篠原をデスクに押さえつけたままの高山が、静かに口を開いた。
「……何故黙っていた」
「なにがだ」
高山の発する低い声に、いつもの調子を崩さずに静かに返す。
ここで空気に呑まれたら、まずい。と、篠原の本能でちりちりとした危機を感じ取っている。
睨むわけでも、敵意を向けるわけでもなく、暗闇の向こうにいるはずの高山を真っ直ぐに見据えた。
篠原の視線に、高山は手首を掴む手に更に力を込める。骨を砕くような力だ。
高山に掴まれたままの胸ぐらは、シャツが伸びて皺になっている。視線を僅かに落とすと、伸びた襟もとから鎖骨が丸見えだった。
デスクに押し付けた篠原に覆い被さるようにしている高山が、軽く笑う。笑い声すら低かった。
「相楽が国会議員の一人息子だなんて、一言も聞いていないぞ、篠原」
「……」
「調書を改竄してまで、俺には教えたくなかったのか」
「……違う」
「何が、違うんだ?」
低く問い詰める高山の声に、目線を自分の手首に持っていく。
遂にバレてしまったらしい、と、冷静に理解する。相楽が隠したがっていた、相楽本人の素性が、だ。
どう誤魔化すべきかと思考を巡らせていると、手首をぎりぎりと握られ、痛みに感覚をすべて持っていかれてしまう。
視線を暗闇の中の高山に戻せば、高山の目が篠原を見下ろしているのが解った。その視線は刺さるほどに冷たい。
いつもの口論の時とは雰囲気がまるで違うが、やはり怒っているらしい。
普段なら真正面から反論して、ストレートなまでに怒りをぶつけてくるはずの高山が、今は沸々と静かに煮えたぎる様な怒りを湛えて篠原を見下ろしていた。
次に何を仕出かすのか予測が出来ない分、今の高山は手に負えないものになっている。下手に誤魔化すのは命取りだと、小さな息を吐き出した。
「……黙っていたのは謝る。だが……」
「そんなに俺が信用ならないのか」
篠原の声を遮って高山が発した言葉に、思わず息を飲んだ。
「国会議員の息子なんて反UC派から見れば、最適な人質対象だ。……それを守るのは、俺じゃ役不足だって……?」
「高山……違う……」
「篠原はいつだってそうだ。俺はお前の補佐じゃないのか? 形ばかりの"副隊長"に、相楽は預けられないって?」
「高山、話を聞け……。あっ……」
ゾワリと、背筋が粟立つほどに低く怒りを放つ高山に、慌てて反論しようとした篠原は、途端に言葉を詰まらせた。
口を開いた篠原に耳も貸さずに身を屈めた高山が、篠原の腹の辺りに口を持って行く。びくりと体を震わせると、その口が、篠原のシャツを胸元まで捲り上げた。
ゆっくりと露になった肌がひやりとした冷気に触れて、一瞬で思考が止まってしまった。
「高、山……?」
意味が解らずに呼んだ声が、僅かに不安を帯びる。
暗闇に紛れて姿も朧げな高山は篠原を見下ろして、ただ冷たい視線を落としていた。その双眸が、篠原の思考回路を滅茶苦茶に混乱させる。
「お前は俺より優秀だよ、篠原」
「……違う……」
「だから俺を信用しないのも、仕方無いのかもしれないな」
「高山、話を……」
「だが、もういい加減、腹が立つな」
ふっと高山が笑った。
その笑みが、月明かりに照らされている。口許を笑みに歪ませた彼の表情が蒼い光の中で目に映る。
彼を見上げた瞬間に、ぞっとした。笑みを浮かべている彼の目が、変わらず冷たいままだったからだ。
本能的に危機を察して、一気に冷や汗が流れ出した。
逃げろ、という信号が身体中を駆け回るのに、動くことができない。
高山が、篠原を押し付けているデスクの上に片膝を乗せた。
ぎぃ。とデスクが重みに軋む。
月明かりを遮って、高山が篠原に覆い被さった。
真上から落とされたひんやりとした鋭い視線に射抜かれた篠原は、身体中から体温が抜けるように冷えていくのを感じた。