Story-Teller
◆桜SS (2014.4)


※2014.4 サイトTOPにて公開 1話目『side beginner』の直後の話





「季節はずれの」という言葉では消化しきれないほどに遅刻してきた、吹雪の日だった。

何もせずとももう二、三日のうちには地に返ってしまうはずだった桃色の薄い花弁たちは、ごうごうと音を上げて吹き荒れ視界を奪う銀世界の中で、為す術もなく空に舞い上げられて散っていった。
窓の向こうで強引に裸にされていく桜の木を見つめていた相楽の、小さな溜め息がオフィスにどんよりと籠もる。篠原と相楽だけが残されたオフィスには、乱暴な風が窓を無遠慮に殴る音だけが響いていた。


昨日までは例年並みの暖かさだったというのに、今日は悪天候に加えて、二月下旬の寒さだ。少し気温が上がれば容赦なく暖房を切られるこのオフィスも、さすがに今日は暖房がつけられている。
隙間無くしっかりと閉じられた窓の向こうでは、水分量の多い、少し灰色がかった雪が降り続いていた。

昼過ぎから降り始めた雪は、夕方になっても止む気配がない。
夜勤のためにオフィスで待機していた相楽は、壁に掛けられたホワイトボードを横目でちらりと確認してから、細く長い息を吐き出す。

「四月に入ったっていうのに、真冬みたいですね」

そう呟くと、黙々とパソコンの画面に向かっていた篠原がようやく顔を上げた。窓の向こう、横殴りの雪を一瞥した篠原は、眉を顰める。

「あいつら、さすがに行ってないだろうな」
「……どうですかね。かなり楽しみにしてましたし」

ロッカーから厚手のカーディガンを引っ張り出してベストの上から羽織った相楽が返すと、篠原は眉間に皺を寄せて、机の上に置いたままの指を組んだ。
篠原の視線を追った相楽は、シャツの胸ポケットに入れたままの携帯端末を、無意識に指でなぞる。昨夜までは、その端末に先輩隊員たちの楽しげなメールが次々と入ってきていたのだが、今はシンと静まり返っていた。

篠原の視線の先には、隊員達の当日の予定が書かれたホワイトボードが堂々と掲げられている。
本日の予定、と題されたその下。相楽と篠原以外の隊員達の欄には、すべて同じ言葉が記されている。

「花見、無理ですよね。この吹雪じゃ……」
「……」

篠原の無言が、どこか同情を含んでいる。
『※ファースト・フォース花見会 十七時三十分から〜 遅れる場合は関にご連絡を!』。そう書かれたホワイトボードを見つめる篠原の横顔に、相楽は小さな小さな溜め息を吐き出した。





◆◇◆




桜が咲いたのは、およそ三週間ほど前だ。

その頃から、相楽の歓迎会を兼ねた花見をしようと、誰ともなしに計画されていたのは、当の相楽も知っている。

二十四時間、非番であっても関係無しに呼び出される超過酷労働を強いられているファースト・フォースの隊員たちだが、基本的に酒の席を催すのは好きらしい。
勤務の性質上、いつもは酒を控えている彼らだが、年始や隊員の入隊の際には盛大に祝うのだという。遠慮無く酒を飲む口実が出来るからだ。

そんな彼らだが、今年は、まだ一度も酒の席を設けていない。
年始も、相楽の入隊も、心置きなく酒を飲める口実があるにも関わらず、計画を立てると狙ったように上層部からの要請が舞い込んできて潰されてしまったからだ。

相楽がファースト・フォースに配属されてから、もう四ヶ月経つが、歓迎会はされていない。
未成年の相楽は酒に付き合えないので歓迎会が無かったからといって、どうということもないのだが。ただ、相楽以外の隊員達は違ったらしい。



「花も咲いたし、相楽の歓迎会をやろう!」

桜が咲いてから、何度も聞いた言葉だ。
しかし、日付まで決めたあたりで、また忙しくなる。
眩暈が起こるほどの労働で、花見の計画は潰れる。

計画を立てる。
潰れる。
計画を立てる。
潰れる。
計画を立てる。
潰れる……

そうこうしているうちに、桜は儚く散っていった。もう、来週までは持たないらしい。
基地の廊下から見えていた桜の木も、ほとんどが葉桜になってしまった。
少し前までは見上げると窓一面がピンク色で、そのまま息を止めてしまいそうになるほどの幻想的な光景が広がっていたのに、今はもう、木の幹が露出するだけの侘しい姿がぽんと浮かぶだけだ。

そんな光景を眺めてがっくりと肩を落とす隊員達に、居た堪れなくなってしまった。
相楽は、この隊に配属されてからまだ四ヶ月目。けれど、彼らがどれほど危険で、かつ心身を削る職務を担っているのかぐらい、はっきりと理解している。
だからこそ、唯一といっても過言ではないほどに彼らが楽しみにしている『酒の席』をことごとく奪われる姿は、どうしても胸が痛んだ。

