Story-Teller
●Until The Break Of Dawn (2014.11.25)


※2014.11.25 日記内にて公開 軽い近親相姦&NL描写あり





目を覚ましたときにいちばん最初に映るのは、なにもない広い部屋の、高い天井だった。


ぼんやりと、濃ブラウンの天井を見つめてから重たい身体を起こすと、今日も今日が始まる。
シルクのカーテンが引かれた窓の向こうは、まだ暗い。目を刺すような白い朝日が部屋に入り込むまで、まだ一時間くらいは時間が必要。


いつも、夜が明ける前に目を覚ます。
シンと静まり返っているのは部屋の中だけじゃなくて、きっと外に出ても、つんと肌を刺す寒さと静寂が襲ってくるんだろう。新聞配達のバイクの音すらしない。まだ、まだ、朝は来ない。
明かりのない部屋は暗くて、高い天井が遠かった。
寝る前まで点けていた暖房の温もりはとっくの昔に薄れていて、頬がひんやりと冷えていく。
必要最低限の家具だけが整然と置かれた広い室内は、ぞっとするくらいに気味が悪かった。


「おかあさん」

幼い日の俺がそう呟く。
暗闇のなかでその声は頼りないほどか弱く宙を舞って、そして簡単に飲み込まれてどろりと溶けていった。

「おかあさん」

記憶に残るのは、ベッドの上で膝を抱えて、小さな両手で目を覆う少年の姿。
まだ、幼稚舎から小学院に上がったばかりの頃の自分だ。

おかあさん、おかあさん、おかあさん。

何度呼んでも、返事なんてない。それどころか、この広くて静かで冷たい屋敷の中に、少年の求める姿は無かった。



母が多忙な政治家なのは、幼心に理解していた。半ば無理矢理に教え込まれたからだ。


「天くんは良い子だね。おかあさんがいなくても、一人でお留守番ができるんだね」

作り笑いのような歪な表情を顔に貼り付けた大人たちは、そう言った。
ちがうよ。と言えたら、なにか変わっていたのだろうか。
そう思ってから、違うか、と喉を鳴らす。


毎夜出かけていく母を見送った。
日が昇ってから日が落ちるまで家にいるホームヘルパーは、母の怒りを買うことを恐れて、俺には話しかけない。下手な事を口にして母の機嫌を損ねれば、すぐに首を飛ばされてしまうからだ。
気付くと食事が出来ていて、気付くと食器が片付いていて、気付くと家の中には誰もいなくなっている。
誰かがいても、誰もいなくても、この家に温もりは無かった。



少しずつ歪んでいく母の愛に、気付いていたはずなのに、誰も何も言わなかった。

怖かったんだと思う。
母に逆らって、俺を守ろうとしてくれた父のように職を奪われて、追い出されるのが。


大丈夫。
誰かを責めるつもりはない。守ってくれなかったからと、批難するつもりもない。

大丈夫。
知ってるから。俺に関わらなければ、安全だってことも。




母は、狂っていた。

一日中、まさに夜通しで『政治家』として奔走して笑みを振り撒いて、目の下に濃い隈を作って『家』に帰ってくる。
そこにぽつんと一人でいる俺に、救いを求める。
まるで偶像崇拝だ。母には、俺が神様か何かに見えてたんだと思う。
俺が狂い始めた母を救えるはずもなかったのに、母は俺に縋りついて愛を囁き、愛を求めた。
強く抱きしめてくる母はいつも、香水とワインの臭いで噎せるようだった。






目を覚ましたときに、いちばん最初に目に映るのは、なにもない広い部屋の、高い天井だった。

ぼんやりと眺めて、視線を動かさないまま身体を起こす。
右は見ないようにしている。
そこにあるのは、狂った現実。決して認めてはいけない現実。



一人で夜明けを待つことに慣れないまま、中学院に上がった。
母は祖父の跡を継いで国会議員になっていて、『家』なんて『別荘』と同意語だった。

三日間、家を空けていた母が帰って来た。
その頃にはもう、夜が明ける前の暗闇を恐れて母を呼ぶことなんてしなくなっていたし、父を蔑ろにした母に嫌悪感すら覚えるようになっていたけれど、それでも、誰もいないただ広いだけの『家』に温もりが戻ってくることには、純粋にホッとしていた。

