額にしっとりと浮いた汗を手の甲で拭った相楽は、不意に足を止めた。相変わらず空を隠している木々を仰ぐように顔を上げてから、くるりと振り返る。
数歩後ろを歩いていた関と目が合うと、彼はどうした? と目を丸めてから首を傾げた。
「……かなり歩いて来たけど、方角ってこっちで合ってる?」
コンパスを持っているのは関だ。最初に方位を確かめてから、ずっと関任せにしていたのだが、歩き始めてからは方向を確認している気配を感じない。
関はなにも言わないが、いつまでも続く木々と変わり映えのしない景色に、指示された「北」へと向かっているのか、些か不安になってきた。
「へ? あ、ああ、大丈夫だよ、ちゃんと北に………………………………………」
不自然に言葉を切った関は、彼の手の中にあるコンパスを見てぎしりと固まった。
何も言わずにじっと手元を見つめている関に、嫌な予感がジワジワと背中を這い上がってくる。
恐る恐る関の隣に立ち、覚悟を決めるように息を飲んでから、彼の手の中を覗き込んだ。
───……くるくるくるくると回る針は、既に方位磁針としての役目を果たしてはいなかった。
本来なら北を差すべき針は、狂ったように大回転を続け、時折逆回転までしてみせる。
見事なまでの華麗なスピンに、相楽はごくりと唾を飲み込んだ。
ゆっくりと関から離れて、大きく深呼吸する。
辺りを見渡せば、木、木、木、木。
自分たちがどの方向から来たかも解らなくなるほどに、その風景は一様だ。
じりじりと後ずさった背中が木の幹にぶつかったことで、相楽は一気に覚醒した。
「──っふざけんな! なんだよそれ?! 北ってどっちだよ! なんでそんなにクルクルしてんの?!」
爆発的に叫べば、その声に我に返った関が途端に青ざめる。
「知らねえよ! さっきまではちゃんと北だった! こんなクルクルしてる方位磁針なんか初めて見たっつーの!」
「知らねえじゃねぇよ! どうすんだよ、これ?! 俺たちどっちから来た?!」
「落ち着け! とりあえず落ち着くぞ、相楽!」
機能していない玩具同然のコンパスをポケットに閉まった関に肩を叩かれ、相楽は左右に目を泳がせた。
関越しに見えるのは、やはり見渡す限りの深い森だ。代わり映えの無い景色に、完全に方向感覚は失われている。
自分たちが向かうべき北どころか、戻り方すら解らないことに気付き、片手で額を押さえた。
そして、ハッとする。
耳に着けている小型の無線機に触れてみても、ザァザァと不愉快な音が鳴るだけで、応答が無い。
「木立さん……? 木立さん、聞こえますか?!」
無線の先に居るであろうオペレーターを呼んでも、返ってくるのは機械的に耳をつく音だけだ。
周波を変えてみても、返事が返ってくる気配が無い。
完全に狼狽して混乱を始めている頭を横に振りながら関を見上げれば、関は眉を寄せたまま口に拳を当てていた。
いつも楽しげな関の、滅多に見ることが出来ない真剣な表情に、不安感は破裂したように膨らんでいく。
「なに、これ……? なんで無線繋がらないんだよ……」
「……もしかしたら、『UC』の影響かもしれない」
呟いた関に縋るような視線を向ければ、関は手を降ろして相楽を見つめ返した。