Story-Teller
●関と壁ドン (2014.7)


※2014.7 サイトTOPにて公開 本編のどこかに入れようとしたけれど、どこにも入れられなかった小話です





ドン、と響いた重い音に、ラボの床に座り込んでいた相楽が大きく肩を震わせた。その隣で眠たげに目を瞬いていた関も同様だ。
なに、と相楽が慌てて立ち上がれば、一瞬早く動いた関が相楽の口を大きな手の平で覆ってしまった。

「静かに」

いつもより低く、僅かに緊張した関の声に促された相楽は、こくこくと頷いてから、そっと振り返ってみる。
視線の先には壁だ。音がしたのは、その壁の向こう。
ラボと扉一枚で繋がっているファースト・フォースのオフィスが、その壁の向こうにはある。

点検中の装備を床に一つずつ下ろした相楽は、恐る恐る壁に近づいた。後ろから続いた関が壁に左の耳を当てる。古典的な盗み聞きの体勢だ。
相楽が同じような体勢で右耳を壁に当てると同時に、もう一度ドン、という音が響いた。今度はその振動が身体中に響く。
これは、壁に向こうにいる誰かがこの壁を叩いた音だ。それも、握り締めた拳で思いきり。
それに気付いた相楽が助けを求めるように関を見上げても、関は首を横に振るだけだった。


相楽が懸念したように、壁の向こうから聞こえていた言い争う声が強くなっていく。
ファースト・フォースの隊長である篠原と、副隊長の高山の声だ。声は、どんどん険を帯びる。
篠原を責める高山の声。そんな高山の言葉をすべて真っ向から否定する篠原の声。平行線の怒鳴り合いだった。
相楽はまだ二、三度しかこの言い合いを聞いたことが無かったが、ファースト・フォースのメンバーの話では、決して珍しいことではないらしい。
相楽がファースト・フォースへと加入する前は、特に酷かった、と。

「関……篠原さんたちのこと、止められない?」

上司たちの怒鳴り声を聞くのは、決して良い気持ちにはならない。それも、指揮官としての意見の相違によるものならば尚更。
壁から耳を離してから関に問えば、彼は耳を壁に押し付けたまま「無理だなぁ」と静かに呟いた。いつも明朗な関らしくない、くぐもった声だった。

「今日のは、特に」
「……任務の遣り方の違いで怒ってるんじゃないの?」
「いつもはそうだけど、今日は違うみたい」

そう言う関は、片眉を下げてから耳を離した。
意味が解らずもう一度壁に近寄った相楽に、関は「盗み聞きはいけません」と片手を伸ばす。
関の手に遮られた相楽は、批難の意を込めて彼を見上げた。

「関だって聞いてたじゃん」
「“情報収集だって戦略の一つ”って、いつも言われてるだろ、隊長たちに。でも今日のは、情報集めたって無駄無駄」
「なにが無駄なの」

不貞腐れたように関の手を叩く相楽は、再度壁を叩く音が聞こえてきて眉を寄せる。
今日は、高山の機嫌がかなり悪いようだ。物に当たるような人柄ではないのに、篠原を責め立てる声も、大きな音で相手を畏縮させようとする手段も、まったく高山らしくない。

まるで知らないひとみたい。とぽつりと呟いた相楽に、関は「そりゃあね」と肩を竦めた。


「高山副隊長は心配して言ってるのに、篠原隊長はそういうところ鈍感なんだもんなぁ」

しみじみと言って、壁に背中を預ける。
メンテナンス用のオイルが付いたグローブを外して窓の向こうを眺める関に、相楽はじりじりとにじり寄った。

「……それ、なんの話?」
「んっ?」
「篠原さんが鈍感とか。高山さんが心配してるとか。今の怒鳴り合いにも関係してるんでしょ?」

見上げた関の表情が、明らかに「しまった」という風に曇った一瞬を、相楽は見逃さない。
関の逞しい腕を両手でがっしりと掴んでしまえば、関が必死に目を逸らしても逃げられはしなかった。

「なんなの。なんで高山さんはあんなに怒ってんの。高山さんは何を心配してるの。篠原さんが鈍感ってなに」
「うぅーん……」
「俺が知らない話だ。疎い関が知ってるって事は当然俺以外の皆は知ってるし、誰も踏み込んじゃいけない話ってことなんでしょ。じゃあ今後の予防線の為に俺も知っておくべきだと思うんだけど」
「いやぁ……どうだろうなぁ……」
「関、教えて」

お願い。と、上目遣いで言われた関は、うんうんと何度も唸った末に、諦めたように溜め息を吐き出した。
無自覚で俺のこと誑かすよね、相楽は。と恨めしげな声で呟いた関に、相楽は満足した様に微笑んだ。







高山の怒鳴り声は、途切れない。

簡易椅子に腰を降ろした関の横で、相楽は膝を抱えて座り込む。
万が一の時にすぐ動けるように、関はラボとオフィスを繋ぐ扉の横に移動した。『万が一』をすぐに想定するあたり、普段はどれだけお調子者でも、関はれっきとした精鋭部隊の一員だ。
悔しいが、その判断は、まだ自分にはできない。不貞腐れてしまいそうになるのを堪えながら、相楽は膝を着いたままずるずると関の隣へと寄って行く。

