Story-Teller
【番外編】 CANDY



コトンと小さな音を立てて目の前に置かれたのは、愛らしい色合いをした、小さな丸い包み。突如視界に現れたそれを見つめてから、相楽は眉間に深い皺を寄せて顔を上げた。
包みの持ち主だった人物はさっさとオフィスを出て行ってしまう。一人残された相楽は、視線を降ろして、その包みを見つめた。
手の平に乗せて薄い桃色の包装を開くと、コロンと丸いピンクの飴玉が現れる。しばらく手の上でころころと転がしてみてから、指で摘まんで口に放る。
途端に口の中に広がった甘い桃とミルクの味に、思わず目許が緩んだ。舌の上で転がして味を堪能しながら、デスクの上へと視線を戻す。
デスクの上に所狭しと置かれた教科書やプリントは、まだ片付けられない。なかなか進まぬ課題に疲れ始めていた身体中に、糖が補充されていくのを感じる。

定時を過ぎた、ファースト・フォースのオフィス。
入口から近いデスクが、相楽の席だ。教科書とプリント、それとチョコレートが入った缶。淹れてから時間が経ってしまったココアはカップの中で冷えている。
誰も居なくなったオフィスを一度見渡した相楽は、口の中で少しずつ少しずつ小さくなっていく飴を舌で転がしながら、指先でくるくると器用にペンを回す。
なかなか進まない課題へと視線を落としてから、ペンを置いた。

「……」

桃の味は、まだ濃い。
不意に立ち上がった相楽は、椅子が後ろの壁にぶつかるのも気にせずに、オフィスを飛び出した。廊下に踏み出すと、スニーカーの靴底がきゅっと高いスキール音を上げる。
後ろ手に閉じた扉が大きな音を立てて閉じるのを聞きながら、廊下のその向こうへと走り出した。





篠原は、静かな廊下をこつこつとブーツを鳴らして進む。自分の足音がやけに反響した。
定時をすっかり過ぎた頃だ。普段なら活気に溢れている廊下には、隊員の姿が無い。丁度夕食時だ。皆、食堂や自室に戻っているのだろう。
立ち止まって窓の外を眺めてみれば、先程までは眩しい程に紅かった空が、今や濃紺に染まっている。もう三十分もすれば、周囲も真っ暗になるだろう。

やけに長く掛かった会議は、その長さのわりには、内容が空っぽだ。上層部の連中が集まる会議は、結局は彼らの愚痴を聞くだけのような場になる。
なにか不手際があれば、その責任が自分に及ばぬよう押し付けあってみたり。どこかの部署が褒められると、それは自分の手柄のように振る舞ってみたり。
そんな彼らの井戸端会議に付き合ってやれるほど、こちらは暇ではないのだが。

会議を終え、管理部に資料を取りに行く前に立ち寄ったオフィスで、ファースト・フォースの隊服であるブルゾンを脱いだ。上層部連中のお守りに苛立ちと疲労が蓄積した体は、ブルゾン一枚を脱ぐだけでも、体が軽く感じられる。
凝った肩をぐるりと回してから、前方に視線を戻して歩き出した。


歩き出した篠原の足音に、微かに違う足音が交じる。それは遥か後方から、こちらに駆けて来ているようだった。
屋内とは思えぬような加減の無い速さで走っているのか、どんどん近付いてくるその足音に、篠原は息を吐いた。
基地内は基本的に『走るな危険』がマナーなのだが、篠原自身がそれを破っているため、別段注意する気はない。
注意する気はない、のだが。

「っ?!」

すぐ背後までスピードを全く落とさずに迫ったその足音の主は、そのまま篠原の背中に突撃してきたではないか。
がつん、と篠原の肩甲骨に頭をぶつけた相手は、いたい、と声を上げ、殺しきれなかった勢いをこちらの背にしっかりと体重を預けて押し付けてくる。

予期せぬ攻撃に体勢を崩しながら振り返り、目を丸めた。微かに肩を上下させて篠原の背にへばりついていたのは、先程オフィスで会った部下だったからだ。
十九歳という若さで前線に立つ史上最年少での精鋭部隊配属となった彼が、篠原のシャツをしっかりと掴んだまま、息を整えている。
何だ、と言うように眉を寄せて見下ろすと、相楽は、まだ幾分幼さの残る容姿を怪訝に歪ませて見上げてきた。