ふらついた足取りでリビングに入ってきた母に、「おかえりなさい」と小さく言えば、母は足を止めた。
顔を上げた母の目が、俺を捉える。

その瞬間の感覚を、いまも鮮明に覚えている。

飢えたライオンのような、どんよりとした、それでいて奥底でぎらぎらと欲を滾らせた、淀んだ目をしていた。
その目に捕まった瞬間、思わず後ずさっていた。


何も言わずに近づいてくる母から、逃げた。

自室に逃げ込んで扉を閉めようとしたが、閉じかけた扉の隙間から母の腕が伸びてきて、俺の手を掴んだ。
怯んでドアノブから手を離した俺に、母は、扉をゆっくりと開きながら笑った。

「愛してる」

全身が震えて、肌が粟立った。
艶然とした笑みを湛えた母が近づいてくる。震える足で後ずさったその太腿がベッドの端にぶつかった。
そのままベッドに座り込んだ俺は、母を見上げる。
母の、細くて白い指が首筋を這った。

「愛してるわ、天」

愛してる。
親から子へ注ぐ言葉として、なんら間違いの無い言葉のはずなのに、それはまるで緊縛の呪いのように思考を奪った。

性に疎い年頃ではあったけれど、はっきりと理解して、そして危機を感じた。

母が言う「愛してる」は、俺が、いや、誰一人として、認めてはいけない類の感情を含んでいることに、ただ、恐怖を感じていた。



右を向けば、裸体の女がいる。
狂った女は、夜になるとやってくる。
あいしてる、あいしてるとうわ言のように呟いて、一枚ずつ服を剥がれていく。
ベルトに手を掛けられたあたりで止めなければ、彼女は、恐らくその先まで進めようとする。

冗談じゃない。
こんな狂った女に犯されるのは、なにがあっても、避けなければ。



女は、纏うものをすべて床に放り投げて、歳の割には整った艶めかしい身体を夜闇に晒しながら、泣き喚く。
夜通し泣いて、隙あらばこちらの服を奪おうとするのに抵抗して、夜が明ける少し前に眠りに就く。電池が切れたおもちゃのように、女はぱたりと眠りに就く。
右隣で、すぅすぅと寝息を立てる姿に、吐き気がした。

就寝中の無防備な状態を女に晒すわけにはいかない。
女が目を覚ます前にこちらも起きて、ぼんやりと、真っ暗な部屋の中を見つめた。


徐々に、感覚が麻痺していく。


狂った女に触れるうちに、恐らく、自分も狂い始めていたんだろう。
狂いながらも、もがいて、もがいて。
そうして、現状を打破する道を見つけるたびに、女にその道を塞がれた。
何度も何度も、何度も何度も、何度も何度も、伸ばした指の先で希望は絶たれて、そしていつまでも明けない夜がやってくる。


シャツを奪われた上半身が冷えていた。
ひやりとしたシーツを撫でた爪で、自分の腕を強く引っ掻いた。紅く細い線を作り、僅かに血が滲んでいる。
何度繰り返しても、右から感じる人肌の温もりが消えることはない。
ああ、現実なんだ。
いつまでも明けない夜も、そこにある狂気も、すべて、今ここにある現実なんだ。

膝を抱えて、両手で目を覆った。
とっくに枯れた瞳からは、もう何も溢れてはこなかった。












目を覚ましたときに、いちばん最初に目に映ったのは、白いタイルの天井だった。真っ白な朝日に照らされて、一層眩しい白さを放つ天井に目を細める。

耳に届いたのは、戦友たちの朗らかな笑い声。
少しだけ疲労の色を滲ませてはいるが、他愛無い話でケラケラと笑う声が、温かい。

僅かに身体を動かしてみると、背骨がぎしりと軋んだ。
いくら自分の体型が小柄だとはいえ、ソファーの上で身体を丸めるうたた寝は身体への負担が大きかったようだ。ぎしぎしと痛む背が煩わしい。


「……起きたのか」

不意に耳に響いた低音に目を見開いて、こくんと息を飲み込んだ。

恐る恐る、右を向く。
見えたのは、真っ黒なベストを纏った広い背中だ。女の裸体ではない。

ソファーに寝転んだままの自分の腹の横、少しだけ空いているスペースに腰掛け、肩越しに振り返って見下ろしてくる目は、いつもより少し眠たそうに細められている。
目を覚ましたときからじんわりと感じていた人肌の温もりは、この人のものだったのかとホッと息を吐き出すと、小さく眉間に皺を寄せられた。

