Story-Teller
◆バレンタインデー (2012.2)



2012/2/7 日記内で公開 Story-Teller番外SS



一体、何をしているんだろう。
簡易キッチンの隅に整然と並べられた甘い塊を見下ろしながら、何度も何度も脳内で自分へと問い掛ける。
ふんわりと室内に漂う香りに満足しながらも、答えが出ないまま、相楽は大きな溜め息を吐き出した。


防衛軍基地の敷地内に並ぶ隊員寮の、第二区画。
精鋭部隊ファースト・フォースや、隊長格から副隊長、班長、副班長格を持つ者たちの自室が並ぶ第二区画の一角に、相楽の自室はある。
ファースト・フォースに配属されるまでは二人一組の相部屋だったが、今では一人で一室という特別待遇だ。
隊長や副隊長クラスになれば、もっと広い部屋を一人で占領できるのだが、一人部屋、という自由な空間を与えられただけでも、相楽は満足だった。

相部屋だったときにはなかった簡易キッチンに立つ相楽は、僅かに汚れたコンロと流し台を拭きながら、何度目かの溜め息を吐く。
簡素なキッチンに広がった、酷く甘ったるい匂いは、一人部屋の奥までたっぷりと充満している。恐らく、ベッドにも甘い匂いが染みついているだろう。

手元に並んでいる甘い匂いの発生源を見下ろしたままの相楽は、ゆっくりと瞬きを繰り返した。
甘い匂いの発生源で、相楽の溜め息の元凶。
それはおおよそ、「成人男性の手料理」と言うには可愛すぎる物。
湯煎したチョコレートに生クリームを加えてなんとなく固めただけ。そんな簡単なもの。

この一人部屋を与えられてから、初めて作った手料理は、世間一般では生チョコと呼ばれているお菓子の一種だ。
相楽にとって甘いもの、といえば、任務をこなす上では必要不可欠なエネルギー源にして、日々の最大の楽しみである。
常に飴やチョコを携帯しているし、オフィスのデスクの中にも大量にストックがある。
一粒食べるだけで虫歯になりそう、と形容されるほどの甘い飴やチョコが好きな相楽だが、本日作りあげたものは、ビターチョコを使った、甘さ控えめの生チョコだった。

元から手先が器用な相楽が難なく作ることが出来たその傑作を、眉を寄せながら見下ろす。
甘い匂いはすれども、自分好みの味ではない、そんな生チョコだった。





今日は、朝から非番だった。
ついでに言うと今日は、ここ最近ずっと世間を甘い香りと雰囲気でふわふわと賑わせている、バレンタインデー当日だった。

毎年「ください」なんて言わずともたくさんの甘いチョコが貰えるそのイベントが、相楽は好きだった。
学生時代から、鞄いっぱいに貰ったチョコレートを詰めて帰り、何日も掛けて思う存分さまざまなチョコレートを味わえる幸せなイベントとして、密かに楽しみにしていたのだ。
ただ、今年は少し心構えを変えられてしまった気がする。




「そういえば篠原隊長、去年のバレンタインは災難だったんだよなぁ」

関がそう切り出したのは、一昨日の昼休憩のときだった。
何が? と首を傾げれば、関は少しずつ齧っていたビーフジャーキーを一気に丸飲みしてから口を開く。

「甘い物苦手なのに、擦れ違った女子から次々にチョコ渡されてー。隊長が断る隙もなく渡して逃げちゃうから、受け取るしかなくってさ。モテるのが気の毒に見えたのなんて初めてだったよ」

「……よくあんな強面にチョコ渡そうと思うね」

「だって隊長かっこいいもん。男の俺でもそう思うんだから、女子的には王子様なんじゃないの?」

王子様。と反復してから、飲んでいたココアを噎せた。王子様なんて、篠原にもっとも似合わない言葉じゃないか。
篠原が王子様だったら、爽やかの具現化した姿ともいえる高山なんかは神様だ。王子を通り越して、人を超越した存在になってしまう。
篠原には『帝王』だとか『ボス』だとか『組長』あたりが似合う、と浮かんだ結論に心底納得した。

「今年も隊長、バレンタインの日はシフト入ってるよなー。ご愁傷様!」

そう言った関は、デスクに突っ伏して羨ましそうに目を細めていた。
そんな話を聞いた相楽は、読んでいた雑誌へと視線を落とす。
新しいお菓子屋を開拓してみようかと買ったパティスリーの紹介雑誌は、来るべくバレンタインという戦の日へのマニュアル本と化していて、ページを捲れども捲れどもチョコレートの紹介が続いていた。
ここのお店のチョコレートは見た目が最高、とか、ここは高級志向、とか、安価で量を優先するならこれ、だとか。
そんな雑誌の一ページに、相楽が作った生チョコの作り方はあった。




それで、何故、自分はそれを作った?
狭い簡易キッチンの上では置く場所が無くて、床に開いたまま放っていた雑誌を横目で見下ろす。
『甘い物が苦手な彼でも、これなら大満足! ビターな味わいがくせになるね、とろける生チョコ♪』
そんな紹介文が一際目立つフォントで踊っている。
やけに苛立たせる音符マークが気になるその記事を見下ろしていた相楽は、手元の生チョコへと視線を移して溜め息を洩らした。

「……食うか」

小さく呟いてから、再度、大きな溜め息を吐いた。最早、深呼吸だ。

とある人物を意識して作ったそれは、相楽にはきっと苦すぎる。自分で食べるには苦労するだろう。
それでも、渡せる勇気などあるわけもなくて。

関か桜井あたりに食べてもらうかと画策しながら、前日にわざわざ用意しておいた、手のひら大のシンプルな白黒の箱へと生チョコを並べていく。
自分は疲れていたんだ。だから、突拍子も無いことを考えて、こんな物を作ってしまったんだ。
言い訳のように繰り返しながらも、律儀に包装までしている自分にゾッとした。
持ち前の器用さを存分に活用して綺麗にラッピングされた箱を絶望的な気持ちで見下ろしていれば、エプロンのポケットに入れていたスマートフォンが振動を始める。

こんな時に誰だよ……
やさぐれた気持ちのまま携帯電話の液晶を見て、咄嗟に息が止まってしまった。
映し出されたのは、甘い物が苦手な、とある人物その人の名前だったからだ。

非番の日に電話が掛かってくるのは、緊急要請がほとんどだ。
なにか大きな事件でもあったのかと、慌てて受話キーを指先でスライドした。

「さっ、相楽ですっ」

柄にも無く吃って上擦った声に、顔が熱くなる。もう、消えたい。
受話器越しの相手も、一瞬戸惑ったように言葉を飲んだのがわかる。ああ、消えたい。

『……お前、今日までに提出の課題出してないだろ。今すぐ持ってこい』

姿の見えない相楽が耳まで紅くなっていることなど露とも知らない相手は、簡潔にそう言って一方的に電話を切ってしまう。
静かになったスマートフォンを見下ろして少し冷静さを取り戻してから、部屋の隅にあるパソコン脇にちょこんと置かれている課題を抱えこんだ。
それから、課題と課題の間に隠すように、生チョコの入った小さな箱を押し込む。
躊躇するようになかなか進まない足を片手で叩いて叱咤した。


自室の扉を開きながら、必死に言い訳を考える。

─間違ってビターチョコで作っちゃったから、あげます。
……なんだそれ、ドジっ子アピール?

─日頃の感謝の気持ちです。
……嘘臭すぎるだろ……感謝とか……



ああ、もう決めた。
押し付けて逃げてしまおう。

踏み出した足は、急くように軽かった。



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