Story-Teller
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幼い頃は、甘い物が苦手だった。

苦手、というより嫌いだった。
甘ったるい味も匂いも、さらには甘い物で子供を操れると嬉々として差し出してくる大人も嫌いだった。

何を望んでも、手に入れることの出来ない無力な幼い自分も嫌いだった。
マシュマロやチョコレートよりも甘ったるい、すぐに溶けてしまうような自分が大嫌いだった。






窓の外を眺めると、降り始めた雨が地面を濡らしていた。

相楽は両腕の中に収められた大量の課題を抱え直し、右手首に嵌められている腕時計を見下ろした。
時刻は十八時を過ぎ。本来なら夜勤の準備を始める頃だ。
夜勤当番だったはずの自分がぼんやりと窓を眺めていることに、多少の違和感を感じてしまう。



今日は、篠原と二人で夕方から朝までの夜勤を担当するはずだった。
それなのに、夜勤が始まる数分前に掛かってきた突然のコールで、篠原が上層部の会議室へと引きずり込まれてしまうことになってしまったせいで、夜勤の予定は完全に狂ってしまう。

上層部からのお呼ばれは、長い時にはみっちり三時間コースだ。三時間、くどくどくどくどと愚痴やらなにやらを聞かされることになる。

篠原は溜め息を隠しもせずに受話器を置き、次いで、高山と関を呼び出した。相楽のみで夜勤を担わせるわけにはいかないと判断したのだろう。
結局、翌日に夜勤を控えていた高山と関が呼び出され、篠原と相楽は明日の夜勤へと代わることとなった。



今から夜勤だと準備をしてきたというのに、急に暇が出来てしまった。
渋々デスクから取り出したのは、養成所から定期的に出されている課題だ。

本来ならまだ養成所に在籍しているはずの相楽は、受講していない座学を補うために、大量の課題を課せられている。
度々溜め込んでしまうそれを片付けてから養成所まで課題を出しに行ってみれば、また新しい課題をどっさりと渡されてしまった。

重たい課題に肩を落としながらオフィスに戻ってみれば、相楽の腕の中の課題の量に目を丸めていた高山に、「ご苦労様」と苦笑されてしまった。
手伝ってやろうか? と嬉々として身を乗り出してくる関を無視したまま高山に一礼して、相楽はオフィスを出た。



オフィスから寮に戻る廊下を進む途中、ふと足を止めた。
篠原が呼ばれてから、一時間は経つ。
もう終わっただろうか、それともまだ会議室に閉じ籠められているのだろうか。


じっと微動だにせずに窓を眺めていれば、ポツリポツリと疎らに降っていたはずの雨は、いつの間にかザァザァと音を鳴らして強く降りだしていた。

朝に見た天気予報では、今夜は雷雨らしい。
こんな日は、部屋で本でも読んで静かにしていたいものだ。
間違っても外へ出なければいけない任務になど行きたくないのだが、急に出動要請が掛かることなど日常茶飯事のファースト・フォースでは、そんなことも言っていられない。
夜勤から外れたとはいえ、いつでも動けるようにしておかなければ……





「……相楽?」


不意に呼ばれて、大きく肩を揺らす。
窓から視線を外して正面を向けば、廊下の向こうに立っていたのは、真っ黒なブルゾンに身を包んだ篠原だった。
突然現れた上官の姿を目を丸めて見つめてしまったが、はっと我に返って慌てて視線をそらす。

「会議、終わったんですか」

「ああ。今日は早かったな。高山達に代わってもらわなくてもよかったかもしれない」

やれやれと眉根を寄せてネクタイを緩める篠原に、唇を噛んで窓の外に視線を飛ばした。
僅かに疲労が滲んだ篠原を、真っ直ぐに見るのがつらい。

──篠原が、なぜ上層部に呼ばれたのか、知っている。今日だけでなく、今まで何度も呼ばれていることも。
その理由が理由なだけに、篠原に何と言えばいいかわからない。
何か言わなければいけないのはわかっている。
でも、自分からは触れたくない話だ。だから、言葉が浮かばない。