「待機命令は解除された。もう少し寝ててもいいぞ」

賑やかに聞こえてくる歓談の声の中でも、その低い声はすっと耳に入ってくる。
待機命令? と暫しぼんやりと考え込んでから、ああ、と思い出した。
日勤を終えて自室に戻った瞬間、この男……篠原から呼び出されたのだった。

ここ最近、派手に威嚇行為を繰り返していた反UC派の団体が、UC肯定派として有名な芸能人の自宅に放火したらしい。
遂に暴動行為に発展したことで、ファースト・フォースはいつでも制圧に向かえる様に待機態勢を取れとの命令が下された。

夜通しオフィスで待機していたが、出動しろとの達しは来なかった。
上層部も政府も、反UC派の挑発には乗らなかったようだ。すぐにファースト・フォースを火消し役として使う上層部にしては珍しい、慎重な動きだ。
誰か、政府側……UC肯定派で、権力と影響力がある人物が、進言したのかもしれない。
……それが『誰』なのかは、あえて考えないようにしたが。


篠原の身体越しに、見慣れたオフィスを眺める。
各々のデスクについて、眠たげに欠伸を噛み殺しながら雑談を続けるファースト・フォースの面々が見えた。

目を覚まして、朝日が目を刺して。

感じるのは、信頼するひとの体温。

耳を刺激する、楽しげな声。


「……どうした?」

見つめる篠原の目をじっと覗き返して、何度か瞬きを繰り返した。
ぼんやりとした頭の奥で、幼い日の自分が膝を抱えている。虚ろな瞳から一筋の涙が流れて、囁く。その声は、誰にも届かなかった。

「相楽……?」

不思議そうに目を細めて、篠原はゆっくりと手を伸ばした。
目に掛かっていた前髪を、半ば乱暴に払われると、鮮明に彼の姿が映る。窓から差し込んでくる朝日で、篠原の黒髪が艶々と輝いていた。

なんて眩しいんだろう。
眩しくて、怖くなる。

「怖い夢でも見たか?」

静かに問う声は、まるで子どもを相手にするような柔らかさを含んでいた。妙な擽ったさを覚えて、けれど、なぜか心地良い。
ああ、そうか。
頬を撫でる篠原の手に恐る恐る触れて、そっと目を伏せた。

怖かったんだ。ずっと。
何度目覚めても、『あの人』に囚われる夜が明けないことが、ただ怖かった。

逃げる様に家を出てからも、夜は明けなかった。いつか、見つかって連れ戻される。そして自分の大切なものはすべて奪われてしまう。
真っ暗でなにも見えない部屋に閉じ込められて、与えられるのはあの人の体温と匂いと柔らかさだけ。
この夜は、明けることがない。逃げたところで、決して。



「まぶしいですね」

呟く声が、少し震えた。

「こんなにまぶしいんですね」

眩しくて、溶けてしまいそうになってしまう。
目を開くと、滲んでぼやけていた。笑ったはずなのに、目からぼろぼろと零れた涙が目尻を伝ってソファへと落ちていく。

「まぶしくて、怖いです」

両掌で目を擦ってみても、溢れる涙が止まらない。

こんなにも温かい景色も感触も、もしかしたらすべて夢なのかもしれない。目を覚ませば、やっぱりあの暗い部屋の中で、右隣に香水臭い女が寝ているのかもしれない。

怖い。
いま、この感覚をすべて奪われるのが怖い。
ようやく手に入れた温もりを、また冷たい部屋の中に閉じ込められてしまうのが怖い。



ばさりと音を立てて、視界が真っ暗になった。
びくりと肩を揺らして身を縮めて、感覚を研ぎ澄ます。『あいつ』が来たのかと、喉が一気に渇いていく。

ああ、違う。
身体を覆っている暗闇から、じわじわと伝わる温かさで、恐る恐る息を吐き出した。暗闇に指を伸ばして、そっと撫でてみる。
防寒に適した、ボアの裏地に触れた。ファースト・フォースの隊服の黒いブルゾンだ。それも、自分のものより幾分も大きい。
暗い中で視線を動かしてみると、裏ポケットに金糸で縫われた上司の名前を見つける。その名前を見ただけで、また涙が溢れてしまった。

「まだ眩しいか」

暗闇越しに聞こえた声が、そう問う。
その暗闇をぐっと引っ張って引き剥がせば、途端に白い光が突き刺さった。
涙で濡れたまま見上げた上司は、少しだけ眩しそうにこちらを見下ろしている。……徹夜明けで、眠そうな顔だった。
変わらずに、オフィスの中は穏やかな空気と談笑の声が流れている。
それがただ、嬉しかった。