どうにかできないのだろうか、と暫し悩んだ末に、相楽は一番年齢が近い関大輔を呼び付けた(先輩ではあるが、関を先輩だと認識したことはない)。

「明後日、俺と篠原さんは夜勤だけど、皆は空いてるんだろ。花見、行ってくれば」

そう告げると、関は目を丸くして首を何度も横に振る。勿論、その反応も、その後に続く言葉も想定済みだ。

「相楽の歓迎会なんだから、相楽がいなきゃ意味ないだろ!」
「別に花見しながらじゃなくても、歓迎会なんて出来るでしょ。だから、関が幹事になって、花見やってきたら」

でも、でも、と何度も何度も突っ撥ねる関は、首を縦に振らない。
幹事を担うことが多いのは関か桜井だと聞いていたので、一番単純そうな関を説き伏せればいいと思っていたのだが、意外にも頑固だ。

「篠原さんにはもう話してあるから、気兼ねしなくていいし」
「そうじゃなくて。今を逃したら、また相楽の歓迎会出来なくなる」
「別にいいよ」
「良くない。俺は、相楽の歓迎会やりたいんだよ」

駄目だ、これは。
諦めて、桜井に持ち掛けるか。と関から目を逸らせば、不意に肩を掴まれた。びくりとして見上げると、いつもよりも真剣な目がじっとこちらを見つめている。

「俺は、もっと相楽の本音聞きたいんだよ。相楽ともっと近付きたいし、相楽も俺にもっと近付いてきてほしいの。相楽のプライベートに踏み込むには、酒の力でも借りなきゃ無理そうなんだから、その機会を奪われちゃ困る」
「……何言ってるのかよくわかんないんだけど、俺、まだ未成年だから酒飲めないし……」

恐る恐る関の手を剥がすと、不満げな目は相変わらず相楽を見つめていた。

「約束しよ、相楽」

剥がした関の手が、今度は相楽の薄い手の平をしっかりと掴む。
目を瞬かせて見上げると、関はふっと笑った。見慣れた表情だ。先程までの真剣な表情は、任務の時にしか見れないから、妙に居心地が悪かったが。

「花見は一緒に行けないけど、今月中に一緒に呑みに行こう」
「だから、俺飲めないってば」
「ノンアルコールとか、居酒屋に行けば甘くて可愛いやつはいっぱい有る。相楽、可愛いの好きだろ」
「……勘違いしてるみたいだけど、俺が好きなのは可愛いのじゃなくて甘いやつ……」

ぼそぼそと歯切れ悪く返して手を振りほどくと、関は名残惜しげにこちらに手を伸ばしていたが、「わかった」と一言頷いた。

その日のうちに、篠原と相楽以外の隊員達に花見の開催が告げられたらしい。
日勤のメンバーも参加できるように、夕方からの始まりだと言っていた。
いつもよりも三十分早くオフィスに来た相楽は、日勤が定時で上がれるように引継ぎを手伝い、手を振って彼らを見送った。
心底嬉しそうに、足取り軽くオフィスを出て行った先輩達を見ているうちに、花見には参加しない相楽も胸が温かくなるのを感じていた。

……しかし、日勤の彼らも気付いていたはずだ。
この、窓の向こうに広がる猛吹雪を。




◆◇◆




「……残念ですね。折角の花見なのに」

日勤から引き継いだ業務日報に目を通しながら相楽が呟くと、珈琲を啜った篠原はゆっくりとカップをデスクへと下ろす。

「花は見れないが、屋内に移動してるだろ。酒は呑めるし、そもそもこの吹雪じゃ桜も散ってる」
「そうですね」

あっけらかんとした篠原の言葉に思わずくすりと笑ってしまい、慌てて口を引き結んだ。
窺うように視線を上げてみると、しっかりと目が合ってしまった。
大袈裟に逸らすわけにもいかず、暫しおろおろと左右に視線を泳がした相楽は、パソコンの画面に浮かぶデジタルの時計へと視線を留める。

「本当は行きたかったんじゃないのか」

不意にそう問われて、ひくりと肩が動いてしまった。
否定しようとしても、この上司には通用しないだろう。
どういうわけか、相楽の心情の機微に敏いこの上司には、いつも見透かされているような気持ちにさせられて、恥かしくなってしまう。

無言のままパソコンを睨んでいれば、篠原は小さく息を吐き出した。

「餓鬼のくせに余計な気遣うんだな、お前」
「が、餓鬼じゃないですけど」
「充分だよ」

むっと眉を寄せて篠原を睨んでから、慌てて目を逸らした。
笑っていたのだ。
いつも鉄仮面の、あの篠原が。

入隊して四ヶ月。
いつもいつもいつもいつも怒鳴り散らされて、相楽も負けじと反論して、最終的には顔面を引き伸ばされるという訴えれば勝訴するほどのパワハラに遭っているというのに、その元凶たる恐ろしい人物が、笑っている。
デスクに片肘をついて掌に顎を乗せ、どこか窺うような悪戯げな目をした篠原は、楽しげに口許を緩めて相楽を見ていた。
なんていう表情をしているんだ。そんな顔、今まで見たことがない。