黙りこくった相楽の心情に気付いたのか、篠原は静かに近付いてくる。革靴が廊下を擦る音がした。
相楽の隣に立った篠原は、深い息を吐き出しながら、壁に背を預ける。
雨が地面に打ち付けられる音、窓にぶつかる音しかしない薄暗い廊下で、篠原は低くてよく通る声で話し出した。


「『あの人』には、会ってないのか」


その言葉に、ビクリとする。
反射的に顔を上げると、篠原は相楽を見つめていた。その目からは、何の感情も読み取ることが出来なかった。


「『国会議員が脅迫紛いの手で、一隊員を除隊させようとしてる』。マスコミが嗅ぎ付けたら荒れるネタだな」


静かに、決して怒っているわけではない低い声だ。
相楽を落ち着かせるようにどこか苦笑混じりに呟かれる言葉に、胸がぎしぎしと軋むほどの痛みを訴えている。
全てを知っている篠原の言葉は、真っ直ぐに相楽へと突き刺さった。














母は、代々議員を務める家系の長女だった。


相楽凉子(さがら りょうこ)。
物怖じもせずにはっきりと己の意見を発信し、それでいて女性らしく繊細な捉え方をする性格と、女性の社会での生きやすさを確立する政策を支持している政治的概念を持つ。
世間からカリスマ性があるだのリーダー性があるだのと騒がれている、ここ数年ずっと取り沙汰されている人気の国会議員だ。



幼い頃から母は忙しく、家に居ることは少なかった。テレビではよく見掛けるが、何日も会わないこともあった。
でも、それでいい。



母は、自分を愛し過ぎている。
それは、『実の息子に向ける感情』ではなかったから。
混ざるのは、子への愛情ではない。一異性への、歪みきった独占欲と性欲だ。


それに気付いて吐き気がし、半ば家出のようにして全寮制の高校へと入学した。
母に雇われていた家政婦のうちの一人が手を貸してくれた為、実際に入学してしまう迄、母は自分が遥か遠くの高校に行ったことは知らなかった。
丁度、議員選挙が重なって忙しかったのも功を奏したのだろう。

それからは、幼い頃に離婚した父に援助してもらっていたから、母とは会っていない。
手伝いをしてくれた家政婦は、入学する直前に自主退職させて母から逃がした。
そうしなければ、彼女の人生が狂ってしまっていただろうから。


入学してから卒業するまで、学生寮に母の秘書が何度も現れ、「凉子さんが心配なさっておいでです」などと考えるだけで気持ちの悪いことを告げることはあったが、父の助力のおかげで、どうにか連れ戻されることはなかった。





自分の『愛する息子』が、精鋭部隊に配属された。

それに気付いた母は、自分にではなく、軍の幹部に圧力を掛け始めたようだ。
直接こちらに「精鋭部隊を辞めなさい」などと言っても聞かないことが目に見えていたからだろう。

多くの国会議員と汚い手を結んでいた上層部は、人気議員の母に愛想を尽かされることを恐れて、すぐに自分を一般隊員に戻そうと慌て出した。






篠原は、上層部からの下された相楽天の解任命令をハッキリと拒んだらしい。
母の秘書から告げられてから知った。「あなたの上司は、あまり利口ではありませんね」と。




篠原に、どうしてですか、と問えば、酷く鬱陶しそうに眉をしかめて言われた。


「人手が足りないって何度言わせる気だ」


……まだ、一度しか聞いてないのに。不満を顔に丸出しのままで黙っていると、呆れたような溜め息を吐かれた。


「お前を配属させる前から、予想はしていたことだ」


母親が国会議員であること。
家出の様にわざわざ実家から遠く離れた全寮制の高校に入学したこと。
……軍に提出した資料全て、離婚している父親のサインで出したこと。

なにもかも全て、ファースト・フォースに配属させる前に調べ上げていたらしい。

そして、もう一つ。


「風早が"そういう噂"に詳しくてな」


そう言われた時、「ああ、この人は知っているのか」と気付いた。


口になんて出したくない。
母親が、自分を異性として、恋愛対象として見ているなんて。
毎夜、部屋を訪れてきては裸体を月夜に曝して求めることも。すべて、すべて。なにもかも。吐き気がする。




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あきゅろす。
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