「篠原さん」

体に掛けられた上司のブルゾンを片手で抱き締めて、もう片方の手を伸ばす。触れた彼のシャツを指先でぎゅっと握り締めると、見下ろす切れ長の目が丸くなった。

「どこにもいかないで」

もう一人で過ごす夜も、狂ったように過ぎていく夜も来て欲しくない。だから、どうか。

溢れる涙を目尻の先で拭った彼の指先が、ごしごしと乱暴に頭を撫でる。こちらの腹に寄り掛かるように背を預けられると、少し息苦しい。でも、嫌ではない。
ブルゾンを引き上げて目まで覆われてしまった。
また、真っ暗だ。それでも、もう怖くないと思うのは、さっきよりも触れる体温の面積が広がったからだろうか。


「俺を置いていかないで。ひとりにしないで」


本当は、ずっとそう言いたかったのかもしれない。
ブルゾンで覆われた視界の外から伸ばされている篠原の手は、止まらずに頭を撫でてくれる。探るようにソファーに指を這わせて、ようやく見つけた篠原のシャツの裾をもう一度握り締めた。

目を伏せる。
聞こえる仲間達の声。広がる温かさ。このブルゾンを捲れば、溢れてくるであろう明るさ。
どれも、失いたくない。もう、奪わせはしない。

いかないで。
ひとりにしないで。
ひとりの夜がこわいんだ。

ベッドの上で膝を抱えた少年は声無く叫ぶ。
また一筋流れた涙が、ぽつりと落ちて浸み込んでいった。









目を覚ましたときに、いちばん最初に目に映ったのは、憎たらしいほどの笑顔で覗き込んでいる戦友の顔だった。

少しだけ滲む目の下の黒い隈すら吹き飛ばすような、きらきらと嬉しそうに輝いた顔に、まだ寝惚けていた頭が一気に覚醒していく。

「……目覚め最悪」

ぽつりと呟けば、ソファーの横に座り込んで覗いていた関は、一層笑みを深めた。関の向こうには、他のファースト・フォースのメンバーの穏やかな顔が見える。

「なんですか……皆でヒトの寝顔観察でもしてたんですか……」

批難混じりに言う声に覇気が宿らない。寝起き早々の呆けた声で言っても、関たちはにこにこと笑うだけだった。
ソファーから上体を起こそうとすれば、腕を引かれた。その力に身を任せたまま起き上がり、視線を上げれば、こちらの身体をクッション代わりにしていた篠原が目配せしている。
その目配せの意図に気付けずに眉を寄せると、そんな相楽を見ていた関はへらりと笑った。

「夜泣きするなんて、相楽もまだまだ子どもなんだなぁ」
「……はぁ?」

関の楽しげな笑みと、他の皆の微笑ましげな目に首を傾げてから、ハッとした。
慌てて目を手の甲で擦る。自分では見ることができないが、多分、紅くなってしまっているんだ。
咄嗟に篠原を睨む。肩を竦めた彼は、相楽の腹の上のブルゾンを引っ張って羽織りなおした。

「夜泣きなんてしてませんけど」
「俺はなにも言ってない」

なにも言っていないが、夜泣きしてないとも言ってない。遠回しな肯定と否定に、ぎりぎりと歯を食いしばった。
素知らぬ顔で冷めたコーヒーを啜る篠原を睨んでいれば、相楽、と呼ぶ声がした。

「おはよう、相楽」

そう言ったのは、木立だ。
きょとんとしていれば、続いて関がおはよう、と微笑んで立ち上がる。
関を見上げて、そしてオフィス内を見渡した。
そこにいる皆が、相楽を見ている。おはよう、と次々に飛んでくる声が、耳に届いた。

「……」

ぼうっとその声を聞いていた相楽は、不意に伸びてきた手が頭を撫でた事で我に返る。
くしゃくしゃと乱雑に頭を撫でた手が離れていく。その指を目で追って、篠原に辿り着くと、僅かに口許を緩めた篠原は目を細めた。

「おはよう」

ちりちりと焼けるようだ。
やっぱり、まぶしすぎて、苦しい。

「あ……」

上手く言葉が喉から出て行かない。
乾燥してひりつく喉に一度唾を流し込んでから、微笑んだ。

「おはようございます」

ああ、朝は、もう来ていたんだ。



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