きだった。だから今でも、この町を離れられなかったのだ。
 初めて会った時と同じ、寂しげな表情で、絣は結城を見つめ返す。まるで、その答えを聞きたくなかったかのように。
「わたし……」
 すっと、絣が目を伏せる。
「意固地で、可愛げなくて……頑張れる気力があるかどうかも分からないんです……」
「ああ。知ってる」
 出会って二週間だけど、よく分かっている。
「それでも……?」
「ああ」
「それでも……支えてくれますか?」
 涙で潤んだ瞳で、絣は聞いた。
 結城は、これが答えとばかりに、にっと笑った。
「ああ。任せとけ」
「……川本さん」
 それは、ごく自然な行動だった。結城はテーブルをまわり、絣の横に行った。
「……絣ちゃん」
 そして、目の前の少女をそっと引き寄せる。壊れやすい物を守るように、優しく抱きしめて。
「たっだいまー!!」
 そして。というところで、玄関の引き戸がそのまま吹っ飛んでいくのではないかと思われる勢いで、成羽が帰って来た。
「………………!!」
 瞬間的に結城と絣は離れた。その速度は、もはや音に追いつく程だったろう。
「お腹空いたー……ってあれ?絣、ご飯作ってないの?」
 それまでの雰囲気を粉微塵にするかのように、ムードクラッシャーは間抜けな問いをかけてくる。
しばし居間に、真っ白な沈黙が訪れた。
「…………成羽。お前なあ」
「え?もう終わってたんじゃないの?」
 自分のしでかしたことの重大さにようやく気付いたのか、気まずい表情になる成羽。そしてまた、烏の鳴き声が聞こえてきそうな、間抜けな沈黙。
 その中で、絣がぷっと吹き出した。
「あはっ……あははははは!成羽、タイミング、すっごく悪いよぉ!」
 声をあげて笑いながら、絣は成羽を非難する。
「え?ち、ちょっと絣!何?何よそれ?何があったのよ!?」
「何でもない。なーんでもないよ」
 さわやかな笑顔で、絣は軽く受け流す。その様子を見て、結城は安心した。
あとは、結城と絣次第だ。
だが、それは苦ではない。好きな人のためなのだから、いくらでも努力できる。
「川本さん」
「うん?」
 急に賑やかになった空気の中、ふっ切れた表情で絣が声をかける。
「……これからも、よろしくお願いします」
「……ああ」
その笑顔に、結城も笑って返す。
 そして、少女の心の闇は、少しずつ晴れてゆく。

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