*落書き置き場*
─V (後)
「先生」
眠りから覚めた体は冷えていた。
肩に掛けられたままの柳瀬の上着を撫でて、ふと顔を上げる。
呼ばれた柳瀬は、腕時計から視線を上げてから微笑した。
「どうした?」
「先生は、寒くないですか」
「寒くない」
「嘘だ。絶対寒い」
三月の初旬に、それも暖房も何も無い日の当たらない倉庫で、白いシャツ一枚で寒くないわけがない。
食い下がれば、柳瀬は苦笑した。
「大人の強がりを無視しないでくれよ、高宮」
「だって、」
言い掛けて口をつぐんだ。
片手で上着を掴んで黙り込めば、柳瀬は不思議そうに顔を覗き込んで来た。
「高宮…?」
「上着、俺が借りてるから」
「ああ、だから大丈夫だって。体は丈夫な方だし」
「先生」
昔から、内気な方だった。
でも、思い立ったら行動してしまう大胆なところはあった。
だからこその行動。
多分、後悔はしない。
柳瀬の胸に飛び込んだ。
勢いがついて柳瀬を押し倒す様な体勢になった。
慌てた柳瀬が体を起こし、こちらの肩に手を置く。
柳瀬の手はひんやりと冷えきっていた。
躊躇わずに、柳瀬の背中に腕を回す。
柳瀬の足を跨いで座り、彼の胸に頭を押し付けた。
半ば無理矢理抱き付いた自分に、柳瀬が息を飲む。
身体中が自分のものじゃないという程に熱かった。息も苦しい。
自分が仕出かした事は、異常だと思う。
男に抱き付くなんて、おかしすぎる。
ただ、柳瀬が寒そうだったから。
さっき、柳瀬と触れ合っていた時はすごく温かかったから。
だから、自分から柳瀬に触れようと思っただけで。
でも、やっぱり恥ずかしすぎる。
どくどくと跳ね上がる心臓が喉から出てしまいそうだった。
「高宮」
不意に呼ばれて、ゴクンと唾を飲み込んだ。
確実に引かれている。
柳瀬の声がいつもよりも低かったから、そう思った。
来るだろう柳瀬の嫌悪の感情を想像して肩が震えた。
自分の体が、ふわりと浮き上がった。
柳瀬の体から一度離れた体は、他でもなく柳瀬の腕に抱えられていた。
真正面から合った視線が、思考を止める。
嫌悪に溢れているはずだった柳瀬の目が、熱い情欲を湛えて暗闇の中からこちらを見つめていた。
視線だけで解ってしまう程に、柳瀬が自分に欲情している。
自分の腰に置かれた柳瀬の両手が意味ありげに背中をなぞった。
自分の中にゾクゾクと沸き上がるのは、嫌悪じゃなく……
「先生…?」
呼べば、強く抱き締められる。
後頭部を押さえられて、柳瀬の胸に押し付けられた。
背中と腰に当てられた柳瀬の手が、隙間を埋める様に体を引き寄せる。
耳に届いたのは、自分の鼓動と柳瀬の吐息だった。
ただ、無我夢中だった。
柳瀬にしがみつく様に、彼の背中に爪を立てる。
引っ掻いたシャツの感触が指に残る。
「高宮」
呼ばれると、身体中の熱が疼き出す。
触れられたい、と、もっと触れ合いたい、と。
こんなにも近くに居て、抱き締められているのに、まだ足りなかった。
柳瀬の体温が心地好かった。
「大人の強がりを無駄にしないで」
柳瀬が呟いてから、クスリと笑った。
強がり、と反復すれば、そうだよ、と返ってくる。
「我慢してるんだから」
「……何を?」
純粋に聞いた。
柳瀬が何を考えているのか、せめて今だけは全て知っていたかった。
柳瀬はこちらの背をゆっくりと撫でてから、髪に顔を埋める。
「高宮、俺は……」
「たかみやあああああ!!!たかみやあああああ、どこだあああああ!!!」
飛び退いた。
正に、文字通り飛ぶ様に柳瀬から離れた。
慌ててマットの上で後ずされば、柳瀬が目を丸めている。
それからゆっくりと、倉庫の扉へと視線を移した。
「たかみやあああああ!!!
たかみやあああああ!!!
どこだああああ!!!
俺が来たからもう大丈夫だぞぉぉぉ!!!」
扉の向こうから、聞き慣れた声が切羽詰まった様に叫んでいる。
その声に、柳瀬が苦笑した。
意味が解らずに柳瀬を見つめていれば、彼は立ち上がって扉を叩いた。
「香椎!ここだ!高宮はここにいる!」
「は?!やなやん?!」
扉の向こうで、聞き慣れた声が裏返った。
その後、ガチリと鍵が開く音。
ガラガラと音を立てて扉が開かれれば、体育館に灯された明かりが倉庫内に広がった。
「たかみやあああああ!」
叫んで飛び付いてきたのは、香椎だった。
制服ではなく部屋で寛ぐ様なスウェットの香椎は、青ざめた顔のまま首をぶんぶんと横に振った。
「携帯!高宮に電話繋がらなくて!もしかしてって思って学校来たら、生徒会室にカバンあって!!」
動転したままの香椎が慌ただしく紡ぐ。
こちらの肩を掴んでガクガクと揺り動かす香椎に目を丸めたまま、その背後の柳瀬に視線を送った。
柳瀬は苦笑している。
香椎が尚もワンワンと叫ぶ中、柳瀬はふと思い立った様に倉庫の外へと一礼した。
ポカンとした様に顔を出したのは、夜間の校内見回りをしている警備員だった。
香椎は、この警備員を捕まえて校内に入ったのだろうか。
何やら柳瀬が警備員と話していたが、香椎が耳元で叫んでいたため、何も聞き取れなかった。
香椎に腕を引かれて校舎を出た。
振り返れば、玄関先で柳瀬と警備員が見送っている。
「ごめんな、高宮、ごめんな」
香椎がひたすらに謝るのを聞き流しながら、ソッと片手を上げた。
気付いた柳瀬も同様に片手を上げて、左右に振った。
熱かった。
柳瀬に触れた身体中が全て、熱かった。
柳瀬の声が、耳に残っている。
──高宮、俺は…
柳瀬は、何と言おうとしたのだろう。
先生。
小さく呟いた。
明後日、朝、いつもどおり柳瀬は会いに来てくれるだろうか。
ただ、待ち遠しかった。
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