※即興小説トレーニングにて書いた話です。
<<お題:暑い失踪 制限時間:15分>>
同居人が消えた。
最高気温は三十五度。
ただ座ってるだけでも汗が噴き出て、眩暈がする日だった。
数ヶ月前に急に上がりこんできて、狭いアパートの一室で同居を始めたあいつが、朝方、ふらりと出て行くのを布団の上でぼんやりと見送った。
あまりの暑さでダウンした俺は二日前から食事も摂れず、ずっと寝たままの状態だったから、何も言わずに出ていく同居人に「どこに行くんだ」の一言も掛けられなかった。
声を発したくても上手く音にならない、と四苦八苦しているうちに、カコン、と控えめな音を立てて玄関が閉まってしまう。
同居人が、夜になっても帰ってこない。
滅多に外出しない奴だ。いつもは、外に出ても数時間で帰ってくる。
それなのに、夜になっても帰ってこないのだ。
少しだけ不安になって、枕元に置いたままの携帯電話を掴む。着信も、メールもない。
どうしたんだろう。
いつもは「部屋が狭い」、「暑苦しい」、「せめて食費を払え」と邪険にしている同居人だが、さすがに不安になってくる。
同居人は変わっていて、少し、いや、かなり、世間に疎い。
外に出て、なにか悪い奴らに絡まれていたら……
不安が爆発して、布団から上半身を起こした。
けれど、まともに栄養を摂っていない疲弊した体は、それだけで悲鳴を上げてしまう。
くらくらと視界が揺らいで、体育座りの状態で必死に耐えた。
襲う吐き気は片手で口を覆って塞いでしまう。少々乱暴な手だが、思うように動かない体を相手にして苛立っているので仕方ない。
携帯電話を握り締めて、アドレス帳から同居人の名を呼び出す。
受話キーを押そうと震える親指に力を込めた途端、玄関が開く音がした。
這いずって、玄関が見える位置まで行けば、そこには同居人がぼんやりと立っていた。
「どこ行ってたんだよ……」
内心の安堵をどうにか隠して掠れた声で問えば、同居人は俺を見下ろしてこくこくと無言で頷いてから近付いてくる。
「ティッシュ配ってたんです」
「ティッシュ?」
俺の隣に座り込んだ同居人は、コンビニの袋からスポーツ飲料水と溶けかけのアイスを出して床に置いた。
あれ、こいつ、金持ってたのか?
記憶にある同居人は、所持金が数十円だったはずだ。
だから金が払えない、ならバイトしろ、嫌です、じゃあ出て行け、嫌です、じゃあバイトしろ、嫌……
という、果ての無い問答を繰り返したから、コイツが金を持っていないのは知っていた。
じゃあ、これは……
どうして、と顔を上げると、同居人はフッと目元を緩めた。
床の上で座り込む俺に手を伸ばして、軽く頬を撫でる。その手は、真夏だというのにひんやりと冷たい。
心地良さに目を細めると、同居人は小さく笑った。
「バイトしたの、久々です。とっても疲れた」
曖昧な笑みでそう言って、キャップを空けたスポーツ飲料水を渡してくる。
ちゃぷんと音を立てて揺れる透明な液体が、酷く美味そうに見えた。
ごくん、と唾を飲み込むと、同居人は嬉しそうにアイスも押し付けてくる。
「早く元気になってください」
はにかんでから、床に敷いたままになっている布団にダイブして、すぐに静かな寝息が聞こえてくる。
いつもは眠りの浅いはずの同居人が、すぐに眠ってしまうなんて、初めてのことだった。
それほど、体力を消耗して疲弊していたのかもしれない。
──思わず、泣きそうになったなんて、言わない。
独り暮らしを始めてから、数年目。
誰かに体調不良を心配されたのなんて、久々だったから。
──ありがとう。
咄嗟に言えなかったそんな言葉が、冷たい液体に喉奥へと流されていった。