Story-Teller
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かたかたと軽い音が不規則に聞こえてくる。
ぼんやりとした脳の覚醒を待ちながら、その音の正体を探ってみる。かたかたかた、かたかた、聞いたことがある音だ。

重たい目蓋が、己の意思どおりに動かない。開け、と命じているはずなのに、ふるふると震えて、なかなか持ち上がってくれなかった。
身体中の感覚がぼんやりとしている。指を動かしてみる。ぴくりと痙攣のように跳ねてから、爪先がつるつるとした布の表面を滑った。
かたかた、と聞こえていた音が不意に途切れる。窺うような気配が、こちらに向いたのがわかる。

「……篠原さん」

聞こえた声が、不安げに震えている。近付いてくる足音も、恐る恐るだった。
足音はすぐ隣で止まって、近くにある気配がじっとこちらの反応を待っている。

ゆっくりと、身体中の機能が脳からの命令に従う気力を取り戻していく。ぐっと指先でシーツを握ってみれば、失っていた体温という感覚も返ってきた。
目蓋が開かれると、蛍光灯の明かりが強い刺激となって目を刺した。視覚が奪われて、真っ白な景色が広がっている。

何度か、重たい瞬きを繰り返すと、少しずつ色を取り戻していく。
窓から入り込んだオレンジ色の陽射しが照らしている。白い天井が、窓へ近付くにつれて橙色のコントラストを描く様が、やけに綺麗だった。


「篠原さん……」

再度聞こえた声は、掠れていた。
肺を意識して、深く息を吸い込む。咳き込んだ。咳の反動で、身体中に激痛が走る。

一気に、五感のすべてが身体に戻ってきた。視覚も、聴覚も、痛覚も。
戻った嗅覚が、蔓延した薬品の匂いを察知する。白い天井と、静けさと、薬品の匂い。そして、指に触れた滑らかなシーツの感触。ここは、医療班の病室だ。そう答えを弾き出した脳が、覚醒する。
じっとしたままこちらの次の動きを待っている枕元の気配は、恐らく。

「相楽……?」

答えを、呼んでみる。その声は、自分のものとは思えないほど乾いていて、響かない。
しかし、しっかりとその耳に届いたらしい。はい、と小さな返事とともに覗き込んできた目は、ふるふると濡れていた。

「なんで、泣いてんだ……」

思わずそう呟いた。すると一瞬だけ間を置いて、「泣いてないし」といつもの不満そうな反論の声が来る。
言葉と裏腹に泣き出しそうな顔をしたままの部下は、シーツの上に投げ出したままの手を握り締めてきた。
その手を握り返したが、力は弱い。何度か確かめるように握り直してみれば、それを見ていた相楽は、そっと目を細める。相楽のその反応で、自分の体の状況があまり良くないことを悟った。

「都築は……?」

ぱさぱさと水分の足りない喉から吐き出される濁った声に眉を寄せながら、そう問う。暫し目を丸めて瞬きを繰り返していた相楽が、不意に苦笑した。

「起きて早々、それですか」

相楽が笑うと、その目からぽたりと一滴、大きな涙が落ちてくる。シーツに落ちた水滴は、あっという間に吸い込まれていった。
拳でごしごして目を擦った相楽は、ふっと真剣な顔付きに戻ってこちらを見つめてくる。
握ったままだった相楽の手が、強く握り返してきた。

「関と木立さんが追いましたが、オフィス街に逃げ込んで、見失いました。血痕が残っていましたが、途中で途絶えていたと。恐らく、仲間の車に乗って逃げたんだと思われます」

「……桜井は……」

「怪我の程度は軽いけれど、頭を強く殴られていて、なかなか意識の混濁から戻りませんでした。でも、今はもう大丈夫です。斬られた肩の手当てを受けて、念のため、医療班の医務室で経過を見ている状態です」

「……お前は?」

問えば、また相楽の目が大きく開かれる。
じっと覗き込んできた目が、再度水分量を増やして潤み始めたことに、思わず眉を寄せた。

「だから、なんで泣く……」

「泣いてないし」

ぐす、と鼻を鳴らした相楽が、手を離す。
体を起こした彼は、枕元を探った。カチ、と軽い音が鳴る。ナースコールを押したのだろうか。
もう少しすれば、ここに医療班の医者や看護師が流れ込んでくるのかもしれない。

「見ればわかるでしょ。無事ですよ」

少しだけくぐもった鼻声で言って、相楽はベッドの脇に座り込む。
視界の端に映る相楽が顔を伏せて、こちらの腕に額を乗せた。そこから伝わる体温が、じわじわと染み込んでくる。
あのときも、この体温が混濁した意識から何度も何度も引き戻してくれた。
ゆっくりと手の平に乗せられた相楽の細い指先が、手を握り締める。

「あなたが守ってくれたから」

そう付け足された声に、吐息のような細い溜め息を吐き出して、ゆっくりと目蓋を閉じた。



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