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38



次第に雨脚が強まっていく中、みっともなくも歯の根が合わないガチガチという音だけが耳に届いていた。
寒いわけじゃない。寧ろ腹の中で渦巻く焦りと自分への怒りと不安とで、発火してしまうのではないかと思うほどに体が熱い。
雨で濡れた髪が張り付くのが鬱陶しく、頬に張り付くのを乱雑に掻き揚げた。

雨でぬかるみ始めた土を蹴り、音が聞こえる方向に迷わず走る。今度こそはあの子かも知れない、そう願って何度だって走り出す。
頬を流れるのは雨なのかそれとも別のものなのか、もうわからなくなっていた。


「―――レイ!!」


もう何体めかもわからないほど、魔獣を切り捨てていた。倒しても倒しても、奴らは後から後から湧いて出てくる。
今しがた切り捨てたゴブリンの死体を無感動に見下ろし、先ほどまでの胸糞悪い光景を思い出す。娘だろう若い女を攫おうと囲むゴブリン数体と、それに果敢に立ち向かう父親らしき男。
男が殺されてしまった後の、攫われた娘の行く末なんて一つしかない。

ゴブリンを切り伏せた後、泣いて感謝を口にする村人を逃がし、ポーションを出来るだけ持たせて広場へ向かうように誘導した。
どうやら生存者達が固まってそこで防衛戦線を築いているらしく、何人かの騎士と冒険者にはあんたも来いと再三言われていたからだ。
そこにいれば、一人でいるよりかは助かる確率も上がるだろう。


「ガルド……?」


魔獣の返り血を浴びて、どろどろに汚れたローブ。雨に打たれてずぶ濡れになった体と、駆けずり回って泥塗れになっている足元。
同じ事をずっと繰り返している倦怠感と、精神的な疲労とで注意が散漫になり、意識が朦朧とし出していた。

その最中、ふと呼ばれたような気がして、空耳かと虚ろに視線を動かした先で。
駆け寄ってくる一人の男を見つけた。

ぼんやりとそれを眺めていた。
腰にはショートソード、革の胸当てと脛あて、背には狩り用の弓だろうか。所々細かな傷は負っているようだが、致命傷と呼ぶような大きな傷は無いようだった。
不意にその両腕が、こちらに伸ばして寄越される。

「レイ!」

ぎゅ、っと抱きしめられた。
力の限りと言わんばかりに、もがくことすら難しいほどの力強さで。

「レイ、レイ、無事か? 怪我は無いか、痛いところは?」

腕や肩を確かめるように撫でられ、濡れた頬を優しく拭われた。
魔物の血で汚れきった体はさぞや見苦しく触れるのを躊躇うほどだっただろうに、そんな事を微塵も感じさせない優しい指先に頬を拭われ、悲しみだとか苦しさだとか恐怖だとか、いろんなものが混じり合ってまた痛いほどに胸を圧迫する。

「ガルド、が、るどぉ……」
「ああ、一人で怖かっただろう……こんなになるまで戦って。広場に来た人達からレイが一人で戦っていると、早く行ってやれと言われたんだ。こんな無茶をして、お前は本当に……馬鹿だなあ」
「、だって、おれ」
「俺達を助けに来てくれたんだろう? 勿論わかってるさ。わかってるが、お前がこんな時に一人で、こんな風になっていると聞いたときは、本当に心臓が止まるかと思った」
「……」

強く抱きしめられた腕の中、硬い鎧越しにどくどくと激しく脈打つ心臓の音が聞こえる。急いで駆けつけてくれたのか、未だ整わないガルドの荒い息と、熱いほどの体温にじわりと安堵感が押し寄せた。

よかった、この人は生きている。
よかった、失わないで済んだ。

抱きしめられるばかりだったのを、恐る恐る腕を伸ばして、その背をそっと抱きしめ返す。
硬い筋肉越しの強張った肩は、ほんの微かにだが確かに震えていた。宥めるようにそっと撫でて、あまり深い傷は無かったにしろ細かな傷を負っているその体に、口中で声に出さずにヒールを唱える。

ガルドの治癒が終わるのと、声を掛けられたのはどちらが先だったのか。

「おいおい、感動の再会は結構だがなあ、時と場所を選んで貰えるか?」

どちゃどちゃとぬかるんだ土を踏みしめる足音が複数して、数人の冒険者と騎士に囲まれる。
その中には一人だけ魔法使いの姿があり、何故こんなにも村が炎に撒かれているのか誰に言われるまでもなく察した。

