Story-Teller
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「……ちょっと、直談判しに行っただけです」

そう告げる声が小さくなった。篠原の目が、一度大きく開いてから、細められる。

「上層部に、お前が行ったのか」
「……はい」
「一人で?」
「……一人で」

一人で、と告げた瞬間に、篠原の表情が曇る。その表情に堪え切れず、目を逸らした。

「なんて、言ったんだ」

そう問う声は、内緒話をするように潜められている。
篠原は、相楽が上層部になにを言ったのか、大方想像がついているのだろう。そのうえで、確認を取るために聞いてくる。
ファースト・フォースを酷使する上層部を、一言で萎縮して、遠ざけることが出来る言葉を、相楽は言った。本当ならば、なにがあっても絶対に口に出したくはないことだ。

「……自己紹介しただけです。『相楽凉子の息子です』って」

相楽がぼそぼそと歯切れ悪く呟くと、篠原は暫し黙り込んでから、深く長い溜め息を吐き出した。

上層部が必死にごまを擦ってご機嫌取りをしている、強い権力を持つ国会議員・相楽凉子の息子。相楽にとっては、目を背けて、ずっと逃げ続けていた事実だ。


あの人の子どもだなんて、口に出したくもない。
でも、その名前を出せば、上層部が顔色を変えて相楽の願いに二つ返事をすることははっきりと想像ができていた。

相楽本人とその母親の間にどんなわだかまりがあるかなんて、上層部は知らない。ただ、相楽凉子が息子を溺愛していることはわかっている。
実情は、相楽凉子は愛しい息子を精鋭部隊から取り返そうと躍起になっているだけだ。けれど、内情を詳しく知らない上層部から見れば、「大事な息子」を気に掛けているようにしか見えなかったのかもしれない。

だから、止むを得ないと、相楽は単身で上層部の中に飛び込んだ。そして、相楽凉子の名前を出した。
吐き気がした。
あの女の威を借りることへの屈辱と嫌悪が一気にせり上がってきて、トイレに駆け込んで嘔吐した。

相楽凉子、という名に上層部の顔色がさっと音を立てるように変わった。「精鋭部隊の下っ端」を見る目から、「媚びへつらう相手」を見る目に変わったその一瞬を思い出すだけで、胃から血が出るのではないかと思うほどに激しく疼いて、目の奥ではちかちかと明暗を繰り返す。

あの女の存在の大きさを、まざまざと思い知らされる。そして、その忌み嫌うだけの存在に、救われる。
結局まだ相楽は、あの女が鍵を掛けて部屋に飾る鳥籠の中にいる。そこから羽ばたいてはみたが、逃げ切れてなんかいない。
相楽本人が、それを自覚している。だから、この手を使った。吐く程に後悔しても。



それでも、ファースト・フォースに訪れた僅かな休養の時間を考えれば、こんなこと、どうってことはないんだと。
篠原の意識が戻るまで。桜井が退院するまで。
その間まででも与えられている任務を大幅に減らして、態勢を立て直す余裕を作らなければ、ファースト・フォースは崩れてしまう。
それに比べれば、相楽が感じた悔しさや、虚しさや、息苦しさなんて、なんてことはないんだと。
そう、篠原が目覚めない間、何度も何度も自分に言い聞かせていたのに。




ベッドの上の篠原が手を伸ばす。今にも背を向けて部屋から逃げ出してしまいそうだった相楽は、手首を掴まれて思わず肩を震わせた。

腕を引かれ跳ねた肩ごと強く抱え込まれると、抵抗も出来ずに篠原の身体の上に倒れこんでしまう。
重傷を負った篠原の痛々しい身体に体重を掛けてしまったことに咄嗟に肩を引いたが、彼の両腕が背中に回ってきたことで動きを止めた。
ベッドが、相楽と篠原の二人分の体重で一度だけ大きく音を上げる。病室の頑丈なベッドは、それ以上の音は鳴らさなかった。

「篠原さん、身体が……」

抵抗するように、手の平で篠原の胸を押した。負傷したその体を気遣って力はほとんど入れていないが、離して、という意思だけは伝わっているはずだ。
それでも篠原は相楽を抱き込んだまま動かない。
背中に回されていた大きな手の平が、優しく髪を撫でる。子どもをあやすような、ゆっくりとした動きだった。
頬が、篠原の入院着に触れた。その下にある胸に包帯がきつく巻かれているのが感触でわかる。
ベッドと篠原の身体の上に倒れ込んだ崩れたままの体勢では、包帯に覆われたその身体を圧迫してしまう。
早く離れなければ、という意思に反して、篠原の腕の中から逃げ出すほどの勢いは相楽には無かった。

「ごめん」

耳元で低く囁かれた声は掠れていた。その言葉に、慌てて首を横に振る。
抱き締められたまま、顔を上げた。間近にある篠原の目が、ひどく申し訳なさそうに伏せられている。

「言わせて、ごめん」

謝らないでください。と言おうとした声が、喉から出てこなかった。代わりに出たのは、小さな嗚咽だ。
喉が痙攣のように小刻みに震えた。目尻が熱くなって、頭の中がぐちゃぐちゃに混ざり合う。
泣きたいわけではないのに、感情の爆発が抑えられない。

降り始めの雨が一筋落ちたように、目の端から涙が零れて頬を伝った。悲しい、悔しい、苦しい、つらい。押し堪えていた思いが行き場を無くして溢れ出して、やるせなさに目を伏せる。

どれだけ吐いても、泣きはしなかった。ただ、今の自分ができる精一杯のことをしたのだと、そう思い込むようにしていた。
けれど本当は、声を上げて泣きたかったのかもしれない。
あの女が鍵を掛けた籠の中で飼われ続けて麻痺した体は、涙もとっくに枯れてしまっていたけれど、ずっとずっと泣いていたのかもしれない。
止まない涙を誤魔化すように、篠原の首筋に額を押し付けた。いつもは香水の香りが微かにするのに、消毒液の匂いしかしない。

「皆を守れたから、いいんです。これくらい、どうってことないんです」

だから、謝らないで。あなたのせいなんかじゃない。
絞り出した言葉を受けて、篠原は一層強く抱きしめてくる。
冷えた篠原の体温を感じながら、気付いてくれなければよかったのに。と何度も何度も思って、きつく目を伏せた。



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あきゅろす。
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