Story-Teller
◆ホワイトデー (2012.3)

2012/3/14 日記内で公開 ホワイトデーSS
2012年のバレンタインSSの後日談です





手のひらに乗せられたとろりとした黒色の紙袋を見つめたまま、相楽は停止していた。
相楽が凝固してしまった原因のその袋を手渡した張本人である篠原は、相楽のそんな思わぬ反応に戸惑い、軽く咳払いをしてみる。
我に返った相楽が縋るように向けてきたのは、戸惑いからかつるつると潤んでしまっている泣きそうな瞳で、篠原は、居心地の悪さに視線を泳がせた。


時刻は、定時を一時間過ぎた頃。
先程まで準備をしていた夜勤組がUC館の警備へと出払っていったオフィスには、篠原と相楽の二人だけが残された。
篠原は相変わらずの残業で、相楽は溜まりに溜まった課題の消化だ。
暫し無言でパソコンを眺めていた篠原が不意に立ち上がり、デスクいっぱいに課題を広げてペンを握っていた相楽にあの袋を渡したのは、つい数分前のこと。
それっきり椅子の上で微動だにしなくなった相楽に、篠原は恐る恐る口を開く。


「……ホワイトデー」


呟いた声が相楽に届けば、相楽はゆっくりと紙袋へと視線を落とした。

漆黒の無地が上品さを極めている袋には、控えめな白箔で『narcissus.』と記されている。『narcissus.』というのは、若い女性を中心に人気がある洋菓子専門店の名前だ。
袋の中には、同じく黒い無地の、正方形をした紙箱が入っている。中身は、店で一番人気と謳われているチョコレートとプレーンのマーブルシフォンケーキがワンホール。

わざわざ風早から聞き出した、『一番美味そうなもの』を休日に買いに行った自分を褒めてやりたい。
甘い物がとことん苦手な篠原にとって、洋菓子店に足を運ぶなんて自殺行為以外の何物でもない。食べるのはおろか、匂いを嗅ぐのすら嫌だ。店に入った瞬間の苦しさを思い出すと、胃が痛むほどの苦行だった。


相変わらず、相楽は戸惑ったように視線を左右に揺らしていた。


「……あの」

小さく呟く声に、眉を寄せる。どうしていいかわからない、という声色だ。そんな反応をする相楽に、こちらまで戸惑ってしまった。
渡した瞬間、「ナルキッソスのシフォンケーキだー!」などと狂喜乱舞するくらいの反応は覚悟していた。
篠原と対称的に甘い物が大好物の相楽なら、悶絶しそうなほどに甘ったるい匂いを放つシフォンケーキも喜んで食べるのだろう、と。

しかし、なんだ。
相楽はやはり戸惑って……むしろ困ったように眉尻を下げて、狂喜乱舞はおろか、言葉すら発さない。全く想定外の反応だった。


「……篠原さんから……」


不意に口を開いた相楽に、はっと我に返った。相楽を見れば、俯いたまま袋を両手で握り締めている。その表情は窺えない。


「お返し、貰えるなんて思ってなかったから……」


小さな声が、僅かに震えていた。そんな声に、思わず慌ててしまう。
泣かせるようなことはした覚えが無いし、この部下が泣いたところを数度見たことがあるが、全くもって慣れない。いつも生意気なまでに強気でマイペースな部下が、しゅんと眉を八の字に下げて、ぼろぼろと大粒の涙を流す姿は、篠原をひどく狼狽させる。
いきなり幼い赤子の世話を任された時のように、右往左往してしまうのだ。

どうするべきかと悩んだ末に、手を伸ばした。ふわり、と相楽の明るいブラウンの髪に触れる。
細く柔らかなその髪を掻き混ぜるように一度撫でれば、相楽の肩が跳ねた。


「なんで泣く……」


思ったことをそのまま問えば、相楽は俯いたまま首を横に振った。


「泣いてませんよ」

「ああ、そう……」


相楽の髪から手を離す。とりあえず、泣いてはいないらしい。紛らわしい。


「篠原さん」


呼ばれて、視線を落とした。椅子に座ったままの相楽は、紙袋を両腕で大事そうに抱き抱えていた。
ゆっくりと顔を上げた相楽と目が合えば、彼が微笑んだ。他人から言わせれば『絶滅危惧種』の、満面の笑みだった。


「嬉しいです。ありがとうございます」


笑顔で。潤んだ瞳で。震えている声で。そんな風に真っ直ぐな礼を言われるのは、やはり篠原の想定外で。

慌ただしい動きで課題をデスクの隅に寄せた相楽は、ふわふわと緩む口元を隠しもしないで、シフォンケーキを箱から取り出した。デスクの中に常備してあるフォークを手に、相楽は幸せそうに両手を合わせる。


「いただきます、篠原さん」


ちらりと窺うように見上げてくる視線から顔を背けて、篠原は日が沈みきった真っ暗な窓の外を眺めた。


「……どうぞ」


篠原の反応を待つ彼に一言だけ返せば、相楽は早速シフォンケーキを口に運んだ。窓に映った相楽は、至極幸せそうに微笑んでいる。
まぁ、とりあえず、口には合ったらしい。
相楽は黙々と食べ進める。窓に映るその姿が木の実を頬張るリスに似ていて、笑えた。


「相楽」

視線は窓に向けたまま、呼んでみる。相楽が顔を上げたのを確認してから呟いた。
『美味かったから、また作れ』。篠原の言葉に、相楽が驚いたように目を丸く見開いて、それから顔を真っ赤にする。俯いて咀嚼を続ける相楽は、何も返してこない。

甘い物は苦手だ。
だが、相楽が作った生チョコは美味いと思えた。

こくりとシフォンケーキを飲み込んだ相楽が、はい、とようやく返事をしたことに、篠原は満足してパソコンの画面へと視線を戻した。



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あきゅろす。
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