Story-Teller
XI



相楽の目の前で、また、血しぶきが散った。

身体中の力を失って相楽の体のみが唯一の支えであったはずの篠原に、不意に強い力で胸を押されて、床に転がった瞬間のことだった。
相楽の体を守るように覆い被さった篠原の背後に見えていたのは、真っ赤に染まった都築の笑顔だ。

横薙ぎに振られた刀が、篠原の脇腹から背中を薙ぐ。ぱっと火花のように宙に広がった鮮血の向こうで、都築が大きく笑っていた。
相楽の体に倒れこんだ篠原が、低い声で呻く。抱き締めた彼の背中が、温かく濡れていた。
重たい息を吐きながらも何かを探り当てるように相楽の腹から腰のあたりをなぞった彼の手が掴んだのは、相楽の銃だった。

緩慢な動作で腕を上げて都築へと銃口を向けた篠原にはっとして、震えて照準を合わせることができない彼の手に、自分の手を添える。
引き金を引く力すら残っていなかった篠原の代わりに、相楽がトリガーを引いた。

一発目は都築の顔面を掠るだけだった。
二発目は刀で弾かれてしまった。
三発目は腕を掠めて、細く傷を負わせるのみだった。
四発目は、無い。
弾切れだった。

都築の笑い声に、相楽は篠原の体を強く抱き締める。
相楽を守るために白刃の前に投げ出されていた篠原の体を、今度は相楽自身の体で覆った。
振り上げられた切っ先が、相楽の体へと真っ直ぐに落とされる。




銃声が背後から響いて、フロア中に甲高く広がった。
相楽の体を裂くはずだった刀がかつんと硬い音を立てて床に落ちる。その手は、放たれた弾丸が貫通して穴を開けていた。
都築の視線は、相楽と篠原から、その背後へと移っていった。
暗闇の向こうになにかを捉えた都築の口端から笑みがふっと消える。


「ああ、時間切れだね」

そう呟いた都築は、残念そうに目を細めた。うっとりとした目で裂かれた篠原の背を見下ろして、くるくると軽やかな声を上げて笑っている。
全身を己の血で真っ赤に染め上げているというのに、通り雨に降られただけのような、大したことではないという素振りだ。
普通ならば死んでいるような深い傷を負わせているはずなのに、痛みがまったく生じていないのかと、ぞっとする。

ゆっくりと後ずさった都築の足元に銃弾が散る。立て続けの発砲から、都築はひらりとコートを揺らして退避した。
落とした刀を拾い上げた彼は、血で濡れたままのそれを腰の鞘にするりと納める。

「またね」

笑う彼が、コートを翻して駆け出した。途端に、フロアを覆っていたシャッターの一部が飛び散る。
衝撃と共にばらばらと宙へ飛んだシャッターやガラスの破片に、相楽は一層強く篠原を抱き締めた。
爆発の勢いで飛んで来たガラスが、頬を掠める。ぴしりと頬を裂いて、微かに帯びた熱い痛みに眉を寄せた。

「相楽! 隊長!」

銃声の合間に響いた聞き慣れた声に、ぎゅっと閉じていた目を開いた。
鼻腔を刺激したのは、発砲による硝煙の臭いと、シャッターを破壊した爆薬の臭いだ。それと、噎せ返るような濃厚すぎる血の臭い。

「相楽!」

再度呼ばれて、顔を上げた。シャッターの一部が壊れて、外が見えている。そこから流れ込んでくる月明かりで、ようやく視界が明るくなったようだった。
こちらに駆け寄ってきた姿が、はっきりと見える。銃をシャッターのその先へと向けたまま相楽の隣に立ったのは関だった。
関の足元で小さく水音がした。月明かりの下で黒い水溜りがぬらぬらと輝いている。それが、フロア中に散らばった血であることに気付いて体が震えた。

相楽と篠原を一瞥した関は、立ち止まらずに破壊されたシャッターへと走っていく。そこから外を瞬時に見渡してから、逃げた都築を追ってひらりと飛び出して行った。


体を起こした相楽は、抱き締めたままの篠原を見下ろした。
息をしている。でも、喘息のようなひゅうひゅうとした嫌な呼吸だ。顔色はひどく悪い。
彼の全身が血でじっとりと濡れている。それが都築の返り血なのか、それとも篠原自身のものなのか判断できないが、相楽の思考を滅茶苦茶にするのには充分な姿だった。

かたかたと指が震える。
篠原さん、と掠れる声で呼べば、閉じたままの目蓋が微かに震えて、ゆっくりと開いた。相楽を視界に映した篠原は、忙しなく上下する自分の胸に血で塗れた片手を当てて、大きく咳き込んだ。

「……都築は……」
「いま、関が追ってます。篠原さん……」

返す声が、上擦った。
篠原が、ゆっくりと上げた手で相楽の肩を押す。ずるずると床を這う様にして相楽から離れた彼は、近くにあったUCのケースの土台に背を預けた。
喘ぐように不規則な息を吐き出す篠原の体から、どろどろと血が流れ出ている。顎を伝う汗が血と混ざってシャツの襟元を濡らしていった。

「被害の、確認と……、警戒態勢の、要請を……」
「篠原さん、喋らないで」

吐息のような声を吐く篠原を制するように触れた彼の手が、冷たかった。まるで命が宿っていないもののように、温度が無い。
今すぐにも行動を再開しなければいけないのに、体が思うように動いてくれない。ただ、全身を切り裂かれた篠原の姿を見つめることしかできなかった。

篠原が、不意に指先を伸ばす。かたかたと小刻みに揺れている相楽の手に触れた篠原は、何もできずに固まってしまっている相楽を見据えた。
苦しげな息の合間に、「馬鹿」と小さく呟かれて、唐突に意識が戻ってくる。
何度も怒鳴られ慣れた言葉なのに、声に覇気が無い。絞り出すようなその声が、相楽を逃げ出したくなるような現実へと引き戻した。
ぎゅっと強い力で彼の指を握り返すと、篠原は微かに首を横に振った。

「ちょっと、血が足りてないだけだ……」

そう言って、苦笑のように口許を歪める。
その表情は、先刻別れた吉村が、相楽を落ち着かせるために見せた笑みと同じだった。そう気付いて、ぐっと唇を噛み締める。
ちょっと血が足りていない、なんて軽い負傷なわけはない。それでも、篠原が強がる理由は、たった一つだ。

叱咤するために、拳を握り締めて己の膝を強く叩いた。
床に置いたままだった空の銃に、予備の弾丸を詰める。ケースに寄りかかったままの篠原の手元にその銃を置いて、一気に立ち上がった。

「医療班、呼んできますからっ……」
「ああ」
「だから……」

声が震えてしまう。篠原は、何度か重たい瞬きを繰り返してから、わかってる。と小さく吐き出した。

「戻ってくるまで、生きててやるから、早く行け」

篠原に背を向けるには、勇気が必要だった。
瀕死の篠原を置いてその場を離れるのは怖い。だが、すぐに医療班を呼びに行かなければ、もっと恐れている事態を引き起こしてしまうのもわかっている。
踵を返すと、足が震えた。
背後から、篠原の荒い息遣いが聞こえている。今度こそ、立ち止まってはいけない。

縺れる足を無理矢理に前に出して、駆け出した。
目的地は、篠原の命を繋ぎ止められるひとが居る場所。


暗い暗い廊下が、やけに長く感じた。

>>>To be continued,



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あきゅろす。
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