[携帯モード] [URL送信]
36



―――それに気が付いた人間が、果たしてここに如何ほどいただろうか。

その日は朝から空は厚い雲で覆われ、いつ雨が降り出してもおかしくないような曇天だった。

時は昼を大分過ぎた頃で、人の波はそれほど多くは無い。それでも高級宿の前で何がしか争っていた様子は周囲の興味をそそり、少なくない人間が野次馬と化していた。

貴族らしき少年と対峙する二人の冒険者。
一人は遠目でもわかる長身の大層な男前で、そういった意味でも衆目を集めていた。もう一人は黒のローブ姿で、遠目からでは性別の判別がし辛いほど華奢だが、その身長から恐らく男だろうと辛うじてわかる。

貴族らしき少年が声高に何か叫んでいる中、唐突に魔法使いらしき黒いローブを着た男が膝から頽れた。
その細身の体が地に打ち付けられる直前に慌てて連れの男が抱えた上げた腕の中で、男は何かに怯えるように、錯乱したように髪を乱雑に掻き毟り、目深に被っていたローブのフードからは見事な銀髪が零れ落ちていった。
曇天の中でも微かな光で、その銀髪が青みを帯びてきらきらしく光る。

介抱する傍らの男の声は、虚しくも届いていないようだった。
ぶるぶると瘧に罹ったように震える細い体を抱え、どうにか意識を自分に向けさせようと揺さぶる金髪の男。ぐったりと俯いた男と目を合わせようとしたのか、指でその顎を掬い上げた拍子にずれ落ちたフードから、乱れた銀髪と白皙が晒された。

息を呑んだのは、誰だったのか。

血の気の失せた白皙は白蝋染みていて、人間というよりか良く出来た人形を思わせる。それも飛び切り精巧な人形を、だ。
人の手では創りえない美しさ、神が手ずから丹精込めて作ったような人の理を外れた美貌。

硝子細工を思わせる繊細な銀の睫毛と、程高く整った鼻、濡れたように艶やかな紅色の唇。青褪めた肌が唇の赤をより際立たせ、妖しいほどに美しい。
いっそそれは禍々しいほどで、人を惑わす魔物だと言われた方が納得できそうなほど蠱惑的だった。

なによりも、その眼が。
茫然と宙を見詰める菫色したその目は、ここには無い、この世ならざるものを見ているように虚ろだった。

果敢無いのだ。触れたら壊れてしまいそうな、砂の城のような危うさ。崩壊する寸前の危うい均衡。
打ち捨てられた人形か、はたまた絶望して堕ちてしまった女神か。清らかなものを陵辱され、踏み荒らされてしまったような痛々しさと脆弱さが、余計に目を惹きつける。

昼過ぎの喧騒の最中であったはずなのに、確かにその瞬間音は存在していなかった。

震える瞼が一瞬き、菫色が澱み、まるで闇が紛れ込んだかのように仄暗い漆黒に変わる。


 テレポート


微かに開かれた唇が音も無く象った言葉を、読み取れた人間がここに一体何人いたのか。

俄かに、地面に魔方陣が描かれた。
二人の冒険者を中心として、濃い蒼の光と薄い青の光が規則的に幾何学模様を描き、融け合うようにして混じりあっていく。やがて眩い閃光が完成したのだろう魔法陣から徐々に溢れ出し、見詰めているのが難しいほどの強い眩しさを放つようになった。

その白い光の中、男がゆっくりと宙に浮かんでいく。
黒いローブは強風に煽られたようにはためき、蒼に煌めく銀髪が舞う。
伏せられた銀の睫毛と、その下に隠された仄暗い色した目は相変わらず何処も、誰も見ていない。まるでどこか遠くをみているようだった。

痛々しいほどの儚さも、崩れ落ちてしまいそうな危うさも全て消え失せていた。
そこにあるのはもう無だけだ。

傍らの金髪の男が、宙に浮かび上がる彼を捕まえようとしたのか、その腕を伸ばした。
躊躇うように、触れるのを恐れるようにして怖々と伸ばされた腕の緩慢とした動きは、この男の素性を知る者が見たら驚くだろう程に遅い。

神々しいまでの光の柱の中、最早人らしさなど感じられない近寄りがたいほどに人ならざる者へと成ってしまった銀髪の男を、こちらへ戻れとでも言うかのように、此岸へ留まれと訴えるかのように伸ばされる腕。

どこか祈るように縋るようにして伸ばされた逞しい腕は、神に縋る敬虔な信徒のようですらあった。
しかしその虚ろを孕んだ視線と視線が合うことはなく、一瞥すら寄越されることはない。

そうしてその手が取られることは、ついぞなかった。
男が捕まえようとしていた白い指先は、あと僅かのところで跡形も無く消えてしまっていたからだ。
あの眩い光の柱と共に、どこかへ。

きっとたかだか数秒の内の出来事。
黒いローブを着た男が消えると、途端に喧騒が戻ってきたように錯覚して野次馬していた人々は激しく混乱した。今見たものは何だったのか、あれは本当に人なのか、一体男が目の前からどうやって消えたのか。

口々に喚き立てて、隣の人間と興奮し恐れ驚き、喧々諤々意見を交し合う。
中には今見たものに魅入られ、恍惚と意識をどこかへ飛ばしている者すらいた。

その人々から少し離れた場所で。男と対峙していた貴族の少年も、やはり激しく混乱していた。
人が目の前から一瞬で消えた。確かにそれは驚くべきことではあるが、少年は腐っても「魔法使い」であった。先程の事象は魔法の行使に拠るものであり、男が消える前に発動していた魔方陣を読み解くことで、それがどういった種類の魔法なのかわかるほどには魔法使いの一端となっていた。