村を焼き討ちしたのは、恐らくこの魔法使いの男だ。
おおかたトレントの弱点が火なのをいいことに、所かまわず火魔法を使いまくったのだろう。

「おう、そっちのあんたがポーション配ってた奴か?」

髭面で顎の角ばった大男に、鋭い眼光で睥睨される。疚しいところは別に無かったが、流石にガルドと抱き合ったままでいるのも居心地悪く、そっと体を離して男に向き合う。

「ああ、はい。ええと、渡した数で足りましたか?」
「おう。ほんと助かったぜ、こんな小さな村じゃポーションは置いて無くてなあ、持ってきたやつが底をついて途方に暮れてたところだった。あんたのお陰で俺の部下が命拾いしたぜ。」
「そうですか、お役に立ったなら良かったです」

言ってほっと息を吐きだして微笑むも、男の厳しい表情が緩まることは無い。

「それで、あんたも戦力として考えていいのか?」
「え?」
「見た所相当な実力者のようじゃないか。そんな頼りない体して、オークを剣で一撃だったらしいな? お綺麗な顔して一体どんなえげつない筋力をしているんだか、その魔法使いみたいなナリは相手を惑わすための見せかけってことか? まあ魔物相手には関係ないんだろうけどな」

これは、疑われているのか。
”俺”という突然現れた正体不明の、魔法使いなんだか剣士なんだかわからない人間を。

「しかも驚くことに、聞けば【ヒール】すら使ってみせたというじゃないか。普通ならそんな与太話、鼻で嗤って仕舞いだがな……あんたは一体なんなんだ? ――勿論、ポーションを提供してくれたことには感謝している。しているが、それとこれとは別の話だ。あんたは一体何者なんだ?」

猜疑心に警戒に、不信感にぎらぎらと光る何対もの目。

ごくりと、固唾を飲み込む。
やってしまった。いや違う、わかっていた事だ。こうなることは頭のどこかでわかっていて、それでも尚起こしてしまったことだ。

幾らポーションを使うには近くに寄ってかけるか飲ませる必要があって、いざという時に間に合わないのを恐れたからと言って、遠距離から飛ばして行使出来るヒールを使ってしまったのは矢張りよくなかった。
良くなかったが、それでも過去に戻れたとしても、きっと咄嗟に使ってしまうことになっただろう。

この混乱した現場でなら見咎められないかもしれないという、そういう計算からの希望的観測も少なからず含まれていた。だがそんな安易な考えを嘲笑うように、こんな場であっても見逃さないような鋭い人間はいるものだ。
これだから見通しが甘く現実が見えていないのだと、己へのやるせなさに唇を強かに噛み締める。

何と答えるべきか、何と答えるのがこの場での正解なのか。
最適な答えを探して、脳内でぐるぐるとああでもないこうでもないと言葉が渦巻く。

「ちょっと待ってくれないか」

男達を前にして黙り込む俺を庇うようにして、ガルドが半身ほど前に出て視線を遮ってくれた。

「この人はちょっと前までこの村に逗留していただけの、普通の冒険者だ。確かに初めて見たら目を疑うほどの腕利きだし、見た目からは想像できない力を不審に思って疑うのはわかる。でもな、あんた達が今すべき事はこんなことじゃないだろう?」
「うむぅ、……だがなあ」
「……俺の娘だって未だ見つかってないんだ。頼む」

その言葉を頭で理解するより前に、ガルドの肩に掴み掛っていた。

「っサシュはあんたと一緒じゃなかったのか?!」

強引にこちらに振り向かせたその顔が苦く歪んでいるのを目にして、先ほどのガルドの言葉が出まかせでもなんでもなく本当の事なのだと知る。
なんで、どうして。そう問いたいのに、口からはただ掠れた息が漏れるだけだった。

「ふん。まあいいだろう、今はあんたの言ったように魔物の掃討と人命救助を優先する。ただし事が収束したら、そこの銀髪からは事情を聴取するからな。そこのお前、逃げるんじゃないぞ」