「相楽は飛び級でファースト・フォースに入ったけど、元々俺達は皆、別々の隊に居たんだよ。知ってた?」
「うん……木立さんに教えてもらった。」
「俺は機動前線部隊の三班で、篠原隊長は五班。そんで、高山副隊長は一班で。別の班が一緒に任務に出ることってほとんど無かったから交流は無かったんだけど、篠原隊長と高山副隊長って群を抜いて優秀だし、とにかく有名人でさ」

それは、容易に想像がつく。頷いた相楽に、関は苦笑する。

「特に篠原隊長。見た目が綺麗だろ?」
「……」
「俺が言い出したんじゃないよ? 男ばっかりの部隊でさ、篠原隊長みたいに見た目が良い人がいれば、そりゃあね」
「男にモテたんだ」
「モテモテ」

それも、よく解る。今現在も同じだ。
篠原は、廊下を歩くだけで周囲に酷い緊張感を与えるような人だけど、男女問わず憧れの的になっている。
精鋭部隊の隊長として。若くして昇進した有望株として。そして彼自身の容姿の端整さに、目を奪われてしまう。

「でも、篠原隊長って高嶺の花って感じじゃん? だからさ、誰も近づくことすらしなかったんだけど」
「“高嶺の花”っていうか、“断崖絶壁にある毒草”って感じだけど」
「ファースト・フォースのメンバー選びのために全班合同の演習が始まったあたりから、隊長にしつこく絡み始めた人がいるんだよね」
「……すごい精神力の持ち主なんだね」

そうなんだよ。と相槌を打った関がしみじみとした目で遠くを眺める。
関の反応を見る限り、相楽が想像している何倍も癖の有る人間なのだろう。

「合同演習の時から凄かったらしいけど、ちょっと口では言えないようなことをしちゃう人みたいでさ。その人が元々高山副隊長と同じ班だったから、副隊長もずっと気に掛けてるんだけど……」
「篠原さんは聞く耳を持たず?」
「そういうこと」

ようやく理解した。
高山があれ程に声を荒げるのは、篠原の貞操を守ろうとしてのことであったのかと。しかし、当の篠原には危機感など皆無。

しかも高山の荒れ方を見る限り、そもそも篠原は、自分の貞操が狙われていることにすら気付いていないようだ。
関が言った「そういうところ鈍感なんだもんなぁ」は、つまり、篠原自身の貞操危機に関する感知が鈍いということだったのだろう。








「そんなにすごい人なの? 篠原さんを狙ってる人って」
「すごいよ。元々ゲイで、手が早いって知られてた人。好みに合えば誰でも良い節操無しって言われてたんだけど、もう二年くらい一途に篠原隊長を追ってる」
「わぁ。本気なんだ」
「そう。今でもよくよく言い寄られてるの見るよ。見たことない? 今は三班の隊長補佐やってる柏木さんって人」
「知らない」

あっさりと首を横に振った相楽に、「だよね」と関は苦笑した。相楽が、興味の無い人間にはとことん注目しない性格を解っているからだろう。

「それに高山副隊長って……あ、」

何気なくそう呟いた関が、不意にばくりと口を閉ざした。きょとんと目を丸めて見上げれば、口を一文字に引き締めたまま、関は首をぶんぶんと左右に振る。

「これでこの話は終了」
「え? 待って。高山さんがなんなの?」
「言わない。言わない。もう何も言わない。あとは相楽が知らなくても良い話です〜」

ひょいと立ち上がった関に咄嗟に手を伸ばして、彼のシャツを引っ張った。それでも関は「駄目駄目〜」と手をふらふらと揺らすだけで、話の続きをしてくれそうには見えない。

むっと眉を寄せた相楽は立ち上がり、関の硬い胸を両手で押した。
普段ならびくともしないであろうが、不意打ちだった為かふらりとよろけた関が壁に背を預ける。
追い込むように関の腰の両脇に手を差し込んで、しっかりと壁に手をつけた。
壁際に追い込むこのスタイルは、本来ならば、体格的に劣っている相楽では関を封じることなど出来ないのだが、関はがっちりと身体を固くして黙っている。
それを良いことに、相楽は至近距離で関を見上げて睨んだ。

「ずるい。俺だって、ファースト・フォースの一人なのに。俺だけ知らないなんてずるい」
「相楽、ごめん。離れて」
「言うまで離れない」
「いや……離れてくれないと大変なことになる……俺が」
「知らないよ、関のことなんか。早く言って」
「大変なのは俺なんだけど、多分相楽の方がもっと大変になるっていうか、俺、加減とかできないし……上目遣いで壁ドンとか想定外過ぎて、ちょっと我慢できないっていうか……」

関の目が、激しく左右に泳いでいる。
頑なに相楽を見ないようにしているその仕草に、更に口を尖らせた相楽は「関」と声を上げて関のシャツを指先で引っ張った。



関と目が合った。と思った瞬間には、相楽の身体は関の逞しい腕で覆われていた。
自分よりも一回り太く硬い腕と身体は、相楽がどれだけ暴れてもビクともしない。関、関、と慌てて声を上げても、自分を抱く力が弱まりそうにはなかった。

