砂時計
02
眺めていた窓の外から、視線は手元に移る。横に置いていた薄い本とメモ帳、ボールペンを手に取り、本を数ページ捲った。
内容は小説、ではなくアルファベットの羅列。開かれている両ページ全てが英文だったが、時々電子辞書を使いながら静かに本を読んでいた。もちろん本を読むだけでなく、辞書で調べた単語などをこまめにメモ帳に書くことも忘れてはいない。
『衆議院解散、総選挙へ』
小難しい英文を日本語に訳す作業を繰り返す、勉強をしている風情。だが、これは日課もしくは趣味として楽しんでいるわけで。
そんな静寂(しじま)なる時が流れていた。朱色の光が窓から差し込み、彼の顔をも赤く照らしている。彼にとってこの静謐な時間はまさしく居心地の良いもので、そんな時を読書することで過ごすのが好きだった。
夕方のひと時を崩したのは、そのような穏やかな空気が流れている時だった。
もとより静かな部屋で、関係者以外出入りすることが不可能な場所が騒がしくなったのは。
バタバタ、バタ! と、足音が響いて一時騒然と化したよう。
彼はその喧騒で、手元の本に向けていた視線を出入り口のドアに向けた。
先程までほとんど変化していなかった表情が頬が緩み、笑みが浮ぶ。
それはまるで嬉しそうな顔で。誰が来たのか分かっているような笑みだった。
廊下での騒がしさはより一層酷くなり、次第に彼がいる部屋へと近づいてくる。
そして――、
「ちーとーせーっ!」
「あぁっ! 静かにして下さいってば!」
先頭切って大声で彼の名を呼びながら入って来たのは、推定年齢二十歳中頃のスーツを纏った男性。その男性を追いかけるようにして慌てて入って来た女性は、清楚ながらにきっちりと着こなした薄紅色のナース服の姿。
端から見たら見舞い客と看護師がわーわーと騒いでいるようにしか見えなくもない。
何とも奇妙な光景。
しかしながら、彼――神水葱千歳――には、見馴れている光景であった。
青年が千歳の小さくて細い体をぎゅーっと力強く抱き締める姿は、本当に当人の感情が表れている。
「ちょ、父さ……く、苦し……!」
力の加減を間違えれば抱擁も苦しいもの。腕の中から抜けたくて抵抗を試みた。
力はあまり入っていない。己の意思を伝えるために抱き締められた形でパシパシと脇腹を叩き、この体勢から解放されたかった。
離して欲しいという意思は伝わったようで。パッと体は解放されて、苦しかった体は楽になった。
「ごめん! 大丈夫か?」
顔色を変えて慌てて聞いてきた千歳の父――神水葱憐――に対してこくりと小さく頷き、大丈夫だよと言いながら千歳は苦笑した。
罰の悪そうな顔をする青年もとい父・憐であるけれども、千歳の表情を見て安心したような表情を浮かべた。
「今日は皆来てるぞ」
千歳の頭を撫でながら、憐は千歳が一番喜ぶであろう言葉を口にした。
千歳には家族が5人いる。父に兄が4人。母親は既にこの世に存在する者でなく他界している。
「え、と……父さ……」
「親父! 千歳に何やってんだよ。ここは病院だろ!」
千歳の言葉を遮るように怒鳴ったのは、先程2人の後に続いて部屋に入って来た4人のうちの1人。
身長はスラリと高く、スーツ姿の身嗜みを整えている青年。彼の名前は、神水葱皐月。千歳の実の兄であり、家族内の立場では4人いる兄たちの中で次兄だ。
ズカズカと荒い足取りで憐の隣に立った。
「病院なんだから少しは静かにしろよ。身内のこっちが恥ずかしいんだよ!」
「そうですよ。憐さん、ここは病院です。静かにして下さい」
看護師の女性も憐に対して注意をして。
余程騒がしかったことが窺い知ること出来る。
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