*落書き置き場*
サクラノ前夜


※VOCALOIDの『サクラノ前夜』(ほえほえP作詞作曲)という楽曲をイメージして書きました。
ラストの解釈が多種多様で、なんとも言い難い気持ちになる名曲です。
※作曲者御本人・本家とは何の関係もなく、一個人の解釈なので、ご了承ください。
※長くて暗いです。







背後でパタンと閉まった扉の音に、涙が一筋頬を流れて落ちていった。

滲む視界に映る携帯電話がぼんやりと発光し、メールを受信したことを伝える。

手を伸ばして掴むけれど、開く勇気がなくて嗚咽が漏れた。


ずっと。ずっとずっと守ってくれていた、血の繋がった兄が、今日、家を出ていく。


僕を置いて、出ていく。








身体中が悲鳴を上げて、眉を寄せた。

音を立てない様に階段を降りて、玄関の鍵をソッと開く。

外に出れば、張り詰めた様な静けさに、夜特有の匂いが広がった。

まだ開いたままの扉から家の中を見つめて、静かに閉めた。

パパ、ママ、ごめんなさい。

僕はもう、この家には………もう、この街にはいたくない。


身体中に散らばった紅い跡や傷痕を隠す様に、僕には大きすぎるコートを羽織った。

兄が、家を出る時に置いていったものだ。

もう僕は、兄が家を出た時と同じ年齢になったのに、その当時の兄よりも随分小柄らしい。


兄さん、僕は、大人になったかな。

もう、約束を果たせるよね。

震える足で一歩踏み出した。

逃げ出したなんて知られたら、僕は罰を受けるだろうか。もっとぶたれて、罵られてしまうだろうか。


でも、でもね…


ズボンのポケットに入れた携帯電話を指でなぞり、僕は一歩一歩踏み出す。

それが徐々に早くなり、僕は、誰もいない街を走り出した。





『大人になった時、助けに行くから。
桜の咲く前の晩、あの場所で待ってる』

家を出て行った兄が、たった一通だけ送ってきたメール。

そんな、ちっぽけな約束だけど、僕は……

僕は、それだけで良かった。






街を駆け抜けて、裏山の獣道を突き進んだ。

息が切れて苦しい。

でも、そんなもの、僕には大したことじゃない。

この先に、僕の大好きな兄がいるんだから。




パパやママ、街の人が、急に僕ら兄弟に冷たい視線を送る様になったのは、なぜだったんだろう。

ただ解るのは、幼い僕を、必死に守ろうとしていた兄の大きな背中が、いつも震えていたこと。

大丈夫。
大丈夫だよ。
お前は俺が守ってやるからな。


兄だけが、僕の味方だった。




あの日。
兄が遠くの街のお金持ちの家に養子に出される日の朝。

兄は震える手で僕を抱き締めて、泣きながら「ごめん」と何度も謝った。

なんで謝るの?

兄さんは、今から幸せになれるんだよ。

僕は、兄さんが幸せになれるなら、凄く嬉しいよ。




―でも、兄が離れていくと僕は涙が止まらなかった。




両親にも、周囲の人にも疎外されて生きていた僕と兄は、人目を避ける様に裏山で遊んだ。

大きな大きな桜の木を、僕と兄は『かみさまの樹』と呼んだ。


兄さんの言う、『あの場所』は、あの樹の下だ。


覆い被さる様に生い茂る木が、月明かりを遮った。

少しだけ怖くて震えたけど、大丈夫だよ。

今、行くよ。






真っ黒な空に、キラキラと星が瞬いていた。

こうやって星空を見上げるのは、何年ぶりだろう。

吸い込まれそうな程に大きな夜空の下でも、僕は足を止めなかった。





『かみさまの樹』は、キラキラの星空と、大きな白い月を背にして、あの頃と変わらずに佇んでいた。


その大きな体いっぱいに桃色の桜の花を咲かせて、何も言わずに佇んでいた。









兄さんはいなかった。









そうだね。

わかっていたよ。

大人になったら、夢は醒めてしまうこと。

兄さんは来ない。

どうか、どうかそのまま、幸せでいて。

僕は、桜が咲く前に辿り着けなかったけれど。

でも、大丈夫。







帰ろう、あの家に。







駆け抜けて通り過ぎた道を、僕はゆっくり戻る。

行きは気付かなかったけれど、街は桜色で染まっていた。

僕には、桜がいつ咲くかなんて知る術は無かった。

でももういい。





重い腕を上げて、鍵の掛かっていない玄関を開いた。

途端に耳についた、鈍い音。

明かりがついた家の中で、ママの悲鳴が聞こえた。

呆然とする僕の目の前で、パパが殴られて倒れる。




涙で滲んだ視界で、僕に手を伸ばしたのは、ずっとずっと待っていた笑顔。



―大人になった時、助けに来るから―




僕は、その大きな手をソッと掴んだ。


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