「ちょっと、ねぇ、何?! 関?!」

抱き締められたまま、くるりと身体を反転させられる。
今度は相楽が壁に追い込まれてしまえば、覆う影が大きすぎて、足が竦んでしまった。
関の目が、真っ直ぐに相楽を見つめている。

「俺、ちゃんと言ったんだけど。離れてって」
「ご、ごめん……」
「もう遅いから」

威圧感を放って据わっている関の目に囚われた相楽が思わず謝っても、関は首を横に振るだけだった。
大きな手が、頬に添えられる。鼻先に、関が愛用しているヘアワックスの青林檎の香りが近づいた。
相楽、と低く掠れた声が呼ぶ。関のそんな声は聞いたことがない。
近くにあった関の目が閉じられると、相楽はごくんと唾を飲み込んで、ぎゅっと目を伏せた。







ゴン。ドン。と先程の壁を叩く音とは違うけれども、同等かそれ以上に重たい音が二度続けて響いた。
慌てて目を開くと、自分を覆っていた関がいない。
恐る恐る視線を下げてみれば、関は居た。床に大の字で倒れこんだ関は、白目を剥いている。

「せ、関?!」

悲鳴のように上擦った声を上げて関の隣に膝を着いても、ぴくりともしない。
ころころと関の横に転がっていたのは、ファースト・フォースのメンバーが装備している黒い特殊警棒だ。

ゴン、という音は、関に警棒が当たった音。
ドン、は関が床に倒れこんだ音だったらしい。

関が死んでる! と叫ぶと「死んでねぇよ」と即座に返ってきた低音が、びりびりと空気を震わせた。
声だけでわかる。
隊長様は、大変ご機嫌が悪いようだ。

そろそろと顔を上げると、ラボとオフィスを繋ぐ扉は開け放たれ、そこに仁王立つ篠原が、眉間に青筋を立てているではないか。機嫌が悪いどころでは済まされない表情だ。

「篠原さんですか?! 警棒投げたの!」
「うるせぇ」
「関が死んじゃう!」
「死なねぇよ」

関の頭を撫でてみれば、篠原が放った警棒はしっかりと後頭部を直撃したらしく、大きなコブが出来上がっている。
慌てて口元に手を当ててみれば、息はしている。
早く医療班に連絡を、と狼狽しながら立ち上がった相楽は、腕を組んだまま目を細めている篠原に気付いて眉を寄せた。

「な、なんですか! 高山さんと喧嘩して機嫌悪いからって、関に当たるなんて大人げ無いですよ?!」
「……助けてやったのに随分な言いようだな」

眉を寄せたまま、相楽は受話器を持ち上げる。医療班の電話への短縮番号を押すと、短い呼出音のすぐ後に風早の声が耳に届いた。

「風早先生! 篠原さんが投げた警棒が関に当たって! 関、白目剥いちゃってるんです!」

早口で叫ぶと、受話器越しに風早が爆笑している。
笑い事じゃない! とは思えども、風早の笑い声は止みそうにない。
受話器を持ったまま困惑していれば、扉に背を預けてこちらを見ていた篠原はふらりとオフィスへと戻っていってしまった。自分が投げた警棒で部下が昏倒しているというのに、恐ろしい上司だ。

「風早先生!」
『わかった、わかった。すぐに行くから。その前に、篠原はなんで関に警棒なんかぶん投げたんだ?』
「えっ……」

それは、篠原さんの機嫌が悪かったから? と続けようとして、口をまごつかせた。

助けた。と言っていた。
誰を、と考えてみれば、相楽のことを、だろう。
関に覆われて萎縮していた相楽を助けた。
そもそも、関はなにをしようとしていた? あと少しで、唇が触れそうな距離で、関はなにをしようとしていた?

……それくらい、相楽にだってわかる。関は、キスをしようとしていたんだろう。
理解すると同時に、顔が熱くなる。
気付かなければ良かった。と片手で目を押さえた。

「わかんないです……」

たっぷりと間を置いてからそう返しても、風早は何かを悟っているようだ。引き攣ったように笑う風早の声が途切れ、受話器の向こうは静かになった。

見下ろした関は相変わらず、白目。
恐る恐る覗き込んだオフィスには、篠原しかいない。相楽と関が話し込んでいるうちに、高山は出て行ってしまったのだろう。
未だ機嫌が悪いらしい篠原は、珈琲の入ったカップを片手に、もう片手はトントンと指で机を叩いていた。その落ち着かない動きが、一層怖い。
オフィスとラボを繋ぐ扉を開いたまま、為す術の無い相楽はその場で座り込んだ。

混乱したまま膝を抱えていると、オフィスの扉が開かれる。風早の白衣がひらりと翻り、彼は篠原を見ると再度ケラケラと笑った。
風早の笑いを堪える震えた声で、痴情の縺れ、と聞こえてきた相楽は、一層熱くなった顔を膝に埋め込んだ。



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