動揺する相楽に構わず、篠原は静かに口を開いた。


「ゴールデンウィークはどこも人が溢れるからな。それ以降にするか」
「な……なにが……?」
「お前の歓迎会」

こくり、と息を飲み込んでから、拳を握り締めた。
篠原の方は見る事ができない。この上司に抱いている「怖い。とにかく厳しいひと」というイメージが根本から壊されてしまいそうで、怖ろしい。

「全員は揃わないから、二回に分けて」
「……」

いや、知っていた。もう数ヶ月前から。
この人が優しい人だということも、気付くと黙って手を差し伸べてくれている人だということも。
相楽の素性を知ってなお、こうして隊に引き抜いた時点で、相楽の前に立つことを決めていたということも。
今さらイメージが覆される、なんてわけがない。とっくに、「ただ恐い」だけじゃないことに気付いていたからだ。


「……本当は、」

ぽつり、と呟けば、篠原は何も言わずに続きを待つ。
相楽は、口下手だ。他人との希薄な関係性を望んでいた分、自分の思考や感情を述べることに慣れていなくて、上手く言葉を選べない。
けれど、ファースト・フォースの皆は、相楽の言葉を待ってくれる。
篠原も、関も、皆、相楽が必死に言葉を選んでいる間、黙ってその続きを待ってくれるのだ。

皆、優しくて、油断すれば泣いてしまいそうになる。


「本当は、花見、行きたかった」

どうにかそう言い切って、そっと顔を上げた。
予想していたとおり、篠原は笑っている。いつもは鋭い目が、楽しげに弧を描いて穏やかに緩められていた。

「また来年も花は咲く」
「……来年……」

立ち上がった篠原は、窓の向こうへと視線を投げる。相変わらず、ごうごうと吹雪いている窓の向こうで、裸になった桜の木が揺れていた。

「来年、全員で行けばいい」
「……はい」

そうか、と肩から力が抜けていくのを感じる。
来年、という言葉は、相楽にとっては夢のような儚い言葉だった。けれど、来年も『ここに居ていい』のだと実感すると、ただ胸が締め付けられる。

「はい。来年こそは」

こちらを見た篠原が、ふと苦笑するのが見えた。
慌てて、俯いて顔を隠す。見られてしまったのだろう。どうしようもなく緩んでしまっていた表情を。

「相楽」

篠原の声に、弾かれたように顔を上げた。
その眼前に広がっていたのは、銀世界を彩った、鮮やかなピンク色。

横殴りの真っ白な雪と寄り添って踊るのは、どこからか飛ばされてきた、大量の桜の花弁だった。窓の外を、儚い白とピンクが覆う。
全身が震えるような幻想的な光景に目を奪われた相楽は、ふらふらと吸い寄せられるように窓際へと近付いた。ひたりと窓ガラスに手をつけると、一瞬で体温を奪われるような冷たさだった。
顔を上げると、白とピンクの雨が相楽に降り注いでくる。
ゆらゆらと雲の向こうに輝く銀の月に照らされて、パステル色の雨はさっと風に吹かれて空へと舞い上がっていった。

「桜吹雪だな」

篠原が呟く。
まさにその通りだと、何度も頷いて、風に遊ばれて紺色の空へ昇っていく桜と雪とをじっと見つめた。

「きれいですね」
「そうだな」

きっと、この光景を忘れない。ともに抱いた感情も、きっと。

「皆で見たかった」

無意識に呟いた相楽は、大きな掌が頭を撫でるのを感じながら、いつもは振りほどくその手の温もりを黙って感じていた。

季節はずれの、吹雪の日だった。
季節はずれの、満開の桜の日だった。




◆◇◆




『桜吹雪なう』。
そんな本文と共に添付されていた画像に、堪え切れなかった相楽がくすりと笑うと、珈琲を啜っていた篠原が視線を送ってくる。
携帯端末に届いたメールは、関からのものだった。
篠原の隣に駆け寄って画面を見せれば、篠原は呆れたように眉を下げる。

「……まさか、この吹雪の中で外にいるのか……」

添付されていた画像の中で、信頼する仲間達は、頬も鼻も首も真っ赤にして、ピースサインをしている。
ビールの缶を片手に、頭に濡れ雪を積もらせた彼らの頭上を舞っているのは、数少ない桜の花びらだった。
前日に関が用意していたライトに照らされた彼らは、どう見ても「寒いです」という顔色をしているのに、誰もが笑っている。

「馬鹿だな」
「そうですね」

溜め息混じりにそう言う篠原に頷きながら、相楽はけらけらと声を上げて笑った。
きっと震えて帰ってくる皆の為に、バスタオルを沢山用意しておこう。
それから、温かい紅茶も作り置きしておこう。
そして、顔を見たら沢山笑ってやろう。
そして、そして……



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