「……飴……」


ポツリと呟いた相楽は、言い辛そうに視線を逸らしてしまう。


「……ありがとうございます」


酷く躊躇いがちに小さな声で告げられた礼に、篠原は思わず目を細めてしまった。
まじまじと彼を見下ろしていれば、反応がないことに恐る恐る顔を上げた相楽と目が合う。
そのまま見ていれば、ふと目を丸めた彼は、慌てて掴んでいた篠原のシャツを手離し、二歩ほど離れていった。目が泳いでいる。


「礼くらいは言えるんだな」

「……」


篠原がそう呟けば、ぎゅっと顔を顰める。言えますよ、と反抗的な声で返してきた相楽に、呆れ半分の溜め息を返した。


「へばりつく前に呼び止めるなり声を掛けるなりは出来ないのか」

「……飴が、口に残ってるから……」


俯きがちに口を尖らせてそう反論し、相楽は不貞腐れたように窓の外に視線を移してしまった。その一連の仕草はあまりにも幼い。
彼の横顔を眺めて、目を細めた。任務中と普段のギャップが酷いな、などと思いながら。

任務中の身体能力と判断力、それに危機感知能力の高さは、ファースト・フォース内でもトップレベルだ。
若干十九歳とは思えないような実戦での身のこなしは、精鋭部隊の中にいても決して劣らない。
……かなり荒っぽく、危なっかしいのは減点ものだが。

この部下、任務外となるとどうしようもない。
愛想が無いのは、篠原も自覚が有るので他人のことはとやかく言わない。だが、愛想が無いとか、そういう甘いレベルでないのが相楽だ。
いつもぼんやりとした気だるい表情に、相槌を打つのみというコミュニケーション能力の低さ。
まだ養成所を卒業していないために、定期的に出されている課題は山ほど溜め込む。
極めつけ、甘い物が不足するとテコでも動かない。
他の隊員もそんな相楽を可愛い可愛いと甘やかしているのが、また質が悪い。

そもそも上官であり、一緒に任務を遂行するバディである篠原に対して、とんでもなく口が悪い。
反論・反抗・命令無視は当たり前。篠原に注意されて不満そうにしている表情など、何度見たことか。
「ありがとう」なんていう礼も、初めて聞いたほどだ。


「体調管理くらいは万全にしろ」


呆れ半分、注意半分でそう漏らすと、チラリと見上げてくる。その口の中にはまだ飴が残っているらしい。微かに甘い匂いが漂っていた。


「……どうして、わかったんですか」


風邪気味だってこと、と続いた声は小さく、不思議そうに見上げてくる。


「声が掠れてただろうが」

「……よく気付きましたね」


篠原の返事に目を丸めてきょとんとしながら返してくる相楽に、眉根を寄せた。

馬鹿か、こいつ。四六時中一緒に居るんだから、それくらい気付くだろ。
……とは、言わない。なぜだか非常に腹が立ったから。
バディの体調くらいは常々気に掛けているが、それをわざわざ言ってやるのも癪だった。


スラックスのポケットに手を突っ込むと、そこから出て来たのは、先程この部下に渡した飴の残りだ。
医療班の風早から奪い取ったのど飴だが、見るからに女性が好みそうなピンク色の外装に、桃ミルク味という一文にぞっとする代物だ。篠原は、決して手を出さない部類の物体でしかない。

まだ一つしか減っていないそれを、相楽の手に押し付けた。目を丸めて手の中の飴の包みを見下ろした相楽は、戸惑ったように眉を下げて顔を上げる。


「……これ……」

「俺は食わない」


だからやる、と付け足してさっさと背を向けた。これ以上話していると、またくだらない理由で口論に発展しかねないからだ。
管理部の方へと歩き出すと、背後の気配が動く。どうやら来た道を戻るつもりらしい。まだ課題は終わらないのだろう。
振り返りもせずに歩を進めていると、不意に背後から声が響いてきた。


「―ありがとうございます」


声のすぐ後に、ぱたぱたと走り去っていく足音。
足音が遠退いて聞こえなくなると、篠原は足を止めて窓の外を眺めた。もう、日は暮れていた。


まぁ、素直にしていれば少しくらいは可愛いげがあるかもしれないな、と一瞬だけ浮かんだ考えを大きな溜め息で掻き消して、歩を再開する。
鼻孔には、まだ甘い桃の香りが残っていた。



[*前へ][次へ#]

7/9ページ

[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!