傲岸不遜にそう吐き捨てて、男が踵を返す。後に従う騎士と冒険者に指示を飛ばして散開させ、未だそこここにいる魔物の討伐に行かせたようだった。
広場に戻るつもりなのか、自分は討伐に向かうわけではなさそうな男の後にぴたりと付き従う、魔法使いの男。

ネイビーの外套に同色のとんがり帽子、至る所に身に着けた宝飾品はマジックアイテムだろうか。
あまり派手さは無いが、生地が上等なそれだとわかる高価そうな装備の中、一際目を引くのはその右手に掲げられた杖だ。
何かの古木なのだろう年季の入った凄みを感じる杖身と、その頭頂部に取り付けられた拳大ほどもある無色の水晶。その身に纏った装備もそうだが、街中で見たどの魔法使い達よりも魔法使いとしてのオーラを感じた。

恐らくただ者ではない。名前を聞けばあの人かとわかるような、その世界では名の知れた人物なのかもしれない。
彼を引き連れた隊長然とした髭面の男でさえ、どこか一歩引いた様な、目上の人間に対する気遣うような態度を取っているようにさえ感じられた。

微かな警戒心を持って去っていく後姿を眺めていれば、不意に振り返った男と視線が交わる。
とんがり帽子のつばの下からちらりと寄越された流し目に、男からの探るような気配と好奇心と、その微かに持ち上がった口角からは嘲りを嗅ぎ取った。

そうしてゆっくりと象られた唇の動きに、ざわりと心臓を撫でられたような気がした。


 そうじが、あまいよ


そうして、悟った。なぜ彼等がこんなにも俺に対して警戒し、敵愾心とも取れるような厳しさを持って接してきたのか。
あの夜の、森の中であったオーガとの戦闘の事が、彼等にはきっとばれていたのだ。

あの「こんなもんだろう」で済ませた俺の拙い隠蔽の痕を、彼らはどんな一体どんな心持で調査したのだろうか。

熊の死骸自体はさして問題にはならないだろうと踏んで敢えて放置したが、それ以外の何が彼等の調査に危険と判断されたのかわからない。
普通に見たらわからない程度には、整地したり血痕を消したりと若干の手を加えたというのに。

この世界には俺の知らない技術が数多く存在する。
生活魔法だってアナザーには存在しなかったし、魔石だってそうだ。
俺の想像し得ない何らかの方法でもって、彼らが隠したはずの戦闘の痕を発見したのは間違いなかった。

そして何故かタイミングよく村の危機的状況に駆けつけてきた、つい数週間前までこの村に滞在していたという謎の魔法使い、つまり俺の事を疑っているのも間違いなかった。

こうしてまた、自分の詰めの甘さを突きつけられて歯噛みする。
この世界の人間を侮っていたつもりはなかった。それでもどこか自分の知識と力に慢心していたのは、こういう結果を招いてしまった今、否定出来はしないのだろう。

「……ガルド、サシュを探しに行こう。きっと待ってる」
「ああ、……平気か?」

ガルドの気遣わしげな問いには、曖昧な微笑みでもって答えた。
派遣されてきたオーガの調査兼討伐隊が森を調査していたのと、その逗留が常よりやたらと長引いていたこと、そして魔法使いの俺に対して警戒心露わなのを目にして、彼なりに何か感じるところがあったのかもしれない。

良かれと思って行ったいつぞやのオーガ討伐ではあったが、こうなってしまっては余計なことをしてしまったのかも知れないという後悔も湧いてくる。

キコ村の人達が、ひいてはガルドとサシュが安全に暮らせるように何かしたくて、安易な気持ちで露払いをした気になっていたのだが、それがこうして良くない事として問題視されてしまうというのなら、何もすべきではなかったのかもしれない。

ああ、ダメだ。こんな今の落ち切ったテンションでは、何をしても何を考えても暗い方向にしか進まない。
誰かに見返りを求めてしたことではない、自分が好きで良かれと思ってやったことなのだ、問い詰められたとしても堂々とそう話をすればいいだけの話だろう。

オーガを森で発見したので、そっと大事にならないように討伐しただけなのだと。そのために戦闘の痕を公にならないよう、細工を施しただけなんだと。

それ以上でもそれ以下でもない。

はあっと気持ちを入れ替えるように深呼吸を一つ、ガルドから事情を聴くために近くの家の軒先に移動した。
雨脚は、最早痛いほどの勢いで肌を打つほどに強くなっていた。




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あきゅろす。
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