それ故に、”魔法に明るくない人間達”とは違った意味で激しく混乱していたのだ。寧ろなまじ先ほどの事象が理解できてしまう分、よほどそこらの有象無象よりも混乱せざるを得なかったと言った方が正しいだろうか。

転移系の魔法は、その正しい技術が失われてから久しい。
かつての人魔大戦時代、聖女が生きていた時代には生きた魔法であったとされているが、多くの魔法使いが大戦によって死に、それによってその技術が廃れた今では、かつての転移魔法は幻のようなものだといっても過言ではない。
唯一例外的に使用できるのがアルディノーラの学園に籍を置くエルフの老魔法使いだと言われているが、それも実際は眉唾物だ。なにせこの数百年実際に転移魔法を行使した記録が無いというのだから。

しかし、転移魔法が全く使えないというわけでもない。
今では予め大規模な魔方陣を魔法使い数人がかりで地に描き、魔力の豊富な数十人の魔法使い達が決められた長い詠唱を併せて行うことで、どうにか発動できるようなものに成り下がっていた。
移動距離は術者の力量に左右されるとはいえそこまで大したものではなく、危急の件であれば騎士が馬を潰す気で走るのと、事前準備に時間がかかる転移魔法とどっこいというところか。

それでも王族を戦時に緊急避難させるなど、いざという時には使い勝手がとてもいい。
転移魔法は緊急事態にはとても重宝される手段ではあるが、準備と人手に多大な労力を要するので、とても現実的に使える手とは言い難いものというのが今の評価である。

それが、あんな短い詠唱時間で、しかもたった一人の力でかつての時代は行使できていたのだとしたら。
その今は失われた技術をあんないとも容易く行使できるのだとしたら、今のこの世でどれほどの革命となるだろうか。どれほどの人に崇められ称えられ愛され、その力を天恵と望まれるだろうか。
あれを手に入れられたなら、田舎国家の一貴族で収まるのではなく、更に上を望めるかも知れない。

そんな恐るべき力を、あんなどこの馬の骨とも知れないような、みすぼらしい男が有しているだなんて。
今目の前で見てしまったことを到底信じがたいことだと、何かの見間違いだったのだと否定することは容易いが、それでは今まで培ってきた自身の魔法的才能までもを否定せざるを得なくなる。

全てを理解できたわけではなかったが、それでも僅かながら判別できた魔法陣の式は確かに転移魔法のそれだったのだと魔法使いたる自分が確かにそう言っているのだから、それを否定してしまっては「魔法使いたるサイラス・ベイルフォールン」という存在を否定することになる。
あれが確かに紛れもなく転移魔法だったのだと、認めざるを得ないのだ。自身が一端の魔法使いだという自覚があるばかりに。

少年の中に突如として湧き上がったのは、激しい嫉妬と怒りだった。
生まれながらの貴族で、類稀なる魔法使いの素質を持って生まれてきた所謂「持つ者」として今まで順風満帆に歩んできた身としては、自分より恵まれたものを持つ同世代の人間の存在が許せなかったのであろう。それが最早失われた技術といっても過言ではない、幻の魔法などという自らの手の届かないものであるから尚更。

己より魔法の素質があるなど認めない。己より美しいと言われるなど許せない。己より優れた者など必要無い。


「―――許さない。絶対に許さない。僕が、この僕が一番でなければ、」


一思いに殺してしまえばいい。捕らえて繋いで死にたいと泣いて懇願するまで嬲ってやって、あのお綺麗な顔をぐちゃぐちゃに穢してやったあと、生きたまま嬲り殺してやればいい。

だが、あの得難い魔法をみすみす失うのはとても惜しいことだ。
自らあの力を手に出来ないのであれば、あの男を手中にして好きなようにこき使って弄んでやればいいのだ。下々の士気を上げるために、戯れに下げ渡してやってもいい。あの容色ならばどこへ行かせてもさぞや喜ばれるだろう。

お父様に相談しなければ、そう呟いて踵を返した少年に、付き従う三人の従者。ぼんやりと恍惚として、夢見るような足取りで少年に続いた三人に、自らのこれからの展望にしか目を向けていなかった少年が気づくことはなかった。
そしてその少年達が立ち去るまでじっと様子を伺っていた、もう一人の冒険者の事にも。その男の目がきらりと鈍く金に光を帯びたことに気づいた者は、ここに一体いかほどいただろうか。

人々がやっと少し落ち着きを取り戻し、我に帰った頃。
貴族の少年に事の仔細を訊ねられる者などいるはずもなく、ならばと冒険者の男に問いただそうとしてやっと気が付く。
人々に詰め寄られる前に、金髪の男は既に姿を消していた。確かに先ほどまでそこに居たはずの、一際目立つ風体のその男を、不可解なことに追えた者は誰一人としていなかった。

その日から巷で、姿を消すことができる美貌の魔法使いがいるという噂が流れ始めた。
本来なら眉唾だと鼻で笑い飛ばされそうなそれも、目撃した者が多かったことが仇となる。察しのいい者はそれが本当ならば、熟練の魔法使いでなければ行使の難しい姿を透過させる魔法か、有り得ないことではあるが転移魔法の一種ではないかと半信半疑に興味を持ち始めた。

魔法を行使した人間が若い男で、しかも人外かと疑うほど美しいというのだから、いやでも興味をそそられる。
それが市民だけでなく、貴族やそれに繋がる裏に生きる人間達にもまことしやかに囁かれる様になってしまったのは、一体どんな因果だというのだろうか。

それがもし本当ならば是非囲い込みたいと、真に受ける貴族たちが出始めたのだから笑い話にもならない。
虎視眈々と情報を集め、機を伺いだした人間達が少なからず居ることを、曇天の上から覗き込んで愉快気に笑うものだけが知っていた。




[*前へ][次へ#]

37/52ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!